29話 死神の金策
シュウとアイリスが首都アルタに来て数か月が経った。かなり何事もなくゆっくりと過ごせているが、仕事がないのは相変わらずである。
まず、住民登録がないので家を買うことも出来ない。仕事にも雇って貰えない。だから定期的な収入もなく、宿代だけは積み重なっていく。
つまり、金がなかった。
「よし、稼ぐぞアイリス」
「なのです」
「いや、お前は留守番な」
「ですー!?」
シュウの仕事は暗殺だ。これから酒場へと行き、『死神』として働くつもりである。暗殺についてはアイリスを連れて行けないので、お留守番は確定だった。
流石にそれは理解しているのか、アイリスも仕方なさそうに納得する。
「仕方ないのです。大人しく待っているのですよー」
「そうしておけ」
「あ、それなら今晩もベッドを温めておくのです」
「だから寝る場所は別だ」
「えー……」
少し残念そうにするアイリスから背を向け、シュウは宿の扉に手をかける。最近はアピールも積極的になってきたので、そろそろ寝込みを襲われるかもしれないと思い始めていた。
尤も、襲われても撃退できる自信はあるが。
「今晩の内に仕事をこなす。先に寝てろよ」
「はーい」
そのまま扉を開け、シュウは宿の廊下へと出た。
今は夕食時も終わり、これからは仕事終わりの男たちが酒を浴びる時間となる。そんな時間に可愛らしいアイリスを連れ出すのは色々と目立つ上に面倒事が起きるのだ。そういった意味でも、彼女は留守番である。
今宵、数か月ぶりに『死神』が動き出した。
◆◆◆
黒猫が拠点にしている酒場へと向かうと、かなりの男たちが盃を煽っていた。騒ぎ合い、今日の疲れを吹き飛ばしているのかもしれない。既に酔いが回っているのか、顔を赤くしている者も多かった。
そんな中で、シュウは足音もなくマスターの目の前へと向かう。
頭に傷のあるマスターはシュウを一瞥した後、手にしていたカップを拭き始めた。
(コイツを見せるんだっけ)
ポケットから『死神』のコインを取り出し、マスターの前に置く。するとマスターはそれを受け取り、表と裏を精査した。どうやら本物かどうか確かめているらしい。
そして本物だと判断したのか、小さなメモと共に弱い酒を差し出して来た。
「読めってことね……」
小さな声で呟きつつ、シュウはメモへと目を通す。そこには暗殺対象の名前と地位、身体的特徴、報酬、あとは住所も記されていた。
このままメモを持っていきたいところだが、それは恐らくマナー違反。
仮にシュウが捕獲された場合、メモが証拠となる場合だってあるのだ。
記憶して返却するのが定石だろう。
そう判断して、シュウはメモだけ返却する。
(よかった。正しかったみたいだな)
マスターは僅かに笑みを浮かべてメモを受け取った。
忘れない内に仕事へと取りかかろうと考え、シュウは出された酒を飲み干す。それ程の量でもないため、酔うはずがない。尤も、魔物が酒に酔うかは不明だが。
そしてシュウは立ちあがり、やはり音もなく酒場を後にした。
まだ人通りのある夜の道を歩きながら少し考える。
(今回のターゲットも議員関係か。しかも暗殺対象は議員本人じゃなく、その娘と妻。依頼人は復讐が目的なのかな? 本人じゃなく、家族を狙うあたりが陰湿っぽい)
この国ではよくあることだ。
敵対する派閥の議員に刺客を送り、家族が傷ついたり死亡したりする。その復讐として暗殺者を送りこむなど日常茶飯事とまでは言わずともありふれた出来事だ。勿論、議員たち上層部での話だが。
(ま、こういう国柄だから闇組織が動きやすいんだろうな。金持ちの顧客が多いし、依頼も尽きない。そして片方の派閥が全滅しない様にバランス調整すれば、いつまでも儲けることが出来る。取り締まる聖騎士も大変だろうな)
自分のことは棚に上げて、そんなことを考える。
なにせ、そう言った議員たちのドロドロした政争が繰り広げられているお陰でシュウは儲かっているのだ。あまり文句は言えない。
「さて、夜中になるまで隠れていようか」
魔力と気配を可能な限り消し、流れるように人混みへと消える。
道行く人はシュウを見ても数秒後には忘れてしまうだろう。そのぐらい、上手く溶け込んでいた。
闇夜の暗殺劇が、再び始まる。
◆◆◆
この国では暗殺が簡単に決行される。
気に入らないから暗殺。派閥の邪魔になるから暗殺。裏切ったから暗殺。役に立たないから暗殺。復讐のために暗殺。
理由は様々だが、碌な理由ではない。
だが、『死神』のシュウにそんな感情移入はない。確かに善人や無関係の人物を暗殺のターゲットにするのは心も痛むが、所詮は人間の話。魔物であるシュウからすれば『可哀想に。でも仕方ないね』で済んでしまう。
結局は他人事なのだ。
「そろそろ行くか」
今夜のターゲットは二人。
とある議員の妻と娘だ。この二人を殺害すれば、合わせて百万マギの報酬がもらえる約束となっている。ちなみに、失敗して片方だけの暗殺となった場合、半額の報酬は貰えるそうだ。
ともあれ、失敗するつもりはない。
魔術を使ったり霊体化すると魔力光で気付かれるため、実体化したままジャンプで屋敷の塀を乗り越えた。暗殺を警戒した警備兵はいるものの、魔力感知を使えば気付かれないタイミングで侵入できる。
(よし、成功)
後は一瞬だけ霊体化し、壁をすり抜けて屋敷に入る。塀の外は通りなので警備兵による人目があるものの、塀の中に入ってしまえば幾らでも死角があるのだ。
霊系魔物としての本性が役に立つのは侵入後だったりするのである。
そして下調べなど全くしないシュウは、侵入後に虱潰しでターゲットを探す……
――――前に適当な使用人を確保した。
「うぐっ!?」
「ハイハイ静かにな」
振動魔術で音を封鎖し、廊下に引き倒す。そして上から体重かけつつ使用人の体を抑え込んだ。これで動けないだろう。加重魔術で封じても良いのだが、床が抜けると困るので止めておいた。
「この家の奥さんと娘はどこにいる?」
「な……なっ!?」
「質問に応えろ」
使用人の男はそれほど地位が高いわけではないのか、質素な服装をしている。恐らく掃除などの雑用をする人物なのだろう。
「こ、答えるつもりはない賊め! 誰かーーーーー!」
「無駄だ。ちゃんと防音処置をしている」
「いぎっ!?」
音は遮断しているが、近くで叫ばれると煩い。そこで、シュウは容赦なく使用人の左腕を折った。一瞬の激痛の後、男の腕に鈍痛が残る。
必死で歯を食いしばり、痛みに耐えているようだった。
「早く答えてくれ。奥さんと娘の部屋は何処だ?」
「お、奥様とお嬢に何をするつもりだ……」
「そんなことを知る必要はない。早く答えてくれ。尋問は苦手でね。手加減が効かない」
「ぐぎゃああ!」
更に右腕を折られた使用人は痛みで叫ぶ。
しかし、その叫びすら誰にも届かない。
「分かった! 言うから! 言うから止めてくれ!」
早くも心が折れたのだろう。使用人はあっさりと吐いた。
「で、部屋の場所は?」
「奥様の部屋は二階だ。階段を上がって右に三つめの部屋になる。ドアにバラの刺繍が施された布飾りがあるから分かるはずだ!」
「なら娘は?」
「そのもう一つ奥だよ……くぅ……」
悔しそうに涙をにじませる使用人。
とはいえ、これは簡単に無力化されて痛めつけられたことに対する悔しさだろう。議員は貴族ではなく平民であり、使用人は仕えているというより雇われているだけの関係に過ぎない。忠誠心などなく、金だけの関係なのだ。
あっさり吐くのも頷ける。
シュウも彼の言葉に嘘はないと判断したのだろう。
「いいだろう。眠れ」
「く……あ……」
振動魔術で脳を揺らし、意識を失わせた。
そして廊下の端に寄せ、出来るだけ陰になる場所へと隠す。夜中なので、廊下を他の使用人が通っても早々気付かれないはずだ。
シュウはまず、階段を目指して移動する。
別に驚くほどの屋敷でもないため、階段自体はすぐに見つかった。二階に上がるだけなら透過で天井をすり抜ければ良いものの、使用人からは階段を基点にした部屋の位置を教わっている。それなら、初めから階段を探した方がいい。
(運よく他の使用人には見つからないな。まぁ、夜中だしそんなものか)
あの使用人も戸締りなどの見回り役だったのかもしれない。既に世間的には就寝している時間なので、恐らくは間違いないだろう。
電気のない世界だ。
自然と活動時間は太陽に合わせられる。つまり、日が沈むと割と早めに皆眠るのだ。
そんなこともあってあっさりと階段も見つかり、シュウは無音で上がっていく。
(まずは右に三つ目)
上がり切ったシュウは、右を向いてドアを三つ数えた。使用人から聞いた通り、バラの刺繍が入った布飾りもある。ここで間違いないだろう。
透過でドアをすり抜けると、大きなベッドで眠る女性の姿が見えた。
なので死魔法を使う。
生命力が魔力へと変換されて奪われ、シュウへと蓄積された。これで一人目のターゲットは始末完了である。
(あとは娘だな)
隣の部屋だと聞いたので、壁を抜けて隣へと向かうことにする。
部屋自体は先程より少し小さい程度だが、一人用の部屋としては大きめだ。流石、金持ち議員の娘と言ったところだろう。今から殺されるとも知らず、スヤスヤ眠っている。
(せめて苦しまずに殺してやるか……『
死魔法を発動し、生命力を一撃で奪う。
娘は呼吸が止まり、静かな寝息も消えて完全な静寂となった。
依頼完了である。
「帰るか」
こんな夜中なのだ。報告は明日でいいだろう。
シュウはコッソリと部屋を去ったのだった。
◆◆◆
「ただいまっと」
透過で宿へと戻ったシュウは、ベッドでアイリスが眠っているのを確認する。流石にこの時間だ。仕方ないだろう。
シュウは眠るアイリスに近寄り、軽く髪を撫でた。
「んぅ……」
「黙っていれば可愛いのに、普段が残念だよなぁ」
ついついそんなことを口にしてしまう。
シュウもアイリスが可愛いことは認めている。それは客観的に見て事実だろう。だが、あの子供っぽい性格のせいで女としては見れない。
好意を向けられているだけに、返せないのは心苦しかった。
「ま、折角拾ったんだ。アイリスに愛想をつかされるまでは面倒を見ないとな」
小さく呟き、シュウは隣のベッドへと身を降ろす。
霊系魔物なので睡眠は必要ないが、眠ること自体は可能だ。朝までずっと起きているのも暇なので、意識を落とすことにする。
数秒もすれば、寝息が聞こえ始めた。
すると、それを見計らってアイリスがパチリと目を開く。
「……愛想なんてつかしませんよ。私はシュウさんに救われたのです。ずっと一緒なのですよ」
可愛いと言われたことに頬を染めつつ、アイリスは再び目を閉じるのだった。