44話 御伽噺の勇者
第二王子の件はともかく、シュウとアイリスは当初の目的を果たすために一等区画へとやってきた。そして目についた大きい商店へと入り、目的のものを探す。
流石に一等区画の商店というべきか、入るなり店員が声をかけてきた。
「お客様、御用でしょうか?」
「本を探している。帝国語とグリニア語の辞書、簡単な絵本、少し難しい本の三冊」
「畏まりました。すぐにお持ちします」
丁寧にお辞儀した店員は、近くにいた店員に目で合図する。するともう一人が近づいてきて、シュウとアイリスをテーブルに案内した。
この商店には貴族もやってくる。
商品を見て回るような一般的店舗とは異なり、店員に要求することで、目的の商品を持ってきてもらうシステムなのだ。
「ここにお座りください」
シュウとアイリスは店員が引いた椅子に腰を下ろす。すると、すぐに温かい飲み物が奥から運ばれてきた。至れり尽くせりである。
「本日はアールイン商会ドレイン支店にお越しいただき光栄に存じます。我がアールイン商会は趣向品を主な取引で扱っておりまして、貴族や富豪の方々と懇意にさせて頂いています。お客様がお望みの品も、きっと見つかると確信しています」
「ああ、それならペンと白紙のノートもあるか?」
「勿論、取り揃えておりますよ。ちなみにどんな御用で?」
「まぁ、俺は魔術師でな。研究内容を記録しておくものを買っておこうと思って」
最近は色々と魔術についても考察が深まってきたので、一度まとめようと考えたのだ。最終的には魔術書としてまとめようと考えている。
だから白紙のノートを所望した。
店員もシュウが魔術師であると知り、尊敬の目を向けた。
「お客様は魔術師でありましたか。もしや他国からお越しになったのですか?」
「そうだ。それで文字の勉強もしたくてな」
「そうでしたか。エルドラード王国は貧しいですが、スバロキア大帝国の本土に行けば、魔術書も多く売っているでしょう。勿論、私共アールイン商会の本店でも、多くの魔術書を扱っております。その時は御贔屓にして下さい」
魔術師は知識人であり、人によっては旅をしながら知識を収集している。店員はそれを知っていたからこそ、新たな商機と判断してシュウに魔術書を進めたのだ。
基本的に魔術師はお金になりにくい職業だが、有用な魔術を開発すれば一気に金が手に入る。ただ、知識人ということもあり、教育に力を入れやすい裕福な貴族や富豪の子息がその道を進むのだ。店員も、シュウが金持ちの子供だと勘違いしたのである。
「お客様は東の……神聖グリニアの方からいらっしゃられたのですか?」
「ん? まぁな」
「ほほう。して、そちらのお嬢様はお客様の恋人で?」
「その通りなのですよ!」
「違うわアホ。俺はコイツの保護者だ」
「子供扱い!?」
驚くアイリスだが、シュウの認識はある意味正しい、アイリスは子供っぽいのだから。見た目ではなく内面が。
しかし、そんな二人のやり取りを店員は微笑ましく見守る。仲が良いのは確からしいと。
恋人同士でないことは明らかだと分かったが、それはそれで商売の機会だ。店員は計算高く、別の商品も進める。
「ここだけの話ですがお客様。当店では可愛らしい衣服も扱っております。お嬢様に如何ですか?」
「わぁー、気になるのですよシュウさん!」
「やめとけ。酷い荷物になるぞ。暫くしたら大帝国の方に行くんだから、買うならそっちについてから。分かったな」
「はーい……」
子供っぽい性格だが、アイリスは既に二十歳を超えている。自分の服装にも興味はあるのだろう。それに、以前は聖騎士として働いており、お金にも余裕があったので、色々と服を持っていた。全てラムザ王国に置いて来てしまったということもあり、新しい服には興味がある。
落胆した雰囲気を見せてしまうのは、仕方のないことだった。
そんなアイリスに、シュウは溜息を吐きながら口を開く。
「その内買ってやるから落ち込むな」
この言葉を聞いたアイリスは目に見えて機嫌を直した。単純である。
そうしている内に、店員の一人が商品である本を持ってきた。シュウの注文通り、帝国語とグリニア語の辞書、簡単な絵本、少し難しい本の三冊になっている。シュウとアイリスを接待していた店員は、やって来た店員から本を受け取り、説明を始めた。
「お客様、これがお求めの本になります。まずは辞書でございますね。日常レベルの単語はほとんど網羅している最新の辞書です。学術研究でもしない限りは問題なく使えるでしょう。そして簡単な絵本がこちらになります。帝国では有名な御伽噺ですね」
「どんな話なのです?」
「おや、お嬢様は興味がありますか? 簡単に説明いたしますと、恐ろしいドラゴンを封印した勇者の物語でございます。実を言えば、これは実話を元にした話なのですよ」
シュウがその絵本の表紙を観察したところ、黒い炎を吐くドラゴンが描かれていた。対峙するのは杖を持った一人の青年である。この青年が主人公と言うのはすぐに分かった。
「面白そうだな」
「ですねー」
ただの創作ならばそれほど興味を示さなかっただろう。しかし、実話を元にしているならば、少しは興味が湧く。読むのが少し楽しみになった。
店員はシュウとアイリスが気に入ったのを見て、残り一冊の説明も始める。
「こちらが三冊目の本でございます。有名な恋愛小説ですね。スバロキア大帝国の帝都では、演劇としても上演されたことがあるほどです」
「まぁ、文字の練習だし、そういった人気の小説が妥当か」
「そうですねー」
「その三冊を貰う。ノートとペンを付けると幾らだ?」
「六金貨となります。辞書が高価ですので」
紙の書物自体は珍しくないので、本もそれほど高くはない。しかし、辞書ともなれば別である。編纂に時間と労力がかかるので、高くなってしまうのだ。
シュウも暗殺稼業で稼いでいるため、何も言わずに金貨六枚を差し出した。店員はそれを受け取り、数えてから再び口を開く。
「確かに金貨六枚でございます。当店のご利用、ありがとうございました」
「ああ、何かあれば、また寄らせて貰う」
「またのお越しを心待ちにしております」
シュウは買った本などを手に取り、店を出て行く。アイリスも紅茶を飲み干してから立ち上がり、シュウの後に続いた。
一流の商店に努める店員は、最後まで一流だ。
シュウとアイリスが店を出るまで見送り、深く礼をしたのだった。
◆◆◆
三等区画にある宿へと戻った二人は、早速とばかりに本を開いた。辞書を片手に、まずは絵本を読み進めることに決める。
黒い炎を吐く禍々しいドラゴンと、それを封印した勇者……魔装士の物語だ。
表紙を捲ると、見慣れない帝国のシビル文字が並んでいた。
「全然読めないのですよー……」
「シビル文字は文字一つ一つが意味を持っている。いわゆる表意文字だな。それを理解すれば、グリニア文字よりも読みやすいぞ」
シュウは前世の記憶……いや知識を有しており、その中には漢字の知識もある。文字一つが特定の意味を持ち、また組み合わせによって多彩な造語すら可能とする便利な文字だった。使いこなすには慣れが必要となるのだが、逆に慣れてしまえばこれほど読みやすい言葉はないと断言できる。
スバロキア大帝国と属国で頻繁に使われるシビル文字は、すべて表意文字だった。覚える文字数が桁外れな上に、一つ一つが複雑となっている。初めて見ると頭が痛くなりそうだ。
しかし、シュウは得意の解析で文字の理解を始めていた。
「シビル文字は多彩だけど、それぞれの文字は意味のあるパーツを持っている。炎を意味するパーツが組み込まれた文字は、熱さや情熱なんかを表している。水を示すパーツを持っていれば、河や湖や涙を表す文字だったりする。それを見極めれば覚えやすいぞ」
「うぅー……簡単に言ってくれるのです」
「辞書もある程度シビル文字が使えないと意味がないからな。多少は習得しないと拙いぞ」
魔物であるシュウは、その身体が魔力で構成されている。記憶に関しても物理的な限界はなく、記憶と言うより記録することが可能だ。
故に、文字もあっという間に理解した。
勿論、絵本に出てくるような簡単な文字ばかりだが。
「……なるほど。取りあえずは読み聞かせてやる」
「宜しくお願いするのですよ!」
「途中で詰まるかもしれないけど、そこは気にするな」
「なのです」
シュウは辞書を片手に絵本へと視線を落とし、ページをめくり始めた。
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昔々あるところに、豊かな帝国がありました。
その国は偉大な皇帝が人々を導き、国を幸せにしていたのです。
住む人からは笑顔が絶えず、食べ物にも着る物にも住むところにも困ることはなかったのです。
この国には、とても強い魔装士が沢山いました。
襲い来る魔物を退治し、人々の安全を守っていたのです。
その中でも、魔装士アルベインは特に優れていました。杖からはどんなものでも焼き尽くす爆炎を、悪を飲み込む大水を、全てを吹き飛ばす旋風を、完璧な守りの堅土を出すことが出来ました。
ある日、皇帝はアルベインに言いました。
「民のために、もっと安全を確保しなければならない」
「恐れながら陛下。このアルベインが多くの魔物を倒して見せます」
その言葉を気に入った皇帝は、アルベインに命令しました。
「北に行き、闇の土地を征服するのだ」
闇の土地は強い魔物が沢山住んでいる危険な場所でした。しかし、正義の心を宿したアルベインは、その魔物を倒すことで民が守られると信じたのです。そこで、四人の仲間と共に、闇の土地に住む大いなる暗黒を滅ぼす旅に出かけました。
国で一番強かったアルベインは、どんな魔物が来ても負けません。
四人の仲間と共に、闇の土地を魔物から解放したのです。
そして闇の土地に住む魔物をすべて倒したアルベインたちは、国へと戻っていったのでした。皇帝も彼らの功績を称え、英雄の称号を与えたのです。
アルベインは美しい奥さんと共に、幸せに暮らしたのでした。
しかし、闇の土地は完全に滅びたわけではありませんでした。
闇の土地の遥か北に住む、禍々しいドラゴンがいたのです。ドラゴンは何百年も眠り続けており、配下の魔物が倒されたことに気付いていません。そして目覚めた時、変わり果てた闇の土地を見て怒りました。
「おのれ。我が仕返しをしてやる!」
暗い暗い、闇色の炎を吐き出したドラゴンは、まず初めに近くの街を滅ぼしました。英雄アルベインによって闇が祓われ、笑顔が戻っていた北の街に再び恐怖が訪れたのです。
巨大なドラゴンの影が街を覆い、暗黒の炎が人も建物も焼き尽くしてしまいます。
それを見た町の長老は言いました。
「ああ、なんということだ。闇の土地の王が復活してしまった。あれこそが獄王ベルオルグだ」
獄王ベルオルグを止めることは出来ません。呪いの炎を浴びた人は命を失い、呪いの炎を浴びた建物は砂のようになって崩れます。
いつまでも消えない炎は人々を苦しめ、そこは地獄となったのです。
獄王は言いました。
「我の怒りは収まらぬ。災いを与えてくれよう」
獄王は黒い炎を操り、次々と街を滅ぼします。そして遂に、帝都までやってきて、闇の炎を放ったのです。決して消えぬ呪いの炎は、次々と人や建物を燃やし尽くしてしまいます。
多くの魔装士が獄王に挑みましたが、全て黒い炎に焼かれてしまいました。
皇帝は英雄アルベインに言いました。
「どうかあのドラゴンを倒してくれ」
「仰せのままに陛下」
英雄アルベインは気付いていました。自分のような最強の魔装士でも、あの獄王を倒すことは困難だと。
しかし、命をかければ封印することは出来るとも気付いていました。
アルベインは命を捨てて獄竜を封じようとしたのです。
「この命は帝国に奉げたもの。死など恐くない」
そう言ったアルベインは、自らの杖を掲げます。この杖こそ、アルベインの魔装。どんな魔術でも使うことの出来る至高の杖。
帝都で暴れまわる獄竜に向けられた杖から、白い光が発せられます。
「グオオオオオオオオオオオオ! なんだこれは!」
激しい唸り声を上げた獄王は、黒い炎でアルベインを殺そうとします。しかし、アルベインは杖から白い光を発して炎を防ぎました。
光と炎。
白と黒。
二つがぶつかり、お互いを飲み込もうとする。
しかし、アルベインは負ける気がしません。
「悪のドラゴンよ! 封印する!」
「グギャアアアアアア!?」
アルベインは命を魔力に変えて、最期の大魔術を使いました。
真っ白な光を浴びた獄王ベルオルグは、断末魔の声を上げて杖に吸い込まれていきます。そして遂に、ドラゴンを封印することが出来たのです。
帝都を覆っていた黒い炎も消え去り、平和が訪れました。
しかし、そこにアルベインの姿はありません。
彼は命を失ってしまったからです。
皇帝は悲しみ、また多くの民が悲しみました。
「さぁ、彼を称えよう。我らのために命を捨てた彼を!」
皇帝は英雄の勇気ある行動を称え、一つの称号を与えました。
それこそが『勇者』。
勇者アルベインが残した封印の杖は、皇室によって守られることになりました。今も、勇者の杖は皇帝が守っているのです。
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本を閉じたシュウは、微妙な表情を浮かべる。それはアイリスも同じだった。
「……難しくね?」
「なのです」
「絵本とは思えない言い回しの数々、難易度の高い文字、悲劇寄りの内容……どうみても子供向けの絵本じゃないな」
「私もそう思うのですよー」
二人はそんな感想を抱いたのだった。