35話 闇を喰らう闇 前編
エリーゼ共和国の首都アルタ近郊で
魔物としては強力な個体が巣を作っているとなれば、普通は混乱が広がるだろう。
しかし、教会は聖騎士団の派遣を発表したのだ。現在はSランク聖騎士セルスター・アルトレインがやってきているということもあり、余剰戦力が生じている。なので、アルタ大聖堂に所属する聖騎士を派遣することが可能なのだ。
そのことを知った市民たちは、安心したのである。
また、出立時に行進を披露したことも要因の一つなのだろう。
「ボス、情報は正しいみたいですぜ?」
「封印の聖騎士はやはりいないか?」
「ええ、確認できません」
「よし……それなら作戦続行だ」
「了解ですボス」
闇組織・火草のボスは静かにほくそ笑んでいた。先代のボスを聖騎士の粛清で殺され、彼らの組織はずっと教会を恨んできたのだ。今回のことは、その復讐に使える絶好の機会。
初めはSランク聖騎士セルスターを警戒していたが、その本人はアルタに残るという。市民を安心させるために、最高戦力は残しておくと言うのが教会の発表だった。
「愚かな奴らだ。戦力は使ってこそ正しい。使わない金が紙切れなのと同じだ。そうだろう?」
「仰る通りで」
火草のボスは鼻で笑いながら側近に同意を求める。すると側近も同じ考えだったのか、ニヤリと笑いながら肯定した。
確かに、
むしろ最高戦力で一気に叩き潰すのが正解なのだ。
だからこそ、ボスも側近も鼻で笑ったのである。
「配置はどうだ?」
「既に完璧ですよ。俺たちが願った復讐です。部下共も気合が入っていますよぉ?」
「クックック。最高だ」
「出て来た聖騎士の数は三十人。俺たちの戦力はCランクからAランクまでの魔装士が五十人。しかも
余裕の表情を浮かべる側近に対し、ボスは同意しつつ頷く。
まさかこれが教会による罠だとも知らず、そして赤爪が横槍を狙っているとも知らず、二人はグラスに注いだワインで乾杯するのだった。
表通りに面した、とある建物の最上階での話である。
◆◆◆
アルタからそれなりに離れた小さな森。
そこに
更に、それを遥か遠くから観察する大きな集団もあった。
「ケケ……どうだ?」
「思った通り、奴らは巣に向かってますなー」
「馬鹿な奴、ケケ」
火草の魔装士をまとめる役を買ったのが、Aランク魔装士ゴールディだった。だが、彼には性格的問題があるため、大抵の場合は補佐役がついている。
そして遠距離を知覚できる魔装士が聖騎士を観察し、相手が疲弊するまで待っていたのである。
「そろそろ戦いが始まるっぽいっすなー」
「そうかぁ?」
「魔術陣が展開されていますな。多分、上位魔術」
補佐役の男がそういった瞬間、遠くで爆発音が響いた。恐らくは炎属性第七階梯魔術《
基本的に、魔術というのは高等技能とされている。
魔力を使って強制的に世界を改変する技能であり、イメージが重要とされている。正確には、魔力という意思伝達素粒子によって思考が世界に投影され、それが魔術として発現する。発動段階で展開される魔術陣は、世界が理解できる形にした人間の思考。
大きな魔術を使うほど、とんでもない思考力と速度が必要になる。それを補うための詠唱であるため、これが発達すれば楽にはなるだろう。
とはいえ、現段階では上位魔術を使えることは、イコール秀才なのだ。
「ケッ! 教会の奴らは良い身分だよなぁ? 最新の魔術を使えてよぉ」
「魔術師の研究も全て提出を義務付けていますから。ま、国に登録している魔術師限定ですけどなー」
魔術師は学者の面も強い。
魔術について研究し、より簡単に魔術を発動したり、既存の魔術にアレンジを加えて扱いやすくしたりと、様々な研究をしている。そして、神聖グリニアとその属国では、魔術師の研究が提出義務として指定されているのだ。
つまり、裏組織が魔術を研究することには意義がある。
そうすることで、大きな力を獲得できるからだ。
意外と、魔術の世界はまだまだ先が残されている。上位魔術の更に上、極大魔術、戦術級魔術、戦略級魔術となれば、下手な魔装士よりも力になる。戦争のためにも魔術研究は必須なのである。
そういう意味で、魔術の研究成果を集約している神聖グリニアは効率的と言える。
「おやおやー?
「さっきの上位魔術のお蔭かぁ?」
「そうみたいっすなー。でも、今ので
「ケケケ!
遠くでは八体の
もしくは、遠距離から一方的に
「準備しやがれ。包囲網を構築しろ」
「分かりましたよゴールディさん」
「ケケケケケケ。宴の始まりだぜ! なぁ、お前らぁ!」
『おおおおおおおお!』
小さな歓声が上がり、火草の魔装士たちはそれぞれの魔装を展開した。
これから先代ボスの仇を討つ。
彼らの頭にはそれしかなかった。
まさか、自分たちが監視されているなどと思ってもいなかったのだ。
◆◆◆
かなり離れた場所で、シュウとアイリスは全てを観察していた。そこは大きな樹木の上であり、シュウもアイリスもその太い枝の上に立っていた。
場は完全に整っていた。
「まさか『鷹目』のやつ……ここまでやるとはな」
「凄いですねー」
こうして混戦しているからこそ、四つの勢力が逃げずに争う状況が続いているのだろう。流石にこれだけの魔装士がいるのだ。揃っている闇組織の中には、周囲に色々な魔力が点在していることを察知している者もいるはずである。
しかし、あまりにも混戦状態なので、逆に疑う余地がないのである。
敵の闇組織の魔力すら、味方の別部隊だと勘違いしているのだ。
「あれが一人のもたらした情報で引き起こされたとなると恐ろしいな。ある意味『死神』より怖いぞ」
「なのですー」
そう言うシュウもまんまと金で釣られているので、あまり強くは言えない。そして、『鷹目』はこれだけの組織を手玉に取っているのだ。最悪、シュウたちも騙されているか重要な情報を隠されていると考えた方がいいだろう。
だからこそ、魔力感知も届かない距離で観察していたのである。
「それにしても不思議なのです。なんで円形の水で遠くが見えるです?」
「空気と水では光の屈折率が違う。それを利用して、遠距離の光景を眺めることができる。本来はガラスとかでやるんだけど、上手く二つのレンズを使うとこんなこともできる。水を操る結合魔術と移動魔術の応用だな」
「サッパリわからないのですよ」
「だろうなー」
正確には光を操る振動魔術でピントも調整している。
だが、どうせアイリスには理解できないので敢えて何も言わなかった。
「火草は既に包囲網を完成させている。南東には赤爪、東側に妖蓮花。そして北からは俺たち。他にも組織があるかもしれないな?」
「シュウさんでも感知できないのです?」
「まぁ、最悪の場合に対応できる魔法って手段がある。大抵は大丈夫だろ」
シュウの持つ死魔法は様々な応用が利く。何故なら、生物を殺す力ではなく、エネルギーを完全に奪い取る力であるからだ。
魔力すら、殺せる。
「あの真っ黒の魔術は使わないです?」
「《
「そーですねー」
「俺が使うとすれば《
だが、シュウはあまり戦うつもりがない。力を見せるとすれば、聖騎士団の切り札セルスターが現れてからである。
火草、赤爪、妖蓮花の三つを誘い出してSランク聖騎士セルスターが一網打尽にする。
それが今回の作戦で最も重要な部分だ。
そしてシュウの狙いはセルスターのみ。
他の闇組織には興味がない。
だからこそ、聖騎士団と三つの闇組織による三つ巴の戦いはアイリスに任せるのだ。
「風の第八階梯《
「あれですか? う~……失敗するかもしれないですよ?」
「それならそれでいい。今回は実験だ。それに、規模を広げるために俺も手助けする。失敗はない」
第八階梯とは極大魔術と呼ばれる大魔術だ。広範囲で高威力な電流を流すのが《
「……そろそろか」
シュウは遠くに目を向け、水で出来たレンズを調整した。ピントが合い、遠くで聖騎士に襲いかかる火草の姿が見える。既に
別の場所へと視点を移せば、赤爪が隙を窺い、更に妖蓮花がもっと大きな視点で隙を伺っている。
「乱戦が始まる。アイリスは詠唱を始めろ」
「はいです」
アイリスはシュウの言葉に従い、まだ一度も実戦使用したことのない《
ただ、極大魔術とまで言われる魔術は発動に時間がかかる。
その間、シュウも右手を翳して分解魔術の用意をする。これによって分子結合から電子を抽出し、アイリスの助けとするのだ。その右手の先から青白い魔術陣が発生した。
「アイリス、落ち着けよ。電気を発生させるのは電子だ。雷とは意味の分からない現象じゃない。電子が暴れまわり、空間を蹂躙する姿を思い浮かべろ」
「―――――――」
「詠唱には意味がある。それを感じ取り、思い浮かべ、思考に乗せろ」
魔力とは通路だ。
自分の思考を乗せて運ぶパイプである。
同時にエネルギーの形でもあるため、それを魔術に応じた形に変えなければならない。アイリスはそれに集中している。
(それにしても……)
シュウは同時発動させている遠見の水系魔術で混戦中の場所を眺めつつ、とある人物を探した。
(セルスター・アルトレインの姿が見えない。作戦上、奴は必ず現れるはず。あいつは……一体どこに隠れているんだ? 仮に認識阻害にしても強すぎる)
姿の見えないSランク聖騎士に、シュウは不審さを感じるのだった。