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70話 禁忌の不意打ち


 グレン岩場は嘗ての戦場だ。

 今は滅びたポルティア王国がスバロキア大帝国に滅ぼされた時、最後の戦場となった場所である。帝国の宮廷魔術師が発動した戦略級魔術《大隕石メテオ》が、この惨状を作り出したのである。

 これによって北の平原はグレン岩場となった。



「遂にこの日が来たわねぇ」



 雲一つない空の下、覚醒魔装士ルト・レイヴァンが呟く。

 彼女の背後には二百人の帝国兵士の他、Sランク魔装士が複数人いる。レイヴァン隊に所属する『魔眼』のミスラ、『天空』のサディナ、そして『炎竜』のアイクが並ぶ。他には『獣王』アズカ、『雷帝』リューク、『深海』のヴェールもいる。

 Sランク魔装士は一人一人が軍団を所持する強者だ。

 それが闇組織の幹部『死神』を殺すため七人も集まった。過剰戦力とも思える。魔物で言えば、破滅ルイン級の魔物を倒す際の戦力と同等だ。つまり、大都市の滅亡を覚悟しなければならない災禍ディザスター級魔物よりも上の扱いである。



「『死神』の捜索は順調かしら?」



 ルトは近くを走る兵士に尋ねた。

 今日、この場に『死神』が現れるということは知っている。勿論、あのメモが本当ならばの話だ。しかし、それでも『死神』の登場を待つつもりはない。二百名の兵士を使い、グレン岩場を捜索して『死神』シュウを探していた。

 ルトに声を掛けられた兵士は答える。



「げ、現在は岩場の八割を捜索済みです! 警戒網は構築終わりました!」

「そう。なら捜索を続けなさい」

「はっ!」



 兵士は敬礼して去って行く。

 ここには兵士の他、宮廷魔術師も多くいる。魔力による感知で『死神』を探していた。この感知網ならば、よほど巧妙に魔力を隠さない限り見つかるだろう。隠していたとしても、目視による捜索からは逃れることも出来ない。魔力隠蔽を施しながら、姿を隠す高度な魔術や魔装を使えるとは思えないからだ。魔道具で姿を隠している可能性も考えたが、それは同じく魔道具で対抗する。

 これで隠れられるとは思えない。

 いや、必ず見つけられる。



「隊長!」

「あらサディナ。空はどうだった?」

「見つかりません。まだ現れていないのかもしれませんわ」

「余裕ね『死神』……」



 メモには日程と場所の指定こそあったが、時間の指定はなかった。いつになったら『死神』は現れるのか、それは分からない。暗殺者として奇襲を仕掛けてくるかもしれない。

 しかし、これほどの魔装士や魔術師、そして兵士に魔道具が揃っていれば対抗できるだろう。

 そう考えていた。

 だが、ここで魔道具で魔力を計測していた宮廷魔術師の一人が叫ぶ。



「大変です! 一大事です!」



 具体的なことは言わず、ひたすら叫ぶだけの魔術師に、近くにいた『獣王』アズカが近寄る。そして魔術師の胸倉を掴んだ。



「うるせぇよ。何が大変なのか言いやがれ! あぁ? どうなんだ?」

「ひいいぃぃぃぃっ!?」

「は・や・く・い・え!」

「あ、ひ、いぃ……」



 Sランク魔装士のアズカは若い。そして何よりガラが悪い。

 迫力と魔力はすさまじいので、学者肌の魔術師は情けない声を上げるしかなかった。流石にこのままでは話にならないので、サディナが止めに入る。



「アズカさん。お止めください。彼が怯えていますわ」

「あ? なんだ『天空』の小娘かよ」

「小娘とは失礼ですわね。それに貴方と私では大して歳も変わらないでしょう?」

「はっ! 空に逃げて魔術を撃つしか能がねぇような奴は小娘で充分だってんだよ」

「まぁっ! 本当に失礼ですわね。だから脳みそまで筋肉で出来ていると言われるのですわ!」

「んだとテメェ。俺が馬鹿みてぇな言い方してんじゃねぇよ」



 サディナが入ったことで余計な喧嘩へと発展しそうになった。

 そこで『獣王』の外付け良心と呼ばれる『雷帝』リュークがアズカを止める。



「女性に食って掛かるのはよくないよ。紳士らしくね」

「テメェ……ちっ」



 アズカはリュークの電撃で痺れさせられたことが幾度もある。神経伝達は電気信号によって行われているため、それに干渉できるリュークはSランク魔装士を物理的に無力化できるのだ。ここで痺れて動けなくなるのは情けないので、アズカは引き下がる。

 ルトも介入し、一大事と叫ぶ宮廷魔術師の男へと尋ねた。



「それで、何が大変なのかしら?」

「ルト様! 強大な魔力反応です。通常の感知を遥かに外れた、上空での魔力反応です!」

「上空? それならばわたくしが確認を……」

「魔力反応は雲よりも上です! 魔道具による感知範囲を偶然上にずらしたところ、発見しました!」



 この事実に衝撃が走る。

 間違いなく『死神』の攻撃だろう。まさか誰も感知できない、予測も出来ない雲よりも上からの攻撃など分かるはずもない。

 宮廷魔術師の男は更に続けた。



「これほどの魔力は禁呪! 直撃を受ければ全滅してしまいます!」



 『死神』の魔術攻撃でエルダ砦が壊滅したことは記憶に新しい。禁呪による不意打ちを受ければ、グレン岩場と共に帝国軍は壊滅するだろう。

 そう言っている内に、快晴だった空は雲に覆われ始めた。

 風が強くなる。

 空気が冷たくなる。

 暗い大空が唸り声をあげていた。



(まさか《地滅風圧ダウンバースト》!?)



 風の第十三階梯にして禁呪《地滅風圧ダウンバースト》。

 エルダ砦を壊滅させたと言われる大魔術だ。

 ルトは皇帝から兵士や魔術師、そして魔装士を預かっている。不意打ちで全滅など、許されるはずもない。覚醒魔装士としての義務を果たさなければならない。



「そこの魔術師。全員に動かないよう指令を出しなさい」

「し、しかし早く逃げなければ……」

「禁呪の効果範囲を考えれば、今から逃げても無駄ね。早く指令を出しなさい。命令よ」

「はい、は、はいぃぃっ!」



 魔術師の男はまともとは言えない返事をした後、魔道具を起動した。そしてルト・レイヴァンの命令だと言ってその場から動かないように指示を飛ばす。

 通常の感知ですら分かるほどに膨れ上がった大魔力が天空で蠢く。それを感じて恐怖しない者はいない。

 Sランク魔装士ルトの命令とは言え、兵士や魔術師は戸惑うばかりだった。

 自身の命を優先するべきか、それとも命令を遵守するべきか。

 しかし、忠実なスバロキア大帝国軍は後者を選ぶ。厳しい訓練で体に刻み込まれた、上官の命令に従うという衝動が恐怖という本能に勝った。



「大丈夫なのですか隊長?」

「あら、サディナは心配性ね。この私に任せなさい」



 禁呪が発動しようとしているにもかかわらず、ルトは余裕だった。かつてエルダ砦を襲った古の大魔術は、Sランク魔装士ですら楽に葬る。本来なら、ここで帝国軍は全滅するハズだった。

 しかし、ルト・レイヴァンは覚醒魔装士である。

 人の限界を超え、エネルギー保存の法則から外れた存在。無限に魔力を回復できる特異な魔装士。故に普通ではあり得ない大出力の魔装展開が可能である。



「私の魔装は光すら歪めるわ。風を歪める程度、児戯に等しいのよ」



 ルトは領域型魔装の使い手であり、重力を操る。彼女を中心として魔装の領域が広がり、半球状へと展開された。重力によって光が捻じ曲げられ、内部は真っ暗になる。これによってパニックに陥る兵士や魔術師もいたが、光を奪われたが故に動けることもなかった。

 重力の魔装による結界。

 それが禁呪《地滅風圧ダウンバースト》とぶつかる。

 激しい風の音ですら、重力によって捻じ曲げられた。覚醒した魔装士の力は、禁呪にも匹敵する。王の魔物に近しい存在なのだから当然だ。

 渦巻く風が帝国軍ごと大地を破壊しようとする。

 しかしルトが張った闇のドームが風を拡散させた。

 数秒ほど地面が揺れ、そして収まる。ルトは重力を解除した。



「来たわよ。戦闘準備!」



 この場にいる魔装士たちは既に気付いていた。

 隠す気もない膨大な魔力が上空で二つも漂っていることに。Sランク魔装士は勿論、帝国兵や魔術師たちも警戒を強める。

 そんな中、Sランク魔装士『炎竜』のアイクが先走った。



「『死神』! ああああああああああああああっ!」

「っ! 待ちなさいアイク!」



 ルトは言葉で止めたが、もう遅い。炎の竜を纏ったアイクが上空へと飛び立つ。



「サディナ、サポートしてあげなさい!」

「はい!」



 背中から翼を生やす拡張型魔装士サディナも飛び立った。彼女は自在に空を飛び、得意の魔術で敵を仕留める。サポート役としても適していた。

 更にルトは指令を出す。



「陣形を組んで散りなさい。固まり過ぎると魔術で一掃されるわよ! 《空翔フライ》で飛べる者はついて来なさい」



 そう言いつつ、ルトも飛び立つ。彼女の場合は重力を制御して、空中へと浮かんだ。領域型の魔装を体の表面のみに展開することで重力を打ち消す、非常に高度な魔装の使い方である。覚醒しているからこその絶大な制御力だ。

 しかし、やはり速度はアイクとサディナに分がある。

 『死神』の元へと辿り着き、アイクは言葉を発することなく攻撃を仕掛けた。相手が『死神』であることを確認する必要はない。あの日、父親を殺された日に感じたあの魔力を間違えるはずもないのだから。



「程度が知れたな」



 『死神』シュウとアイリスを切り裂こうとした火炎竜の魔力が消失する。シュウの死魔法によりエネルギーを奪われたのだ。また炎の竜が失われたことで飛ぶ力も失われ、アイクは落ちて行く。

 所詮は覚醒していない魔装士だ。

 王の魔物であるシュウの前に立つ資格はなかった。



「アイクさん!」



 サディナは慌てて落ちてくるアイクを受け止める。

 そして『死神』から離れる方向へと移動した。正体不明の力で魔装を消された以上、サディナの力も消される可能性がある。つまり、このまま空から落下して死ぬこともあり得るのだ。慎重に行動するなら、一旦『死神』から離れることが一番である。



「離せサディナ! 俺は……!」

「待って下さい! 落ち着いて、皆で協力して倒しましょう!」

「……煩い」



 アイクはサディナの腕を振りほどき、再び魔装を展開する。火炎竜の熱気でサディナは近づくことが出来ず、アイクの独断を許してしまった。

 もう『死神』の姿しか見えてない。

 父を殺された恨み、仲間を殺された仇、その思いを魔力に乗せる。

 再び炎の竜を纏い、『死神』を殺すべく一撃を込める。

 竜の象徴とも言うべき放射の一撃。

 ブレス攻撃だ。



「単調だな」

「ですねー」



 岩をも溶かす熱量。

 しかし、熱エネルギーに変わりはない。シュウはただ手を伸ばす。あらゆるエネルギーを魔素へと変換して吸収する死魔法が発動した。

 爆炎は冷気へと転じ、エネルギーが消失する。



「お返しだ」



 吸収したエネルギーの分だけ、魔術を展開する。

 術式の内容は振動魔術。莫大な魔力によって、空気中の粒子を高速振動させる。更には粒子を収束圧縮させることで、掌の上に熱球を作り上げた。

 白く光る球体が放たれる。

 狙う相手はアイク……ではなく、その背後にいるサディナである。すり抜けるようにしてアイクの側を通り抜け、白熱したプラズマ球がサディナを襲った。

 移動魔法により加速されているため、アイクも反応できない。てっきり自分に反撃されると思っていたアイクは、見事に出し抜かれてしまった。



(しまっ……サディナがっ!)



 サディナはアイクに振り切られたせいでバランスを崩している。すぐに防御魔術を展開できる様子もなく、このままでは直撃を受けてしまうだろう。Sランク魔装士でも、プラズマ球の直撃を受けたら死んでしまうのは間違いない。

 エルダ砦で殉職した仲間、エリナとユーリの顔が思い出される。

 あの時は知らない間にレイヴァン隊の仲間が殺された。

 そして今はサディナが殺されようとしている。

 アイクは思わず振り返り、手を伸ばした。しかし、サディナの目前にまで迫ったプラズマ球を止めることも出来ず、届きもしない。



「サディっ……」



 ようやく口から出てきた声。

 思考は追いついても、身体は追いついていない。咄嗟に出てきた声ですらこの遅さだ。不意打ちで固まったアイクの手足は僅かにも反応できていない。

 また仲間が死ぬ……いや、『死神』に殺される光景を幻想した。

 しかし、その幻想は断ち切られる。

 白く輝くプラズマ球が、不可視の力によって弾き飛ばされたからだ。



「私を忘れて貰っては困るわね。頭は冷えたかしらアイク?」



 最高クラスの魔装士、ルトの姿がそこにあった。












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