42話 偽なる義
エルドラード王国は基本的に貧しい国だ。より正確には、富が一部の権力者に独占されているせいで、全体的には貧しい国となっている。
しかし、それでも王都ドレインはそれなりの活気があり、観光するにしても充分だ。纏まった金を手に入れたシュウとアイリスは、王都を回りつつ買い食いをしていた。
「この辺りは羊肉が多いみたいなのです」
「かなりの数を放牧しているみたいだからな。それに、羊の毛も衣類として需要があるらしい。エルドラード王国で確保した毛糸はスバロキア大帝国に輸出されているみたいだな」
「代わりにエルドラード王国は高価な魔道具を輸入しているのですよ」
「貧富の差が広がるわけだ」
羊の毛はいわゆる一次産業であり、取引においては安く扱われる。その一方、魔道具の生産は二次産業に相当しており、一つ一つが高価だ。
スバロキア大帝国は高価な魔道具を輸出し、エルドラード王国は安価な羊毛の他、食料を輸出している。お金はスバロキア大帝国へと流れていき、貧富の差が拡大していく。
更に、エルドラード王国内部でも貧富の差は大きい。
食料生産や放牧をしている地方の村人は、その多くを貴族に徴税されるだけでなく、商人からも買い叩かれている。学がないので、それが不正なほど安く買い取られていることも気付かないのだ。また、生まれてからずっとその環境で生きているので、厳しい生活が当たり前となっている。
今の生活が不当に搾り取られた生活であることを知らないのだ。
「確か塩や胡椒は南部から輸入しているんだったよな?」
「なのです。でも、スバロキア大帝国経由で流通しているせいで、とても高価なのですよ」
「だから味も薄いのか。こういう点では神聖グリニアの方が上だったな」
「あの国は平等という言葉が好きですからねー」
魔神教は慈愛、尊重、叡智を大切にする宗教だ。
他者に対して自分を尽くし、自分にも尽くして貰い、富は全員で共有する。これが理念となっている。これらの理念が政治に全て反映されているかと言えば、そうではない。しかし、神聖グリニアでは属国であっても、それなりの富を享受できる。
上の立場の人間が、下の立場の人間を正しく管理する。
そういう国なのである。
一方でスバロキア大帝国は完全資本主義だ。強いものは強いし、弱いものは搾取される。他者を蹴落とし、自分の価値を上げることで、自由を獲得できるという国柄である。だからスバロキア大帝国と属国では奴隷制度も存在しているし、全体的な倫理観も緩めだ。
言い方を変えれば、強者に優しい国なのである。
「あ、そう言えば、後で本を買っておかないとな」
「何でです?」
「こっちの文字を勉強しておかないと、何かと不便だ。エルドラード王国は識字率が低いから、文字が読めなくても過ごせるようになっている。でもスバロキア大帝国の帝都に行けば、そうもいかなくなると思うぞ」
「あー、それだと帝国語も話せるようにならないとだめなのですよ……」
「そっか。エルドラード王国は神聖グリニアの言葉も通じるけど、もう少し帝都に寄ると通じなくなるだろうからな」
シュウはテレパシーの応用で、どんな言語でも理解できるし話せる。しかし、アイリスはそうではない。帝国の言語と神聖グリニアの言語は異なるので、習得しておかないと、後で困るのだ。
エルドラード王国は神聖グリニアの属国と隣接していることもあり、どちらの言語でも通じる。習得するなら、今の内だった。
「それだったら、何処かの商店に行くのですよ! 大きな商会の支店なら、本も扱っていると思うのです」
「じゃあ、そこに行くか。一等区画か?」
「なのです」
行き先を決めた二人は、そのまま一等区画へと進んでいく。この一等区画とは、別名で貴族区画などとも呼ばれたりする。しかし、別に平民が入っていけないわけではない。ただ、一般人には手が出ないような、高級な店が多いのだ。
それに、ここには警備兵も多くいる。不審なことをすれば、すぐに捕まってしまう。
故に、ある意味では安全な場所である。
警備部隊が汚職しているということを考えれば、本当に安全とは言えないが。
「それにしても……やはり三等区画以下は急に質が落ちるな」
「市民もあまり活気がないですからねー」
「生活しているというより、取りあえず生きているって感じだな」
王都ドレインは王城を中心として、一等区画、二等区画、三等区画、四等区画となっている。魔物の脅威を防ぐために王都全体が城郭に囲まれているため、都市設計の段階でこれらを整備したのだ。
貴族を始めとした権力者や裕福な者たちが住む一等区画は綺麗な街並みであり、一つ外側の二等区画はその裕福な者たちに仕える人々が暮らしている。二等区画の住民はそれなりの生活が出来るのだ。しかし、三等区画と四等区画からは一気に貧しくなる。
三等区画は力仕事や単純労働で生計を立てている者ばかりであり、四等区画に関しては八割がスラム状態だ。不用意に立ち入ると簡単に誘拐され、奴隷として売られたりする。
ちなみに黒猫の拠点となっている酒場は二等区画だ。
「三等区画は傭兵ギルドなんかもあるから、殺伐としているな」
「ご飯が安く沢山食べられて、魔力が多い私には嬉しい場所なのですよ」
「それは同意だな」
神聖グリニアの支配領域と異なり、スバロキア大帝国とその属国では、民間の魔装士が活動することを許容している。その結果、魔装士がギルドを形成したり、傭兵団を結成したりすることも珍しくない。有名な傭兵団ともなれば、貴族に雇ってもらえることがある。そういった者たちが拠点としているのが三等区画なのだ。
自然とそれに応じた街並みとなる。
力を付けたり魔力を回復させるために肉が安くなり、武器や防具、その他にも戦う上での必需品が良く売れる。
少しばかり物騒な風景となるのは仕方ない。
「ま、流石の三等区画でも白昼堂々と犯罪行為に走る奴は少なそうで良かった」
「四等区画は別みたいですよ?」
「幾ら何でもあそこに近づくつもりはないぞ。行っても楽しくなさそうだし」
「それは同意なのです」
汚くて、食べ物も不味くて、すぐに犯罪に巻き込まれる四等区画に好んで入るつもりはない。今は宿が三等区画にあるので、三等、二等、一等区画は関わることになる。それより外部にある四等区画は関わる理由も必要もない。
「あ、シュウさん。あそこに不思議な魔道具があるのですよ!」
「なんだあれ? 苗木が踊ってる……? ついでに成長してる?」
「何かの見世物みたいですねー」
「ちょっと見ていくか」
「わーい」
「子供か」
大通りで行われている曲芸は魔術を利用したものが多く、面白いものばかりだ。時間の許す限り、二人はそれを眺めることに決める。
目的である一等区画へと足を向けるのは、それからしばらく経ってからだった。
◆◆◆
その頃、二等区画にある小さな食堂で五人の男が食事を取っていた。丸いテーブルの上には煮物、焼いた肉、パン、そして酒が並んでおり、空の皿も幾つかある。
「げっふ……結構食ったな」
「何が結構食っただ。マルセルは小食すぎる。もっと食え。だからいつまでたっても背が伸びないんだ」
「あ? なんだとギアーゼ?」
フォークを置いたマルセルはギロリとギアーゼを睨む。だが、彼は非常に体格が小さいので、余り迫力がない。ギアーゼは笑い飛ばしながら酒を飲むだけだった。
「ほらほら喧嘩するな。俺たちは任務中だぞ?」
「止めるだけ無駄っすよドンパ隊長。あの二人はいつもあれっす」
「いや、バール……だがなぁ……」
「放っておこうぜ」
「ライズまで……まぁいいか」
二人の喧嘩を眺めつつ、ドンパは溜息を吐く。その一方でバールとライズは非常に楽しそうな表情を浮かべていた。
彼ら五人は、第二王子リンヴルドの親衛隊である。ドンパはその親衛隊長であり、自身の小隊を率いて任務を実行していた。
それはリンヴルドのために新しい女を徴収することである。証文があるので名目上は徴税と同じだが、実質は誘拐だ。リンヴルドを満足させる美女を見つけるために、第二区画までやってきたのである。流石に第一区画で誘拐をするほどドンパたちは馬鹿ではない。
間違って貴族の娘でも攫ってしまった暁には、第二王子の評判が地に落ちてしまう。そうなると、彼が王位を継ぐ可能性は限りなく低くなり、親衛隊である自分たちの出世も儚い夢となるのだから。
「ところで隊長」
「どうしたバール?」
「今日は一人も良さそうな女が見つからないっすよ。どうするんっすか?」
「……二等区画は俺たちのことも知られているからな。意図的に隠されているのかもしれん」
「あー……」
バールは納得した表情で軽く頷く。
こうして第二王子による緊急徴収という名の誘拐を行うのは今日が初めてではない。ドンパの小隊は何度も街へと繰り出し、誘拐しているのだ。既にドンパたち五人の人相は知られており、彼らが来ると知って、美人の娘たちは一斉に隠れてしまったのである。
何を隠そう、この食堂の看板娘も奥に隠れているのだから。
尤も、ドンパたちはそれを知る由もないが。
「どうするんです隊長? リンヴルド様は十人ぐらい連れて来いって言ったんでしょう? このままじゃキツイですぜ。三等か四等区画に行ってみません?」
「ライズの意見も尤もだな」
「でも三等以下に美女なんているんすか?」
「いねぇってこともないだろ。多分」
バールの指摘にライズは目を逸らしつつ答える。
そもそも三等区画と四等区画は荒くれ者や貧しい者が多い。そのため美容に気を使っているとはとても言えず、美女など滅多に見つからない。それなりの生活が出来る二等区画ならば、充分な可能性があったのだ。
「ほらほら。マルセルとギアーゼはそろそろ黙れ。仕事に戻るぞ。遅くなるとリンヴルド様に怒られちまうからな」
「ちっ……覚えとけよギアーゼ」
「明日には忘れてるっての」
ドンパは立ちあがり、それに続いてバールとライズが席を立つ。マルセルとギアーゼは互いに睨み合いながらもゆっくり席を立った。
そんな四人に食堂の店主が近寄る。
「その、御代は……」
「あ? 仕方ねぇな」
ドンパは懐へと手を入れ、幾つかの硬貨を取り出して店主に投げる。突然のことで店主は驚き、幾つかの硬貨を落としてしまった。慌てて拾い上げ、金を数える。
その間にドンパたちは荷物を整えた。
「よーし。仕事に戻るぞお前ら」
四人は頷き、店の外に出ようとする。そんな彼らに対し、金を数え終えた店主は慌てて声を掛けた。
「待ってください! 御代が足りていま――」
「なんだって?」
「ひっ……」
ギアーゼが魔装を発動し、展開したシミターを店主に突きつけた。突然現れた武器を見て、店主は腰を抜かしながら声を震わせる。
「な、何でもありません……」
「そうかそうか。じゃあな?」
正当な対価を払うことなく、懐に入っていた適当な金額で支払いを済ませてしまう。これが王族の親衛隊なのかと疑いたくなる所業だった。
だが、これがエルドラード王国の現状である。
不正が横行し、暴力が支配しているのだ。
店を出たドンパ達は、取りあえず周囲を見渡す。
「さてと、ライズの言った通り、三等区画にでも行ってみるか?」
「可能性は低いっす。でも、ここで探すよりはマシっすね」
バールの受け答えに他の三人も頷き、取りあえずの方針は決定された。
そして彼らが三等区画へと向かうために、そちら側へと足を向ける。その瞬間、五人はかなり遠くから歩いてくる二人の人物を見つけてしまった。
互いに黒髪であり、日の光が反射して美しく波を打っている。
体格を見れば、片方が男で、片方が女であることはすぐに分かった。
ドンパはチャンスだと考える。
「お前ら。俺たちはツイているみたいだ」
その二人が史上最悪の冥王と魔女であることを知らないドンパたちは、下種な笑みを浮かべるのだった。これから起こる恐ろしい未来を予想すら出来ずに。