第086話 解放
「お、おお、春野、おはよう」
何とか平静を保とうとして、つい朝の挨拶をかます俺。このタイミングでおはようって何だよ。
「うん、おはよう。それでこれは何なの……?」
律儀にも挨拶を返した春野が、さっきの質問を続ける。表情から察するに、少し恐怖が滲んでいた。
そうだった、今俺と奄美先輩がやってる小芝居って春野の身に起こったあの一件とシチュエーションに大差ないじゃないか。
そんなシーンを春野本人が目の当たりにしたらそりゃ怖がるわな。ああ、また春野に余計な借りを作っちまった。
それよりもっとまずいのは、このままだと俺は目撃→通報→逮捕のコース行きということだ。今はまだ目撃の所でバスが停まってくれているので、通報へ向けて発車する前にさっさと降りなければならない。
でも相手はあの春野だ。
今までも俺の冗談に面白いくらい引っかかってくれる、人の言うことを素直に信じる純真な性格の持ち主だ。
ならちゃんと説明すれば理解してくれるか、と楽観的な気分がちょいと顔を出した矢先に
「私らほっぽって何やってんのさ、アンタ」
日高もその場にいることを計算してなかったのに気付きました。
あ、これダメかも。春野はよくても日高は俺の弁明を素直に信じないかも。俺バス降りられないかも。
それでもしっかり説明するしかないかと半ば諦め気味に口を開こうとしたら
「演劇の練習よ。驚かせちゃったかな」
奄美先輩が春野と日高の二人に返答した。
おお……! ちゃんと俺のことをフォローしてくれましたか先輩。正直俺のことを見捨てるんじゃないかって少し疑ってました。ごめんなさい。
先輩は先程のひたすら俺(の演じる役)に怯える演技の状態とは打って変わり、気の強そうな表情を見せて片手を腰に当てながらはっきり通る声で話していた。これなら妙な誤解もされないであろう。
「え、あ、じゃ、じゃああなたが黒山君が今協力してるっていう……」
「ああ。あなた達が黒山君のお友達ってことね」
奄美先輩が壁から背中を離し、春野と日高の近くへゆっくり近づいていった。
「ごめんなさい、彼については用事が済んだら返すから」
奄美先輩、俺はモノではありません。
「あ、ああ、わかりました」
「は、はい」
春野と日高はしどろもどろに答えた。
「まあ、そういうことだから。ちょっと場所変えますか、先輩」
「そうしましょうか」
俺は奄美先輩とともに廊下の方を歩いていく。
「あ、あの!」
春野が俺達の方へ大きな声を上げた。
「用事って、すぐに終わりますよね……?」
「そのつもりよ」
奄美先輩が春野にそれだけ話すと、再び廊下を歩き出した。俺もその横を並んでいた。
そのときの春野がいつもの笑顔を見せず、何かを我慢するような表情になっていたのが何故かわからなかった。
実は昨日の昼休みにこんなやり取りがあった。
いつもよりも早く弁当食うのを済ませ、席を離れようとしたところで
「アンタ、どこ行くの」
と加賀見が質問してきた。まあ、予想通りの反応だ。
安達も俺の方を見てきたので、二人にスマホを向けた。
見せたスマホの画面には奄美先輩によるメッセージが表示されている。
「今日の昼休み、第一校舎の例の場所で打合せするからよろしく」
そんな本文を見たミユマユに対して
「ちょっとこんな用事があってな」
と補足した。
「このメッセージ送ったのって誰?」
「二年の先輩。昨日知り合ったんだけど、その人にちょっと頼み事をもらったんだよ」
「何で?」
「すまん、相手もあまり話を広めてもらいたくないって言うんで詳しくは話せない」
「……ふーん」
加賀見は少しの間黙っていた。
「んじゃさっさと行ってあげたら」
「おう、またな」
加賀見から解放された俺は内心ガッツポーズを決めながらその場を素早く後にした。
そう、奄美先輩へ協力と引き換えに頼んだのは俺の知り合いを納得させるための材料の用意だった。
上の安達・加賀見の話であれば送られたメッセージがそれに当たるし、春野・日高に対してもわざわざ先輩から断っていたのはその一環として先輩が気を利かしてくれたものと思われる。先輩ありがとうございます。めっちゃ助かります。
ちなみに春野・日高には奄美先輩のことを話してなかったのだが、春野の「黒山君が今協力してる」ってフレーズから察するに、あの二人も今の俺の事情をおおよそ把握してるみたいだな。まあ、安達・加賀見から話を聞いたんだろう。
俺はここへ来てようやく学んだのだ。
加賀見は、俺以外に対しては常識的な態度で臨むと。
それはつまり、俺が俺以外の人達を相手にする場合、自分の都合で邪魔はしないということだと。
ならば俺の方で別に友達を作ればいいのかと考えもしたが、あいにく俺はクラスの連中とまともに関わらなくなって久しい。今から急にフレンドリーに接して距離を縮めるのは相当時間を要するだろうし、その間加賀見に邪魔されることは大いにあり得る。
ではどうしようかと考えていた折に奄美先輩と出会い、そして例の協力を持ちかけられたのだ。それを利用しない手はなかった。
無論、それでは俺が誰かと関わる状況に変わりはない。
俺の本来の理想である「誰とも関わらないモブ的な生活」とはいかない。
しかし、今の女子四人と否応なしにプライベートの時間を費やしても関わらざるを得ない状況よりは、先輩一人と利害の一致ありきで関わる方が人数・時間・距離感どれをとってもマシだ。
何より加賀見というストレスの源泉と関わらずに済むのだ。うっかり掘り当てたばかりに対処に苦労させられたがそれももうオサラバだ。
奄美先輩とは目的が果たされたら切れる縁だが、その目的が果たされる見込が不明で、いつになるのかなんてわかる由もない。
俺にとって都合よくいけば一年以上掛かることもあり得る。先輩には悪いけどね。
ところで、何で春野と日高は先輩や俺のいたあんな辺鄙な場所を通りかかったんだろうか。
あそこは一年二組の教室へ行く際に一切経由しないはずなんだけどな。
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