第053話 色恋沙汰
捨て鉢な気分で、ただひたすらに月と星の空を見ていると再び加賀見から話しかけてきた。
「ねえ、ちょっと気になってたことあるんだけど」
「……何だ」
「アンタ期末テストのとき、日高さんの勉強会を何で自分から引き受けたの?」
「……?」
全く想像していない範疇から質問が飛んできたので困惑した。
「意図がわからなくて答えかねるんだが、俺が参加しちゃまずかったのか?」
確かにあの勉強会では俺はほとんど出る幕なく、安達と加賀見が役に立ってたんだけどね。
「そういう意味じゃない。いつものアンタなら行くの断ってたし、実際あのときも途中まで渋ってたじゃん。なのに突然行ってもいいなんて態度に変わったんだから、何を企んでんのか気になって仕方なかった」
加賀見から先程の笑顔が消えていた。
「……そうだな」
改めて考える。何故俺はあの勉強会を引き受けたのか。
日高には悪いが、一人の時間を削られることが俺にはとかくストレスなのは今もあの当時も変わらない。
そして途中まで加賀見と論戦しつつも参加を拒んでいたのも事実だ。
そのときの日高の遠慮する声音と、春野の憂い顔がどこか印象に残っている。
それらに触れたときに、気が付けば条件付きで参加してもいいという旨の言葉が自分の口から発せられたのだ。
今でも思い返せるのはそこまでであり、理由らしい理由など自分でも見出せなかった。
「忘れちまったよ、そんな理由」
だからそう答えるより外に仕方なかった。
「……全くの嘘ってわけでもなさそう」
俺の方を見た加賀見がそんな感想を漏らす。
「ねえ、思ったんだけど」
加賀見が続けて質問を発する。
「アンタ春野さんか日高さんのどっちかが好きなんじゃないの?」
俺はその質問に鼻で笑いそうになる。実際にそうするのは流石に思い留まった。
「小学校や中学校のときにそんなこと面白がって訊く奴いたな」
「真面目な話。安直だけど、アンタが日高さんに協力した理由とか、そうじゃなくても春野さんに普段から態度が甘い理由とか、それで説明できるから」
真面目という割には発想が幼稚に思えるな。
俺が好きなのは自分で自由に生きられる空間であり時間だ。
今も昔もその性分は変わらない。今は色んな障害が出てきて思いのままにいってないだけだ。
そんな俺にとって友人やましてや恋人を作るつもりなどこれっぽっちも起こらない。
誰かに恋愛感情を抱いた経験など、現在も過去もありはしない。
そんな俺に加賀見が今したような質問を訊かれてもちゃんちゃらおかしい気分だった。
「そりゃねーな」
とりあえず加賀見にそう答えておく。
「……何か思ってた反応と違う」
加賀見が憮然な表情を見せる。ちょっと楽しくなってくる。
「どういうのを期待してたんだよ。まさか俺が慌てて『ち、違う! 俺はそんなこと……』とか言うとでも思ったのか」
「流石にそんなベタなのは期待してないけど。でも好きな人がいるのを匂わすぐらいはしたら面白そうだなって」
「俺がそんな色恋沙汰に熱を上げるタイプに見えるか」
「……それもそっか」
すっかり白けた声で空を見上げている加賀見。残念だったな、俺がドライな人間で。
俺に言わせれば加賀見がそういう恋愛に憧れるような乙女であれば、どんなに楽だったかと思う。
加賀見は現状俺への嫌がらせに傾倒しており、彼氏となるような相手を探す素振りなど全く見当たらない。
もし加賀見がそういうタイプなら今頃俺という男を相手しておらず、もっともっといい男を求めるのに時間を費やしているはずだ。
加賀見がその気になれば彼氏を作ることなど容易であろう。守ってあげたいとつい思わせる美少女然としたその見た目があれば。そしてさっきも見せた演技力でか弱い少女を演じていれば。本性はこの際脇に置いておく。
「ならもう一つ訊かせて」
「今度は何だ」
「何で今日、春野さんと日高さんと三人で一緒にいたの?」
「そりゃ途中で偶々出くわしたから」
「それだけならアンタ同行なんてしてないでしょ」
「……お前らに居場所を黙ってる交換条件で、一緒に遊びに付き合ってくれって言われたんだよ」
「ミユや私より春野さんや日高さんと一緒の方がマシってこと?」
「お前を避けられるなら何でもよかったって気分だったな、あんときは」
「……油断した」
加賀見はひたすら夜空を見上げている。目元は髪に隠れていた。
「まあ、明日も林間学校続くしいっか」
「俺にとっては全然よくないことになりそうだな、それ」
「えー何で。一生に何度もない機会なんだし、楽しまなきゃ損だと思うよ」
「お前のせいでその機会が台なしになってるんだが」
「えー、黒山ひどい」
「ひどいのはお前だ」
加賀見の口元が三日月のような形に変わる。さっきまでの神妙な雰囲気からまた現状を楽しむ気分に変わったらしい。
ああ、俺はまた加賀見と付き合わされるわけか。
明日は自由時間が大幅に取られており、他のクラスの奴らも仲良い者同士で色んなスポットを巡ることだろう。
その際安達・加賀見・春野・日高のいつもの面子が集合することなど想像に難くなく、俺がその面子に巻き込まれることもまた想像に難くなかった。何で五人で固定なんだよ。麻雀なら人数あぶれるじゃねーか。
明日はせめて一人で過ごしたい、どうしよう、どうすればいいんだろうと俺の頭脳が希望を実現するためにフル稼働するも中々いいアイデアが出ない。
ただでさえ今日は色々あったのに、今なお頭を酷使していては長生きできなそうである。こんなことなら目が冴えてても大人しく就寝に努めてればよかった。
「……ふふふ」
いつの間にか空から俺へと視線を移していた加賀見の口から、含み笑いが出ていた。
「アンタのその顔見てると、ストレスが消えてく」
随分と正直に悪趣味なことをほざいた。
「お前憶えてろよ」
ついつい小悪党の負け惜しみそのものの台詞が出てしまった。違うんだ。俺が目指すのはモブなんだ。一話でやられて終わりの木っ端悪役になりたいわけじゃないんだ。
「アンタのことなんて忘れやしないから安心して」
ああ、そうだろうな。蛇蝎の如く嫌いな奴のツラなんざ俺も忘れない。
俺も今まさにそんな気分だからな。