22話 人間の備え
シュウ……いや、冥王アークライトによる宣戦布告から二十日。
ラムザ王国王都は荒れていた。恐怖した民衆は次々と王都を脱出したので、目で見てわかる勢いで人口が減っていく。これによって商人も寄り付かなくなり、経済悪化も激しかった。
各地から軍を呼び寄せ、高ランク魔装士を招集し、教会にも協力を要請するが、兵站の面で準備が遅れていたのだ。
「これで幾つの商会に断られたのだ?」
「四十六でございます王よ」
「報酬は充分な量を提示しているのだろう?」
「彼らは金銭の面で妥協しませんが、同時に命を大事にするのです。金があっても、役に立つのは命があるからこそ。それ故、王家への協力ではなく、自分の命を取ったのです。現在、協力してくださっている商会は、昔から王家と懇意にしている一部のみとなっています」
「……そうか」
それを聞いてラムザ王国の国王は溜息を吐く。
このような会議の場で王たる者が取って良い態度ではないが、こればかりは他の文官武官たちも同様の気持ちだった。
やはり冥王による宣戦布告が効いているのだろう。
これを打破するには、どうにかして国民全体の士気を挙げる必要がある。どうにかして、安心を提示しなければ集めた戦力を充分に活かす兵站を確保することが出来ない。
「これも余の不徳とするところか……」
国王の治世は良くも悪くも平凡だ。善政を敷く良い国王なのは間違いないのだが、ラムザ王国を大きく発展させるほど目覚ましい働きをしているわけではない。
数値を見れば先代国王の時より良くなっているのだが、国民がそれを感じ取るのは難しい。
そんな程度なのである。
決して国王が悪いわけではなく、単純に宣戦布告のインパクトが強過ぎたのだ。
「そんなことはございません王よ!」
「陛下の治世はすぐれたものでございます」
「タイミングが悪かったのです」
大臣たちが国王を慰めるが、暗い空気を払拭することは出来なかった。
この場にいる誰もが国王の責任ではないと分かっているのだ。しかし、責任ではないからと言って状況を動かせるわけでもない。あの日から二十日経った以上、冥王が攻めてくる日まではそれほどの期間がない。
ちなみに、一年は十か月に分けられ、一か月はおよそ三十五日だ。
つまり、あと十五日で冥王が来ることになる。
それまでに食料や予備武器、医療器具などすべてを揃えるのは難しい。
「そもそも、王の魔物と交戦した記録自体が少ない。我が国のSランク魔装士アッシュ・フレンバーで通用するのだろうか……」
「東にあるディブロ大陸の七大魔王や、このスラダ大陸に住む不死王ゼノン・ライフはSランク魔装士すら楽に退けるという話ですが、冥王アークライトは生まれたばかりです。倒すことは不可能ではないと教会も言っております」
「それを言っているのは王都の教会だろう? 神聖グリニアの総本山はどう言っている?」
「まだ回答がありません。恐らくは予言の準備をしているのでしょう」
今回の事件に際して、ラムザ王国は神聖グリニアに援軍を要請した。より正確には、教会を通して魔神教会所属の聖騎士を送るよう頼んだのだ。
神聖グリニアにはSランク聖騎士も複数所属している上に、特殊な魔装を持つ従騎士もいる。ラムザ王国だけならば厳しくとも、そこからの援軍があれば希望はあると考えたのだ。
「冥王アークライトは『死』を司ると言っていた。それの対応策も考えなくてはならないな」
「しかし魔導はともかく、魔法に対抗する方法など……」
「
「我が国のSランク魔装士は
「アッシュ・フレンバー殿は未覚醒だ」
「だとすれば、神聖グリニアから覚醒魔装士が援軍として送られてくることを願うばかりか」
具体的な対応策がないゆえに、話し合う内容は全て希望的観測になってしまう。
良くない傾向だが、仕方のないことだった。
王の魔物が使う魔法という力は、概念にまで侵食する。死魔法そのものは『吸命』の延長にある能力でしかないのだが、死の魔力は保有する概念を以て対象を殺すのだ。例え寿命が五十年残っていたとしても、死の魔力に触れれば全ての前提を無視して『死』を与える。
魔装や魔術すらも『死』によって効果を殺されてしまうだろう。
概念に作用するとはそういうことだ。
「これ以上話し合っても仕方あるまい。今日はこれで閉廷としよう」
国王も無駄な話し合いになると悟ったのか、会議を止めるよう宣言する。あと数日、何も進展がなければ王家を逃がすことも考えなければならない。軍の士気は大きく下がるだろうが、敗北の可能性がある戦いの場に王族を伴わせる訳にはいかないからだ。
会議が終わり、王が立ち上がろうとした時、会議室の扉が激しくノックされた。
「何事だ! 既に閉廷であるぞ!」
大臣の一人が声を張り上げたことでノックが止む。
しかし、扉の向こうから一粒の希望とも言える返事が返ってきた。
「神聖グリニアからの返答が届きました!」
それには会議室全体が騒めき、国王も目を見張る。
しかし、国王はすぐに持ち直して再び宣言をした。
「会議は再開する。それと扉を開けよ。神聖グリニアからの返答を聞こう」
すると会議室の大扉が開かれ、衛兵と共に教会からの使者が入ってきた。神官の恰好をした使者は、まず国王に対して跪き、挨拶を述べる。
「王都大聖堂の神官、エレノス・フリオーラと申します。神聖グリニアの首都にありますマギア大聖堂から神子姫の予言、そして援軍の知らせを届けに参りました」
「待っていたぞ! すぐに教えて貰おう」
「かしこまりました」
神官エレノス・フリオーラは懐から紙を取り出し、予言と援軍について語り始める。
それを聞く内に、会議室の雰囲気は徐々に高揚し始めた。
エレノスがすべて読み終わった後、皆が国王に注目する。
「うむ。予言こそ恐ろしき内容だったが、頼もしい援軍が送られた。食料や武器も届けてくれるらしい。兵站の問題もこれで解決だ。神聖グリニアからの援軍は数日後に到着する。追加の援軍はもっと後らしいが、それに合わせてこちらも動く! 良いな!」
『はっ!』
その日、会議は深夜まで続くのだった。
◆◆◆
時は少し前に遡る。
ラムザ王国より遥か北の神聖グリニアでは、神子姫が予言の準備をしていた。彼女の魔装は未来を見る力を持っているが、連続して発動できるわけではない。使用には膨大な魔力を消費するので、使用時には慎重さが問われるのだ。
ただし、今回は王の魔物が誕生してしまったという重要案件である。
予言に値すると司教や教皇は考えたのだ。
「大いなる黒き光が見える」
神子姫は虚空を見つめつつ、感情の無い言葉を吐き出す。
「劫火が破滅を与え、凍える世界が絶望を残す」
司教たちは徐々に頬を引き攣らせ始めた。
「一欠片の骨すら王の血肉となる」
遂には教皇まで目を見開いた。
「全ては冥府の王に捧ぐ晩餐なり」
その言葉を最後に神子姫は倒れた。そしてお付きの女神官が倒れた神子姫を介抱している間に、司教たちと教皇は話し合いを始める。
ベッドで寝かせるために運ばれていった神子姫を横目に、まずは教皇が口を開いた。
「……あのような予言は生まれて初めてだ」
教皇はそれなりの歳だ。これまで何度も予言を聞いてきたことがあるし、街壊滅の危機を知らせる予言も聞いたこともある。
しかし、今回のように悍ましい予言は初めてだった。
「これが王の魔物というわけか」
予言の言葉をそのまま解釈するならば、恐ろしい力によって全てが薙ぎ払われるということになる。重要なワードだと思われる『大いなる黒き光』については不明だが、ただ不吉さを表しているだけとは思えなかった。
「『劫火が滅亡を与え、凍える世界が絶望を残す』とは?」
「何かの魔術を表しているのではないか?」
「まさか禁呪……」
「炎の第十二階梯《
「呑気にそんなことを言っている場合か!? 禁呪だぞ! たった一度の発動で一万人以上を殺すと言われている大魔術だ!」
「大都市すら壊滅に追い込み、地形を変えるとも言われております。しかし、今の人類で単独発動が可能な者はおりません。大魔術師団を持つ帝国ならば、部隊として発動可能かもしれませんが」
「……どちらにせよ、軍隊が意味をなさない可能性が高まったな」
第十一階梯から第十四階梯は禁呪と呼ばれており、人類の中で単騎発動が可能な者は存在しない。莫大な魔力と集中力、魔力制御の精密さを求められるからだ。数十人単位で力を合わせれば発動も出来なくはないが、それでも時間がかかり過ぎる。
禁呪が敵味方関係なく周囲を滅ぼし尽くすことを考えれば、戦略級魔術と言われる第十階梯の方が扱いやすくて効率的だ。
しかし、今回は相手が軍隊ではない。
王の魔物なのだ。
冥王アークライトからすれば、大規模魔術でも使って一気に殲滅させた方が効率的なのである。逆に、殺すべき対象が冥王と魔女の二人だけというラムザ王国側はある意味不利だ。
下手に軍を集めすぎると運用に困ってしまうからである。
「危機的未来には違いない。既に援軍の聖騎士は派遣してしまったが……追加が必要だろうか」
「送ったのはAランクの聖騎士と従騎士ばかりだ。Sランクも必要だろう」
「ならば覚醒者の方が良いな」
「身体強化でどれだけ急いでも、ここからラムザ王国までは一月かかる。先に送り出した聖騎士たちでさえギリギリなのだ。間に合えば良いのだが……」
彼らが目を逸らしたくなる予言を聞いても対策を練り続けるのは、予言が絶対ではないからだ。
神子姫の予言は拡張型の魔装だ。
人間が本来持つ予測能力を拡張しているに過ぎない。故に、前提条件が変われば暗い未来すら覆すことも可能なのである。予言が見せるのは絶対の未来ではなく、現時点で最も濃厚な可能性に過ぎない。覚醒魔装士となったSランク聖騎士を送り込めば、未来を変えられる余地も生まれる。
今回だけでなく、これまでもこのようにして最悪の未来を回避し続けてきたのである。
「さて、覚醒した聖騎士となると限られてくるぞ」
「彼らの実力を考えれば誰でも構わないと思えるのだが……」
「しかし相手は王の魔物だ。我々からしても未知の領域だぞ」
司教たちは実際に王の魔物を知っているわけではない。文献での知識だけが頼りなのだ。慎重になるのも当然である。
そんな中、数人の司教は一人のSランク聖騎士を推薦した。
「儂は聖騎士セルスター・アルトレインを推す」
「私も同意です。彼の能力ならば、未知の相手でも余裕をもって戦えるでしょう」
「実戦経験も豊富だ。非の打ち所がない」
「なるほど……」
「そう言われれば、彼が適任のような気もするな」
話し合う司教の意見もまとまったと感じたのだろう。
ほとんど口を開かなかった教皇が声を張った。
「では、聖騎士セルスター・アルトレインを呼べ。彼の部隊に特別任務を与え、冥王を名乗る新たな魔物を討伐するように手配する。また、予言のことも含めてラムザ王国には伝言を飛ばすのだ」
シュウ……つまり冥王アークライトが宣言した滅びの日までに覚醒した魔装士を送り込むことは出来ないだろう。しかし、司教や教皇には何としてでも王の魔物を討ち取るという意思があった。
そしてあの日から一か月。
ラムザ王国の王都に、滅びの日がやってきた。