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第093話 空き教室

「……行っちゃったね」

「別にいい。今はほっとこ」

 私はこの場を去っていく黒山君に何と声を掛けていいかわからず、ただ見送っていた。

 マユちゃんは何か考えがあるのか彼の離れていくのを無言で見届けていた。

「……まあいいわ。ところで、この前言ってた件だけど、早速試してもらっていい?」

「はい」

 マユちゃんが肩に掛けていた鞄のチャックを開ける。

 そこに手を入れて少しゴソゴソと音を立てた後、とある物を取り出した。


「場所はどうするの? 立ってるままだと二人とも大変じゃない?」

「そうね……どっか座れる場所があればいいけど」

「……」

 マユちゃんは辺りをキョロキョロ見渡し、すぐ近くの空き教室に視線を定めた。

「あそこ、ちょっと借りよ」

「え、でも」

「大丈夫。使っちゃダメなら鍵掛かってるはず」

「えぇ……」

 マユちゃんがまっすぐ空き教室の扉に向かいガラガラと開ける。どうやら鍵は掛かってないらしい。

「ねえ、本当にいいの?」

「何かあったら私が責任取る」

「いや、それ流石に無理でしょ」

「そもそも滅多に人の来ない場所だし、廊下から見て死角にいたらバレないでしょ」

「うーん……」

 正直抵抗がすごくあった。でも、立ってるままだと厳しいと言い出したのは自分ということもあってこれ以上強く反対するのもためらわれた。

「……そうだね、ここ使お」

 私は既に空き教室に入っていた奄美先輩とマユちゃんに続いて教室の入口を跨いだ。


 マユちゃんが空き教室にあった椅子を三脚、廊下側の方に寄せていった。空き教室を扉の窓からぱっと見ただけでは気付かないような配置だ。

「リン、ちょっとそこの椅子に座って」

「あ、うん」

 マユちゃんはあの第一校舎裏で対話をして以来、私のことを「リン」と呼ぶようになった。

 今まで「リンちゃん」と呼ばれたことはあったものの、こんな風に呼ばれるのは初めてだったから最初の頃は少し戸惑った。「リンって私のこと?」って確認したっけなあ。

 ほんの数日前のことなのに懐かしい気分になっていたのを表には出さず、マユちゃんの指定した椅子に腰掛け、マユちゃんの方へしっかり顔を向けた。

「先輩、ここにどうぞ」

「ん」

 奄美先輩はマユちゃんとすぐに対面し、なおかつ私のすぐ隣の席に着いた。

「それでは始めますが、先輩の方の準備は大丈夫ですか」

「問題ない。始めて」

「はい」

 その奄美先輩の言葉を受けて、マユちゃんが仕事に取り掛かった。



「できました」

 マユちゃんが奄美先輩に手鏡を向ける。

「……驚いた」

 その声を聞き、私も思わず奄美先輩の方を振り向く。

 そこには、先程と見違える雰囲気の華麗な美人がいた。

 肌や唇の色合い、まつ毛の形といった顔の一つ一つのパーツに精緻なアートが施され、元々綺麗だった先輩がますます目立つ存在に変わっていた。


 マユちゃんが考えた案はメイクだった。

 予め断っておくと、奄美先輩が不細工ということでは絶対ない。寧ろ美人だとさえ思う。

 ただ、榊君が好きな相手は私ということなので、見た目の雰囲気を私に近付ければその分榊君が奄美先輩のことを魅力に思うだろうというのがマユちゃんの見解だった。

「榊って人、リンとほとんど関わったことない癖にリンのことを好きだったんでしょ。なら十中八九面食いだから効果はある」

「マユちゃん、いくら事実でもそんなストレートに言うのは流石に……」

「ミユ、別にアレに気を遣うことないんじゃない?」

「ええ、それでいいのかな……」

 メイクの案が出たとき、そんな会話を私達で繰り広げてたなあ。マユちゃんだけじゃなくてサツキの容赦のなさにもビックリしたよ。それと今から思うとミユちゃんの「いくら事実でも」っていうのも少し毒があるような。


 さらにマユちゃんが当時の会話にて次のような補足をした。

「それと、もし榊が先輩に好意を寄せたらリンも多少は楽になると思う」

「……!」

 榊君が私のことに構わなくなる、という意味なのは瞬時に察した。

 榊君本人には決して口に出せないが、彼と関わらずに済むならという思いもなくはなかった。

 球技大会の件が噂になっていることも今となっては時間が手伝って多少慣れてしまったが、最初は学校をしばらく休みたいとまで思ってしまった程だ。サツキをはじめ友達が傍にいなかったら本当に私はそうしてたかもしれない。

 もしも私達の推測通りに事が進んだら、噂の発端となった榊君ともう関わることはなくなる。

 私にそういう下心が全くないとは否定できなかった。


 ともあれマユちゃんが私の見た目を参考に奄美先輩へ化粧を施し、できる限り私に似せた雰囲気を再現するというのが作戦の概要だった。

 実際に化粧道具を用意して奄美先輩へのメイクを担当したマユちゃんだけど、元々手先が器用らしい。

 スタイリストみたいに人の出で立ちをデコレートすることに興味があるとのことで、かつて従妹(いとこ)にも何回か化粧を施したことがあって相当に好評だったとか。

 正直なところ、そんなうまいこと行くのかななんて思ってたけど、今の奄美先輩を見てマユちゃんの技量に恐れをなした。

 私を参考にしたとのことだけど、私はここまで綺麗だっただろうか。その辺りはよくわからなかった。


「スゴい綺麗です、先輩!」

 ここが空き教室ということも忘れて私は声を張り上げた。

「……そ、そう」

 先輩が微妙な表情でそう返した。あれ?

「……これなら榊も先輩のことをもっと見てくれるはずです」

 マユちゃんがそうフォローを入れる。

「そう。あなたのお陰ね」

「どう致しまして」

 マユちゃんは口ではいつものようにぶっきらぼうに答えた。でも、少し横に向けて俯いているその顔には赤さが見られた。こういう所は素直じゃないなあ。


「さて、それじゃ榊君の所に行ってくるか」

 奄美先輩が立ち上がる。その行動の速さ、尊敬します。

「頑張ってください、先輩」

「成功を祈ってます」

 私もマユちゃんも威勢よく向かっていく先輩を応援した。私自身、心の底からこの先輩を応援したくなっていた。

「ええ、改めてありがとね」

 先輩は私達に振り返りニコッと笑い、そして空き教室を出ていった。


 後は、奄美先輩次第だ。


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