23話 黒き光
ラムザ王国王都から遥か南の上空。
青く晴れ上がった空の中に、二つの人影があった。
一つは黒髪黒目の青年、冥王シュウ・アークライト。
もう一つは黒髪金目の少女アイリスである。
「うぅ……ちょっと高くて怖いのです」
「その辺の山よりもずっと高い場所にいるからな。けど、遠くまで見渡せていいだろ?」
「景色なんて楽しむ余裕はないのですよー」
アイリスはシュウにしがみついて離れない。自分たちを支えているのはシュウが展開している重力中和用の加速魔術陣だけであり、もしも魔術陣が砕ければ真っ逆さまだ。
ただ、霊系魔物であるシュウは霊体化することで浮遊できるし、アイリスも風の第四階梯《
「それでシュウさん」
「どうした?」
「なんでこんなところにいるんですか? 今日ってシュウさんが王都を潰すって言ってた日ですよ? こんなに遠く離れていいのです?」
その疑問は尤もだった。
具体的な距離にすれば、ここは王都から二十キロほど離れている。上空にいても、王都が小さく見えてしまうほど遠い。
しかし、シュウは平然としたまま答えた。
「問題ない。この位置から超長距離射程の魔術を撃つ。それで王都を滅ぼす」
「え……?」
「
「試射で王都を潰すんですか……」
アイリスもシュウが使おうとしている魔術は全く知らない。
しかし、王都のような都市に壊滅的被害を与える場合、魔術の規模は限られてくる。仮に何発も撃ち込むならば、戦略級魔術で充分だろう。アイリスが知るのは炎の第十階梯《
ただし、流石に二十キロもの超長距離で使用する魔術ではない。戦略級魔術の定義は一発の使用で千人以上を殺害する、もしくは街に壊滅的被害を与えることだ。二十キロもの長距離で使用した場合、着弾点もしくは発動地点にずれが生じて、望んだ効果を発揮できない。適正な射程は十キロ以内である。
勿論、戦略級以下の魔術も同様だ。
ならば、最大射程が二十キロ以上ある禁呪クラスということになる。
「どのくらいの規模です?」
「計算上は一撃で王都が消える」
「はい?」
「一撃で王都が消える」
「あの、聞き間違えました? 王都が消えるって聞こえたです……」
「予想では王都が塵一つなく消滅し、周囲に大規模な気候変動を引き起こすな」
「それ、完全に神呪規模なのです!?」
禁呪が大都市に大きな被害をもたらす魔術ならば、神呪は一撃で大都市を消滅させる上に気候すら変えてしまうレベルとなる。まさに御伽噺でしか聞かない大魔術なのだ。
「……宣戦布告しておいて、遠距離から問答無用で魔術を撃ち込むなんて鬼畜なのです。軍や教会は戦力を集めて王都に集結しているに違いないのですよ。それを一網打尽って……」
「俺は嘘を言っていないぞ。『一月後、俺はこの王都を滅ぼす』と予告したから、予告通りに王都を潰すだけだ。人間どもが勝手に勘違いしたのが悪い」
「うわぁ……なのですー」
シュウは宣戦布告したが、ちゃんと逃げられるようにタイムリミットも設けておいた。一か月の間に逃げれば、誰も死なずに済んだのだ。
だが、人間はシュウを迎え撃つために軍や聖騎士を集結させてしまった。
一言も『王都に攻め入る』とは言っていないにもかかわらず。
「これは戦争だ。俺の配下を殺し、弟子を処刑しようとした人間へのな」
そう告げたシュウは、莫大な魔力を両手に集めた。そして球状の魔術陣を描き、その中に懐から取り出した小石を入れた。小石は球状魔術陣の中心で浮遊する。
「宣戦布告なんて御託を並べたが、本心を言えば単なる仕返しに過ぎない」
次の瞬間、小石を中心にして大規模な魔術陣が無数に展開され、シュウとアイリスの周りを幾何学模様が覆った。それと同時に小石を莫大な魔力で包み込む。
「人が魔物に対して理不尽を強いるならば、俺もそれを返してやる」
小石を包み込む魔力は凄まじく、青白い色から徐々に黒へと近づき始めた。魔力を圧縮すると、その圧縮度に従って黒へと近づいていくのだが、真っ黒にするためには相当な魔力を一か所に集めなければならない。しかし、シュウはそれをやってみせた。
バチバチと黒い閃きが弾ける漆黒の球体となり、広く展開されていた大魔術陣も落ち着いて、元の小さな球状魔術陣に戻った。
「冥府の王が人間どもに教授してやろう」
シュウが左手を王都の方へと翳して狙いを定め、右手は引いて弓を構えたような姿となった。ピンポン玉サイズの黒い球体は、バチバチと黒い雷を引きつつ右手の先で留まる。
「俺に手を出せばどうなるのかをな」
その言葉と同時に五つの小さな加速魔術陣が展開された。バチバチと音を立てる漆黒の球体は、これを発射台として飛び出す。
加速魔術で飛ばすため、しっかりと計算すれば、理論上は星の裏側まで飛ばすことも出来る。
禁忌の大魔術が完成した。
「滅べ、《
小さな小さな黒い破滅は、軌跡を描きつつ飛び出した。
◆◆◆
王都の王城では、丁度テラスで国王と司教が話し合っていた。
「やれるだけのことはした……と思いたいが……」
「問題はございません陛下。幸いにも神聖グリニアからの援軍は間に合いました。特殊な魔装保有者も送って頂きましたから、この通り、戦況はいつでも確認できます」
司教は空中に浮かんだ画面に目を向けつつ、不安そうな国王を励ます。画面には王都の外で陣形を展開している国軍と聖騎士の様子が映し出されていた。
これは遠くを観測して映し出す遠見の魔装を持つ従騎士の力だ。基本的に、聖騎士の配下である従騎士は、特定のことに特化した能力者であることが多い。その尖った力を聖騎士の補佐に使うことで、効率よく運用しているのだ。
「それに、総本山からはSランク聖騎士セルスター・アルトレインを追加で向かわせているという連絡もありました。少なくとも、冥王アークライトの攻撃に耐え切れば勝ちです」
「うむ……うむ、その通りだな」
「ええ、その通りです」
ラムザ王国は神聖グリニアの属国になってから平和を享受しており、現国王はこのような大規模軍事運用を経験したことがない。また、相手が王の魔物という規格外であり、やはり不安だったのだ。
しかし、教会から頼もしい援軍が送られたとなれば別である。
神聖グリニアは教義に忠実であり、属国に対しても最大限の配慮をするので、このような緊急事態では非常に頼もしかった。
それに、頼もしい人物はもう一人いる。
「心配ありませんよ陛下。何があったって、俺がいますから」
「うむ。期待しているぞ、アッシュ・フレンバー」
「ええ、ご期待ください」
国王の後ろに控えた男こそが、ラムザ王国唯一のSランク魔装士アッシュ・フレンバーだった。精悍な顔つきと服越しでも分かる鍛えられた体からは、常に鋭いオーラが放たれている。隠す気のない膨大な魔力が、その力強さを語っていた。
不敵な笑みを浮かべるアッシュの言葉もあり、国王にも余裕が出来たのだろう。
表情から緊張の色が取れた。
「報告します!」
そして国王がリラックスしたのを見計らい、軍の伝令が報告をする。
「全軍、王都周辺に展開が終わりました。現在は冥王の襲撃に備え、最大の防衛を敷いております。発見次第、情報を魔装士部隊と聖騎士隊に通達する情報網も構築終わりました」
「うむ。ご苦労」
「はっ!」
連絡を終えた伝令は下がって、テラスを出ていく。
その気配が消えたのを見計らって、今度は司教が国王に話しかけた。
「この戦いが終われば、陛下は王の魔物を打ち破った英雄です。この国にも、エル・マギア神の大いなる恵みが雨のように降り注ぐことでしょう」
「ふふふ。そう思うか?」
「はい。冥王を討伐すれば、教会も残る魔女を捜索します。その際には国軍の力をお貸しください」
「うむ。そうだな。今回の件で教会には多くの便宜を図って貰っている。その程度ならば、快く力を貸そうではないか」
「ありがとうございます陛下」
これまで見たこともないような大戦力なのだ。
魔装士もAランクを多数投入しているし、まだSランク魔装士のアッシュも控えている。時間が立てば、神聖グリニアのSランク
たとえ王の魔物であっても勝利は揺るがないと、誰もが思い始めていた。
「ん? あれは?」
しかし、それは幻想にすぎない。
テラスにいた誰かが、南の空から飛来する黒い何かを見つけた。天を引き裂くように弧を描く黒い何かは、誰も警告の言葉を発する暇すらなく王都に落ちる。
その瞬間、全ての人の意識が飛んだ。
◆◆◆
遥か南の上空で、アイリスは言葉を失っていた。
現在、王都を中心に黒い半球状のドームが発生して、全てを飲み込んでいたからである。半径十キロの黒いドームによって、王都も周囲に展開していた軍も聖騎士も区別なく飲み込まれ、視界から消失していた。
天まで届く超巨大ドームであるため、遠く離れた場所だからこそギリギリ全容を把握できるレベルだ。
「よし、想定通りの威力だな」
シュウがそんな言葉を呟くと同時に、暗黒色の超巨大ドームは収縮する。そしてドームは弾け、黒い粒子が大量に散布された。
更に、その黒い粒子は全てシュウの所に集まり、シュウはそれらを全て吸収する。
この黒い粒子は高密度の魔力であり、王都を滅ぼしたことで獲得したものだった。
大量の魔力が取り込まれていき、シュウは少しだけ不快感を覚える。
「ふぅ……毎度ながら、一気に魔力を蓄積すると負担がかかるな」
王都を滅ぼし、軍を壊滅させ、聖騎士を始末し、残っていた住民すら皆殺しにしたのだ。獲得した魔力量は膨大で、
それはつまり、進化を表していた。
「新しい種族は……
更に魔力量が増大し、制御能力も上がったようだ。前回の進化から殆ど時間が経っていないにもかかわらず進化できたのは、やはり大都市を丸ごと滅ぼしたからだろう。
シュウがそんなこと呟いた瞬間、今度は暴風が吹き荒れる。
黒いドームが発生していたところへと吹き込むように、大気が動いた。即座にシュウが加速魔術陣を展開して周囲の空気の流れを緩やかにしたので、二人とも飛ばされずに済んだ。
髪がボサボサになったアイリスは、ようやく我に返る。
「な、何なのですー!?」
黒い巨大ドームの跡地は、すっかり更地となっていた。まるで初めから何もなかったかのように、真っさらな土地が出来上がっていたのである。更に言えば、地面は緩やかなお椀状となって抉れており、何かの液体が湖のように溜まっていた。
よく観察すれば、周囲の地面が真っ白な氷に覆われている。
「まぁ、大体は想定通りだ」
「これが想定通りなんですか? もう意味不明なのですよ!?」
「んー……まぁ、一応説明してやる」
シュウの放った魔術の名称は《
単純な威力としては神呪に匹敵する。
物質変換、高密度魔力で保護、反応促進、魔素結界、エネルギーの完全熱変換、熱エネルギー逆変換のプロセス……と魔術を組むことで完成する。
まず、小さな物体を物質変換で反物質に変える。それが空気で反応しないように高密度魔力で保護した結果、真っ黒な見た目になるのだ。あまりにも高密度なため、それが弾ける現象が、黒い雷のように見えている。
そして生成した反物質が一瞬で全て反応するように、反応促進の魔術陣を混ぜ込む。また、反物質の対消滅反応は、エネルギーの殆どが光となって放出されるので、それを全て熱に変換する術式を加える。後は、この熱エネルギーを内側へと閉じ込めるために、魔素結界が発動されるよう組み込んでおくのだ。魔素結界のエネルギーは、反物質保護で使用した超高密度魔力を流用している。
シュウが作り出した反物質はたったの五十グラムだ。しかし、それが全て熱エネルギーに置き換わった場合、TNT換算で二ギガトンに匹敵する熱を生み出す。別の表現をすれば、広島型原子爆弾十万発分だ。これが結界内部で炸裂したことで、大地が抉れ、全てが蒸発したのである。
圧倒的過ぎる物理の暴力は、魔装士が無意識に張っている防御すら破って全てを薙ぎ払ったのだ。
最後に熱エネルギー逆変換によって、黒い結界内部の熱エネルギーを全て魔素に変える。元々、魔力はあらゆるエネルギーに転化できるのだ。逆に、熱や電気エネルギーを魔力に変えることも可能である。
ただし、これは
ただ、一つ言うならば、死魔法のお蔭で魔力消費に悩まされる必要はなくなった。熱エネルギーを死魔法で魔力に変換すれば、簡単に回収できるようになったからである。
死とはエネルギーの消失。
冥王に相応しい力だった。
「変換した魔力は全て俺が吸収する。更に、あの領域は全ての熱エネルギーが消失したから、瞬間的に絶対零度まで気温が下がった。空気が液体化して、抉れた地面に溜まったわけだ。周囲が氷結しているのはその副作用だな。
あと、空気が液体化すると凄まじい気圧変化が起こる。これによって、あそこに大量の空気が流れ込み、暴風が吹き荒れたって訳だ。あの液体空気も凄い勢いで気体に戻っているから、今度は上昇気流が発生するだろうな。それで積乱雲が出来ると思うんだが……もう、ここからは予測がつかない」
「シュウさんの言っていることは殆ど分からないのですよー」
「……まぁ、そうだろうな」
破滅の劫火、凍える絶望。
神子姫の予言通り、冥王は黒き光を以て王都を討ち滅ぼした。一般人も貴族も王族も軍も聖騎士も神官も等しく、冥王の糧となったのである。
まっさらな大地と、異常気象を残して……
・《
反物質を生成、高密度魔力で保護、反応促進、魔素結界、エネルギーの完全熱変換、死魔法を応用した熱エネルギー逆変換のプロセス。
50gの反物質でTNT換算2Gtのエネルギー。広島型核爆弾10万発分相当。半径十キロを半球状に破壊し尽くす。
着弾と同時に、超高密度魔素は全てを大結界として展開。見た目は真っ黒なドームが出来上がる。この内部で対消滅が起こる。
最後に結界内部の熱エネルギーを魔素に変換することで、莫大な熱量を処理した上、吸収する。これによって空間上の熱量が全て奪われ、周囲は永久凍土のようになる。エネルギー逆変換は死魔法の応用。
空気が液体化して地面に滴り、圧力変化で暴風が吹き荒れる。
周囲が異常気象に見舞われる。
大量破壊と魔力回収を同時に行うことで、最終的には魔力も利得となる。
これで1章は終わりです。
次の更新は未定ですが、2章が完成したら投稿します。他の小説も書いているのですが、この小説は完全に息抜きなので、気が向いた時にしか書きません。