79話 大国の覚醒者
その日、シュウは少しばかりワクワクしていた。
ようやく黒猫の幹部集会の日になったのである。このために大陸の南西部から旅を続け、帝都アルダールまでやってきた。途中で
しかし、帝都に来た本当の目的はこの会合だ。
「マスター」
高級バーのマスターに『死神』の金貨を見せる。
表は杖を持った猫。
そして裏側には髑髏とナイフ。
まさしく『死神』のコインだった。バーのマスターも慣れたもので、表情を変えることなく店員の女性を呼び止める。中々に扇情的な姿の女性だったが、シュウは確かに裏の人間の気配を感じた。色々と嗜んでいるのだろう。
「お客様、こちらにどうぞ」
平然とした態度で案内を始める。
賑やかな酒場で見事なほど気配を隠し、するすると客の間を通り抜け、店の奥にある階段へ辿り着いた。階段の下は真っ暗で見えないほど深い。
「私が案内出来ますのはここまでとなります」
「部屋は分かりやすい場所にあるのか?」
「この下にある部屋は一つですので」
「なるほどね」
ここは黒猫のためだけの場所だ。複数の部屋は必要ないのだろう。
シュウは躊躇うことなく、奈落へと通じる地下室を目指す。世界の闇を凝縮したような、そんな狂人の集まりが黒猫だ。幹部が好き勝手に世界を引っ掻き回すだけという実に迷惑な組織である。油断できるはずもないが、恐れているようでは舐められる。
『死神』として、冥王として堂々とすればよい。
シュウは望むままに死を与え、冥府に送り続けた。
これからも変わらないし、変えるつもりもない。
(この世界の俺は無力じゃない。守るべきものは自分で守れる)
病床に伏していた生前の自分とは違う。
無力なまま奪われた過去とは決別した。
今は未来のために戦うだけの力がある。
「勝負時だな」
最奥へと降りたシュウは目の前の両開きの扉に手を当てる。
そして勢いよく押し、一気に開いた。
その瞬間、黄金の輝きが目に飛び込んできた。
◆◆◆
黒猫の会合が始まろうとしていた頃、皇帝ギアス・スリタルティ・ムルジフ・バラット・ノアズ・スバロキアは五人の人物を集めて極秘の会議を開いていた。
大公家の当主にだけは後に知らされるが、それ以外の人物は誰も知らない。
知られてはならない。
皇帝の集めた五人は、それほど秘匿されるべき人物ばかりなのだ。
「よくぞ来てくれたな」
ギアスがねぎらいの言葉をかける。
「祖国の危機とあらば当然です。この
白髪の美女が目を閉じて答える。
ゆっくりと開かれた瞳は美しいブルーであり、全身から魔力と共に冷気が立ち昇っていた。
「引退したとはいえ、吾輩も大将軍を務めた身。有事とあらば
続いて口を開いたのは獅子のように獰猛な男だった。全体的に体格が良く、華奢な
「まったく、儂が研究室に籠っている間にこのような事態が……」
「文句を言ってはいけないよ。有事の際にはしっかり働く。それが研究予算の条件でしょ? ね、
「分かっておるわ小娘……いや、
苛々した様子の
そして
「私も腕が鳴りますな。戦いから身を引いたとはいえ、やはり心が躍る。剣の頂きと言われたこの
五人目は初老といった見た目の男。白髪交じりで物腰は柔らかい。
しかし、空気すら切り裂くほどの剣気を宿していた。
皇帝ギアスは五人に呼び掛ける。
「
スバロキア大帝国の最高戦力であり、一人一人が一軍にも匹敵する魔装士。あるいは、一軍では収まらない強者たちである。
彼らは国籍上、死んだことにされている。
不老である覚醒魔装士は、名を捨てて皇帝から称号を授かるのだ。それこそが新しい名であり、大帝国に忠誠を誓った証しでもある。一見すると危険そうな
「さて諸君。神聖グリニアがついに動き始めた。
「無論だとも陛下。儂はいまでも奴らに禁呪を叩き込んでやった瞬間が忘れられんからな」
「私の魔装であの国を混乱させたのが百五十年ぐらい前になるのかな? 懐かしいね」
「お前たちは神聖グリニアとの戦争でほぼ同時期に覚醒した。懐かしさついでに、もう一度奴らを叩き潰して貰いたい」
むしろ腕が鳴るというものである。
さらにギアスは続ける。
「
所詮、
神聖グリニアとの戦争に備えて秘匿するべき戦力だったが、
スバロキア大帝国にとっても、今は時だ。
世の中が乱れ、戦争の機が高まっている。これは逆侵攻という意味で大帝国にとってもチャンスとなるのだ。
「戦争の始まりだ。我らが勝つぞ」
ギアスの宣誓は、しっかりと五人に刻み込まれた。
◆◆◆
煌びやかな酒場の地下室。
闇へと通じるはずの扉を開けたシュウが見たのは、黄金のような輝きだった。
煌々と輝くシャンデリア、赤と金の糸で織られた絨毯、黄金の額物に飾られた絵画、そして中央には香木から作られた円卓。
その円卓には十一の椅子が並べられており、すでに五つが埋まっている。禿げて腹の出た中年の男、タバコを吸って寛ぐ男、顔を隠した怪しい男、杖を傍らに置いた老人、そして円卓に突っ伏して眠っている白衣の女である。
つまりシュウが六人目に集まった幹部だ。
(円卓の上には五枚のコイン。幹部の証しはそこに置けってことか)
よく見ると顔を隠した人物は『鷹目』だ。
今日は目を隠す仮面にフードといういつもの姿だ。シュウは知り合いである『鷹目』の隣へと腰かけ、円卓の上にコインを置いた。
裏面である髑髏とナイフが刻まれた『死神』のコインだ。
それを見て、幾人かが反応する。
『死神』が代替わりしたことに気付いたのだろう。
新しい『死神』は帝都アルダールでも評判であるため、興味を持ったというわけだ。
「注目されていますねぇ『死神』さん」
「一応、新人だからな」
小声で『鷹目』と話す。
「今は待っていればいいのか?」
「全員揃うまでは始まりませんよ」
「なるほどね」
つまりしばらくは暇ということである。
今日はアイリスに魔術の課題を与えて留守番させているため、テレパシーで話しかけると邪魔になるだろう。ならばと、影の精霊を呼び出し本を手に取る。
すると幹部の一人である老人が、鋭い目で観察してきた。
穏やかな様子で座していたが、今はすぐにでも立ち上がりそうな気配を見せている。だが、老人が動くことはなかった。
シュウは周囲に気を配りながらも、禁呪の書を読む。それは土の第十二階梯《
(要するに隕石降らし。楽しそうだ)
今後のために魔術理論を研究するという名目もあるが、隕石降らしはロマンだ。
使う機会がなくとも、ただ使えるというだけで価値がある。
闇に属する者が集うこの地下室で、静寂が流れる。
まだ集まっていない幹部は五人いる。
しばらくは時間がかかりそうだ。
不吉を呼ぶ黒猫の会合。
間もなく開宴する。
◆◆◆
神聖グリニアでは、聖騎士と警備隊だけが魔装士であることを許される。聖騎士は教会に属する退魔の戦士である一方、警備隊は治安維持を担当する。犯罪者を取り押さえたり、時には凶悪犯を追跡したりと、人間相手の仕事がほとんどだ。
そしてエリートである聖騎士は魔物を相手に戦い、街や人々を守る。
首都マギアには聖騎士団の本部が存在し、危険な魔物の調査や討伐計画が立てられていた。
だが、本部に存在する秘密の一室では、人間相手を想定した作戦が練られていた。
「お集まりいただき感謝します。エル・マギア神に選ばれし四人の英雄たちよ」
この会議室に集まったのは五人。
その内の一人である教皇が感謝を述べた。
教会において最も権力のある彼が感謝の意を述べるとは驚くべき事態である。それもそのはずだ。ここにいる四人は神聖グリニアが誇る四人の覚醒魔装士なのだ。
彼らこそ、最強であるSランク聖騎士なのである。
魔神教における最高権威の教皇ですら、彼らには敬意を払っていた。
「『樹海』のアロマ、『穿光』のリヒトレイ、『浮城』のガラン、そして『天眼』のフロリア。あなた方に密命を与えます。僅かな精鋭のみを率いて、あるいは単騎で出撃し、かの大帝国スバロキアを滅ぼすのです。方法は任せましょう」
教皇が告げた密命とは、密かに大帝国を滅ぼすというものだ。
四人に緊張が走る。
遂にこの日が来たのかという歓喜と共に。
「大帝国も覚醒魔装士を投入する可能性があります。しかし、神に祝福された英雄が負けるとは思っていません。祝福の力、信仰の力を世界に示す時なのです。暴虐なるあの国の魔装士に教えて差し上げなさい。エル・マギア神の存在と力を!」
魔装は神より与えられたもの。
ゆえに強力な魔装を扱う者は多くの祝福を得た者として扱われる。つまり、覚醒魔装士は最高峰の祝福を得た者たちだ。
最も古い覚醒魔装士、『樹海』のアロマ・フィデアは返答する。
「私が覚醒したそのときより古来から続く帝国との因縁……ここで断ち切ってみせます」
覚醒して三百年という月日を歩んできた彼女にとって、待ち望んだ命令だった。
スラダ大陸を揺るがす戦いは、既に始まっていた。