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第036話 飲み物

 安達邸にて、日高と二人きりになり対処に困る俺。

 そう言えば日高とはあんまりまともに喋ったことがない。

「えーと、どうしよっか?」

「とりあえず加賀見の言ってたように休めばいいんじゃないか」

 対処に困っているのは日高も同じだったようだ。

「そっか」

 日高は椅子に座ったまま背凭れに背中を存分に預け、両腕を後ろ頭に組んだ。


「ねえ、こんな所で訊くのも何だけどさ」

 日高が俺の方に向き直る。

「どうした」

「リンカ、黒山に迷惑掛けてない?」

「ん、別にそうでもないが」

 学校内ではなるたけ関わってほしくないが、今ここでそれをハッキリ言うのは(はばか)られた。

「あの子昔から好奇心が強くてね。一度興味を向けたものにはとことん突き詰めていくんだよ。私はその度にいつも付き合わされてね」

 日高が遠い目をする。苦労したんだね。

「それでもその興味を向けてたものって今までは何かの作品とか物に限られてたんだ。そして、数か月も経つ頃には飽きちゃって、元通りになる。だからそこまで面倒なことにはならなかったんだけどね」

 日高が語り続ける。ん、今まで?

「そんな折、リンカの興味が初めて『人』に向いたんだ」

 微笑みながら話していた日高の顔が急に真顔になり、少しの間が空いた。

「その『人』って、一体誰のことだ」

「あの子の態度見てわかんない?」

「いや、わからん。加賀見とかか?」

 心当たりが浮かばず周りの人間を適当に挙げる。日高が「呆れた」と口にした。


「君だよ、黒山」


 日高が俺の目をしっかり見据えた。

「リンカが人に興味を向ける所なんて私も見たことなかった。だからリンカがその興味を向けた人間にどういう行動を取ってくるのか私も想像つかない。一応釘は刺しておいたけど」

 日高が息を区切る。

「もしリンカが妙なことして黒山の負担になったら、遠慮なく止めて。もし手に余ったら私も手を貸すよ」

 そうか。お前も心労が絶えないみたいだな。でもな、


「別に、加賀見に比べりゃ全然大したことねーよ」


 それだけは言っておくよ。

「あー……加賀見さん、やたらと黒山に厳しいよね。何でそうなったの?」

「まあ、色々あってな」

 加賀見があんな宣言するぐらいブチ切れた理由は未だにわかっていない。本人に問い質しても恐らくまともに答えないだろ。

 そんな状況なのに、日高や春野をこの件に巻き込んだら一層ややこしくなるのは自明なので言葉を濁した。

「そうだ、俺も一つ訊いておきたいんだが」

「ん、何?」

「アイツの人の言うことを真に受けやすい性格って昔からなのか」

「あー……」

 日高が微妙な表情をした。

「あの子はさ、昔からどうにもそういう所が多くて。高校に入った今でもその性分が変わんないもんだから、クラスの友達にもそれでからかわれてたんだ」

 春野……。予想通りだな。

「それでも常にってわけじゃないんだよ。クラスメイトの冗談を通じることも偶にあるし、リンカを助けた人を探してたときもそれを騙るバカ共が現れたときは流石に怪しんでたし」

 そうだったのか。春野と日高には誠に申し訳ないが、そのバカ共に騙されてくれた方が当時の俺には都合が良かったな。

「こんな所で言うのも今更なんだけどさ」

 日高がまた真顔になる。短時間で表情がコロコロ変わるね。


「リンカのこと、助けてくれてありがとね」


 日高が姿勢を正し、軽く頭を下げてきた。

 何の話かなんて、すぐに思い当たった。

「アイツにも言ったが、お礼を言われる筋合いはねえさ」

「ううん。君がいなかったらリンカは今頃どうなってたかわからなかった」

「どうだかな。別の人が救出してたかもしれないぜ」

「それなら実際に救出した人に感謝しただけだよ」

「そうか」

 春野のときと同じ台詞をぼやいちまった。ボキャブラリーねえな俺。

「そんな後生大事にしてる幼馴染とは、是非とも一緒に進級したいんじゃないのか」

「……うん、そりゃそうだよ」

 日高が自身の手元にある数学の問題集に目を向けた。

「なら赤点ギリギリの教科はさっさと克服しねえとな」

「うん。皆にも迷惑掛けちゃってるしね」

 日高の目に、窓から差し込んだ光がふと反射して一瞬強く煌めいた。



「戻ったよー」

 安達が明るく声を張り上げ、俺達に帰宅を告げる。

「はい、日高さんの頼んでた分」

「お、ありがとね」

「いいっていいって」

 加賀見の方から日高にジュースのペットボトルが渡される。

 そして加賀見が俺に近付く。

「アンタの分も買っておいたから」

 と鞄の中をごそごそ探り、新たなボトルを取り出した。

「はい麺つゆ」

 加賀見が俺の目の前にボトルをドンと置く。

 ボトルの中には黒々とした液体がたっぷり入っており、そのラベルには確かに『麺つゆ』という文言がでかでかと記されていた。

 えーと、これをどうしろと。ひょっとして飲み物として俺に差し出したのかな。

「あの、加賀見さん、これは……」

「ん? アンタ前に麺つゆ好きって言ってなかったっけ」

 言ったことないです。どういう記憶違いですか。

「嫌いじゃないけど、原液をジュースのようにゴクゴク飲む物とは違うかと」

「そんなのやってみないとわかんないじゃん。記念にチャレンジしたら?」

 何の記念だよ。

「えっと……加賀見さん、黒山君にはこれでいいって聞いたんだけど……」

 春野が加賀見と俺のやり取りを見て、オドオドしながら加賀見に訊く。

 春野さん、コイツらとの買い物の中でも人の言うことをホイホイ信じちゃうピュアな性格が出ちゃいましたか。

 まあ先日は俺も春野のその性格で遊んでたし、その辺り偉そうには言えないか。

「うん、大丈夫」

 春野には優しい笑みを向ける加賀見。お前この状況でよくそんなこと言えるな。

「あ、く、黒山君、良かったら私の買ってきた分飲む?」

 と、春野が自分のために選んだであろう未開封のジュースを俺に見せた。

「あー、俺今喉乾いてないからダイジョブダイジョブ」

 と返しておいた。まあそんな喉乾いてないのは事実だし。

「ふーん」

 加賀見が無表情で俺を見て呟く。流石に春野と日高のいる手前、麺つゆ一気飲みチャレンジを強要とかはしないみたいだ。二人がこの場にいなかったらやってたかもしれないのが実に恐ろしい。


 その後勉強会を再開し、日高は問題集のテスト範囲を一通りさらうことができた。

 そして数日後、期末テストが行われた。


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