第038話 日高皐月
期末テストの一週間前、私は絶望に満ちていた。
前々から理系、特に数学の教科は得意ではなく、中学のときもテストの点数が低空飛行していた。
高校に入ってからは案の定悪化し、この前の中間テストでは何とか赤点を免れるという有様だった。
しかし、私は愚かなことに期末テストまでまだまだ時間があるし、もう少しだけ遊ぼうという欲求に負け、構わず友達と遊び惚けていた。
そしてテストの一週間前、五組の教室でテストの話が友達から出た際にようやくテストの日にちを思い出した。
「サツキ、しっかりして……」
次の休み時間に、自席で俯いていた私をリンカが慰めにやってきた。
リンカは全教科を満遍なくこなせるタイプだから羨ましい。文系の教科なら私だって負けないのに。
「ねえ、一旦二組の方で相談してみようよ」
リンカが何か言うが私は目の前の現実に塞ぎこんでしまい、ほとんど耳に入っていなかった。
その状態の私をリンカが引っ張ってどこかに連れていく。
ああ、二組の教室にでも行くのかな。でもゴメン、今日はちょっと会話する気が起きないや。
二組の教室にてまだ気力を取り戻せず頭を上げられない私と、何やら皆に話をするリンカ。「赤点」って言葉が聞こえてきたけど、何で皆に私のバカっぷりをバラしちゃうの!
「期末に赤点取ったら夏休みが二週間ぽっちになるんだっけか」
黒山の言葉を聞き、さらに気が滅入ってしまう。ああ、私の青春を彩る夏休みの半分以上が勉強に変わってしまうのか……。
「サツキの勉強、一緒に見てくれない⁉」
でも、だからと言ってリンカが皆にいきなりこんなお願いするなんて思わなかったよ。
アンタ、最初からそのつもりで二組に来たの?
安達さんと加賀見さんは快諾してくれたものの、黒山はいかにも渋っている。
そりゃそうだよね、自分のテスト勉強の時間も確保しなきゃいけないだろうに他人の勉強を見る余裕なんてあるわけない。普段交流のある友達だとしてもこんなことを頼むリンカが非常識だ。
「あ、別にそこまでしてくれなくても、大丈夫だよ」
流石にここまで迷惑は掛けられないと思い、皆にお願いを取り下げた。リンカ、そんな心配そうな顔しないでよ。それに皆に悪いでしょ。
そのとき黒山からこんな言葉が出てきた。
「……赤点免れたときに何か奢るって話なら」
え? 奢り?
ただびっくりした。さっきまで明らかに引き受ける気がなさそうだったのに、奢れば勉強を見るとは。
それと同時に、私の頭の中に一種の計算も働いた。
確かに数学の勉強は見てもらいたい。今から独学でやったのでは今回のテストを乗り切るのは相当厳しい。
とはいえタダで見てもらうのは心苦しい。だから皆に後でそのお礼を払うという話なら取引みたいで対等になるし心は特に痛まなかった。
「……ふふ、なら遠慮なく頼むよ」
そこまで思い至ったとき、先程までのどんより曇った気分に少しだけ晴れ間が出てきた。
テスト勉強はこの上なく順調だった。
安達さん・加賀見さん・黒山・リンカが私に総出で教えてくれ、とりわけ安達さんや加賀見さんの教え方が私にピッタリはまり、今まで解法がろくに理解できなかった問題が次々わかるようになっていく。痛快だった。
休憩の間、安達さん・加賀見さん・リンカが飲み物を買いに出掛け、黒山と私が残ることになった。
普段黒山と二人で話す機会もなく最初は戸惑ったものの、いい機会だと思い前から気になっていたことを訊いた。
リンカの一つこれと決めたときの好奇心の強さは並大抵ではなく、それにしばしば付き合わされてきた私には辟易することが多かった。
今回人としてリンカの興味を強く抱くに至った黒山に対してどういう行動を取るのか予測もつかず、仮にも恩人である黒山にさらに迷惑を掛けていないのか心配だった。
でも、黒山にとっては
「別に、加賀見に比べりゃ全然大したことねーよ」
とのことだった。加賀見さんの場合、黒山に異常に厳しいからなぁ……。
黒山と加賀見さんの間で何があったのか全くわからない以上私もリンカも下手に口を出せず、傍観したままになっちゃってるけど、私達も二人に何か働きかけた方がいいのかな。
そんなことを思ってたときに黒山がリンカの性格について確認してきた。
真に受けやすい性格ねー……。リンカの魅力の一つと思うけど、同時に心配の種でもある。
あの件についても犯人が悪いのは大前提として、リンカにもう少し人を疑う癖を身につけていればもっとスマートに解決できたんじゃないか、と思うこともあった。あの件の直後で本人に直接言うのは憚られたけどさ。
そうだ、もう一つ黒山に言うべきことがあったじゃないか。
「リンカのこと、助けてくれてありがとね」
あの件でリンカを助けたことについてお礼を言いたかったのは、何もリンカだけじゃない。
黒山が犯人を追い払わなかったら、冗談抜きに今のリンカは私の目の前から消えていたかもしれないのだ。
案の定、あのときと同じく黒山はこちらのお礼を一旦拒否した。彼はもう、そういう性分なのだろう。
「そんな後生大事にしてる幼馴染とは、是非とも一緒に進級したいんじゃないのか」
最初、黒山の言葉の意図がわからなかったものの今の赤点→補習コースまっしぐらの状況を危惧してのことだと察し、頷いた。
ホント、こんな所で躓いていられないっての。
その後テスト勉強は目的の範囲まで無事に終え、テスト本番を迎えた。
数学については今までで味わったことのないぐらい円滑なペースで問題を解き、手応えのある形でテストを終わらせることができた。
その結果、数学をはじめ全ての教科で赤点を免れることができた。
よかった、夏休みの大半を返上とかにならなくて本当によかった……。
安堵した私は来る夏に胸を膨らませつつ、勉強を手伝ってくれた皆にアイスクリーム屋へ連れていく算段を付けていった。