第085話 アドリブ
業間休みとなり例の場所に向かった。
奄美先輩の姿はどこにもない。俺が先に着いたようだ。
念のためスマホで昨日の奄美先輩のやり取りを見て、場所と日時が合ってるか確認していると
「おはよう」
どことなく優雅に響く挨拶が聞こえてきた。
「おはようございます」
俺はスマホをポケットに入れ、声の主こと奄美先輩に挨拶を返した。
「それじゃ、練習始めよっか」
「ああはい、例のシーンの演技でしたね」
奄美先輩が壁際に移動して、壁に背中を向ける。
なるほど、カラんでくる男子側が女子を壁際に追い詰めるってシチュエーションですか。確かにらしい演出ですね。
俺はその奄美先輩と向かい合う位置へ来た。
来たのはいいが、近い。
俺の方が奄美先輩より背が高く、奄美先輩の顔が俺の首と胸の間ぐらいに来ている。
一歩でも手前に寄ったらすぐぶつかってしまうぐらいに距離が近い。
下を見るとすぐそこに奄美先輩のご尊顔が視界のほとんどを占めてしまう。
奄美先輩へ顔を寄せようとすると互いの額が衝突しそうになる。
あんまりここまで人に接近したことがなく窮屈だが、このぐらいしないとカラむ男の役としては不自然だ。
「……思ったより近くに感じるわね、これ」
奄美先輩が横に顔を背けながら感想を述べる。それでも「もうちょっと離れて」と言わない辺り、こちらの意図は察しているようだ。
さて、こんな窮屈な思いのする練習などさっさと済ませてしまおう。これで今日の所は上がりだ。
「んじゃ、スタート」
壁際に寄りかかっている奄美先輩からこんな声が放たれたのを合図に、俺の方から台詞を話す。
「○×△☆♯♭●□▲★※」
「はい、カット」
奄美先輩が胸のすぐ前に両手を勢いよく叩いた。それってドラマ撮影でよく見る「カンッ」て鳴らす道具の代わりですか。アレの名称知らんけど。
「今の台詞、何て喋ってたの?」
「『ちょっと姉ちゃん、付き合えよ』ですけど」
「全然違うよね。発音がさっき発したのと少しも合ってなかったよね」
「ああ、それは自分が昨日考案した言語でして」
「いきなり奇抜なオリジナリティ出してこないで。榊君が聞いても意味わかんないでしょ」
「えー、そうですかね。どんな言語よりも使いやすい自信あるんですけど」
「いいから台詞は全部日本語ね」
奄美先輩が壁に寄りかかったまま、また「スタート」と合図を出した。
「失礼、そちらの見目麗しいお嬢様」
「へ? ……えーと、何でしょうか」
「こちらのハンカチ、先程落とされてましたよ」
「え、いや、これ私のじゃないんですけど」
「おお、そうでしたか。見間違えたようで失礼致しました」
「はあ……」
「しかし、ここでお会いしたのも何かの縁でありましょう。いかがでしょう、もしあなたさえよろしければそこの喫茶店でお詫びに飲み物を御馳走しますよ」
「……カット」
奄美先輩がまたも中断した。掛け声の勢いがさっきよりも明らかに落ちていた。
「ねえ、それ何の真似?」
「真似というか、奄美先輩にカラんでくる男の役を演じたのですが」
「シナリオにはそんな気持ち悪い態度で描かれてなかったでしょ」
「これはまあ、アドリブって奴ですね」
「……ねえ、さっきから気になってたんだけど」
「何でしょう」
「あなた、マジメにやる気あんの?」
「いや特に……本気で成功させたいって思ってますよ、当たり前じゃないですかー」
特に、と言ったところで奄美先輩の形相が突然ニッコリと貼り付けたような笑顔になった。何故か「笑いながら怒る人の顔」という、空恐ろしいものに見えて突如返答の方向性を180度変えました。
「やっとやる気出してくれたみたいね。それでは続けましょうか」
そこはかとない威厳を出しながらリテイクの準備に、壁際へ寄りかかる奄美先輩。
その間考えていることは、ずーっと「俺何してんだろう」だった。
自分から発案しておいて何だがとてもバカバカしい。
大衆演劇のためとかじゃあるまいし、王子へ出会いのきっかけを作る一芝居を打つためだけにこんな練習をしている今この瞬間が途轍もなく無駄に思える。
でも、目の前にいる奄美先輩は至って真剣なのだろう。彼女は壁に凭れたまま表情やポーズを既に追い詰められた少女を彷彿とさせる形にしてスタンバイしている。茶番一つにしても手を抜く気はないらしい。
しょーがない、ここはさっさと奄美先輩のお眼鏡に適う演技を見せつけてお開きと行こうか。
自分の書いたシナリオの状況を頭にイメージしながら、奄美先輩を困らせる悪党の姿を思い描く。
「へっへっへ、中々いい女じゃねえか」
俺がシナリオの中で思い描いていた暴漢の一人をイメージしつつ、演技の中で再現していく。
奄美先輩が「うわぁ……」という台詞が似合いそうな表情を浮かべながらも、すぐさま次の台詞を出す。
「い……いや……やめてください」
初めてにしてはやけにリアリティある声音で、抵抗の演技をする。表情もきちんと変えており、本気で怯えていると思わせるものだった。
奄美先輩演技うまいな。ひょっとして演劇部の所属だったとか?
まあいいや、このまま演技を続けよ。
「そう言うなって、俺とちょっと遊ぼうぜ。なあ」
声を、いつぞやの王子を演じたときみたく作りに作ってリアルにいそうな野郎のものに仕立てながら話す。
ふむ、ちょっとアドリブ入れてみるか。その方が奄美先輩も満足するかもしれない。
怯えている(演技をしている)奄美先輩をどこかへ連れていくかのように、彼女の手首を掴もうとするところまで演技を進めた丁度そのとき、
「黒山君何してんの……」
「⁉」
全く予想外の方向から、奄美先輩と違う女の子の声が聞こえてきた。しかもその言葉に俺の名前が入っていた。
驚いて声のした方へ振り返ると、そこには春野と日高がいた。