第052話 林間学校の夜
キャンプファイヤーも終わり今は就寝のお時間です。
この林間学校においては班の概念がなく、男女別に分かれている宿泊施設にあるホールのような大部屋で生徒達が一斉に寝ることになっている。修学旅行みたい。いやアレよりもスケールでかいか。
俺はというとどうにも寝付けず、スマホで時間を潰そうにも明かりで隣の男が目覚めたら面倒なので一旦外出しようと思い立った。
当然ご法度なのだが、そこは俺の存在感の薄さが役に立ち、誰にも気付かれることなく宿泊施設の外に出ることに成功した。やっぱ俺モブだわ。
外は風がやや強くなっているのもあり、キャンプファイヤーのときよりさらに涼しく感じられた。
雲のない夜の天に月が座し、外の世界に微かな光を与えている。その光を頼りに野原を進んでいくと草木の揺れる音が耳に入り、別世界へ足を踏み入れた心持ちがする。
月がよく見える場所を適当に見繕い、草原の上に腰を下ろした。空を見上げるとそこには月の他にも星屑が瞬いていた。俺の住んでる所ではそう見られない無数の星を見て、改めて自分が普段から遠く離れた場所にいることを思い知った。
今日だけでも色々あったことによる疲れを癒すべくしばらくここに留まっていると
「あ」
という女の子らしき声が背後から聞こえた。
先に述べた疲れの元凶と同じ声にも思われた。
いやいやそんな偶然あるわけないだろ、そう楽観していたのを
「アンタここで何してんの」
安々ぶち壊してくれたのは、やはり加賀見だった。
「……寝られねえから気分転換。お前こそ何でここにいる?」
「さっき休んでたせいか私も目が冴えちゃって、同じく気分転換」
「そうか。ならそれぞれ別々の場所にいても問題ないな」
「私によそへ行けっての?」
「いや、俺がよそに行く」
さっさと立ち上がるも、何かにジャージ越しで手首を掴まれた感触がした。
「まーまー、そんな冷たくすることないでしょ。どうせだから一緒に星空でも見ない?」
「そういうのは彼氏とでもやってろ」
「彼氏いないからアンタ代わりにやって」
「嫌いな人間相手によくそんなこと言えるな」
「そのアンタが嫌がるなら喜んでこういうこともやるって言わなかった?」
終始ニヤつきながら一歩も引かない姿勢を見せる加賀見。相変わらずトチ狂ってるな、と思うよ。
「勝手にしてくれ」
ただでさえ疲れてこれ以上面倒事を起こしたくなかった俺は、渋々奴の同席を呑んだ。
これを機にまた加賀見のことを詳しく観察でもしようかとも思ったが、疲れてろくに頭が働きやしない。
「では、失礼して」
失礼な真似を俺にやりまくっている奴が今更な言葉を掛けながら地べたにドカっと座る。風情のない奴。
「ホント綺麗な空」
「そうだな」
「ねえ、アレって星座?」
「知らん。星座とか興味ねーんだ」
「何だ、つまんない奴」
「星座に詳しくない人達全てに謝るべきだな、その発言は」
「ああ、心配要らないよ。アンタ限定の評価だから」
「何でだよ」
折角の星空を眺めながら不毛な会話を交わす俺達。月が綺麗ですね。
「今日一日どうだった?」
「一部忘れたこともあったけど、一生忘れられない思い出になりそうだ」
「忘れたのか忘れてないのかどっちかにして」
「お前のせいで一部の記憶が欠如してんだよ」
「何の話……ってあー、アレのことか」
コイツ、何の気なしに答えやがった。
「追体験すれば思い出すんじゃない? 何なら手伝うよ」
「いや、結構です」
「結構? んじゃ、やろっか」
「やって結構ではなくやらなくて結構って意味です」
日本語って正確に意図を伝えるの難しいよね。
「まあ、無理にとは言わないけど」
辺りは暗くまともに物が見えないが、加賀見の顔はやけに月に照らされ、嫌らしい笑いが露わになっていた。
「お前こそ、今日のことはどう思ったんだ」
「もう最高。中学の校外学習よりも楽しい」
「そりゃよかったな」
「ミユや春野さん、日高さんには感謝しないとね」
「おー、そうしろそうしろ。明日はお前ら四人で自由行動すれば大いに盛り上がるんじゃないか」
少なくとも安達は大喜びだろうさ。
「それもいいけど、やっぱもう一つ刺激が欲しいかな」
「ほう、刺激とな」
「そう、例えばとっても面白いヤツとか」
「抽象的に過ぎるな」
「こっちの仕掛けに対して素晴らしいリアクションを取ってくれる人とか」
「そうか。せいぜい頑張って探してくれや」
「え? 一々探す必要なんてないじゃん」
コイツは一体何を言っているのか。頗る気にはなるものの、訊くことが何となくためらわれて無言になる。
その代わりというわけではないが、加賀見の方へ目を向ける。
先ほどの人を食ったような笑顔はそのままに、墨で染めたような漆黒の髪はいつものツインテールを解き、下ろしていた。その髪の毛は癖もなくまっすぐに下へ伸びており、月光がその髪に艶美な輝きをもたらしていた。夜に活躍しそうな、妖しくもどこか人目を惹きつける魔女に見えた。
姿勢は半体育座りというべきか、右膝を折り曲げて左膝を直伸して座っていた。右腕の肘を右膝に当て、右手で頬を抑えるその姿は、いつになく寛いだ様子を表していた。
「ところで今日、お前キャンプファイヤーで安達と一緒にいなくてよかったのか」
ふと気になったので尋ねてみた。
「……そりゃ、残念だったけど。ここで無理したら、明日の自由行動まで体力持たなかったかもしれないし」
「そうか。さぞかし明日を楽しみにしてるんだな」
「ふん」
「ならこんな所で夜更かししてる場合じゃないと思うが」
「ああ、それなら大丈夫。今の調子だと明日まで持つと思うから」
「根拠は何だ」
「勘」
「……」
コイツ勉強できるのに、そう思えないぐらい野性的な生き方してるな。
「先生に今の抜け駆けがバレたら流石に怒られるだろ」
「もう遅いから。バレたらアンタを言い訳に使わせてもらうね」
「どうやって」
「黒山君に無理矢理脅されて連れてきたんです……って」
そうして泣き真似をする加賀見。ふざけた演技ではなくマジの演技を見せつけており、これなら騙される先生も出るかも、と恐怖した。
「お前、今すぐ戻れ」
「えー、そんなこと聞いたら尚のこと帰る気なくなるなー」
加賀見が演技を止め、さっきよりも口角を上げた笑みを浮かべる。
今日は夜遅くまでコイツの恐怖に付き纏われるのかと、自分の不運を呪った。