第003話 懸念
数学係の仕事はあの日以来増えていった。
内容はプリントの教室への配達ばかりで、数学の授業でプリントは基本使わないらしい、だから楽できるという俺の見込が外れていくのを実感した。畜生! なんてこったい! この野郎! アホンダラ! 思いつく限りの汚い言葉を肚の中で叫んだら少しスッキリした。
そして安達は数学係の仕事の度に俺に話しかけるようになった。
教室では相変わらず互いに一人で時間を潰しているのだが、俺と二人で職員室と教室の間を移動しているときは自分の好きなものや学校のことなどをどんどん喋っていた。
例えばこんなやり取りがあった。
「ねえ、黒山君は何で数学係になったの?」
「仕事少なくて楽そうに思ったから」
「あー、確かに最初の内は仕事なかったけどね」
「近々現国係の人と係の交換について交渉しようかな、て思ってる」
「え、無理でしょ」
「千円でいけそうな気がする」
「買収すんの⁉」
「ところで安達、千円貸してくれないか」
「そんなしょうもないことへ出資とか嫌なんだけど。あと先生方が認めないでしょ」
「先生方には一人一万って所か……」
「楽な係になるためだけにどんだけ費やす気なの」
「費やすのはお前のお金だからヘーキヘーキ」
「絶対貸さないからね⁉」
別の日にはこんなやり取りがあった。
「放課後って普段何してる?」
「まずは学校の前のバス停でバスを待って……」
「行動を追跡したいわけじゃないから、そんな詳しく説明しなくて大丈夫だよ」
「ラノベ読んでるかな」
「へえ、私はあんま読まないからよくわかんないや。やっぱ面白いの?」
「普通じゃねーの。ただ一般の小説よりは難しく考えずに読めるのがいい」
「へえ、そうなんだ」
「時々俺でも書けそうな作品に」
「うん、そこで一旦ストップしよっか」
そんな調子で数学のプリントをそれぞれ持ちながら廊下を歩くときに、安達から話を振って俺が答えるような形が多かった。俺から話しかけたケースはない。
俺と二人で話すときの安達は普段クラスの奴らとまともに話してない鬱憤を晴らすかのように明るかった。
俺にとってはあんまりいい事態ではない。
安達にとっては誰とも交流の取れてなかった状況を打破したいのだろうが、俺はただマイペースに学校生活を送りたかった。
数学係の仕事やそれで安達と協力することは仕方ないが、それで安達と必要以上に関わるのは避けたかった。
俺は誰にとってもモブでありたいのだ。
誰からも構われず一人でやりたいことをやる時間を少しでも確保し、極力誰かに干渉されることなく背景として生きていきたい。
そうなると今安達が俺へ話しかける今の状況ではいずれ俺の願望を破られる懸念があった。
手遅れになる前に安達が俺に構わずに済む方法を考えねばならない。
「なあ、一つ訊きたいんだがいいか」
「え、何?」
安達は朗らかに答える。初めて話したときの言葉の詰まりはこの頃にはほとんど聞かなくなっていた。
「お前、クラスの女子達と仲悪いのか」
「うーん、仲悪いって言うのかな。まあ、話したことない人に自分から話しかけるのがとにかく苦手で」
安達は伏し目がちに人差し指で頬を掻いた。
「仲悪いわけじゃないみたいだな。それなら安達から話しかけても相手してくれるだろ」
俺の見たところ、クラスの奴らはすっかり仲良しのグループが大体固定されてきているものの、概して性格は悪くない。
普段交流のなかったクラスメイトがいきなり自分達とコンタクトを取ろうとしたところで意地悪く突っぱねる真似はしないと思う。
もっとも、最初はよそよそしくされるか場合によっては警戒されるかもしれないが。
「ごめん、無理。今黒山君に話しかけられるのだって、数学係の仕事で黒山君から話してくれたのがきっかけなの。バカな話かもしれないけど、自分から話しかけて拒絶されたらって不安があって」
「そんなことないと思うがな」
「ないかもしれないけど。ただ、今更話しかけるのがどうしても怖い」
「……友達は欲しいんだよな」
「うん、そりゃ欲しいよ。欲しいけど、自分のせいでできないわけだししょうがないよ」
安達はそう言って、さらに続けた。
「それに、今黒山君が話し相手になってくれるだけで充分」
教室では見せない微笑みを俺に向ける。物語なら紛れもなくヒロインになれるそんな表情をモブの俺に見せてもしょうがないのだが。王子何とかしてくれないかな。
さてどうしたものかな、と思ったところで急に策が閃いた。
「……友達作るのに一つ手がある」
「え、何それ」
「俺にちょっと時間をくれないか。遅くとも来週中には何とかしてみせる」
「うん、別にいいけど」