43話 愚かな者たち
二等区画に入ったシュウとアイリスは、当初の予定通り、一等区画にある商店を目指していた。三等区画に比べれば、二等区画はかなり綺麗に整えられている。道も平らにされているため、歩きやすかった。ちなみに、これが一等区画になれば舗装もされている。
「うー……お腹いっぱいで苦しいのですよー」
「だから食べ過ぎだって言っただろ馬鹿」
「私の場合は殆どが魔力に変換されるから大丈夫だと思ったのですー」
「限度を考えろ限度を」
人間や魔物は食べ物からエネルギーを補給し、魔力に変換している。よって、魔装士や高位の魔術師は多くの魔力を保有しているため、かなり大食いになるのだ。しかも、食べても太らない。殆どが魔力になってしまうからである。
一応、身体を維持して成長させる分が優先される。それ以上が魔力として蓄積され、魔力も限界まで蓄積られると脂肪として蓄えられるのだ。
ただし、魔力を自然回復させることが出来る覚醒魔装士は別である。また、シュウを含む魔物は、魔力を保有する存在を殺害することでその魔力を吸収したり、空気中の魔力を吸収できるので例外だ。
「何処かで魔術を使って魔力を減らせば……」
「大都市のどこで魔術なんか使うんだ。大人しくぜい肉を受け入れろ」
「はぁーなのですー」
溜息を吐いたアイリスはシュウの左腕に寄りかかる。ここで重いと言わないあたり、シュウも気を使ってはいるのだろう。
そんな時、前方からやってくる五人の男たちに気付いた。野性的な見た目で野蛮な雰囲気である一方、統一された装備から城に仕える兵士だと分かる。その視線がアイリスに向いていることはすぐに気づけた。
「アイリス」
「なのです」
シュウが呼びかけると、アイリスも平坦な返事を返す。可愛らしい見た目のアイリスは、そういった感情で視線を投げかけられることも少なくない。故に、前方からの下種な雰囲気を察するのは容易かった。
「厄介事みたいだな」
「あれはエルドラード王国の王家に仕える魔装士の装備なのです。権力を傘に因縁をつけてきたら面倒ですよー」
「分かっている。ウザかったら事情を聞いて殺すか」
サラッと恐ろしいことを口にするシュウ。しかし、アイリスも特にツッコミは入れない。シュウがそう言った人物であることはよく知っているからだ。
ともあれ、二人が予想した通り、前方にいた五人は駆け寄ってきてシュウとアイリスを囲んだ。
「何か用か?」
「お前にゃ用事なんてねぇよ」
「名乗るぐらいはして欲しいんだけど」
シュウがそう言うと、男たちは確かにと頷いた。そして自己紹介と言うほどではないが、名乗り始める。
「俺は第二王子親衛隊の隊長ドンパ・リカルドだ」
「同じく親衛隊のバールっす」
「俺はライズだ」
「マルセルだ。覚えときな」
「ハハッ。ギアーゼだ。俺も第二王子様の親衛隊だ」
そう名乗った五人に対し、シュウは反応一つしない。王族の親衛隊である彼らは、名乗るだけで相手に畏怖を与えてきた。それは魔装士としての力しかり、権力しかりである。
しかし、目の前のシュウは表情一つ変えないのだ。
ドンパは不快に思う。
「その女を寄越しな。第二王子リンヴルド様が御用だ」
不機嫌そうな口調でアイリスを指さした。
第二王子が権力を使って美しい娘を集めているのは有名な話であり、親衛隊による徴収に引っかかると大抵が絶望的な眼をする。しかし、シュウもアイリスも平然としたままだった。
それどころか、普通に言い返してきた。
「寝言は寝てから言え三流」
「盛大にお断りするのですよー」
考える間すらない即答に対し、ドンパ達は呆気にとられた。一瞬だけ茫然としてしまい、慌てて剣を抜きつつ脅しへと入る。最近は滅多になかったが、強情な女はそうやって脅してきた。久しぶりのことだってので反応に遅れたものの、やることに変わりはない。
武器型魔装を使うライズとギアーゼは魔力で編み出した剣と槍を構え、ドンパ、バール、ギアーゼの三人は腰に付けていた鋼の剣を抜く。
「残念だが、これは第二王子からの命令だ。それに、これは立派な徴税行為だぜ。三流だなんて失礼じゃねぇか?」
ドンパはシュウの挑発を受け流し、懐から一枚の紙を見せた。そこには帝国語で徴税の命令が記されており、残念ながらシュウとアイリスにはまだ読めない。しかし、ドンパは勝ち誇ったような表情で説明をした。
「平民からの徴税として女を貰っていく。これはエルドラード王国の法律で保障された俺たちの仕事だ。罪人になりたくなかったら、邪魔するんじゃねぇぞ?」
「ま、逆らって罪人になったらその場で処刑してやるぜ」
「プククク。そんな馬鹿がいるはずないっすよ!」
ドンパに続いてマルセルとバールも嘲笑うかのような態度を取った。王都ドレインでは、第二王子リンヴルドの威光を使って好き勝手に振る舞ってきたのだ。今日もいつも通り、王子という虎の威を借りて横暴な振る舞いをするつもりだった。
魔装の剣を手にしたライズは、脅しとばかりにシュウに斬りかかった。それはギリギリで当たらないように調整した振り下ろしであり、それが出来ることからライズの技量がそれなりにモノであると分かる。
シュウもわざわざ避けようとはせず、剣が通り過ぎるのをただ待った。
「おらぁっ!」
風を切る音と同時にシュウの服が揺れる。
全く無反応なシュウに対し、ライズは不満そうな表情を浮かべた。ライズを含め、彼らは親衛隊を名乗るだけあって戦いのプロだ。シュウが怖がって動けなかったのか、見切って動かなかったのかを判別するぐらい出来る。
特に、親衛隊長ドンパはシュウが戦いになれた手練れだとすぐに理解した。
(コイツはただの一般人じゃねぇ。戦い慣れた戦士だ。さっきは気付かなかったが、裏の人間特有の香りもしやがる……!)
それを悟った瞬間、シュウの雰囲気が変わったのを感じた。まるでライズの威嚇攻撃がスイッチにでもなったかのように、濃密な死の気配を纏い始める。
あまりの気配に、五人は一歩引いてしまった。
シュウはゆっくりと魔力を練りつつ、口を開く。
「悪いが、こいつは俺のモノだ。お前たち如きに渡すつもりはない。今引くなら、見逃してやるが?」
強者の目線で見下すような言い方はドンパ達を充分に苛立たせた。彼らがシュウを強者だと理解したことまでは良かったが、エルドラード王国で強者の地位に甘んじてきたプライドが、冷静な判断を邪魔する。
「死ね!」
シュウの死角にいたマルセルが、鋼の剣で鋭い突きを放つ。
そもそも、第二王子の証文があるのだから、女を徴収することは合法――本当は不法――だ。その事実がマルセルを突き動かした。小柄なマルセルは素早く細かい動きが得意であり、突き出された剣は性格にシュウの心臓を狙う。
だが、それは直前に出現した小さな魔術陣に阻まれた。
ベクトルを反転させる加速魔術陣である。
「ぎゃっ!?」
魔力の殆どない鋼の剣程度なら、小さな魔術陣でも簡単に弾き返すことが出来る。跳ね返された運動量ベクトルによってマルセルは手首を痛めた。無系統魔術の強化がなければ、骨が折れていただろう。
激痛で呻き、鋼の剣を取り落とす。
シュウは振り返りつつ、右手を伸ばして、何かを握り潰すような動作をした。
「『
死魔法が発動し、マルセルの魔力を全て奪い取った。
無言で倒れるマルセルを見つめつつ、シュウは言葉を続ける。
「敵対するなら……予定通り殺すか」
「はぁ。結局こうなるのですねー」
呆れるアイリスを横目に、シュウは更に死魔法を発動した。今度は三人同時に魔力を奪い、生命力すら根こそぎシュウの一部に変えた。
死に絶えたバール、ライズ、ギアーゼは地面に倒れる。
残ったのは親衛隊隊長のドンパだけである。
「何が!? おいマルセル、バール、ライズ、ギアーゼ! 何をしている!」
まさかそんな簡単に仲間が死ぬとは想像すら出来ないのだろう。
だが、ここで動きを止めずに反撃できる辺り、一流の戦士だった。
「クソが! はあああああ……」
ドンパは飛び下がりつつ、広範囲に息を吐く。その息には魔力が込められているのがシュウの魔力感知で分かった。
(拡張型魔装の力か。恐らくは自分の息に特定の効果が付くタイプ)
拡張型は人の持つ特定の力が強化されている魔装だ。ドンパは吐く息に魔装的効果が付与される。シュウは知らないことだが、これは魅了効果のある吐息だった。
抵抗する女は、この吐息で強制的に従えていた。
そして勿論、魅了効果は男にも有効である。
しかし、この手の魔装は対象の魔力量によって効果が変わる。膨大な魔力を持つ相手ならば、息に含まれる魅了の力も意味をなさない。当然、シュウとアイリスには効かなかった。
「無駄だな」
回避すらすることなく、シュウは死魔法でドンパを片付けた。
ばたりと倒れる最後の一人を見届けた瞬間、周囲から歓声が上がった。ただ、歓声と言っても諸手を上げて叫ぶような喜び方ではなく、静かに噛みしめるような雰囲気だった。
それだけで、あの親衛隊がどれだけ嫌われていたのかよく分かる。
尤も、徴税と称して娘たちを連れ去っていたのだから当たり前だが。
「おお!」
「やってくれたぞ」
「だが大丈夫か?」
「奴らは曲がりなりにも王子の部下だ」
「拙いんじゃ……」
「ばーか。あのクソ共を倒してくれたんだ! あいつらは最高だぜ!」
喜ぶ者たちが多い一方、王子の部下を倒してしまったことで心配する者もかなりいる。巻き込まれて二等区画そのものが処罰対象になるのではないかと考えて憂う者すらいた。
「目立っちゃいましたねーシュウさん」
「放置でいい。それに証拠もない。俺の死魔法は魔力を奪う力だから、魔力的痕跡が残らない。犯人を特定するためには目撃情報が頼りになる」
「告げ口されないのです?」
「問題ないな」
シュウは観衆を無視して、一等区画へと歩き始める。
五人の男たちを何のためらいもなく殺害したシュウに対し、周囲はかなり寛容だ。アイリスは、それが問題ない理由かと考えた。民衆が味方なら、目撃情報が王家にまで届くはずもない。
「でもシュウさん。任意の事情聴取なら大丈夫でしょうけど、脅されたり拷問されたら簡単に喋ってしまう気がするのですよ?」
「……? 何を言っているんだアイリス?」
「はい?」
不思議そうな表情で尋ねるシュウ。
理解できずに聞き返すアイリス。
二人の間に一瞬だけ沈黙が訪れた。
「……何を勘違いしているんだアイリスよ」
「え、だから脅されたりしたら……」
「違う。別にそこは期待していない」
「え?」
「そもそも、一般人が王家の関係者に脅されたらどうにもならないのは当たり前だろ」
「で、でも……」
確かに魔力と言う物的証拠は残らない。
しかし、その気になれば幾らでも状況証拠や証言は集められるし、最悪の場合、証拠を捏造することだって考えられる。つまり、証言が漏れないようにするのは無理だと初めから考えていた。
早歩きでその場を離れるシュウは、左腕にくっつくアイリスに囁いた。
「俺が狙うのは大元だ。第二王子リンヴルド……奴が消えれば全て解決だと思わないか?」
「……うわぁ」
流石のアイリスも引いた。