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76話 『鷹目』との契約②


 『鷹目』の目的が神聖グリニア滅亡というのはシュウを驚かせた。

 常に中立を意識するこの男が、大国の滅亡を願ったのだから。



「神聖グリニアをね……なら、大帝国を滅ぼすのは反対なのか? さっき、大帝国を滅ぼすのに賛成って言ったことと矛盾するが」

「私の最終目標は神聖グリニアですが、その過程として大帝国を滅ぼすのです。何も矛盾はしておりませんよ」

「よく分からんな……」



 神聖グリニアは大国だ。

 なにより、魔神教によって周辺諸国と強い繋がりを形成している。実質上は属国と言えるそれらの国家も、神聖グリニアが危機とあらば喜んで協力するだろう。そもそも、属国というのは通称で本来は同盟国なのだ。

 従属させている大帝国では、現に革命軍リベリオンによって反乱が起こっている。

 宗教を利用することで大陸の西半分を上手く支配したのが神聖グリニアという国だ。

 仮にこの大国を滅ぼすとすれば、スバロキア大帝国以外にあり得ない。黒猫は確かに裏組織として強大である一方、軍隊を保有しているわけではない。神聖グリニアを滅亡させることは難しいだろう。特に予言の神子姫を有する神聖グリニア本土は内側から崩すのも難しいハズだ。

 だが、『鷹目』は神聖グリニアを滅ぼすために、まずはスバロキア大帝国を滅ぼすといっている。

 シュウも理解できない考えだった。



「どうやって神聖グリニアを消すつもりだ?」

「自滅ですよ。まずは神聖グリニアによる大陸統治……いえ、正確には魔神教によるすべての国の統一を目指します。すると、神聖グリニアは敵国を失い安寧を得るでしょう」

「ああ、経済や文化も安定して、滅亡も難しくなるだろうな」

「そんなことはありません。奴らの教義を利用すれば……滅亡は容易いことでしょう」

「教義……?」



 魔神教の教義として、シュウに関わりがあるとすれば魔物の排除だ。魔物は人類の敵であり、全て排除しなければならないと説いている。

 生活面で言えば、慈愛、尊重、叡智だ。

 互いを慈しみ、尊重し、学び合うことで人という存在を高次元なものにする。これも魔神教の最も基礎的でありながら、最も大切な教義である。

 勿論、魔神教にも幾つかの教派が存在する。

 法律のように守るべき条例を羅列し、頑なにそれを守ることで救済されるという考え方。そして基礎的なことを重視し、柔軟に対応するという考え方。また、我こそは魔装神エル・マギアより遣わされた預言者だと名乗る異端系の派閥もある。

 ともかく、教義によって自滅と考えるなら、この教派による内部騒乱を引き起こすやり方が浮かぶ。



「派閥争いか?」



 シュウは『鷹目』に問いかけた。

 だが、『鷹目』は首を横に振って否定する。



「いいえ。魔物の殲滅……この教えを利用するのですよ」

「……どういうことだ?」

「あなたなら良くご存知でしょう? その教義によって滅んだ……ラムザ王国をね。冥王アークライトさん?」

「知っていたのか」

「簡単な推理ですよ。私にとっては容易いことです」



 かつてアイリスを処刑しようとした国、ラムザ王国は《暴食黒晶ベルゼ・マテリアル》によって王都を消滅させられ、滅んだ。正確には王都が滅亡しただけで国家として消滅した訳ではないのだが、王都という中枢機能が失われたことで実質崩壊したようなもの。

 つまり、『鷹目』は魔物の逆鱗によって神聖グリニアを滅ぼそうというのだ。



「俺にあの国を潰させるのか?」

「それも良いですが、神聖グリニアは冥王よりもさらに強大な敵を見据えています。ディブロ大陸の七大魔王です」

「聞いたことがあるな。この海を越えた東の大陸だったか」

「ええ。神聖グリニアはあの大陸を取り戻すため、今は力を溜めているのですからね」



 『鷹目』は禁書の棚から取ってきた一冊の本を見せる。

 それは神話を解析した研究書だった。



「とある考古学者がまとめた研究報告書です。彼は各地の遺跡を回り、それを元に人類の過去について正確な資料をまとめました」

「過去というと?」

「年代は不明ですが、過去の人類はディブロ大陸に住んでいたようですね。そして魔物と争いを続けていたという記録が残っています。これは遺跡の壁画でもよく見られたそうです。悪魔や、見上げるほどの怪物なども描かれていますよ」



 シュウが研究書を受け取ってめくると、壁画の資料があった。

 確かに、魔物と人が戦っているように見える。



「で、人間がスラダ大陸に住んでいるってことは、ディブロ大陸での戦いには負けたのか?」

「その通りですよ。流石ですね『死神』さん」

「資料を見る限り、『王』の魔物が複数いたみたいだな……そうか、七大魔王」

「ええ、七体の『王』……七大魔王によって人類は敗北しました。そして海を渡り、スラダ大陸へと移住したのです。戦争により多くの技術者や戦士を失い、このスラダ大陸に渡った当初は原始的な生活を強いられたみたいですね。ただ、当時の技術も幾つかは伝わっています」

「たとえば?」

「アポプリス式魔術ですよ。広くは軍用魔術と言われますが、不思議に思いませんか? スラダ大陸を大きな眼で見て、スバロキア大帝国と神聖グリニアが争っている中、魔術方式が双方とも同じなのですよ?」

「確かに言われてみれば不思議だ」



 兵器に関する技術や、軍事システム、魔装士候補生を育成する学院の仕組みなど、これらに関してはスバロキア大帝国と神聖グリニアで大きく異なる。

 だが、魔術は共にアポプリス式魔術を採用しているのだ。

 つまり、魔術は同じところが発祥であり、どちらの国家も改良することなく流用しているだけだと分かる。ディブロ大陸の時代から伝わった古の技術であるという状況証拠として有用だ。

 全く使えない禁呪や神呪も、過去の人類は使用できたのかもしれない。

 だが、七大魔王に敗北してスラダ大陸へと追いやられ、その過程で使用者が失われたのだろう。

 その存在と技術だけが伝わり、現代まで残っているのだ。



「そうか、読めてきた」



 シュウは納得する。

 神聖グリニアを滅ぼすという『鷹目』の計画を理解したのだ。



「このスラダ大陸を敢えて神聖グリニアに統治させ、ディブロ大陸へ侵攻させるつもりか。そしてディブロ大陸の七大魔王が神聖グリニアを滅ぼすということだな? かつて人間が負けた過去がある以上、その歴史は神聖グリニアにとって塗り潰したい事実となっているからな」

「ええ。私の予測では、スラダ大陸統一後は力を溜めることになるでしょう。それは百年や二百年で終わらないかもしれません。その次は王の魔物を討伐した実績を作るため、冥王アークライトか不死王ゼノン・ライフを討伐するハズです。それが成功すれば、ディブロ大陸へ侵攻するでしょう」

「随分と気の長い計画だな」

「大国を消すのですから、当然です」

「お前が寿命で先に死ぬかもしれないぞ?」

「問題ありませんよ」



 『鷹目』はそう言って、魔力隠蔽を解いた。

 すると、渦のような魔力が放出される。その莫大かつ特徴的な魔力にシュウは覚えがあった。



「お前、覚醒していたのか」

「驚きましたか? 私は覚醒魔装士なんですよ」



 驚いたのは事実だが、よくよく考えれば不思議なことではない。

 黒猫という組織はスバロキア大帝国に食い込むほどの闇だ。その闇に潜む幹部は、当然ながら国家を敵に回すほどの人物である。特に『黒鉄』や『暴竜』のような戦闘に関わる幹部は覚醒魔装士であってもおかしくなかった。

 流石に『鷹目』が覚醒しているとは予想できなかったが。

 シュウは同時に納得する。



「寿命がないから、こんな壮大な計画を立てたってことね……」

「何百年かかっても、私は魔神教を滅ぼすつもりです。私はあの宗教が嫌いなのでね」



 シュウは再び憎悪の炎を感じ取る。

 『鷹目』にとって、神聖グリニアを滅ぼし、魔神教をこの世から消すことは人生を賭けての意味がある。そう思わせられた。

 何がそこまでさせるのか、シュウは問いかける。



「魔神教を恨む理由はなんだ?」

「おや、今日は随分と私に興味を抱いてくれるのですね。まぁ、この禁書庫に入る機会を与えてくれたわけですから、お答えしましょう」

「恩を着せるみたいに言うな。どうせ、俺が冥王だと知っているからだろう? 利害も一致するからな」

「ククク」



 その妖しい笑みはいつもの『鷹目』だ。

 話術によって有利に進めていく姿はいつ見ても感心するほどである。



「まぁ、私の個人的な恩もありますから……あなたとは良い付き合いをしたいですね」

「恩?」

「正確には、あなたの相棒に対する恩ですよ」

「アイリスのことか?」

「ええ、彼女のことです」



 シュウはよく分からないといった様子だ。

 裏組織の人間が、元聖騎士で魔女のアイリスに何の恩があるというのか。シュウにはサッパリ理解できない。だが、『鷹目』は恩返しをしたいと心から語っていた。



「私は悪鬼騎士デス・ナイトという魔物に育てられました。生まれは不明ですが、彼曰く森に捨てられていたそうです」

「魔物に、ね」

「それが貴方の滅ぼしたラムザ王国での話ですよ。二十二年ほど前のことです」

「ラムザ王国……?」



 ラムザ王国と言えば、アイリスと出会った国だ。そしてシュウが生まれた国でもある。

 《暴食黒晶ベルゼ・マテリアル》で王都を滅ぼしたあとのことは全く知らないが。

 これによりシュウも『鷹目』の話に興味を持った。



「で、『鷹目』は魔物に育てられたから俺が冥王アークライトだと知っても気にしてなかったと?」

「それもありますがね。仇を討ってくれたという理由もありますよ。私の育ての親である悪鬼騎士デス・ナイトは教会の聖騎士に殺されました。見事に仇を討ち、ラムザ王国を崩壊に追い込んでくださった冥王アークライトには感謝しております」

「なら、どうしてアイリスに対する恩になるんだ? お前の話だと、どちらかと言えば俺に対する恩があるように聞こえるが」

「それは彼女のご両親、確か名前はダリア殿とローズ殿に対する恩です」












 ◆◆◆











 ―――二十二年前。

 少年は聖騎士の提案を拒否した。



「僕は……僕は騎士のおじさんと一緒がいい!」



 邪悪な姿の悪鬼騎士デス・ナイトは、どこか嬉しそうだった。

 そして、魔物は邪悪であり、人間の敵であり、滅ぼすべき対象としてしか見ない教会の者たちからすれば異端の発言である。

 聖騎士の一人が少年を糾弾した。



「こ、殺そう! 邪悪に堕ちた魔の子供だ! 滅ぼさないと!」



 滅ぼすべき魔物に育てられ、その思想に染まった。

 つまり堕落した。

 聖騎士はそのように考えたのである。

 その意見はあっという間に伝播し、集った聖騎士たちは殺すべきと口にし始める。



「気を付けよう。悪鬼騎士デス・ナイトは手ごわい」

「子供ごと殺せばいいんだ。楽にはなったさ」

「まずは包囲だ。逃がさないようにしないとな」

「ダリアさん、やりましょう!」



 災禍ディザスター級の魔物を討伐するために三十名ほどの聖騎士が用意された。そのリーダーがダリアである。

 聖騎士の任務はリーダーによって指揮されることになっているため、ダリアが実行を命令しなければ戦闘すら始まらない。聖騎士たちは命令に備え、魔装を用意している。命令一つで悪鬼騎士デス・ナイトと少年はこの世から消滅することだろう。

 だが、ダリアは待ち望まれている命令を下さなかった。



「……いや、悪鬼騎士デス・ナイトごと少年を保護しよう」



 魔物を教会として保護する命令を出したのである。

 これは明らかに聖騎士としてあり得ない命令だった。当然、反発が起こる。



「ダリアさん! 何を言っているんですか! 異端審問ものですよ!」

「貴方のことは信頼しています。聞かなかったことにしますから本当の命令を出してください」

「そうですよ。ローズさんからも何とか言ってくださいよ!」



 視線はダリアの妻、ローズへと注がれる。

 二人は夫婦仲が良いことで有名だった。それで、ローズの言葉ならダリアも耳を貸すと考えたのだ。しかし、ローズはダリアの味方だった。



「私も保護するべきだと思うわ」

「ローズさんまで!?」

「落ち着きなさい。エル・マギア神の教えは人に害をなす魔を滅ぼすというもの。害をなさない魔物には適用されないはずよ。この悪鬼騎士デス・ナイトと少年の間には確かな絆と慈愛を感じるわ。私たちも愛によって応えるべきなのよ。母親としての感覚ってところかしら」



 ローズには五歳の娘がいる。

 子を思う親の気持ちも、親を慕う子の気持ちも理解していた。そして、それは他人によって断たれるべきでない尊いものだと考えている。

 邪悪を滅ぼし、聖さを保持するのが聖騎士の仕事だ。

 しかし、ダリアとローズは一人の信徒として愛による聖さを向上を考えた。たとえ相手が魔物でも、慈愛によって聖なるものとなれる。そう考えたからこその判断だった。

 しかし、誰もがそう考えるわけではない。

 聖騎士の中には、魔物は絶対排除という考えの者も多いのだ。



「……あんたには従えない!」

「聖騎士ダリアに聖騎士ローズ……邪悪に堕ちたな」

「異端は殺すべきだ!」



 三十人ほどいた聖騎士の内、およそ半分の十五名が魔装を二人に向ける。残る半分は戸惑い、悪鬼騎士デス・ナイトに魔装を向けつつ静観していた。

 勿論、ダリアとローズは説得を試みる。

 その間、少年と悪鬼騎士デス・ナイトは話し合っていた。



「ねぇ、おじさん。僕たちはどうしたらいいの?」

「逃げるのは難しそうだな。半分以上が武器を向けている。もう少し様子を見よう。戦闘を仕掛けるには少し不利だ」



 一つ歯車が狂えば戦いが始まる。

 緊張が支配する中、悪鬼騎士デス・ナイトは少年を守るために最善を考え続けた。






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