<< 前へ次へ >>  更新
65/365

65話 禁呪の書


 風の第十三階梯《地滅風圧ダウンバースト》。

 天候を操り、烈風を大地へと吹き降ろされる大魔術である。その大風は建物すら瞬時に破壊し、直撃を受けた人間は即死する。辛うじて生き残ったとしても、風が強過ぎて呼吸困難となり、果てには窒息死する。

 そんな魔術だ。

 たった一度の発動で一万人以上を殺害するとも言われる災害の如き魔術。



「こ、これが禁呪の魔術書なのです?」

「ああ、レインヴァルドから報酬で貰った。それを会得しておけ」

「無茶苦茶なのです!?」



 禁呪と呼ばれる魔術は会得難易度が高いだけでなく、発動に必要な魔力も桁違いだ。今のアイリスでは一人で発動も出来ないだろう。覚えるというのは無理である。

 しかし、シュウは覚えろと言った。



「別に今すぐじゃなくてもいい。だが、その内一人で使えるようになれよ」

「うー。その内なら……」

「まぁ、すぐに使ってもらうが」

「えぇ……」



 つまりシュウとアイリスが共同で魔術を使うのだ。アイリスを主軸として、シュウが魔術陣を展開することで発動を助ける。魔術陣を解析したシュウならば、必要な術式を展開して魔術陣を形成することが出来るのである。

 既に魔術書を読んだシュウは、第十三階梯《地滅風圧ダウンバースト》の構造についてある程度の解析を終了している。魔力の消費を恐れなければ、シュウもこの禁呪を使えることになる。

 尤も、禁呪よりも強力な神呪級の魔術《暴食黒晶ベルゼ・マテリアル》を使えるのだから、シュウからすれば魅力的ではない。



「この魔術書はエルダ砦の破壊工作報酬だ。折角だから、砦破壊で魔術を使おう。実験に失敗したら、俺が適当にやる」

「……やるのは決定なのですねー」



 シュウは『死神』として何度も仕事するうちに、それなりのプライドが出てきた。報酬を貰ったからには、早めに仕事を終わらせる。それが、シュウの信条である。



「今夜、出発するぞ」

「私も行くのですねー」

「早速、禁呪を使うぞ。試し打ちだ」



 世界情勢すら破壊する。

 そんな禁呪を遊びのように使う魔物が解き放たれた。











 ◆◆◆












 エルダ砦。

 この軍事的な重要拠点は強固な守りであらゆる侵略を防ぐ。攻められればすぐに援軍が送られ、籠城戦でも充分なほどの備蓄がある。



「んー……暇よね。休暇って何するんだろ?」

「休めばいいんじゃない?」



 レイヴァン隊のエリナとユーリは現在、休暇を言い渡されていた。Sランク魔装士だけの部隊であるレイヴァン隊には常に任務があり、休む間もない。

 そこで隊長のルトは隊の中で順番に休暇を取らせることを決めた。

 というより、元からSランク魔装士は一人で戦況を変えるだけの力がある。つまり、レイヴァン隊の六人全員が一度に出撃する必要はないのだ。

 今日は『無限』のエリナ、そして『反鏡』のユーリが休みの日である。



「それにしても変な話よね。エルダ砦にいる間は任務扱いなんて」

「滅多に戦いが起こらないから実質休暇ってことでしょ?」

「お給料が出るんだから文句ないじゃない。休んでるだけでお金貰えるのよ?」



 実を言えば、本当の意味で休暇ではなかった。エルダ砦への配置が実質的に休暇のようなもの、というだけの話であり、一応は任務中である。

 いくら勇敢な革命軍リベリオンでも、このエルダ砦へと軍隊を送ることはない。

 誰もがそう思っていたし、実際にその通りだった。

 そもそも、この場所はスバロキア大帝国の軍事機密に当たる砦だ。一般人が近づくことは決してあり得ないので、商人などを装って潜入することも不可能だった。

 つまり、訪れるのは味方のみ。

 戦闘が仕事のSランク魔装士はすることがなかった。



「ユーリは砦の屋上で見張りでもしたら?」

「なんでよ?」

「魔術反射の魔装があるんだから防衛に参加していれば?」

「いやよ。面倒臭いし」



 魔装士の力は強大だが、汎用性という意味では魔術の方が有用だ。複数人が同時に発動することで、戦局すら変える魔術を発動できる。戦略級魔術などがそれだ。

 その魔術を全て反射できてしまうユーリの魔装は恐ろしい。

 戦況を変えるべく放った魔術で、戦況がさらに悪化してしまうのだから。

 更に言えば、魔装でも放出系の攻撃なら反射できる。

 拠点防衛という戦いにおいて、ユーリほど有用な魔装は少ない。



「今頃……隊長たちは東についたかな?」

「そろそろ戦いが始まっていると思うわ。またアイクが無茶して暴れているんじゃないかしら」

「炎の竜を纏ったアイクに攻撃できる奴なんていないわ」

「まぁ、そうよねぇ。それにルト隊長の魔装があれば無敵だし」

「確かに……」



 『炎竜』のアイクは、父であった『獄炎』のシュミット・アリウールと同様に炎の魔装を授かった。広範囲を地獄の炎で焼き尽くした父と異なり、アイクは炎を纏って暴れまわる。あらゆる攻撃を竜となった炎が焼き尽くし、竜の爪が振るわれれば鎧すら溶ける。

 たった一人で数百人の革命軍リベリオン兵士を討ち取ったこともあるのだ。

 しかし、隊長のルトはそれをはるかに上回る。

 覚醒魔装士である彼女は、超重力によりブラックホールを生み出し、数万人という革命軍リベリオン兵士を一度に葬り去る。今や、ルトの姿は革命軍リベリオンの中でも恐怖そのものだった。

 つまり、心配するなど大きな間違い。

 心配するべきは、今過ごしている暇をどのように潰すかである。



「本当に暇よね……」



 エリナは呟きながら窓の外を見た。

 そしてこの暇が今夜のうちに消え去るなど、今は思いもしなかった。














 ◆ ◆ ◆

















 エルダ砦より十キロ以上離れた場所の上空。そこに魔術陣を展開し、シュウとアイリスは立っていた。さらにシュウは遠見の魔術を使用し、それによってエルダ砦を観察している。

 今日は月のない夜であり、星の明かりだけが頼りだ。



「座標は視認したな。詠唱を始めろ」

「なのですよ!」



 今回の目標は禁呪によるエルダ砦の破壊。

 強固な砦も、禁呪の一撃で崩壊する。エルダ砦はスバロキア大帝国の持つ砦の中でも一位、二位を争う大きさであり、戦略級魔術にすら耐えると言われている。それを壊すなら、やはり禁呪しかなかった。

 アイリスは魔術書から覚えた風の第十三階梯《地滅風圧ダウンバースト》を詠唱する。

 それに伴い、青白い魔術陣が空に描かれ始めた。



(さて、俺も補助を)



 シュウは手を伸ばし、魔力を分け与えつつ魔術陣を構築する。



(分子制御の移動魔術、温度を操る振動魔術、あとは加速と減速の魔術。その組み合わせと……)



 星空の輝く夜に、巨大な魔術陣が重なる。

 アイリスの詠唱、シュウの術式構築に合わせて徐々に巨大化していき、無数の円や記号が組み合わさって複雑化していく。禁呪ともなれば、世界へと命令する術式も膨大となる。結果として魔術陣は非常に複雑かつ巨大となった。

 魔術陣の大きさは第十三階梯《地滅風圧ダウンバースト》の効果範囲と同等である。

 つまり直径にして十キロ以上の範囲が魔術陣で覆われているのだ。



「ちっ……流石に難しいな。流体制御がこんなに面倒だとは……」



 自然現象であるダウンバーストは極めて珍しい気象条件が重なることで発生する。それを意図的に発生させるとすると、かなり複雑で緻密な制御が求められるのは当然のこと。

 そして徐々に条件を満たし始めたのか、上空で雲が渦巻いた。

 乱気流が無数に発生し、複雑に絡み合い、シュウやアイリスの立っている位置でも強風が吹く。



(圧力の調整が難しい……一つ間違えればただの大風になる。限界まで圧力を高め、全ての気流が一気に地上へ降るように、する!)



 シュウは魔物、始原魔霊アルファ・スピリットだ。霊系魔物として最高峰であり、その思考力は極限まで進化している。演算能力は勿論、魔力の制御も超一流だ。

 アイリスも風の魔術師として一流であり、戦術級魔術を成功させるほどの術者。

 魔装は不老不死という最近は役に立っていない力であるが、魔術の力は常に研鑽を続けてきた。

 初めて使う禁呪であっても、シュウのために失敗はしない。



「制御は完璧だ! 座標も想定通りのずれ……って言っても、禁呪の範囲なら意味ないか」

「詠唱完了したのですよ!」



 アイリスは詠唱によって世界へと語りかけ、術式の骨組みを作った。

 シュウは自身の魔力により術式を構築し、アイリスの補強をする。

 風の第八階梯《大放電ディスチャージ》、第九階梯《無情無空コンセントレイト》もシュウとアイリスの二人で発動した魔術である。もう慣れたものだ。

 規模こそ今までと桁外れだが、神呪クラスの魔術《暴食黒晶ベルゼ・マテリアル》を制御するシュウに隙は無い。



「放て!」

「なのです! 《地滅風圧ダウンバースト》!」



 この日、禁呪の一つが解き放たれた。














 ◆◆◆














 巨大な魔術陣の展開はエルダ砦からも観測できた。そもそも、エルダ砦こそが超巨大魔術陣の中心地なのだ。見えるのは当然のことである。

 誰も見たことのないような魔術陣だ。

 夜空を覆い尽くす巨大魔術陣に恐れを抱かない者はいない。



「ば、馬鹿な!」



 エルダ砦の指揮官は驚愕と恐怖が混じって取り乱していた。

 彼は皇帝から直々にエルダ砦を任された有能さを持つ男であり、魔装や魔術の力こそ微妙だが、指揮能力と対応能力は非常に高い。それでも、この強大な魔術陣をどうすればよいのか分かるわけがなかった。

 しかし彼は運が良い。



「……今はこの砦にユーリ様がおられたはず。この魔術を反射して貰うしかあるまい」

「指揮官殿! すぐに連絡します!」

「頼んだ!」



 砦は巨大であり、命令を伝えるために連絡兵がいる。彼もその一人であり、Sランク魔装士である『反鏡』のユーリが休む部屋へと走った。

 刻一刻と魔術陣は完成に近づいており、完成に近づく魔術陣を砦の窓から見て恐怖した。

 一体、いつ完成するのだろうか。

 それすら分からず、今は全力で走る。

 連絡兵の彼には選択肢などない。ただ力の限り走り、ユーリの部屋へと急ぐのみだ。

 慣れた通路を通り、ユーリが休む部屋の前に辿り着く。そしてガンガンと叩く。



「ユーリ様! 急いで――」

「反射よね! 分かっているわ!」



 連絡兵の言葉を遮り、ユーリは扉から姿を見せた。

 強大な魔力を感じ取り、また部屋の窓からは見たこともない巨大な魔術陣が見えた。空を覆うような超巨大魔術陣は、その全貌を把握することすらできない。

 ユーリは自分の出番だとすぐに悟った。



「屋上へ急ぐわ! 案内を―――」

「それなら私に任せなさい」

「――っ! エリナ! お願い」



 窓の外からひょっこり顔を出したのは同じSランク魔装士『無限』のエリナだった。彼女は魔力を使って鎖を具現化し、自在に操ることが出来る。その応用で、エリナは鎖に乗って空を飛んでいた。

 砦を走って屋上に行くと時間が掛かるので、鎖で屋上まで送っていくという提案である。

 すぐにユーリは窓から身を乗り出し、エリナの鎖を握った。鎖はエリナを落とさないように絡みつく。



「行くわよ!」



 エリナが鎖を操り、勢いよく天へと駆ける。その間にユーリは魔装を展開し、魔力攻撃を反射する鏡を大量に出現させる。

 あっという間にエルダ砦の屋上に辿り着き、ユーリはそこへ降りた。

 既に何人もの帝国兵が空を見上げつつ騒いでいる。

 そして魔術を反射するユーリの姿を見て歓声を上げた。



「助かった!」

「ユーリ様の魔装なら……」

「ああ、良かった」

「こんな魔術陣、初めて見たよ」

「どんな魔術が発動するんだろうな」

「ははは! 反射したら分かるんじゃないか?」



 余裕を取り戻したのか、冗談を言う者もいる。

 徐々に魔術陣は完成に近づきつつある。発動も間もなくだろう。ユーリはそれに備え、エルダ砦を覆い尽くすほど大量の鏡を顕現させた。

 ユーリもこれほどの鏡を展開させたのは初めてであり、魔力がどんどんなくなっていく。

 それでも、周囲一帯を覆い尽くす超巨大魔術陣の全てを受け止めることは出来ないかもしれない。

 そんな不安があった。



「大丈夫よユーリ!」

「エリナ……」

「ユーリの魔装はどんな魔術でも跳ね返すわ。どんな馬鹿がこんな魔術を仕掛けてきたのか知らないけど、私達レイヴァン隊の力を見せてやるわよ!」

「ええ! 任せて!」



 この魔術陣による攻撃は、敵の最大攻撃だろう。耐えたら魔力の痕跡を辿って、術者を見つけ、倒せばいい。

 ユーリはもう自分を疑わなかった。

 魔力の限りを尽くし、鏡を展開し続ける。



「これが……私の全力!」



 鏡の数は合わせて千枚以上。

 エルダ砦と、その周辺を覆い尽くした。そのせいで地面には巨大な影が差し、巨大魔術陣の青白い光を遮る。砦の誰もがユーリを信じていた。

 そして同時に、発動した。

 風の第十三階梯《地滅風圧ダウンバースト》が。

 魔術によって発生した巨大積乱雲から猛烈な風が吹き下ろされる。魔術によって強化され、自然現象のダウンバーストより遥かに強力となった禁呪が発動したのだ。

 猛烈な風がユーリの鏡に直撃した。













<< 前へ次へ >>目次  更新