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78話 『鷹目』との契約④


 神聖グリニアを暗殺。

 それを聞けば大抵の人が笑い飛ばすだろう。だが、シュウならば不可能ではなかった。神呪クラスの魔術すら操る王の魔物なら実行できてもおかしくはない。

 ただ、それを依頼する狂気に満ちた人物がいるかどうかは別である。



「国を暗殺ね……つまりはお前の計画に付き合えと?」

「ええ。今後は全ての情報を無料で提供しますよ」

「なるほど。悪くはない」



 覚醒魔装士と判明した『鷹目』ならば長い付き合いになりそうだ。

 また、情報屋として非常に優秀だとよく知っているので、長い目で見れば利のある契約である。



「貴方にとっても良い話であるはずです。魔物を目の敵にする神聖グリニアが滅びるのですよ?」

「まぁな」

「尤も、冥王ほどの方ならばあまり意味のない話かもしれません。しかし、アイリスさんは魔女として追われている立場。ハッキリと清算するべきではありませんか?」

「それを言われると弱いな」



 魔神教はアイリスを魔女として指名手配している。

 スバロキア大帝国の支配領域までは届いていないが、神聖グリニアの影響が届く場所まで行けば暮らしにくくなるだろう。不老不死の魔装士だと判明しているので、何百年経っても指名手配は取り下げられないはずだ。

 確かに、長期的な計画も立てておくべきである。

 シュウもアイリスも寿命では死なない身なのだ。

 魔神教が大陸全土に普及すれば、住みにくい世の中になる。



(安住の地……ってのを作るべきか)



 そのためにも情報は必要である。

 このまま大帝国が滅びの一途をたどるとすれば、『鷹目』と組むのが正解だ。シュウはそう判断した。



「いいだろう。神聖グリニアの暗殺、引き受けた。何百年かかるか分からないがな」

「契約は成立しましたね」



 『鷹目』は笑みを浮かべた。

 そして冗談交じりに口を開く。



「そうそう。今の私は帝国軍の魔装士なので、帝都ごと滅ぼす魔術はやめてくださいね。私も巻きまれて死にたくはありませんから」

「俺もお前が死ぬのは困るな」

「これからは『死神』さん専用の情報屋ですからね。大事に使ってくださいよ。私はまだ禁書庫で調べることがあるので、シュウさんは好きな時に帰っていただいて結構です。私の話は以上ですので」

「それなら、大帝国が滅びた後、暮らしやすそうな国でも調べておいてくれ」

「お安い御用です」



 シュウの目的である禁呪の書は手に入れた。

 当初の目的以上の成果すら手に入れたので、シュウとしては満足である。こうして、大帝国が滅びる前に禁呪や神呪の書を盗み出したのだった。









 ◆◆◆












 帝都の家に帰宅したシュウは、まず初めに盗んできた禁呪の書を読み始めた。勿論、アイリスと共にである。基本的に、禁呪の書は術式のもたらす効果と詠唱、そして書を記した者の考察が書かれている。

 特に考察部はしっかりと読み解かなければならない。

 どのような仕組みで術が発動するのか理解しなければ、魔術は発動できない。魔力を通してイメージを世界に伝える技術こそ、魔術なのだ。つまり、伝えるべきイメージが具体的でなければ、幾ら魔力を持っていても魔術陣は構築されない。

 術式の仕組みと、その具体的な構築さえあれば、後は世界が勝手に演算処理してくれる。



「なるほど……一番簡単そうなのは《龍牙襲雷ライトニング》だな」

「風の第十一階梯ですよね?」

「ああ、積乱雲を生成し、そこに溜めた電気エネルギーを収束して一撃で落とす。過去の大帝国では儀式魔術として利用されていたみたいだ。禁呪の書を記した人物も、実際に発動した瞬間を見たようだし」

「すごいですねー」

「似た効果の術式としては第十四階梯の《雷禍嵐テンペスト》だな。これは長時間にわたって雷雲を留める。維持に大量の魔力が必要だから、《龍牙襲雷ライトニング》に比べれば難しいし威力もそれほどじゃない。でも、都市攻めとかには有効だな。土砂降りの雨と止まらない落雷で地味に追い詰める。たちの悪い禁呪だ」



 まずは二人で使いやすそうな禁呪の選定をしていた。

 一通りは読み、幾つかの候補を出す。アイリスが風属性を得意としていることもあり、まずは風の禁呪からと考えていた。

 一応、禁書庫からは禁呪や神呪に関する全ての書物を強奪している。だが、流石の大帝国でも全ての魔術に詳細な記録が残っているわけではない。禁呪の幾つかは不鮮明だし、神呪に至っては名前と詠唱だけで、どんな効果なのかもよく分からないものばかりだ。



「アイリスの次の目標は禁呪を全て会得……だな」

「でもシュウさん。実験する場所はどうするのです?」

「これから戦争だし、幾らでもあるだろ。それにアイリスは不老不死だから、いつかは試す機会もある。気長に待てばいい。今すぐ会得して欲しいわけじゃないからな。特に神呪は」

「効果もよく分からないですからねー」

「風の第十五階梯、神呪《死界エア》。詠唱も馬鹿みたいに長いし、詳細も分からん。詠唱の意味から効果を予測することはできるけどな……」



 そもそも神呪は存在すら伝説と言われるほどのものだ。

 資料が揃っていなくて当然である。そもそも、大都市を一撃で消滅、あるいは都市機能を完全に停止させるほどの魔術など需要がない。下手すれば気候や地形まで変化してしまうのだから、使った後も大変である。

 シュウのイメージでは核兵器に近い。

 敵地を問答無用で壊滅させるだけなら便利な術式と言えるが。



「ま、今は更地を作る危険な魔術に用はない。俺には《暴食黒晶ベルゼ・マテリアル》もある。威力が高い魔術は充分だ。俺たちに必要なのは魔術理論」

「ですよねー。陽属性とか陰属性は未知の部分も多いですし、そっちを研究する方がいいかもです」

「四属性魔術も二極魔術も根底は同じだからな」



 シュウは魔術陣を物理法則に従って区分しているが、アポプリス式魔術は属性により区分している。すなわち、四属性と二極だ。

 炎、水、風、土の属性には、それぞれ陰と陽の性質がある。

 つまり、四属性を深く研究すれば、結果として陰陽属性の発展に繋がる。アイリスは特に陽魔術を得意としているため、そちらを強化するという意味もある。

 更に言えばシュウは陰属性に興味を持っている。陰属性はつまり呪いのことであり、裏で生きる者としては興味深い。それに、この先の時代で陰属性が発展すればその対抗策も必要となる。先んじて研究することには大きな意義があるのだ。

 魔術の最高峰である禁呪や神呪は、ただ高威力の魔術という以外にも利点が多い。



「ん……?」



 シュウは胸ポケットから僅かな振動を感じる。

 そこに入れているのは『死神』のコインだ。つまり、黒猫からの通達だろう。

 コインを取り出すと文字が浮かび上がる。



「……会合の日時か」

「三日後、と書いてあるのですよ」

「思ったより急だな。場所は……『鷹目』に聞いた場所と一致している」



 高級酒場へ訪れ、そこのマスターへ幹部の証しを示せばよい。シュウの場合は『死神』のコインを見せれば案内して貰えるはずだ。

 黒猫の会合が目的で帝都アルダールへとやってきて、ようやく目的が果たせそうである。

 シュウは『鷹目』との契約を思い出した。



(まずは帝国を滅ぼし、大陸を魔神教の影響下に置く。神聖グリニアが魔神教総本山として実効支配を完成させたら、俺たちは過ごしにくくなるな)



 冥王アークライト、魔女アイリスは魔神教によって指名手配されている。

 今のようには暮らせなくなるだろう。



(安全な拠点は……やはり『鷹目』の情報を待つか)



 暗殺を生業とするシュウも、裏の世界で生きてきた年数はそれほど長くない。それに、暗殺実行者としてターゲットを殺してきただけだ。本格的に裏組織の人間と関わるのは、これが初めてといっても過言ではない。

 本格的に動くのは、予定通り会合の後で良いだろう。



(アイリスのため、俺のため……やれることはやる)



 決意はすでに固めている。

 充分な力もある。

 大きな対価を払ったが、『鷹目』との契約も成った。



(残るパラメータはタイミング。時がくるのを待つ……か)



 何も心配はいらない。

 シュウは禁呪の書へと意識を戻した。










 ◆◆◆










 神聖グリニアの首都マギアは計算された計画都市だ。大聖堂、議事堂といった中枢から周囲へと広がるように大通りが整備されている。

 中心の位置するマギア大聖堂は魔神教の教皇が住まう場所であり、一際神聖さがあった。

 このマギア大聖堂を率いるのは、司教の中でも特別な枢機卿という立場の者たちである。各大聖堂では一人だけの司教も、マギア大聖堂だけは複数の司教が在籍していた。なぜなら、マギア大聖堂のトップは教皇だからである。



「死傷者の報告は? ローバルツ大聖堂の状況は?」



 真剣な表情で問いかける教皇に対し、司教の一人が畏まった態度で答える。



「被害は甚大です。アルバ司教も意識不明の重体と伺っております。大聖堂破壊および神官虐殺の容疑で指名手配中の『暴竜』は未だに痕跡すらつかめません。恐らくは国外に逃亡したかと。現場はバラバラ死体が多く、死傷者の数も正確に把握できていない状況です」



 現在、神聖グリニアは大聖堂襲撃事件について頭を悩ませていた。

 犯人は判明しているのだが、全く捕まらない。配置した聖騎士すら薙ぎ倒し、虐殺の限りを尽くして去って行く。

 黒猫の幹部『暴竜』は神聖グリニアを相手に翻弄していた。

 教皇は苦々しい表情を浮かべる。



「依頼者は判明しましたか?」



 その質問に対しての答えは否だ。

 司教は首を横に振る。

 だが、予想だけはできる。



「確定ではありませんが、スバロキア大帝国でしょう。黒猫の本拠地はあの国です。それに、我らが革命軍リベリオンに支援を送っていることを察しての行動でしょう。脅しと見るべきかと」

「大帝国以外に可能性は?」

「邪悪な魔術師たちの仕業と考えましたが、奴らは自らの手で事を行うでしょう。裏組織の手を借りてまで大聖堂を破壊しようとは考えますまい」



 一理ある、と教皇も考えた。

 事実、邪悪な魔術師たちは違法な魔術研究に身を染めた集団だ。個人であったり、結社であったりと規模は様々だが、引き起こす問題は重大なものばかりである。

 特に不死を研究する魔術師たちは魔神教と明確に敵対していた。

 魔神教と違法魔術師は長く戦いを繰り広げ、まさに対極の存在として互いに意識している。

 ただ、今回の大聖堂襲撃事件とは関係なさそうだった。



「やはり予言が必要か……」



 教皇はそう呟くと同時に、端に控えた神官へと目を向けた。

 合図を受け取った神官は一度部屋を退出し、一人の女性を連れて戻ってくる。彼女は神子姫と呼ばれる未来予知の魔装を秘めた切り札だ。

 大帝国について予言を行い、対応を決める。

 いつもの神聖グリニアのやり方だ。



「準備はどうだ?」

「可能な限りの資料を読ませました。整っております」

「では始めよ」



 未来予知といっても、情報の取捨選択による予測の一種だ。人間が本来から持つ予測能力を拡張しただけに過ぎない。逆に言えば、神子姫に情報を与えれば与えるほど、精度の高い予知が可能となる。

 神子姫は教皇、そして十人を超える司教たちの前で深呼吸した。

 魔力を込め、魔装を発言する。

 一瞬だけ震えた後、瞳孔が開き、ピクピクと唇が痙攣した。

 そして言葉を紡ぎ出す。



「矮小なる牙、大いなる獣の喉笛に届く」



 虚空を見つめた神子姫には、曖昧な光景が見えていた。



「しかし大いなる獣、その姿を竜に転じる」



 マギアから帝都アルダールまでは距離がある。

 大量の資料を読ませても、予言に曖昧さは消えない。これは仕方のないことだ。



「竜は矮小なる牙どもを噛み砕き、焼き滅ぼし―――」



 カッと目を見開いた神子姫は最後に告げた。



「漆黒の炎が自身すら焦がした」



 バタリと倒れた神子姫を神官が抱き起す。

 負担のかかる魔装であるため、頻発もできないし長時間の発動もできない。しかも発動後は気絶までしてしまう欠点だらけの魔装だ。

 しかし、神聖グリニアは重宝していた。

 神子姫が寝所へと運ばれていくのを横目に、教皇と司教たちは予言について語り合う。



「大いなる獣とは大帝国、そして矮小なる牙は革命軍リベリオンと見て間違いないでしょうな」

「やはり大帝国は侮れぬ。予言の通りなら、まだ戦力を保持しているようだ」

「覚醒魔装士が複数名いると考えれば当然であろう」

革命軍リベリオンを支援するだけでは勝てぬか……こちらからも覚醒魔装士を出すべきではないか?」

「一人や二人だけ送ったところで何になる! 大帝国の覚醒魔装士は確実に三人以上。数の上で負けるのは確実だ!」



 大帝国さえ滅ぼせば、魔神教は大陸全土に広がる。

 何故なら、革命軍リベリオンの支援は布教を約束させているからこそ行っているのだ。革命軍リベリオンさえ勝利すれば目的はほとんど達成させられる。

 しかし、その勝利が遠い。

 大陸最高の軍事国家は伊達ではない。

 また、司教の一人が別の懸念を述べた。



「竜に転じるというのも気になります。まだ隠している何かがあるということでしょうか?」

「我が国では違法とされている魔術も大帝国では合法だ。それが関係しているのだろう。漆黒の炎が自身をも焦がすらしいからな。リスクのある異端の魔術を利用するに違いない」

「死霊魔術のような極端なものは大帝国でも禁止されているようですがね」



 何にせよ、これは時代の節目となり得る。

 教皇は決断した。



「我が国にいる全ての覚醒魔装士へ出動命令を下す。大帝国の息の根を完全に止めるのだ」



 その命令は司教たちにすら衝撃を与えた。

 だが、そこまでする価値があると思えた。

 神聖グリニアとスバロキア大帝国の、実質的な決戦が近づいていた。




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