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19話 魔女


 進化した自分について整理をつけたシュウは、アイリスに話しかけた。



「それでアイリス。お前はどうするつもりだ?」

「どうする……ですか?」

「俺が魔物だったのは知っただろう? どうするつもりだと聞いている」



 その質問に対して、アイリスは少し俯く。

 正直、それについて未だに混乱しているところがあるのだ。これまで、魔物は悪であり、滅ぼさなければならないと教えられてきた。しかし、そうと知らずに接してたシュウは、滅ぼさなければならない存在だとは思っていない。

 魔物であったとしても、シュウは違うのだ。

 だが、シュウが仲間の聖騎士を殺してしまったのも事実。

 下心たっぷりの眼で見てくる同僚や先輩後輩はともかく、仲の良い女性聖騎士もいたのだ。そんな人たちが殺されたことは素直に悲しいし、シュウに対しても微妙な気持ちになる。



「私は……一度イルダナに帰るのです。そして司教様に報告するのです」

「そうか」

「シュウさんはこちらから手を出さない限り、何もしてこないと言うつもりなのです。だから、その……」



 アイリスが言いたいことは分かる。

 それが、彼女の見つけた妥協点なのだろう。

 シュウは頷きながら答えた。



「俺も不用意に人間と敵対するつもりはない。正直、俺は都市を一つぐらい滅ぼしてやりたいと思っているけどな」

「え……?」

「この集落は俺なりに愛着があった。霊系魔物は喜怒哀楽が出にくいから表情で分からないかもしれないけど、俺もかなり怒っているぞ」

「そう……ですよね」



 この集落はシュウが管理してきた。ハグレの魔物を狩りながら集落を守り、魔物たちが喧嘩しないように見守ってきたのだ。それを聖騎士によって全て壊された。

 表には出さないが、仕返しで人間の都市を滅ぼしてやりたいと思うほどには怒っている。

 しかし、アイリスは別だ。

 彼女はシュウを魔物という括りではなく、個人を見てくれたのだ。この集落をシュウが管理していると知っていれば、調査殲滅作戦も反対してくれただろうと思っている。だから、彼女が願うならば、この怒りも鎮めて良いと思ったのだ。



「アイリス。お前がいる内は人間に不用意な攻撃はしない。人間でありながら、俺をシュウとして見てくれていた礼だ」

「はい……」



 その言葉を聞いてアイリスは恥ずかしそうにする。

 先の戦闘で好意を伝えてしまったことを思い出したのだろう。

 勿論、シュウもそれについて有耶無耶で終わらせるつもりなどない。少女が自身の心に気付き、言葉に出したことなのだ。シュウもそれなりの誠意で応える必要がある。



「それともう一つだ。俺はアイリスと約束する」

「約束……です?」

「俺は全てを失った。だから、俺にとっての繋がりはお前一人だ。アイリスが俺を危険な魔物ではなく、一人の個人として見るなら……俺はお前を守ってやる。例え全人類を敵に回してもだ」



 まぁ、元から魔物は全人類の敵だけど……と言いながらシュウは目を逸らした。恥ずかしいことを言った自覚はあるのだろう。

 今はアイリスに対して好意を返すことが出来ない。

 知識はあっても、その感情が実際にどういうものなのか理解できないということもある。

 何より、元のポンコツさがあるのでアイリスをそういう対象として見れないのだ。馬鹿な弟子か、可愛い妹ぐらいが限界である。

 それに、結局今は怒りしか湧いてこないのだ。

 アイリスがいなければ、この場で死の魔力を解放して周囲一帯を滅ぼし尽くしたい衝動に駆られるほど、怒りを感じている。

 今のシュウに愛などなかった。

 だから、せめて理性で応答したのである。



「シュウさん……その私は……」

「アイリス」

「……はい」

「また会いに行く。約束は守る」



 進化したばかりで死の魔力をコントロール出来ていないため、イルダナに向かうとしても、まずはこれを上手く扱えるようにならなければならない。死魔法は望むだけで相手から命を奪えるが、死の魔力はまた別だ。

 触れたものを殺し尽くしてしまうので、オーラのように垂れ流している状態では困るのである。



「わかりましたシュウさん。あの、街を滅ぼさないでくれてありがとうございます。私もシュウさんに危害を加えないように、説得してみるのです!」

「そうか、頼む」



 シュウは配下の魔物を失い、アイリスは仲間の聖騎士を失った。

 それでも、互いに傷つけあうことなく、歩み寄ることを決意したのだ。

 お互い、まだ気持ちは整理しきれていない。

 だからこそ、二人は一度、ここで別れたのだった。












 ◆◆◆











 イルダナ大聖堂の神官たちは衝撃を受けた。

 聖騎士二十名という大戦力を投入したにもかかわらず、帰還したのが僅かに一名だったからである。しかも、帰ってきたのは不老不死という破格の魔装を持つアイリス・シルバーブレットだけだ。仮に彼女がその魔装を持っていなければ、全滅していたかもしれないと考えてしまう。



「おお……なんという……」



 イルダナの司教は頭を抱えて大いに悲しんだ。

 それに続き、その他の神官たちも悲痛な表情を浮かべる。

 ここは司祭や司教だけが入れる専用の会議室であり、彼らはエルデラ森林調査作戦の結果を聞いて酷く動揺していた。予言の魔物が力をつける前に討伐しようとした結果、聖騎士たちは一人を除いて戻らなかったのだ。聖騎士は魔神教の中でも大きな戦力であり、それが十九名も一気に失われたとなると、単純な被害換算で考えても甚大なものとなる。



「司教様。それで戻った一人はどこに?」

「まずは休ませました。まもなく、報告のためにやってくるでしょう。聖騎士アイリスから、詳しい話を聞いて状況を把握しなければなりません。しかし……ああ……」



 彼らは敬虔な魔神教信者だ。

 聖騎士はエル・マギア神に選ばれた存在であり、それが魔物と言う邪悪な存在に殺されてしまったと考えるだけで身が引き裂かれそうになる。

 司教など、初めてその報告を聞いた時は着ていた服を引き裂いてしまったほどだった。そして落ち着くまで数時間ほどエル・マギア神に祈り続け、ようやく正気に戻ったのである。

 そして戻ってきたアイリスを休ませている間にイルダナ大聖堂の司祭たちを集め、この会議室に集まったのだ。



「まさか、あの聖騎士ザムス・シュリフまでやられるとは」

「聖騎士ザムスだけではない。あの作戦に従事していた聖騎士は全員が有望な者たちばかりだった」

「まさか全滅とは……」

「本当に『王』がいたということでは?」

「確かに、聖騎士二十名ならば災禍ディザスター級ですら屠れるはず」

「待つのだ。強力な魔物が生まれるのは選択を間違えた時だったはず。あの調査自体が間違いだったとでもいうのか!?」



 正直な所、聖騎士が一人を除いて全滅と言うのは信じられないことだった。一人の聖騎士で一般兵の百人から千人に匹敵すると言われているのだ。聖騎士の中でも特に強い者は、一般兵をどれだけ集めても届き得ないほどである。そこまでいけば、一定以下の実力では太刀打ちできないのだ。

 その例が肉体を水に変化させる魔装士だったザムス・シュリフなのである。



「やはり破滅ルイン級や絶望ディスピア級を想定してSランク魔装士を待てばよかったのでは?」

「今更それを言っても仕方あるまい」

「仮に選択を間違えたのならば、次にあるのは地獄のような光景だという。それに対処するため、今日は集まったのではないのか?」



 そのセリフに誰もが『そうだった』と思い出す。

 元は、今回の作戦も神子姫の予言が始まりだったのだ。選択によっては日常が保たれ、選択によっては地獄がこの世にあらわれる。そして地獄の根源と思われる強力な魔物を始末するために、聖騎士を派遣したのだ。

 仮に失敗したのだとすれば、地獄のような状況が現れることになる。



「その予言が聖騎士の壊滅を示していたのではないのか?」

「確かに聖騎士が十九人も失われたのは痛いが、その程度とは思えない」

「分からぬことがこれほど不安だとはな……」



 司祭たちが頭を悩ませていると、そこで会議室の扉がノックされた。この部屋に呼んでいたのは、作戦で唯一帰還した聖騎士アイリスである。

 ようやく、詳しい事情が聞けると分かり、司教も司祭たちも表情を引き締めた。



「失礼します」



 扉を守っていた神官に通され、アイリスが入ってくる。白い聖騎士の制服を纏い、いつもの残念さとは打って変わった雰囲気を出していた。

 これでも五年は聖騎士をやっているのだ。

 相応の貫禄は出るというものである。



「待っていたぞ聖騎士アイリス・シルバーブレット」

「はい」

「では、報告を頼む。出来るだけ詳しくな」



 司教の言葉に頷き、アイリスは出来るだけ詳細に語っていく。

 エルデラ森林を順調に攻略していたこと、その奥で予想通り魔物の集落を発見したこと、即座に殲滅作戦に入ったこと、そして魔物集落の統率個体についても。



「集落を守っていたのは精霊エレメンタルだったのです」

精霊エレメンタルだと!? 破滅ルインどころか災禍ディザスターですらない!?」

「その通りなのです司祭様」



 驚く司祭の一人に対して、アイリスは冷静に答える。

 いや、高位グレーター級の精霊エレメンタルに壊滅させられたと聞いて誰もが驚いた。しかし、アイリスは更に言葉を続ける。



「そして聖騎士を倒して魔力を獲得し、魔物たちを殺された怒りから覚醒を果たしたようなのです」



 それはトドメともいうべき言葉だった。

 魔物の覚醒……つまり『王』になったということである。

 ただの特殊能力だった魔導は、概念にすら作用する魔法へと至った。



葬死精霊デス・エレメンタルシュウ・アークライト。司る魔法は『死』なのです。ザムスさんは魔法によって一瞬で殺されたのです」

「なんと……」



 司教は呻いた。

 予想はしていたが、最悪の事態である。

 魔物の『王』が誕生してしまったのだ。しかも、司る魔法も凶悪過ぎる。

 右手で目を覆った司教は、皆に聞こえるよう呟いた。



「神聖グリニアへと連絡を取りましょう。Sランクの聖騎士を派遣して頂くのが最善です。全力を以て打ち滅ぼさなければなりません」



 あまりにも衝撃的な事実を聞いて、司教たちは違和感に気付かなかった。『死』という概念を操る存在を相手に、どうしてアイリスが生き残れたのか疑問に思わなかったのである。

 如何に不老不死と言えど、一撃で生命力を全て魔力に変換して奪うシュウの死魔法には対抗できない。アイリスの魔装は魔力の続く限りしか効果を発揮しないからだ。

 気付いていない彼らに対し、アイリスは礼儀も忘れて叫んだ。



「ま、待って下さいなのですよ! シュウさんには手出し厳禁なのです!」



 いきなり叫んだアイリスに対して、皆が訝しげな目を向けた。

 そこで、代表して司教が聞き返す。



「どういうことですか聖騎士アイリス」

「シュウさんは何もしなければ人間に手出ししないと約束してくれたのです。だから、こちらから戦力を差し向けてはダメなのです!」

「……魔物がそんな約束をしたとでも?」

「はい」

「相手は邪悪な魔物です。しかも最も忌むべき『王』です。やはり滅ぼさなければなりません」

「シュウさんは約束を破ったりしないのですよ!」



 五年もの付き合いがあるアイリスはともかく、司教や司祭たちは信用することが出来ない。また、魔物を庇うような発言に対し、アイリスを非難する目で見始めていた。



「聖騎士アイリス。そのシュウという葬死精霊デス・エレメンタルは『王』なのでしょう? 『王』の魔物を殺すことは教義においても優先事項です。何より、魔物など信用できません」

「違うのです! シュウさんは私に魔術を教えてくれた師匠なのです!」



 それはアイリスにとってシュウが信用に足る人物を示す言葉だった。

 しかし敬虔な魔神教信者である彼らは違う。

 アイリスの発言は、反逆の言葉として受け取られた。



「この者を捕らえるのです! 魔物に手を借り、力を得た魔女だ!」

「え……ち、違――」



 ポンコツ少女アイリスはここでミスを犯す。

 自分と司教たちの認識の違いを理解していなかった。もっと順序立てて詳しく説明していれば、せめて話を聞いて貰えたかもしれない。しかし、アイリスは感情のままに、主張だけを先に押し出してしまった。

 聖騎士はその日、魔女となった。












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