第022話 何とか
昼食後、俺は春野の一件について考えていた。
俺にとってまず大事なのはモブのように誰とも関わらず過ごせる、心穏やかな生活だ。
そうするためには極力人の記憶に留まらず、名前さえも憶えられないよう注意を払う必要がある。
例えば自分から極力人に話しかけない。
周りの雰囲気から外れた行動を取らない。
目立つ場所にいない。
と注意事項は色々あるが、そういったものの一つに
目立つ人に相手にされない。
という事項も含まれている。
俺のクラスにいる王子はその典型で、俺は奴のいるグループには決して近寄らない。
その観点から考えると、まず春野は校内でも有名な美少女だという。
俺はまだ直に彼女を見たことないが、俺のクラスにいる同級生達の沸き立ち方からして王子に比肩するレベルで目立つのは確かだ。
まさしく相手にされることすら避けるべき要注意人物である。
春野を助け、現在春野の探している人物が俺だと校内中の生徒に認識されてみろ。
春野に好意を寄せていた連中から、いやそうでなくとも噂好きな奴らからどう見られ、どう思われるか想像したくもない。
安達の言った通り、春野が事件の被害者だったことを公表してまで助けた相手へ感謝しようとしてるのは凄いと思う。
春野がそこまでする理由がどういうものであったにせよ、半端ない勇気や覚悟の要る行為だったとは思う。
そんな春野に物語の主人公としての資質を見出すこともできる。
もしも俺が春野の巻き込まれた事件に関わっていないと断定できる状況なら、今頃俺はこの事態を奇貨として陰で大層楽しんでいたことだろう。
モブというその他大勢に紛れて、春野を主役とした物語をじっくり見守っていたと思う。本人を傷つけるような野次馬までする気にはならないが。
そんな物語に俺が絡んでいる可能性があるという懸念が、俺を楽しませるどころか俺の精神を強く圧迫していた。
春野よ。お前の探している「助けた相手」が俺のことだとしたら、悪いが俺は
「はいそうです、俺があなたを助けました」
などと名乗り出る気は更々ない。周りに誰もいない状況だったとしても無理だ。
俺のことじゃなかったとしてもこの期に及んで「助けた相手」が春野の前に現れないんだったら、それはもう本人も放っておいてくれと言ってるようなものじゃないのか。
助けた相手に恩を感じているのにソイツの気持ちを無視した行動を取るのは、恩を仇で返してるだけなんだよ。
頭の中がいつの間にかジーンとした熱を帯びていた。
まだ春野の探している相手が俺のことと決まったわけでもないのに、つい色々と考え込んでしまった。落ち着こう。
しかし、このままでは俺の精神衛生上よろしくない。
ただでさえ俺のモブ生活は俺に磁石のようについて回る女子二人によって脅かされている。何テスラあるんだよアイツら。
そんな状況の中、春野と関わりを持つという、さらに俺の理想の生活からかけ離れていくようなマズい展開に怯えて暮らさねばならない。
うん、改めて現状を整理すると胃に穴が空きそう。学生の身空でストレスと胃のデスマッチをやらされるのは勘弁してください。
何とかしよう。
何とかしなければとてもじゃないが気が落ち着かない。
いつか本格的に俺の理想の生活が破綻するかも、という恐れを抱いたまま何もしないで過ごすのがどうにも性に合わないのだ。
懸念を払拭するためには春野の人探しを一刻も早く終わらせるしかない。
考え事の最中、校舎を当てもなく彷徨うように散歩していたら自販機の前に辿り着いていた。
ひとまず自販機に小銭を入れる。
熱いコーヒーと冷たいコーヒーがラインナップにある。時期としては冷たい方が合っているだろうが、俺は熱いコーヒーのボタンを押した。
冷たい方より好きだった。
差し当たり浮かんだ案としては、もし春野の探し人が俺であった場合、春野に俺以外の人物がやったとミスリードする作戦だ。
春野の探し人が俺じゃない(つまり俺の関わった出来事とは別物の当事者)なら、それは単なる杞憂に終わるわけで、そうとわかった時点で手を引けばいい。一番望ましい結果だ。
そうでなく俺であった場合、春野が俺の姿を何かの拍子に目撃している恐れがあった。
あのときの俺は林の中にいたので仮に見たとしても手や頭の一部ぐらいのものだったと思うが、春野があのときの詳細を思い出し、その「助けた相手」の特徴から俺に辿り着く可能性は否定できない。
つまりそうなる前に俺以外の人間がやったと春野に誤解させた方がいい。
基本方針はそうするとして、「助けた相手」を誰にするか。
さっきの安達の話からして、春野達は偽物に対して強く警戒していると考えられる。
となるとあの痴漢からか弱い女の子を救い出せることに説得力のある人の方が春野も周りも疑いを持たなくて済むだろう。
そこまで検討したとき、お誂え向きな人物がすぐに思い浮かんだ。
ある意味モブ生活を望む俺にとってチャンスになるとも思った。
王子がやったってことにすればいいじゃん。