18話 魔法
「えっと……その……」
咄嗟にシュウを助けてしまったアイリスは、聖騎士たちから驚愕の目で見られた。魔神教において、魔物は最大の悪だ。人を善、魔物を悪として定義しているため、ここに譲歩の余地などない。
勿論、人間の中にも犯罪者はいるが、悔い改めれば救われると説いているのだ。しかし、どれだけ知性や理性があったとしても、魔物は悪なのである。
だからこそ、悪の根源である魔物を庇ったアイリスに非難の目が向けられた。
「俺たちが納得できる言い訳があるのだろうな?」
「……シュウさんは私の師匠なのです」
「それが理由になると思っているのか!」
怒りを込めたザムスの叫びに、アイリスはビクリと肩を震わせる。アイリスも、どうして咄嗟にシュウを助けてしまったのか自分で分かっていなかった。
理性では魔物であるシュウを倒さなければならないと知っている。
しかし、感情はシュウを助けたいと思っていた。
いや、これからもシュウに魔術を教えてもらいたいと思ったのだ。休日にはイルダナの街で愚痴を聞いて貰いたいと心の底で思っていた。
「シュウさんには死んでほしくないのです……」
しかし、その発言はザムスを怒らせた。
「愚か者が! この魔物は悪だ! 死ななければならない存在なのだ! そしてこの魔物は俺たちの仲間を六人も殺した。決して許されることではない。
ここでコイツを見逃せば、死んでしまった仲間たちに申し訳ないと思わないのか!」
「……っ! それは……」
アイリスも分かっていた。
殺された聖騎士は、アイリスにとっても仕事仲間であり、任務で一緒になったこともある。その仲間を殺されたのだから、確かに思うところはあった。
しかし、それでもシュウを優先したいと思ってしまう。
そんなアイリスの姿を不審に思ったのだろう。
女性聖騎士が不意に尋ねた。
「ねぇ、アイリスちゃん。まさかとは思うけど、その魔物に恋していたの?」
「……………………え?」
(……は?)
その発言はアイリスだけでなく、聖騎士たちが揉めている間に傷の修復をしていたシュウをも動揺させた。
特に当事者であるアイリスはドキリとする。
(わ、わわわ私がシュウさんに恋……? え? 嘘……?)
それを指摘されてドキリとしてしまったのだ。また、否定できない自分がいることも確かである。今までは師弟という関係が頭にあったので、そのことに気付かなかった。
しかし、よくよく思い返せば、自分はシュウに恋をしていたのかもしれない。
そう思えた。
(私、シュウさんのことが好きなのです?)
魔物に襲われているところを助けて貰い、魔術のコツを教えて貰い、休日には一緒に過ごして貰い、それでもシュウはアイリスに対して下心を向けてくることはなかった。
元がポンコツなのでシュウが興味なかったというのもあるが、それは下心ある目で見られることの多いアイリスからすれば、気の許せる相手だったに違いない。
恋心を指摘され、改めて師匠フィルターを外してみると分かる。
アイリスはシュウが好きなのだ。
(顔が赤くなったな)
(あー、あれはマジなやつだ)
(嘘だ……アイリスちゃんが魔物に恋なんて)
(あらら、若いわね)
(よっぽど好きだったのね)
自問自答して急に赤面したアイリスを見て、聖騎士たちは生暖かい視線を送る。
しかし、それとこれとは話が別だ。
「それがお前の答えか。アイリス」
「……ザムスさん。私は――」
「もういい。それはエル・マギア神に対して反逆する罪だ。お前は最早聖騎士ではない。せめて心の内に留め、あの魔物を討伐するチャンスで邪魔をしなければ救いようがあった。
シュウという
少し可哀想だとは思ったが、他の聖騎士たちもザムスに同意した。魔物を庇ったという罪に、情量酌量の余地などない。まして魔神教において高い地位に着いている聖騎士がそれを行ったとなれば、それは重罪に値する。
アイリスもそれは理解しているのか、その場で座り込んだ。
いや、自分の感情に折り合いがつかないということもあるのだろう。
本当のことを言えば、彼女が最も混乱していたのだから。
「捕らえろ。ザックス」
「分かりました」
ザムスは近くにいた聖騎士に命令して、アイリスに縄をかける。
しかし、ここで一人だけ納得できない者がいた。
勿論、シュウ・アークライトである。
(俺のせいでアイリスを罪人にするのは許せないな)
十分な隙があった。
故にシュウは思考力を巡らせる余裕があったのである。
一瞬にして地面に巨大な魔術陣が描かれ、全ての聖騎士たちが範囲に入った。勿論、聖騎士たちはそれに気付くが、止めることも逃げることも出来ない。皆がアイリスに集中していたからである。
ザムスは咄嗟に指示を出そうとしたが遅かった。
「皆、逃げ――」
(《
悲鳴を上げる暇もなく、ザムスとアイリス以外の聖騎士は全て殺される。膨大な魔力がシュウに蓄積され、魔力が急激に上昇し始めた。
その間にシュウは実体化してその場に留まる。
「くっ……」
蓄積されていく魔力が多すぎて、流石のシュウも戸惑った。Aランク相当の魔装士を倒したことで、その魔力を奪い取ったのだ。そうなっても仕方ない。
しかし、仲間を一瞬で殺されたザムスは違った。
「貴様あああああああああああ!」
ハルバードで霞むほど早い突きを放つ。
しかし、シュウは加速魔術陣を使い、ベクトル反転させて衝撃を跳ね返した。ザムスはハルバードを取り落としてしまうが、関係ないとばかりに両腕を水に変換して襲いかかる。
シュウは移動魔術で滑るように回避し、アイリスの隣に立った。
「アイリス! その魔物を殺せ! それがエル・マギア神への懺悔になる。その魔物は聖騎士を十八人も殺した悪だ! 理解しただろうアイリス・シルバーブレット!」
ザムスは敬虔な魔神教信者だ。聖騎士は必ずしも敬虔な信者である必要はないのだが、魔装がエル・マギア神からの祝福であると考えられている以上、魔神教が浸透している地域では強い魔装士ほど敬虔であることが多い。
その一人がザムスであり、シュウのことは決して許されない悪だと認識していた。
しかし、アイリスはそうでもない。
魔装士候補生の頃は落ちこぼれと呼ばれ、魔装士として一流に、そして魔術の使い手として聖騎士になれたのはシュウのお陰だと考えている。
確かに魔神教は信じているが、シュウへの依存の方が高かった。
「……私には無理ですザムスさん」
「なんだと?」
「自覚しちゃったのです。私、シュウさんのことがきっと好き……なのです」
アイリスは隣に立つシュウに目を向けて、ハッキリと口にする。シュウは戸惑ったが、それでもしっかりと目を合わせて聞いた。
(アイリス……)
シュウにはやはり、アイリスに対して恋愛感情はない。世話のかかる妹というのが正直な評価だ。自分は魔物であり、アイリスは人間ということを考えても、断るのが普通である。
しかし、どちらにせよアイリスは魔物が好きだと言ってしまったのだ。
五年もシュウと付き合いのある彼女だからこそ、そう言った答えになったのだろう。だが、普通の魔神教信者からすれば、それは許されざることだった。
「もういいだろう、アイリス・シルバーブレット。貴様は神に反逆した大罪人だ。この俺が直々にこの世から消し去ってやる。俺たち人間を誑かした、そこの邪悪な魔物と共にな!」
身体強化して襲いかかってきたザムスに対し、シュウはアイリスを抱えて移動魔術を使う。移動魔術は慣性すら操るので、アイリスに負担をかけることなく、高速移動で回避した。
「シュウさん!」
「少し黙ってろアイリス。あの聖騎士は俺が片付ける。集落の魔物たちを殺し尽くされた仇だ」
シュウがザムスと戦い、敗北して捕まっている間に集落の魔物たちは全滅していた。逃亡できた魔物も数体ほどいたようだが、千体近かった魔物が全て殺されたのだ。
集落のボスだったシュウからすれば、聖騎士は虐殺者に他ならない。
「この世に生まれて初めて思ったことがある」
前世の
しかし、シュウ・アークライトはこの世界を生きて、徐々に自分を成長させた。
それは力だけでなく精神面も同様である。
知識があったので初めからある程度の理性は獲得していたが、自分自身の根底は形成されていなかった。それが生まれたのは魔物集落のボスとして生活し、またアイリスと接する中でだった。
シュウにとって魔物たちは守るべき存在だった。
家族のような身内だった。
勿論、命を奪って生きているので、逆に殺されても仕方ないとは思う。しかし、このように虐殺されて怒らないわけではないのだ。
その上、ザムスはアイリスまで殺すと言っている。
「この手で殺す。お前が俺から奪うというなら、逆に俺が奪い尽くしてやる」
その瞬間、蓄積され続けていた魔力を完全に吸収した。聖騎士十四名分から得られた膨大過ぎる魔力によって、シュウは新たなステージへと立つ。
「魔物が人間のふりをするなあああああああ!」
ザムスは全身を水に変えて襲いかかってきた。まるでスライムのように体を流動させ、予測不能な動きでシュウを打ち砕こうとする。全身から水が鞭のように放たれ、シュウとアイリスを同時に殺そうとした。
シュウに防御の手段はない。
避ければアイリスが傷つくことになる。
不老不死の魔装を持つので死にはしないだろうが、シュウはアイリスを傷つけさせるつもりなどなかった。
「『
シュウはザムスに手を伸ばし、一言そう呟いた。
その瞬間、全ての生命力が魔力として奪われ、ザムスは即死する。水の魔装も解除され、死体となったザムスは勢いを失って地面に転がった。慣性は残っていたので、シュウとアイリスの間を通り抜けて、遥か後方にある壊れかけの小屋にぶつかり、ようやく止まる。
「
シュウは自分の内側に意識を向けて、自身のことを把握する。無意識に使った『死』の力は絶大で、生物を一瞬で殺すことが出来る。
その圧倒的な力はアイリスすら驚かせた。
「シュウさん……それは……?」
「ん?」
よく見ると、シュウは自然と溢れ出る魔力を纏っていた。それは真っ黒に染まっており、禍々しい雰囲気を発している。まるで黒いオーラを発しているようだった。
それについても、シュウは何となく理解できた。
「これは俺の『死』が魔力に宿っている状態みたいだな。あらゆる事象を殺す力があるっぽい」
「え? 魔力に概念が宿るって……」
「どうしたアイリス?」
それについてアイリスは知っていた。
魔物は特殊な異能として魔導を使う場合があり、シュウのように霊系ならば『吸命』という生命力を魔力に変換して吸い取る――または魔力そのものを吸い取る――能力を持っている。
しかし、魔物は通常の魔力蓄積による進化とは別に、覚醒とも呼ぶべき力の発現があるのだ。
その力を得た魔物は『王』と呼ばれ、魔物の中でも特別視される。
魔神教において、この『王』は最も忌むべき存在として扱われているのだ。
「――その力、それこそが
「なるほど。魔導の先、俺の力が行きついた先が―――」
――死魔法
シュウが『王』として覚醒したことで得た力だった。
主人公の能力が出ました。
死魔法です。
また、これで四つの異能がすべてそろいました。
魔導:魔物の固有能力
魔法:覚醒した魔物の固有能力
魔術:魔力を物理現象に作用させる技術
魔装:選ばれた人間に宿る固有の力