36話 闇を喰らう闇 後編
聖騎士に襲いかかった火草は、不意打ちを仕掛けたつもりだった。
しかし、今回の作戦は聖騎士が仕組んだ罠でしかない。掌の上で踊らされているとも知らず、罠の入り口へと飛び込んでしまったのである。
「かかったな!」
そう叫んだ聖騎士の一人が魔装を発動させる。彼の魔装は珍しい領域型の魔装だ。領域型とは、特定領域に効果を及ぼす力を持っている。彼の能力は泥を操る力だ。
地面がぬかるみへと変貌し、火草の魔装士たちは一瞬で足を取られてしまう。だが、聖騎士団は彼の魔装を利用するために、初めから魔道具のブーツを履いていた。これを履いていると、足場の悪い場所でも自在に動くことが出来るのである。
「かかれ!」
『おおおおおおおおおお!』
三十人の聖騎士たちが、火草に攻撃を開始する。泥によって動けなくなった火草の魔装士は、既に的でしかない。あっという間に数を減らされてしまった。
初手から挫かれたこともあり、あっという間に士気は低下する。
「畜生……なんで!」
「逃げろ逃げろ!」
「聖騎士の野郎……なんて汚い奴らだ!」
「クソ! 足が沈んで動けない!」
「助けてくれええええええええ!」
所詮は団体行動も苦手な闇組織の魔装士。
普段から訓練を積み、人数を生かす連携すら習熟している聖騎士団に勝てるはずもない。まして、足場の悪い状況ではなおさらだ。
あっという間に火草は人数を減らしてしまった。
「まさか俺たちの襲撃がばれていやがったのか!?」
「ゴールディ様! このままでは!」
「うるせぇ! 分かってんだよそんなことは!」
ゴールディは己の魔装である短剣を投げて聖騎士を攻撃する。彼の魔装は武具型と造物型の複合と呼ばれており、短剣を魔力の限り連続生成できる。
これを利用した投げナイフが彼の攻撃手段だ。
しかし、足場が悪くて狙いを付け辛く、威力も出にくい。更に動けないせいで、いつ魔術の的になるかも分からない。
流石のゴールディも焦っていた。
「クソが! 撤退だ!」
己や組織の誇りと命を天秤にかけ、後者を選択する。こういった判断が出来るからこそ、ゴールディは性格の悪さがありながら纏め役を与えられたのだ。
状況判断は出来るのである。
しかし、ここまでしておいて逃がす聖騎士団ではない
「逃がすな! ここで全滅させる!」
闘いを有利に進めている聖騎士団の士気は高い。現に、まだ聖騎士には一人の犠牲者もいないのだ。どれほど一方的な戦いなのかよく分かる。
それでも火草はせめてゴールディを逃がそうと行動した。
「燃えやがれやクソ聖騎士!」
「吹き飛べええ!」
「おら死ねよ!」
火草の魔装士は、それぞれの魔装で聖騎士の追撃を妨害しようとする。ここまで追い詰めておきながら大怪我をするのは聖騎士側も面白くない。なので、決死の攻撃は聖騎士の追撃を緩める結果となった。
「今ですゴールディさん! 早く逃げてくれ!」
「わりぃ。お前らも達者でな!」
今回の襲撃は大失敗だ。その事実に苦い顔をしつつ、ゴールディは逃走を図る。魔装の投げナイフで聖騎士を牽制しつつ、どうにかルートを確保しようとした。
そして、遂に隙が生じる。
「そこだ! 行くぞ!」
「おう!」
「援護してやる!」
ゴールディと、近くにいたAランク魔装士の仲間が共に戦いの外へと逃げだそうとする。足場がぬかるみになっているせいで進みは遅い。だが、もうすぐ抜けられそうだった。
そしてあと数歩で抜けられるといったところで、ゴールディは仲間に向かって叫ぶ。
「このまま西に逃げるぜぇ! そっちの支部で合流だ!」
「いいぜ。生き残れよ」
「後で絶対奢れよゴールディ!」
そして三人はそこで三手に分かれようとした。バラバラに逃げることで、追跡を逃れようと考えたのである。だが、それは甘い。
闘いの興奮で、三人は別の場所から飛んできた矢に気付かなかったのだ。
「ひがっ!?」
「えぎゃ!?」
「が……」
三本の矢が同時にそれぞれの頭を射抜き、その場で倒れる。
すると、少し奥にある木々の隙間から弓矢を持った男が現れた。
「いっちょ上がりですぜボス」
「いいねぇ。俺たちもカーニバルといこうじゃねぇか! なぁ!?」
『おおおおおおおおおおおおおお!』
ここで現れたのは闇組織・赤爪。
更に、そのボスまでも直々に登場した。
彼は深紅の鉤爪が魔装であり、熱によってあらゆるものを切断する。
「まずは泥沼が邪魔だよなぁ?」
赤爪ボスがそう言うと、氷を操る魔装を使う部下が地面の泥に向かって冷気を放った。すると、泥中の水分が一気に凍結し、地面が滑りやすくなる。聖騎士団は魔道具のブーツがあるお蔭で問題ないようだが、火草の魔装士は更に混乱へと陥った。
「行くぜ野郎ども!」
そして赤爪ボスが先陣を切り、混戦する戦場の中へと飛び込んだ。まずは凍った泥に囚われている火草の魔装士を、目に映る限り鉤爪で切り裂く。熱を纏い、よく切れる鉤爪にかかれば、防具すらも抵抗なく切り裂くことが出来た。
防具系の魔装を使っている場合は弾かれることもあったが、その場合は水の魔装を使う部下が窒息させたりする。不意打ちを喰らった火草は既に瓦解していた。
「殺せ殺せ! 聖騎士を殺せ!」
「名を上げるチャンスだ!」
「火草は虫の息だぞ。一人も逃がすんじゃねぇ!」
「祭りだ! 血祭だ!」
血の気が多い赤爪の魔装士たちは、死を恐れることなく聖騎士に立ち向かっていく。だが、そろそろ聖騎士たちにも疲労が現れ始めていた。
予定よりも闇組織の魔装士が強く、苦戦していたのである。聖騎士になるためには、最低でもBランク魔装士でなければならない。だが、闇組織・赤爪は奇襲を成功させたことで士気も高く、犠牲を出さないためには防戦するしかない。
聖騎士団にとって、今回の作戦は闇組織を殲滅させる重要な作戦。そして囮としてやってきた三十人の聖騎士たちは、死ぬことのないように厳命されている。
「我らには魔道具のブーツがある。足元は気にするな!」
「三人一組を崩すなよ。奇襲には注意しろ」
「あの魔装は赤爪のボス! 気を付けろ。奴は素早い!」
三人一組で背中合わせとなり、死角を消して応戦する。やはり数では負けているので、死なないように戦うならば防戦を選択するしかない。
ただ、これは不可解なことでもあった。
通常、防戦を選択するのは援軍を期待してのことだ。援軍や伏兵がいるならば、防戦にも意味はある。だがしかし、そうでないならばいずれ敗北してしまう。そのため、赤爪の一部の者は周囲に援軍の可能性を考えていた。ちなみに伏兵の可能性は初めから頭にない。
彼らは、これが教会の仕掛けた罠だと知らないからだ。
それ故、不可解さにも気付かなかった。
「押せ! 潰してしまえ!」
「俺たちで聖騎士をぶち殺してやるぜ!」
援軍の可能性を考慮する以上、早急な作戦遂行が必要だ。赤爪は奇襲で火草を潰し、その流れで聖騎士を討伐しようと考えたのである。赤爪のボスが全線で戦っている以上、士気も最高だ。もう、気合だけで戦えるレベルとなっている。
だが、ここで再び流れが変化した。
「なんだぁ……?」
初めに異変を察知したのは赤爪ボスだった。彼は野獣のように五感が鋭く、空気中に漂う異臭に気付いたのである。それが、薬物によるものであることもすぐわかった。
裏社会に通じているだけあって、何の薬かすぐに理解する。
(こいつは麻痺毒……!)
だが、ボスの体に不調はない。この程度の麻痺毒ならば、既に耐性がある。強力な麻痺毒ならば効いてしまうのだが、そういった薬物は量を揃えるのが難しい。
とはいえ、そこそこの麻痺毒と言ってもこれだけの範囲に散布できるほど揃えることが出来る相手は限られている。特に、中堅以下の闇組織が壊滅した今は。
「ちっ……妖蓮花の奴らも関わってやがるのか!」
麻薬を始めとした薬物に特化しているのが、闇組織・妖蓮花だ。
この辺り一帯に散布されたのは、そこそこの効力を持つ麻痺毒。量を揃えることの出来る毒物としては、かなり強力な方である。赤爪ボスのように、毒への耐性を付けている者ならば問題なく耐えられるだろう。だが、ここにはそうでないものも多くいた。
「く……体が!」
「畜生! なんだよこれ!」
「敵の攻撃じゃない!? 誰だ!」
「体の動けないものを守れ! 流石に薬は想定していない!」
既に壊滅状態の火草、士気の高い赤爪、そして聖騎士団ですら薬物による攻撃は想定していなかった。いや、聖騎士団は可能性として考慮していたが、量を揃えるのが難しいと判断して切り捨てたのだ。
如何に薬物に長けた妖蓮花がいるとしても、この範囲に散布できるほどの量となれば、目立った動きも生じてしまう。だが、妖蓮花は教会より一枚上手だったようだ。教会ですら、妖蓮花の持つ薬物の取引ルートを監視しきることができていなかった。
その結果が、これである。
「く……ははははは! 馬鹿な奴らだ」
「一か所に固まってくれるなんてなぁ?」
「麻痺毒の良い的だぜ?」
「動けなくなったから、これで本当に的だってか?」
「違いない。さ、やろうぜ」
妖蓮花の魔装士たちが、周囲の木々の間から現れた。そして下品な笑みを浮かべつつ、動けなくなったり動きが鈍った火草、赤爪、聖騎士団の魔装士を眺める。
今日のために妖蓮花が用意した麻痺毒は膨大だ。そして妖蓮花の魔装士は麻痺毒に対抗するための薬物を予め摂取している。
よって妖蓮花の魔装士は麻痺毒の影響を受けないのである。
「かかれ! 俺たち妖蓮花の勝ちだ!」
聖騎士、火草、赤爪を全て出し抜いたと考えている妖蓮花は一斉に飛びかかった。そして麻痺で動けなくなっている聖騎士を優先して殺そうとする。
そして、妖蓮花の魔装士が倒れる聖騎士の一人へと剣を突き出し―――
「させないよ?」
「ぎゃああああああああ!?」
その魔装士の右腕が斬り飛ばされた。
彼の正面に立っていたのは貴公子を思わせる一人の聖騎士。あまりにも有名であり、ここにいる誰もが認知している最強の男。
「ば、馬鹿な! なぜここにセルスター・アルトレインがいるんだ!」
Sランク魔装士にして、覚醒を果たした最強の聖騎士。
アルタに残っているハズのセルスターが、この場所にいたのである。影も形も見えていなかったし、膨大過ぎる魔力も感じ取れなかった。まるで転移でもしたかのように、この場へと現れたのである。
「フフフ。僕の副長は非常に優秀でね。君たちを出し抜くことが出来たよ」
「称賛を頂き光栄ですよ団長」
セルスターの言葉に追随し、その側へと副長も現れる。
この静まった戦場で、セルスターとその副長は非常に目立った。突如として現れた、嵐の如き魔力を纏うセルスターが目立たないはずがない。
「に、逃げるぞオオオオオオオオオオ!」
「逃がさないよ?」
偶然にもセルスターの側で戦っていた妖蓮花の魔装士が、逃げようとして背中を向ける。だが、セルスターは無慈悲にも魔装のレイピアで背中から心臓を穿った。
「ぎゃっ!?」
一撃で命を奪われ、魔装士の男は倒れる。大量の血が飛び散り、セルスターはピッと血糊を払う。心臓を貫いた瞬間が見えた者は、この場に一人もいなかった。
「速すぎる……」
静寂の中、誰かの呟きが聞こえる。
しかし、セルスターはそれを無視して副長に告げた。
「結界の用意を。一人も逃さないようにね」
「御意に」
副長が何かの魔道具に向かって小さく呟く。すると、この周囲一帯が青白い結界に覆われてしまった。聖騎士複数名が同時に陽魔術を使うことで発動できる大結界である。
この場に集まった闇組織を一人も逃さず滅するため、副長が用意したのだ。
そして副長は静まった闇組織の魔装士に向けて、笑みを浮かべつつ告げる。
「状況を理解できないあなた方のために、少しだけ解説しましょう。私の魔装は領域型……有する能力は転移です。どんな遠距離でも、魔力の限り瞬間的な移動を可能とするのです」
その能力によってアルタからセルスターを呼び寄せ、さらに大結界を張る聖騎士を配置したのである。
―――バチッ……
「ん……?」
セルスターは上空で何かが弾ける音を聞いた。それはこの場にいる誰もが同じであり、セルスターに従うようにして皆が視線を上げる。
そこでは白い光が弾け、空気を叩いて音を立てていた。
明らかな魔術、もしくは魔装による雷系の攻撃。
風の第八階梯《