30話 教会の粛清
エリーゼ共和国の東にある都市。
まだ日も高いスラム街は騒然としていた。何故なら、ここにいるはずのない聖騎士がやってきたからである。狙いは当然、不正に魔装士を抱える闇組織だ。
「ぐああああ!?」
身体に幾つも穴をあけられた大男が床に倒れる。
四肢を含め、腹や胸にも複数の穴が穿たれていた。正確に急所を避けており、男は流血こそすれ死ぬことが出来ない。
「畜生……なんで魔装が使えねぇ……ぎゃっ!?」
「魔装士は聖騎士、または軍所属でなければならない。エル・マギア神に与えられた魔装の力を一般人が自由に振るうことは許されないことだよ」
「く……そ……」
Sランク聖騎士セルスター・アルトレインは闇組織に所属する男を追い詰めていた。こうして急所を避けているのは、情報を搾り取るためである。
彼に拷問の心得はない。
だが、所詮は野良の魔装士だ。痛めつければ幾らでも情報を吐くと考えていた。
「最近、ちょっと羽振りの良い闇組織について教えてくれないかな?」
「知らねぇ。俺は実働部隊だ。そんな情報なんて知らねぇよ!」
「嘘はいけないな」
「ぎゃああああああああああ!」
セルスターは魔装のレイピアを突き刺した。大男は痛みで悶える。
Bランク魔装士である大男は、自分の魔装が使えないために反撃できずにいた。こうして一方的に痛めつけられ、プライドはボロボロである。
所詮は雇われであり、闇組織に恩もない。
売れる情報があるなら売っている。
それが偽らざる大男の本音だった。
「うーん……もしかしてホントに情報を持っていないのかな?」
流石にセルスターも大男から情報を得るのは難しいと思い始めていた。
魔装のレイピアを引き抜くと、血が噴き出る。
血を流し過ぎたのか、大男もぐったりとしていた。
どうしようかとセルスターが思案していたところに、部下の聖騎士がやってくる。
「アルトレイン団長、裏が取れました。ここの組織は麻薬取引を細々と行っていた程度のようです。栽培地を抑えましたから、解決しました」
「ん、早いね」
「神子姫様の予言で冥王が潜伏していると思しき国がエリーゼ共和国だと分かっていますから。既に各教会に通達し、情報網を構築しています。そのお陰ですね」
「なるほど。前に言ってたね」
セルスターを隊長とする封印聖騎士団は冥王アークライトの捜索及び討伐任務を受けて以来、各地を回って情報を集めていた。しかし、数か月経っても成果が現れず、本国に問い合わせたのである。
結果、神子姫による予言が行われた。
そしてエリーゼ共和国に死の影が蠢いているという報告を得たので、この国で闇組織を取り締まりながら冥王に繋がる情報を集めていた。
「闇組織もかなり取り締まってきたけど、そろそろ冥王の情報が出てきていいんじゃないかな?」
「残る組織は赤爪、妖蓮花、火草……そして黒猫です」
「大手ばかりだね」
「小さな組織は軒並み潰しましたから。残るは勢力が大きく、我々も掴み切れていません。特に黒猫は実態不明です」
部下の聖騎士は溜息を吐きながら語る。
今回の任務ついでに潰した闇組織は十を超えているのだ。大した力のない小組織ばかりだったが、中には中堅規模の組織も混じっていた。あたりの裏社会事情は大きく解決したことだろう。
しかし、大きな力を持つ大組織は末端を掴んだ程度だ。
すぐに尻尾切りをくらい、本体は逃している。
特に黒猫という組織は尻尾すら掴めない。
「黒猫にはボス『黒猫』を頂点として十人の幹部がいるとされています」
「らしいね」
「尤も、この情報は黒猫の情報屋『鷹目』から売られた情報ですから、正しいかどうか不明ですよ」
「身内の情報すらお金に変えるなんて……ちょっと理解できないからね」
「信憑性は高いと言えません」
情報を買ったと言っても、教会が買ったわけではない。
他の闇組織が黒猫に関する情報を『鷹目』より買収し、教会がその闇組織から黒猫についての情報を得たのだ。あまり信憑性が高いとは言えない。
「エリーゼ共和国で活動していると思われる黒猫幹部は先程も出た『鷹目』、そして『死神』ですね。赤爪や妖蓮花、火草も活発化しています。黒猫が西側から進出してきた影響でしょうか」
「近い内に大抗争が起こってもおかしくない……か」
「はい」
「だとすれば、僕たちも向かおう。聖騎士が滞在するだけで、闇組織は動きにくくなる」
「向かうとは……どこへ?」
その問いかけに対し、セルスターは笑みを浮かべつつ答えた。
「勿論、首都アルタ……だよ」
◆◆◆
暗殺を終えたシュウは、翌日の昼に例の酒場を訪れていた。アイリスを伴い、カウンター席に座って『死神』のコインを置く。
すると、すぐにマスターが手に取って軽くチェックした。
コインを返却された後、札束の入れられた封筒を渡されたので、シュウはそれを受け取った。
「数えなくていいのか?」
「纏まった金があれば十分」
「そうか」
正直、面倒だったので金は数えない。そのことにマスターは軽く溜息を吐いた。
そしてアドバイスとばかりに忠告する。
「アンタを試すつもりで色々やったが……今代の『死神』は不用心すぎる」
「……そうか?」
「普通、暗殺は報酬が先払いだ。そして報酬が足りなければ暗殺は実行しないってぐらいのスタンスが丁度いいんだよ。それに比べ、アンタは報酬は後払いでも文句言わねぇし、金も数えねぇし……どこかで痛い目に遭うぜ?」
「なるほど」
小声の忠告は、シュウの中で大きく響いた。
確かに裏社会で生きる上で、かなりルーズな考え方をしていたらしい。折角、暗殺の仕事を終えたのに報酬が払われないなどということがあれば、困るのはシュウだ。
元々、依頼主は『死神』の暗殺技術を利用したくて金を払っている。黒猫が拠点にする酒場でも、黒猫メンバーのお蔭で大きな金が入っているのだ。
先払いを要求しても、それは正当なものだと言える。
少し考えが甘かったとシュウは反省した。
「マスターもそんなことを教えて良かったのか?」
「何、今代の『死神』は優秀すぎるようだ。少し恩を売っておけば良いと思ったまで」
「その恩、少しは覚えておこう」
シュウは頷きながらそう言う。すると、恩を売った甲斐があったとでも思ったのか、マスターもニヤリと笑みを浮かべた。
「じゃあ、軽めの食べ物と度数の低い酒をくれ」
「あ、私も同じものが欲しいのです」
「いいだろう。報酬が手に入ったのなら、ちょっと高い酒に手を伸ばすのはどうだ?」
「面白い情報でもくれるなら」
「商談成立だ」
マスターはそれを聞いて、棚からボトルを取る。そしてランプの明かり越しに中身を確かめた後、封を開いた。綺麗に磨いたグラスにそれを注ぎ、シュウとアイリスの前に差し出す。
「飲みながら聞くといい。丁度今は客もいねぇ。際どい話でもしてやるさ」
まだ昼間だからだろう。
マスターの酒場は夜の雰囲気が良い店なので、昼間は滅多に客が来ない。今日はシュウとアイリスの二人だけだった。
つまり、裏社会に触れるような際どい話題でも、盗み聞きされる心配もない。
マスターはフライパンに油を引き、ソーセージを乗せながら話し始めた。
「最近、裏組織が幾つも潰されているのは知っているか?」
「いや」
「知らないのです」
「だろうな。潰されているって言っても小さい組織だ。知らなくても仕方ねぇ。だが、中には中堅どころの組織も潰されている。魔神教による粛清って奴さ」
シュウはグラスの酒を一口含み、マスターの言葉を吟味する。
つまり、聖騎士によって裏組織が次々と潰されていると言うのだ。なぜ、急にそんなことを始めたのかが気になる。
不正に魔装士を抱える裏組織、また犯罪を平然としてくる裏組織を粛正することは教会として間違っていないし、それ自体はおかしなことではない。
だが、幾つも潰す勢いで粛清をしているとすれば、何か理由があると考えるべきだ。
その考えられる理由の一つをアイリスが呟く。
「予言で何か不吉な結果が出た……とかです?」
「かもしれんな。何せ、Sランクの聖騎士が動いているそうだ。封印聖騎士団を率いるセルスター・アルトレイン。聞いたことねぇか?」
シュウはピンとこなかったが、アイリスは知っていたらしい。
驚いた声を上げた。
「本当なのです!? あのSランク魔装士セルスター・アルトレイン!?」
「強いのか?」
「当然なのです。神聖グリニア本国が誇る最高の聖騎士に数えられる人物なのです。
それを一人で討伐したという。
噂なので尾ひれがついている可能性もあるが、そんな噂が立つほど強いというのも確か。
「そんなSランク聖騎士がただの闇組織粛清に……?」
シュウはそんな疑問を浮かべる。
その疑問はマスターも同意だったのか、頷きながら口を開いた。
「怪しいと思わないか?」
「怪しいな」
「だろう?」
そう言いつつ、焼き終えたソーセージをさらに乗せてシュウとアイリスの前に置く。それにアイリスがフォークを突き刺し、かじりついた。その間、シュウはマスターに問いかける。
「黒猫も狙われているってことか?」
「かもしれんな。だが、大きな裏組織は残されている。黒猫以外にも
「聖騎士によってどこかの組織が崩れたら、勢力を伸ばすチャンスだ。だが、聖騎士に狙われる組織が自分たちでないとは限らない。教会の目的を探るのに必死って訳か?」
「そういうことだ」
自分にも関係のあることなので、少しだけ真剣に考える。
ソーセージを口に放り込み、酒を口に含んだ。
だが、丁度そこにマスターが爆弾を落とす。
「案外、大きな事件でも追っているのかもな? 例えば、ラムザ王国首都滅亡の事件とか」
「ごふっ! げほっげほっ!?」
「おいどうした?」
「さ、酒で咽ただけだ……」
心当たりがあり過ぎた。
冥王アークライトと魔女アイリスと言えば、魔神教が是が非でも殺したい二人に挙げられるだろう。それが原因でSランクの聖騎士が派遣されているとすれば、納得できる。
同じくアイリスも目を見開いていた。
シュウとアイリスは軽く目を合わせつつ、無言で会話する。
(セルスター・アルトレイン……狙っているのは俺たちだと思うか?)
(可能性はあるのですよ)
(近い内に国を出るか……)
(はいなのです)
テレパシーでアイリスと話し合い、逃げることで合意する。シュウも王の魔物へと至り、魔法を会得するに至ったことで大抵の相手には勝てると思っている。だが、無闇に強者と戦う趣味はない。
アイリスもいるので、逃げられるなら逃げた方がいい。
「興味深い情報を感謝するぞマスター」
「おう。俺の店も贔屓にな」
シュウは先程手に入れた報酬からお札を抜き取り、マスターに渡したのだった。