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82話 悪魔の誘惑


 喋らぬはずの木像が語りかけ、目を光らせた。

 これはゲーチスを歓喜させる。



「あ、悪魔様! 私の声を聞き届けてくださったのですね!」



 突入した聖騎士たちは驚き、そして慌てる。

 悪魔信奉者は本当に悪魔を召喚できるわけではなく、ただそれを崇めているだけに過ぎない。その過程で生贄を捧げたり、誘拐事件などの問題を引き起こす。聖騎士が悪魔信奉者を討伐するのはそういった理由である。

 本当に悪魔を召喚する危険人物も稀にいるのだが、そちらは本当に稀だ。

 聖騎士たちは、このゲーチスが稀に見る危険人物だと判断した。



「壊せ!」



 放射攻撃が可能な聖騎士は、一斉に悪魔の木像へと攻撃する。

 ゲーチスは転がるように避けた。回避が遅れたゲーチスの側近たちは巻き添えを喰らい、痛みで絶叫を上げた。



「悪魔様!」



 木像に攻撃が直撃した瞬間はゲーチスも見ていた。

 聖騎士の卑劣な攻撃で悪魔像が砕かれてしまったと思い、悲痛な叫びが響く。だが、その程度で悪魔が滅びるはずもない。

 闇が広がり、一つの形を成す。

 漆黒の女性鎧を纏う人型の悪魔だった。フルフェイスの兜は頭部に角がついており、隙間からは炎のような眼光が見える。



「女の悪魔だと……!?」

「馬鹿な。本当に召喚を成功させたのか?」



 悪魔とは魔物の一種だ。

 そして他の魔物と異なり、強力な個体が多い。その理由は悪魔には知恵があるからだ。本能的に暴れまわる魔物は討伐しやすいが、知恵ある魔物は厄介だ。シュウも知恵を巡らし、順調に自身を強化することで『王』となった。

 悪魔という魔物はそれが顕著なのである。

 発見したら早々に討伐しなければならない。



「行くぞ!」



 隊長として部隊を率いていた聖騎士ロームが斬りかかる。斬った対象に毒を流し込むという、地味な割に強力な魔装だ。悪魔であっても毒は効く。

 だが、悪魔は右手に漆黒の剣を生み出し、防いだ。

 ロームが打ち込んだ剣はピクリとも動かず、力では悪魔が勝っている。



『邪魔』



 漆黒の剣がグニャリと変形する。流動するようにして曲がった剣が薙ぎ払われる。

 まるでロームの剣をすり抜けるように振るわれた闇の剣は、音もなく首を切断した。魔力による無意識の防御が張られた聖騎士ロームの首がずり落ちる。

 瞬殺だった。



「え、あ……ローム!」

「何てこと!」



 隊長として聖騎士を率いていたロームが一撃で殺されたのだ。Aランク聖騎士をあっさりと殺害する悪魔に脅威を抱かないはずがない。ここで殺さなければならないと確信した。

 残る七人で陣形を組み、一斉に襲いかかる。

 だが、悪魔は漆黒の剣を消し、代わりに掌より大きな立方体を生み出した。その立方体はやはり漆黒に染まっており、光を吸い込むような闇を感じる。



『死になさい』



 立方体は三×三×三に分割され、合計で二十七個の小さな立方体になった。

 それが悪魔の掌から発射され、聖騎士の心臓を貫く。Aランク聖騎士ですら反応できない射出速度かつ、無系統魔術による障壁を貫く威力だ。全員が胸から血を噴き出しつつ、絶命した。

 この圧倒的な光景にゲーチスは目を奪われる。

 そして額を地面に押し付け、悪魔を拝んだ。



「あ、あ……悪魔様! よくぞ私の声に応えてくださいました」

『ふぅん? あなたは?』

「あなた様の忠実なるしもべ、ゲーチスでございます。恐れながら、悪魔様の御名を……」

『クロムリア。それが私の名前ね』



 ゲーチスは輝くような目で甲冑の悪魔クロムリアを見つめる。

 そして告げた。



「大いなる悪魔クロムリア様。どうか私たちを導き、魔神教を滅ぼしてください」



 彼の懇願に対し、クロムリアは首を縦に振った。










 ◆◆◆









「ちょろい」



 悪魔クロムリアの正体は閻魔黒刃クロムリアの覚醒魔装だった。近くの山中に潜伏する彼女が生み出した眷属型魔装なのである。



「所詮は覚醒にも至らぬ聖騎士。儂らからすればその程度よ」



 そして彼女と共にいるのが万象真理フラロウスである。

 二人は皇帝の命令通り、神聖グリニアを積極的に攻撃するためここまでやってきた。閻魔黒刃クロムリアの魔装は人型の魔人を生み出す。それを応用して、悪魔信奉者に悪魔を召喚したと錯覚させたのだ。これによって魔神教も悪魔が出現したと勘違いするだろう。

 それに閻魔黒刃クロムリアの魔装は、百五十年前に単騎で都市を壊滅させたこともある。その都市はブラハと呼ばれていたので、当時の惨劇の様子から『ブラハの悪魔』とまで言われた。



「じゃあ、万象真理フラロウス。バロム共和国を潰して注目を集めるよ」

「久しぶりの実戦は心が躍る。研究の成果を試す瞬間になるからな。儂にも視覚共有を頼むぞ」

「わかった」



 閻魔黒刃クロムリア万象真理フラロウスにも眷属の視覚を付与する。眷属型魔装は、その魔装を遠くで操るために感覚の共有を可能とする。極めれば、閻魔黒刃クロムリアのように他者へと感覚を付与することもできるのだ。

 そして視覚を得た万象真理フラロウスは遠隔で魔術を発動する。










 ◆◆◆









 悪魔クロムリアを召喚したと勘違いしたゲーチスは、そのまま近くの街へと攻め込んだ。悪魔クロムリアを先頭にして、生き残った悪魔信奉者も後に続いている。



「聞け!」



 ゲーチスは風魔術による拡声を利用し、目の前にあるロンダの街へと呼びかけた。



「我らは真なる救世主、クロムリア様に仕える者。クロムリア様は傲慢な魔神教を嘆き、我らの嘆きを聞き届けてくださった。今より愚かにして傲慢な魔神教は滅びる。救いは救世主クロムリア様によってもたらされるのだ!」



 街中どころか、その周辺にまで響く声だ。

 それも魔神教を完全否定する声明である。街がザワザワと騒がしくなるのが聞こえた。



「新たなる救世主、悪魔クロムリア様に従う者は永劫の幸福を得るだろう。もしもクロムリア様を崇めるなら、その証として今から隣町へと向かい、そこで布教するのだ。その成果を以て、我らの同志と認めようではないか!」



 無茶苦茶である。

 そもそも魔装神エル・マギア以外の神を崇めるように勧めた時点で、警備軍に逮捕される。それはつまり、国教を拒否することに他ならない。それどころか、ゲーチスが主張する救世主は悪魔なのだ。下手をすれば異端審問にかけられる。

 ロンダの民は、誰一人として街から出ようとしなかった。

 悪魔信望者など、聖堂の聖騎士や警備軍の魔装士が容易く壊滅させると考えたのである。



『呼びかけは無駄ね。悪魔らしく、堕落によって楽園に導くべきよ』



 全身甲冑の眷属魔装にして、今は悪魔を名乗るクロムリア。

 その正体は大帝国の覚醒魔装士である。

 悪魔クロムリアが手を伸ばすと、その知覚情報を元に遠くにいる万象真理フラロウスが魔術の術式を構築した。

 クロムリアを通して魔力が送られ、思考力によって魔術陣が描かれる。

 万象真理フラロウスの魔装は置換型。彼は目が魔装に置き換わっている。覚醒した魔装の瞳が見るのは真理の世界だ。世界がどのように構築され、どのように変化し続けているのかを観測する目を有している。これによって魔術を構築し、彼は新しい魔術を理論から開発した。



『未完成とはいえ、かなりの威力となるだろう』



 感覚共有で万象真理フラロウスの思念が混じり、口調が僅かに変化する。

 だが、ゲーチスたちは気付かなかった。

 目の前に生み出された巨大魔術陣に目を奪われていたのである。ロンダの街を覆い尽くすほど巨大な魔術陣であり、その大きさから測れる規模は禁呪クラス。単体では絶対に発動できないといわれる複雑怪奇な術式だ。

 万象真理フラロウスはそれほどの術式を一から組み立てた。



『快楽に沈むがよい。陰の第十四階梯《黒望楽園ディストピア》』



 発動と同時に、魔術陣の範囲で黒い粉が舞う。

 吸い込めば思考力を奪われ、脳を直接刺激する快楽により意思を奪われる。麻薬を広範囲に散布するような効果の術式だ。

 街そのものが術者の手に堕ちる。

 まさに悪魔のような術である。

 万象真理フラロウスは世界の真理を見抜くことで、体系化が不十分だった陽魔術と陰魔術を整理した。それによって軍用魔術を生み出したのである。まだ術式の最適化が足りていないが、この実戦でデータを採れば、実用に耐えうるまで完成させることができるだろう。

 この新しい技術はスバロキア大帝国でも万象真理フラロウスだけの研究であり、禁書庫にも収められていない。帝都から離れた場所にある、彼だけの研究所で保管されているのだ。



「素晴らしい力でございますクロムリア様。あなた様は一瞬にして愚かな魔神教の街を変えられました。解放による救いを与えなさったのです」



 勿論、狂信的にまでクロムリアを称えるゲーチスにも洗脳が施されている。初めに聖騎士を撃破した時点で万象真理フラロウスが陰の第五階梯《魅了チャーム》を使い、悪魔信奉者たちをすべて操った。

 これは大帝国から神聖グリニアに向けた前哨戦。

 万象真理フラロウス閻魔黒刃クロムリアによる偽装悪魔作戦が開始した。









 ◆◆◆









「大規模な悪魔信奉者の反乱だと?」



 神聖グリニアの首都マギアにも情報は伝わった。

 バロム共和国に潜伏していた悪魔信奉者たちが、悪魔を召喚してしまったというのである。本物の悪魔は位階が低くとも知恵を持つ。人間を誑かし、勢力を増強させ、悪魔自身の位階もすぐに上げてしまう。その結果、悪魔は上位グレーター級より上の存在が多い。



「情報によれば、聖騎士を一蹴したというではないか」

「すでにバロム共和国が陥落したのだ。国が滅びたという意味では絶望ディスピア級だぞ」

「それほどの悪魔ならば覚醒した聖騎士でなくては不可能だ! あるいは高位の魔装士を使い捨てにする覚悟がいる……」



 マギア大聖堂の司教たちは頭を悩ませた。

 悪魔信奉者による反乱は、各地の大聖堂でも充分に対処できることが多い。なぜなら、悪魔信奉者が本当に悪魔を召喚することは稀だからだ。大抵は木や石で作った悪魔像を拝むだけの集団である。聖騎士が数名いれば対処は容易い。

 だが、今回のように本物の悪魔が誕生し、更に国が一つ陥落したケースは非常に珍しい。少なくとも、マギア大聖堂にいる司教は聞いたことがなかった。



「静まりなさい。エル・マギア神を疑ってはいけない。勝利は必ず与えられる」



 そんな中、教皇は落ち着いていた。



「現れた悪魔の特徴を元に、資料庫を探ってきた。すると該当する悪魔が見つかったのだ」



 驚きが司教たちの間にあった。

 まさか教皇が自ら資料庫へと訪れ、情報を探っていたとは知らなかったのだ。そして、ただ騒ぐだけだった自分たちを恥じた。

 教皇は続ける。



「あの悪魔は流動する闇の刃を操り、闇を飛ばして攻撃する。間違いないな?」

「その通りです」

「ならばそれは『ブラハの悪魔』だ。百五十年前に現れ、ブラハという都市を一晩で壊滅させた。多くの犠牲を出し、当時の教皇は覚醒魔装士の投入を決定したという。そしてようやく討伐できたそうだ。当時の記録によると、『ブラハの悪魔』も闇の刃で聖騎士を切り裂き、闇を飛ばして聖堂を破壊したとある」



 記録にある悪魔と一致するなら、それは『ブラハの悪魔』として出現した悪魔と同じ種族だろう。

 勿論、全身甲冑の女悪魔という情報も一致していた。

 ゆえに、教皇は悪魔クロムリアが過去にも出現した悪魔だと勘違いしたのだ。閻魔黒刃クロムリアは眷属型魔装使いなので、姿さえ現さなければ魔装だとバレない。今回も同じ手法で、悪魔の出現だと錯覚させたのだ。



「スバロキア大帝国の動きに備える以上、聖騎士を無駄死にさせる訳にはいかん。『穿光』と『天眼』に悪魔の討伐を命じよう」



 戦争は、スバロキア大帝国の思い通りに始まった。









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