83話 魂魔術
悪魔クロムリアの脅威は僅か七日で知れ渡った。
バロム共和国が陰魔術《
つまり、
《
総勢にして二十六万。
老若男女、職業問わず、全ての人間を兵士として使っている。
戦力としては役に立たない者が多い。
しかし、快楽物質によって脳のリミッターが外され、人外じみた身体能力と恐怖を感じない壊れた心を有している。雑兵としては充分だった。
「ほう。あれが悪魔信奉者の軍勢ですか」
達人の風格を匂わせた老人が溜息を漏らす。
後ろで縛った長い白髪が風に揺らいでいた。
「悪魔の姿は見えましたかフロリア嬢?」
「確認済みよ」
隣には弓を構えた金髪の美女がいた。
その弓は光り輝いており、魔装によって顕現した武器だと分かる。
「リヒトレイ老師、あれは全滅させるのよね」
「可能ならば操られている人々を解放したいところですね。まずはフロリア嬢の狙撃で悪魔を狙い撃ち、様子を見ましょう」
今、この二人が立っている場所はフロル王国の王都城壁の上である。
現在、悪魔が率いる軍勢によりフロル王国は窮地に立たされていた。既に幾つかの都市が滅亡し、《
快楽物質により侵された二十六万の人々が王都を攻め落とそうとしている。
とても勝てるとは思えない数だ。
大抵の都市は大軍に怯えて立て籠もり、《
だが、神聖グリニアより派遣された二人の覚醒魔装士ならば恐れる必要もなかった。『穿光』のリヒトレイと『天眼』のフロリアは、如何なる犠牲を払ってでも悪魔を討伐するように言われている。二十六万の人間もろとも、悪魔を滅ぼす覚悟だった。
勿論、可能ならば救える方が良い。
様子見も兼ねて、フロリアの狙撃を初手とすることにした。
「では、狙い撃ちます」
斜め上を狙って光り輝く弓矢を構える。
フロリアは『天眼』の二つ名を有する通り、俯瞰視点で獲物を狙うことができる。矢の着弾点を観測し、必中させることができるのだ。魔力を込めれば矢の届く距離も伸びるため、魔力さえあれば射程無限大となる。
着弾点を観測できる能力を応用すれば、偵察にも使えるのだ。
先程はこの力で悪魔を探し当てた。
全身甲冑の女悪魔。その実態はただの眷属型魔装なのだが、それは知る
光り輝く矢が青空の下、軌跡を描いた。
◆◆◆
音速の五倍にも加速した矢が落下する。
それは寸分の狂いもなく悪魔クロムリアの心臓を貫こうとしていた。
『素直な攻撃ね』
しかし、そのような目立つ攻撃に気付かないはずがない。クロムリアは闇の剣を生み出し、光の矢を弾いた。元が魔力の光の矢は霧散する。
そして反撃とばかりに闇のキューブを生み出した。そして四×四×四の六十四分割で射出した。
闇の流星群が王都に降り注ぐ。
だが、それは城壁から放たれた六十四の矢に撃ち落とされた。目にも留まらぬ早撃ちである。覚醒魔装士となったフロリアは七十年の研鑽を積んでいる。この程度は朝飯前だった。
『中々やるみたい』
この攻防で
あれほどの戦闘技術は、覚醒して寿命が無くなったからこそ身に付いたものだ。
そして相手が覚醒魔装士なら、陰の禁呪《
先に覚醒魔装士を仕留める所から始めなければならない。
『二対二……前哨戦としては中々ね』
眷属を通して
伝説の悪魔と聖騎士の戦いに見えて、実際は国を賭けた覚醒魔装士の戦いだ。
リヒトレイとフロリア。
双方の覚醒魔装士が出陣する。
悪魔の軍勢と王都の中間点でぶつかった。
◆◆◆
シュウ、アイリス、そして『鷹目』は帝都の郊外に身を潜めていた。誰も訪れないような場所であるため、三人以外は誰もいない。
「ようやく戦い始めたな」
振動魔術で光を操ることで遠方を観測する。そんな魔術によってスバロキア大帝国にいながらフロル王国の状況を観察していた。
その目的はスバロキア大帝国と神聖グリニアの有する覚醒魔装士を知っておくため。
もう一つは戦争の進行具合を知っておくためだ。
この戦争はシュウと『鷹目』で完全にコントロールすることになっている。最終的には
「黒猫の幹部会合では十日後と言ってしまいましたからね。予想よりも行動が遅くて焦りましたが、ようやく思い通りとなりそうです」
「ああ。どうやら聖騎士はあれが眷属型魔装だと気付いていないみたいだな。それなら、本格的な
「最新の情報では、まもなく
「なら、『鷹目』はお得意の情報操作で大帝国を焦らせろ。
「それならば既に完了していますよ。明日にでも皇帝勅令として一般にも公布されるでしょう」
「流石だ。仕事が早い」
こうして会話している間にも戦いは激化していく。
悪魔クロムリアが闇の刃を振るい、それをリヒトレイが槍で受け流す。そしてフロリアの矢は闇のキューブ弾で相殺される。
またクロムリアは
アイリスは映像を見てただ感心する。
「これ、陰魔術なのですよ! 四属性魔術みたいに位階ごとの整理がされているのです!」
彼女も陽魔術を得意とするだけあって、同じ二極属性である陰魔術にも多少は詳しい。そして体系化が不十分だった陰魔術が、効率的な形式で利用されている。これは驚くべきことだ。
一般的な陰魔術は、いわゆる呪いによって状態異常を与える。肉体あるいは精神に作用するデバフという曖昧な扱いだった。曖昧であるがゆえにイメージも難しく、会得しにくい魔術となっていた。それが体系化によってはっきりすると、会得が簡単になる。また、発動もしやすくなり効果も高くなる。
アイリスとしても陽魔術の体系化したものには興味があった。
(『鷹目』の情報によると、
興味津々なアイリスを見て、シュウも思う。
勿論、まだ未完成な部分もある。
複雑な禁呪や神呪クラスともなれば、まだまだ改良点は多い。特に神呪規模の陰陽魔術は
「そういえば『死神』さん」
「どうした『鷹目』?」
「実は神聖グリニアの覚醒魔装士が一人、
「どいつだ?」
「ガラン・リーガルドです。『浮城』の聖騎士と呼ばれる男ですよ。百五十年ほど前に覚醒した魔装士ですので、魔装に関する情報はほとんどありませんが」
覚醒魔装士は機密中の機密だ。
その情報をあっさりと取得している『鷹目』には呆れるばかりである。だが、それは今更だ。流石は『鷹目』だと思って諦めるしかない。それに、契約で『鷹目』の情報力を手に入れたのだ。改めて彼の実力を確認できたという意味において、実に頼もしい。
また、覚醒魔装士が
「これで大帝国が少しでも追い詰められれば僥倖だな」
覚醒魔装士の力は絶大だ。
魔術によって空中に映された戦いにも、それは現われていた。
◆◆◆
リヒトレイは槍で薙ぎ払う。
だが悪魔クロムリアは闇の刃を流動させてゴムのように受け止め、闇のキューブ弾を射出してリヒトレイを撃ち抜こうとした。
するとリヒトレイはもう一本の槍を生み出し、左手一本で回転させて闇のキューブ弾を弾く。そしてリヒトレイの体の隙間を矢がすり抜ける。フロリアの精密射撃だ。
リヒトレイとフロリアは連携の練習をしたわけではない。
ただ、達人と達人であるがゆえに、即興で互いに合わせることができる。リヒトレイは撃ち合いつつも僅かな射線を空け、フロリアは決して見逃すことなく射撃を繰り返す。
「やりますな。まるで達人だ」
リヒトレイは褒める。
とても野生の魔物とは思えない戦闘技術だ。闇のキューブ弾を射出する攻撃はまだ良い。だが、流動する闇の刃を自在に操るというのは戦闘センスが問われる。また、合間に放たれる陰魔術も油断できない。
『そちらこそ、やるのね』
「これでも最高位の聖騎士ですから」
まだ二人には会話するだけの余裕があった。
闇の刃と槍がぶつかり合い、間合いを奪い合い、そして時に撃ち合う。
「そこっ」
フロリアは輝く矢を放つ。
クロムリアは闇のキューブ弾で相殺した。
そして一度下がり、距離を取る。
『面倒になってきた』
こうして覚醒魔装士と戦っても決着がつかない。
そこでクロムリアは操っている信者たちに命じた。
『進め』
《
地面を揺らす大侵攻が始まった。
それを見てリヒトレイは渋い顔をする。
「そのまま大人しくしてほしかったのですが……」
彼の望みとしては、一騎討ちでクロムリアを討ちたかった。
それが最も被害を少なく終わらせる方法だったのだ。だが、こうして進軍が始まってしまっては仕方がない。操られているとはいえ、被害をもたらすのは事実。非情な判断と分かっていても、聖騎士として虐殺を行わなければならない。
「……仕方ありませんな」
リヒトレイは槍を掲げた。
彼の魔装は光の槍を生み出すというもの。非常にシンプルな武器型魔装だ。極めれば二本の槍で二刀流もどきもできる。だが、それはリヒトレイの基本的な戦闘術に過ぎない。覚醒魔装士として会得した、無限の槍生成こそが本当の力だ。
「私の魔装で死んで頂きましょう」
魔装の槍は一見すると普通の槍だ。光の槍といっても、光の要素はほとんどない。
リヒトレイの槍は光の概念を内包しており、仮に投げれば光速で飛ぶ。また、光を追随させて追加攻撃することもできる。単純に光を操ることもできるのだ。
応用すれば、太陽光を幾つも収束し、無数のレーザーとして撃ち降ろすこともできる。
光の雨が降り注ぎ、二十六万の人間が次々と死に絶えた。
『残酷ね』
「悪魔に言われたくはありませんな」
クロムリアは信者たちを殺されても涼しい声である。甲冑に隠されて表情は見えないが、余裕の気配を放っていた。
リヒトレイとフロリアは少しだけ不審に思う。
だが、所詮は無慈悲な悪魔なのだと考えた。
太陽光が凶器として降り注ぎ、人間は皆殺しとなる。
だが、これは悪魔クロムリアの背後にいる
『大量の人間が死ぬとき、莫大な魔力が放出される。それを合成することで、魔物が生まれる。私はこれを魂魔術と名づけた』
そして魔術陣が死体の横たわる大地で展開され、輝いた。
世界の真理を見通す
二十六万人の人間を犠牲にアンデッドを生み出す、禁忌魔術の一種だった。
『出でよ、
黒い霧のようなものが溢れ、魔術陣上にあるすべての死体が覆われる。
そして霧は魔術陣の中心で収束し、跡には死体が一つも残らなかった。
代わりに、死の気配を放つ純白の騎士が現れた。