72話 炎竜の逆鱗
禁呪とは、たった一度の発動で大都市すら破壊する。そして地形すら変える禁忌の魔術だ。射程距離は地平線の彼方にまで及び、敵軍に使えば一万人は確実に殺せると言われている。
禁呪であり、風の第十三階梯でもある《
「大体、片付いたな」
「シュウさんも禁呪を使えたんですねー」
「レインヴァルドから貰った禁呪の書を読んだ後、解析もしたからな。魔術陣を構築すれば詠唱なしでも禁呪を発動できる」
多数の大岩は全て吹き飛び、《
生き残っている者は少数だろう。
その一人が覚醒魔装士ルトだった。
「やってくれたわね」
彼女は重力による防壁を張り、天から降る渦巻く風を受け切った。光すら捻じ曲げる彼女の力ならば、この程度のことは容易い。
シュウはアイリスの前に出て、ルトから庇う位置に立つ。
「予定通り、俺を狙う帝国の戦力をひとまとめに倒せた。あとはお前だけだ。他にも何人か生き残っているようだが、まともには動けないだろうな」
「……そのようね」
ルトも魔力感知で仲間たちの存在を感じていた。しかし、弱々しい。
動けないのは間違いないだろう。
「俺の名、『死神』を出せば確実に食いつくと思った。帝国において黒猫の名は絶大だからな。見事なまでに討伐隊を組んでくれてよかった。
「舐めてくれるじゃない? この私を、帝国を」
「ああ、侮っている。何故ならその程度だからだ」
「ふふ……」
「くく……」
虚言にも思えるシュウの煽り。
二人の戦いは唐突に始まった。
重力で加速したルトは右手の人差し指と中指を立てて剣に見立てる。そこに重力による圧力で全てを断ち切るのだ。ルトに武器は必要ない。
一方でシュウは魔術を展開し、加速する。振り下ろされたルトの重力剣は回避され、大地に切り傷が刻み込まれた。背後に回り込んだシュウは死魔法でエネルギーを奪い取る。普通の人間ならば即死させるはずの魔法だが、覚醒魔装士であるルトには効かない。
「っ……! 力が!?」
一瞬だけ虚脱感を覚えたが、ルトは無限の魔力を持つ者。消費されてもすぐに回復する。本当の意味で無限ではなく、無制限に回復するという意味ではあるが、覚醒魔装士はそれ故に無敵なのだ。
本来は食事と休息がなければ回復しない魔力を自然回復させることが出来る。
体力を魔力で補えば、無限に戦い続けることが出来る。
シュウの死魔法で魔力と生命力を奪い去られても、即座に回復できるのだ。
ルトは重力領域を展開し、シュウを圧し潰そうとする。ピンポイント攻撃が当たらないならば、範囲攻撃を使えば良いという単純な発想だ。
元から覚醒魔装士に技巧など大して必要ない。魔装を振るえば敵は死ぬのだから、この対応は間違っていない。
しかし、シュウの正体は人間ではない。
霊体化したシュウは、あっさりと重力の領域をすり抜けてしまった。
そしてシュウは地面に巨大な魔術陣を展開させる。あらゆる物質を分解魔術で切り裂く《
「邪魔よ」
ルトは回避するかと思われたが、軽く右腕を振り下ろす。重力に捕らわれないシュウに驚くかと思えば、意外と冷静である。彼女からすれば、予想外など逆に予想の範疇なのだろう。
振り下ろされた腕に沿って重力が牙を剥く。
遠くまで伸びる細長い重力の領域が展開されたのだ。強大な力が小さな領域に及んだ場合、圧力は非常に高くなる。そして圧力こそが物質に影響を与える指標だ。
ルトは強大な重力から膨大な圧力を生成し、地面を引き裂いたのである。魔力を含む魔装の力は魔術陣にも影響を及ぼし、シュウの《
シュウは魔術で手裏剣を作成し、投げつける。ルトはそれを重力の壁で弾いた。しかし、その隙に死魔法を発動し、生命力を奪い取る。それでもルトは瞬時に回復した。
(ここだ)
覚醒魔装士には死魔法ではなく死魔力。
かつて聖騎士セルスター・アルトレインと戦った際、その有効性を認知した。シュウの右手に暗黒の魔力が集まり、放たれる。
無限に魔力を回復する覚醒魔装士から生命力と魔力を奪った場合、回復するまでに僅かなタイムラグが存在する。それは本当に小さな隙だ。だが、シュウならば狙えないことはない。
ルトはそれを重力で弾こうとする。
だが、死魔力は死の概念そのものである。
重力は死んだ。
壁を貫き、ルトに直撃する。
「っ!?」
流石に気付いたのか、左腕で防ぐ。
ルトの左腕に死魔力が触れ、一瞬にして肘から下が灰となった。更に死魔力は肘から二の腕にかけてを侵食しており、このままでは腕全てどころか全身が灰となる。ルトはそう悟って左腕を切り落とした。一切の躊躇いもない姿は称賛に値する。
すぐに止血を実行しつつ、シュウに反撃までしてみせた。
ルトの指定範囲を重力で圧縮する極小ブラックホール攻撃。それがシュウに襲いかかる。しかし、シュウはそれを死魔法で吸収した。
「魔力を伴う攻撃は俺に効かない」
「反則ね」
反則。
王の魔物にはその言葉が相応しい。
冥王シュウ・アークライトは万物に死を与える。
「俺をただの暗殺者だと侮ったな」
ルトにとって、精神的に苦しい戦いが続く。
◆◆◆
「うっ……」
アイクは目を開けた。
そこには既に雲一つない空。
そして思い出す。『死神』が天を覆うような魔術陣を展開し、禁呪《
身体の節々に痛みが走り、起き上がろうとしたアイクは呻いた。
そんなアイクは強化の無系統魔術で何とか寝返りを打ち、腹ばいになった。
まだ目の奥に火花が散っているような感覚であり、周囲の様子はよく見えない。
「アイク……さん、気付いたの、で、すね……」
「その声、サディナ!」
揺れる視界の中、声を頼りにアイクは這い寄る。手を伸ばして近づいていく。ズルリ、ズルリと自身の防具が地面に擦れる音を聞きつつ。
ぴちゃり。
アイクの手先が生暖かい液体に触れた。
そこで気付く。
鉄臭い、生臭いような独特の匂いに。
「これ、血……」
そしてアイクは誰の血か察する。
目を凝らした。
「サディ……ナ?」
「私で、す。アイクさん」
「お、おい……お前、足が」
アイクはハッキリと見た。サディナの下半身が大きな岩に押し潰されている光景を。《
揺れる視界も治まってきた。
咄嗟に体を起こしたアイクは痛みで崩れそうになる。だが、それを耐えてサディナに近寄った。
「すぐに岩を――」
「無駄ですよ」
「だが……!」
「自分が死ぬ、ことぐらい……わかり、ま、す」
「煩い」
アイクは周囲を見渡した。
魔装を使えば、岩を排除することは容易い。しかし、それではサディナが出血多量で死んでしまう。そこで治癒の陽魔術が使える者を探さなければならない。宮廷魔術師の中でも陽魔術が使える者は少数であり、すぐに見つかるとは思えない。放置しても血は流れ続け、同じく出血多量で死に至るだろう。
しかし、諦める訳にはいかなかった。
「すぐに治してやるから喋るな」
魔力を感じても、何も見つからない。誰もいないということだろう。あるいは死体となっているために魔力を感じないのかもしれない。
焦りが加速する。
よく見れば、サディナを頂点として放物線状に岩が散らばっていた。
そしてアイクが倒れていた場所の付近は何かに守られていたかのように更地である。
「……まさか、俺を庇ったのか」
風の魔術を使って吹き飛んでくる岩を防いだ。
そのように見える。
アイクを守るために身体を張って魔術展開を実行し、最後は飛来してきた大岩に潰されてしまった。そういうことだろうと悟った。
「ア、イクさん。『死神』たお、し、て」
「サディナ! サディっ! サディナぁあああああああああ!」
サディナは血を吐きだし、目を閉じて動かなくなった。アイクは慌てて胸に耳を当てる。心臓の音が弱くなっているのが分かった。
「くそっ。誰か治癒魔術を! 治癒の魔装でもいい! 誰か! 早く!」
治癒の力を持たないアイクは、サディナが息を引き取るまでの時間を無為に過ごすことしかできない。傷に効く魔法の水薬も持ってきていた。しかし、《
そもそも、魔法水薬の治癒程度では致命傷を癒せない。精々、死ぬまでの時間が僅かに伸びるだけ。中には高性能な水薬も存在するが、そんなものをアイクは持っていなかった。高性能品は補給部隊が所持している。
「お願いだ。目を開けてくれ……」
アイクには願うことしかできない。
『死神』さえ殺せば良いと思っていた。それは間違いではないし、『死神』に大切なものを奪われたアイクからすれば当然の願いである。怨みの心だけで力を付けてきた。
『死神』を前にして、仲間に目もくれなかった。
その結果がこれである。
たとえ共闘していたとしても結果は変わらなかったかもしれない。しかし、変わったかもしれない。後悔だけがアイクに残る。
「鼓動が弱く……止まらない!」
サディナの心音は徐々に小さくなっていき、遂には消える。
最後まで成す術もなかった。
「おいサディナ。目を開けろ」
大岩に押し潰されたサディナは、自らの血に沈みながら死んだ。死因は出血多量。調べるまでもない。
だが、アイクには関係なかった。
「くそ……くそ! 何で俺は! こんな時に力を持っていないんだ……!」
絶望に瀕しても、恨みの心を爆発させても、アイクの魔装が覚醒することはなかった。何故なら、その心は前に進もうとしていない。
世界の理を越えて、法則を凌駕して奇跡を起こそうとする意志。
それこそが覚醒の養分となる。
過去に囚われたままのアイクに、その資格はなかった。
アイクは立ちあがる。
「……あっちだ」
激しい魔力を複数感じる。
同時に、地響きがこちらまで届いていた。魔力から考えて、隊長のルトと『死神』だろう。
アイクは憎悪の炎を燃え上がらせた。
「知らなかった。これ以上に無く怒りを感じたら、逆に叫ぶ気も起きなくなるんだってな」
炎の竜がアイクを覆った。