第082話 取引
ひとまず、目の前でオロオロアワアワしている二年の先輩(暫定)を落ち着かせることが先決だな。
「あ、大丈夫ですよ、何も見てないです」
「……私まだ何も尋ねてないよ」
しまった。先手を打とうとして勇み足になってしまった。
だけど今のやり取りで少し冷静になったらしい。先輩は続けて俺に問いかけてきた。
「……この手紙や、今見たこと他の人に言い触らしたりしない?」
「はっはっは、まさか」
「何か怪しい」
イヤイヤさっきまでのあなた程では、と言おうとしたのをギリギリ抑えた。
「そんなこと他の人に言う理由がないでしょう」
「友達の中で会話のネタにしたりとか」
「自分、友達いませんよ」
よく話をする(ことを強制してくる)奴らはいますけど。
ソイツら相手にしても自分から話題を振ったことはない。
「……ホントにバラさない?」
「勿論」
疑い深いですね。そうなるのも無理からぬことでしょうが、ホントにやらないことを証明することなんて土台無理だと思いますよ。
「……ちょっとこっち来て」
先輩が立ち上がって廊下の先を歩いていく。
会話していく内に頭の中が冷えたのか、うろたえる様子がすっかりなくなっていた。
このまま先輩と反対方向に進んだらどうなるだろう、と頭を過ったが後が怖いので黙ってついていくことにした。
何かこの強引っぷり、加賀見に似てるんだよな。
いくら先輩とはいえ、初めて会ったばかりの後輩にここまで偉そうに出られるものなのか。
先輩が連れてきたのは現在俺達のいる第一校舎の端だ。
クラスの教室はなく、ここまでやって来る人は生徒・教師共にまずいない。
先輩はここで何するつもりだろう。まさか俺にヤキを入れるつもりだろうか。実はこの人見かけによらず全てを暴力で解決していくタイプなんだろうか。
内心で戦々恐々としていると、先輩がおもむろに話し出す。
「んじゃ、改めて。私は奄美雛。二年六組」
と、自己紹介から入った。あれ?
「あなたの名前は……えーと、黒山胡星、ね」
奄美と名乗った先輩は俺の名札に注目し、俺の名前を読み上げた。
「えーと、はい、黒山って言います」
状況が今一つわからないが、とりあえず自分からも改めて名乗ってみた。
「わかった。それで、一つお願いがあるの」
さっきまで挙動不審だった人とは思えないぐらい堂々とした調子でそう言う奄美先輩。先輩相手に何ですが、ソレ人に物を頼む態度じゃないと思います。
「私が一年二組の榊君と付き合えるように協力して」
奄美先輩の言い放った頼み事の内容は、案の定でした。
うんまあそうだよね、さっき慌てて取りに戻った手紙ってやっぱ王子へのラブレターだよね。
ラブレター送るぐらい王子のことを慕ってるんだよね。
でもそれはそれとして、
「何故自分が?」
という疑問をぶつけずにはいられない。相手が年上だろうと、これだけは確認させてもらう。
「あなた、榊君と同じ一年二組なんでしょ? こっちは今のところ榊君への伝手がないし、少しでも縁を持てる機会があればって」
俺を選んだ理由を説明してくれる先輩。そこを訊きたいわけではないんですよ。
「いや、自分にはそこまでする理由がですね」
単純にそこまでやらされる筋合いがないって言いたいんですよ。
「無論、タダでとは言わない。成功したらそれなりに報酬は払う。私、バイトをしててそれなりに稼いでるからね」
奄美先輩がそんな提案をしてきた。
正直、俺としては断りたかった。成功報酬といっても学生のバイトで稼げる額なんてタカが知れてるだろうし、学校や親にそんなお金のやり取りがバレたとき面倒な予感しかしない。
それに、王子の周りはこの前の一件で結構ややこしくなっている。そんな王子と接点を持つのもまた面倒なことになりそうだった。
あれ、でも待てよ。もしかしたら――
――よし、これなら俺にも依頼を引き受けるメリットがあるな。
メリットはあるのだが、一応念を押すべきところは押しておくか。
「自分、榊とは全く接点ないんですけど、それでもいいですか?」
「……いい。どうせ今のままじゃ接点がなさすぎてどうにもならない。こんな手紙で呼び出すしか方法が浮かばないぐらい」
奄美先輩が先程拾った手紙を自分の顔の近くに持ち上げた。
なるほど、ラブレターなんて恋愛物の化石じみた古典的な手法を取ったのはそれが理由でしたか。
「だから、教室での榊君の情報を教えて。そして有効そうな手立てを一緒に考えてくれたらそれで充分」
どうやら俺に求めるのは情報提供とコンサルタントらしい。
それならまあ俺にもできそうか。
「承知しました。自分がお役に立てるのであれば」
ひとまず奄美先輩の依頼を引き受けることにした。
「ただ、報酬の支払いは大丈夫です」
「え、どうして?」
「学校や親に露見したら、色々面倒ですし」
「誰にもバラす気はないんでしょ? ならバレる心配もないと思うけど」
「金のやり取りだけでも事故か何かの拍子にバレる可能性は否定できません。そうなったらそれこそ先輩が内緒にしたいことも芋蔓式でバレる恐れも」
「……そう、それじゃ悪いけど、報酬の内容はまた別途考えましょうか」
「それなら、一つこちらからも頼みがあるのでそれを聞いてもらえたら」
「頼み?」
「ああ、ちょっとしたことですよ。先輩にはさほど苦労をお掛けしないでしょう」
俺がこの依頼を受けるメリットの、裏付けになるようなお願いだ。
実際、先輩が手間になることは大きくないはずだ。
「……わかった。こっちとしても寧ろ都合がいいし」
「ありがとうございます」
「でも、何でわざわざそんなお願いを?」
「それは――」
その後も奄美先輩と今後のことを少し話した。その内ホームルームまで時間がなくなったので、各々急いで解散になった。