67話 炎の復讐者
エルダ砦崩壊から二週間が経った頃、シュウとアイリスは帝都アルダールの街を歩いていた。空は既に赤く染まっており、後少しで陽が沈むだろう。
今日は久しぶりに黒猫の酒場へと向かうのだ。
「空いているか?」
シュウはそう言いながら扉を開く。
黒猫の酒場はあまり繁盛していないのか、空いている席ばかりだった。偶に座っている者もいるが、どうも人相が悪い。
マスターはシュウに気付き、手招きして呼び寄せた。
「久しぶりだねぇ。今日はアンタ以外にも嬉しい客が来ているんだ」
「嬉しい客?」
「ああ、個室にいる。アンタも訪れるといい」
シュウとアイリスは顔を見合わせ、首を傾げる。
ハッキリ言って、帝都アルダールの知り合いは少ない。バイト先の店員や、その店の常連客ぐらいなものである。黒猫の酒場に訪れるような、裏世界の知り合いなどいないはずだ。
疑問に思いつつ、同時に警戒しながらマスターに示された部屋に向かう。
黒猫の酒場は、闇組織・黒猫に依頼をしたい客が多くやってくる。つまり、裏の世界に通じた者たちの巣窟と言えるだろう。警戒は怠れない。
「警戒は止めるなよアイリス」
「なのです」
不老不死の魔装を持つアイリスなら、心配はないだろう。だが、念のために注意は怠らない。普段は気の抜けたアイリスも、この危険な世界に慣れてきたのか、意識を改めて警戒した。
シュウは扉をノックして、躊躇いなく開く。
「おや?」
中にいたのは如何にも怪しい格好の男。仮面に黒マントという不審者そのものだった。
しかし、シュウにはその魔力に覚えがあった。
「あ? お前『鷹目』か?」
「そういうあなたは『死神』ですか。それにアイリスさんも。久しぶりですね。エリーゼ共和国で聖騎士を壊滅させて以来ですか」
黒猫の幹部『鷹目』。
情報取引の達人であり、それを一手に引き受ける者の名である。ただし、本人は情報操作によって国家を翻弄し、時には崩壊させることすら厭わない狂人。黒猫の幹部は、それぞれが好き勝手に世間を騒がせるのが黒猫という組織なのである。
「大帝国に来ていたのか」
「そういう貴方も。もしや黒猫の会合があるから早めに乗り込んだのですか?」
「それもあるが、神聖グリニアは過ごしにくいからな。力さえあれば、大帝国の方が自由は効く。だからこっちに来た」
「確かに、『死神』の活動も大帝国の方がやりやすそうですねぇ」
シュウとアイリスは『鷹目』の前に座り、シュウは懐から金貨を取り出した。
「とりあえず、面白そうな情報」
「金貨一枚分ですね。雑多なものですが……」
『鷹目』は少しだけ目を泳がせ、何かを思案しているようなそぶりを見せた。どうやら金貨一枚分の情報を選別しているらしい。
わずかな時間の後、『鷹目』は口を開いた。
「まずは
「おい、何でお前がそれを知って……今更か」
「――はい。そのエルダ砦ですが、レイヴァン隊という部隊が取り戻したようです。正確には、破壊した砦を制圧するため向かっていた
「レイヴァン隊ね。確か、『
「はい。詳しく知りたいですか?」
『死神』であるシュウを狙う部隊。その情報は欲しい。
これまでも黒猫から幾らか情報を買い取っていたが、やはり『鷹目』からの情報は格別なのだ。
「これでどうだ?」
シュウは『鷹目』に金貨を提示する。その枚数は指の本数。
「十枚ですか? 難しいところですが……『
シュウが金貨袋を取り出す。『鷹目』はそれを受け取り、中身を数えた。一枚ずつ丁寧に数えていき、最後には全て袋に戻して懐に仕舞う。
満足したのか、仮面越しに笑みを向けつつ情報を口にした。
「まずはレイヴァン隊の構成員でしょうか。隊長は『絶界』の魔装士ルト・レイヴァン。彼女は重力を操るそうですね。しかも覚醒していると思われる……ああ、覚醒魔装士は既に知っていますか?」
「ああ、ある程度はな」
かつて聖騎士セルスター・アルトレインと戦った。それにより、覚醒魔装士の脅威は理解している。尤も、倒せないわけではないのだが。
「どうやらルト・レイヴァンは大帝国の新しい覚醒魔装士のようですね。あとは普通のSランク魔装士です。石化能力を持った『魔眼』のミスラ、空を飛ぶ『天空』のサディナ、そして炎を纏って戦う『炎竜』のアイクがいます」
「……俺を倒すには戦力が足りない気がするんだが」
「シュウさん。それで足りないことなんて滅多にないのですよ……」
『死神』の正体は冥王アークライト。
複数のSランク魔装士でようやく倒せる領域の魔物だ。しかし、死魔法という法則を超越した力を手にしているシュウを倒すには足りない。
「くくく……今代の『死神』は最強と名高いですからね。エルダ砦にいた二人のSランク魔装士も倒したようですし、忠告にもならない情報でしたか」
「別に戦闘力の話はいらん。それなら、情勢について話してくれた方がいい」
「それでしたら、例の『炎竜』は相当怒っているようですね。貴方に仲間を……『無限』と『反鏡』の魔装士を殺されたことが気に障ったのでしょう。各地で
「物騒だな」
「どの口が言っているのですよ」
要人暗殺、軍の重要拠点破壊など、『死神』の方がよっぽど物騒である。アイリスのツッコミは正当なものだった。
「『炎竜』はどんな奴だ?」
「かつてのSランク魔装士、『獄炎』シュミット・アリウールの息子ですね。まだ若く、精神的には不安定とか。戦にも慣れていないと聞いていますね。魔装士の素質はかなりのものですが、総合的に見れば弱いと言えるでしょう。まだ彼について知りたいですか?」
「……『炎竜』が俺に殺意を向ける理由は分かった。父親と仲間の仇ってことね」
『炎竜』は身体的に幼いというわけではない。
しかし、戦いを知るには若すぎた。無情な戦場という世界に身を置くには幼かった。
「シュウさん。また狙われるのです?」
「アイクって奴は俺の顔も知らない。問題ないだろ。面倒になったらこっちから始末するし」
暗殺者という仕事をしていれば、恨まれることもある。
初めから想定内の事態だ。無暗に引っ掻き回さず、無視すれば良い。本当に邪魔になったとき、『死神』ではなく冥王として動くのみ。
仕事に忠実な『死神』という側面を持ちながら、自由奔放な魔物としての一面もある。
「で、金貨十枚分の情報はこれだけか?」
「……まだ欲するので?」
「それなら、スバロキア大帝国と
「難しいところですが、現段階ではスバロキア大帝国の方が優位ですよ。まだまだ兵力の差がありますからね。しかし、一気に
「俺が?」
「それだけ恐れられているということです。帝国の貴族も死にたくはないのです。今や積極的に動いているのは、スバロキア大帝国の皇帝、そして側近の貴族である大公たちぐらいなものでしょう。彼らは自分たちの護衛に自信を持っていますから」
それだけ『死神』が与えた影響は大きい。
名前を売ることが目的の一つであるシュウからすると、まさに予定通りであった。
「ですが、大帝国の自信も徐々に低下しつつあります。エルダ砦破壊で貴方が使った禁呪のせいでね」
禁呪を使える。
それはつまり、好きな時に帝都を破壊し尽くせるということに他ならない。現在、たった一人で禁呪を発動できる者は世界に存在していないと言われている。
勿論、アイリスもシュウの助けがあってようやく発動できたほどだ。
「なるほど。禁呪は切り札になり得るな」
「なのです」
やはり『鷹目』の情報は役に立つ。
仲良くしておくべきだと再確認したのだった。
◆◆◆
燃える戦場。
死屍累々の
鉄すら溶かし、地面を焦がす灼熱が地獄を再現していた。
「……」
それを背にゆっくりと歩みを進める紅蓮の魔人……いや、魔竜。
深紅の炎を竜の形へと具現化し、纏うことで圧倒的な戦闘能力を獲得したアイクだった。
「今日も壊滅ね。満足したかしら?」
「……」
「やり過ぎよ。
「……」
「はぁ……仕方ないわね」
隊長であるルトは声をかけるが、アイクは無視して通り過ぎる。最近はこのような様子ばかりであり、ルトが注意しても言うことを聞かない。軍規に違反する行動だが、ルトはあまり厳しく扱わなかった。
(エリナとユーリが『死神』に殺されてから……荒れているわね)
アイクの精神状態は最悪だ。近寄りがたい雰囲気を常に放っており、今ではミスラもサディナも話しかけようとしない。むき出しの刃を思わせる今のアイクは非常に近寄りがたい。
通り過ぎたアイクを見計らい、トテトテとミスラが近寄ってくる。そして空からはサディナが舞い降り、ルトに話しかけた。
「ねぇ、隊長。アイクは何も言わないの?」
「あの二人を失ってから、彼はずっとあの調子ですわね」
「ええ。そうね」
ルト、ミスラ、サディナの三人は非常に力の強い魔装士であり、スバロキア大帝国の中ではかなりの権力を保有している。しかし、心を乱す青少年のカウンセリングは専門外である。
大帝国軍の作戦とは独立して戦果を挙げることから、大帝国側では新たな英雄として扱われ、
「あまり良くない傾向ね。復讐に心を捕らわれるのは」
戦場では友人を失くすことも少なくない。
その結果として、復讐心に駆られる若者は常にいた。だが、そうやって復讐に捕らわれた者たちが辿る末路は悲惨なものである。
例えば、怒れる心のままに敵軍へと突撃を仕掛け、集中攻撃によって戦死。
突撃する程の勇気はなく、ストレスから危険な薬物に手を出して精神崩壊。
復讐心が拗れ、殺人衝動となって犯罪者に落ちるなど。
ルトは軍の高官としてそのような事例を見てきたので、アイクのことも心配していた。
「私がご飯をあげても無視される」
「心の傷は簡単に埋まらないということですわ」
「む……こうなったらアロマ商会印の巨乳薬でナイスバディに――」
「そう言う問題ではありませんわ! というかアイクさんは巨乳を求めているのではなくてですね……そもそもミスラさんはそんな怪しい薬を飲んでいるのですか?」
「むむ。
天然なところがあるミスラと真面目なサディナは、よくそんなやり取りをしている。燃え盛る戦場の真ん中で、よくも呑気なやり取りができるものだとルトは溜息を吐いた。
一方でアイクは復讐の心を滾らせながら、大帝国軍本陣へと歩みを進める。
(『死神』……)
アイクの瞳は目の前を見ておらず、この場にはいない復讐相手を見据えていた。
(『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』『死神』ぃぃぃ……)
大帝国軍兵士と擦れ違うたびに悲鳴を上げられつつも、アイクは進み続ける。
「俺が必ず……殺す」
戦争が引き起こす負の側面。
今のアイクはそれを体現していた。