第021話 公表
体力テストが中止になった翌週のこと。
朝のホームルームの時間に流れた全校放送が生徒達をざわつかせた。
「この前、体力テストの当日に我が校の生徒である一年五組の春野凛華さんが不審な男性に襲われる事件が発生しました。春野さんの話によれば、その際に自分を助けてくれた人がいるとのことです。春野さんが是非ともお礼を言いたいとのことなので、心当たりのある方は春野さんまたは一年五組の担任である秦先生の所まで来てください」
えーと、体力テストが中止になった際に事件が起きたことは周知されたけど、そのとき被害者の情報は伏せられてたよね?
なのに今更全校生徒に被害者の名前をバラしちゃうの?
「おい、春野って……」
「ああ、例のスゴい可愛いって噂の……」
「春野さんが被害受けてたんだ……」
「カワイソー……」
周囲のクラスメイト達からヒソヒソとした話し声が僅かながら聞こえてくる。カワウソ? 今の放送とイタチ科の動物に何の関係が?
聞こえてきた話から推測するに、その春野とやらは以前から噂になっている例の美少女のことのようだ。え? こんな偶然ある?
しかも自分を助けた人を探してる、か。
それってあのとき変質者を的に砲丸投げて遊んでた俺のことじゃ、ないよね?
さっきの放送でも事件の詳しい状況は説明されてないし、俺が目撃したあの事件とは別物かもしれない。うん、きっとそう。
ひとまず俺には無関係と忘れようとした。
そのとき自分がいつの間にか人差し指で机をトントン叩き続けていることに気付いた。普段やらない仕草だった。
「何かすごい話になってるね」
「全校生徒に向けてあんな放送したらそうなる」
昼食にて、安達と加賀見が春野の件について話を始める。
安達はやはり他人事のようで呑気に弁当をつまみながら喋っているが、加賀見は何か思い当たることがあるように、神妙さをその顔に滲ませていた。安達は気付いていないみたいだが。
俺はいつものように、加賀見に攻撃される口実を与えないよう話に耳を傾けながら会話に極力混ざらないスタンスを取っていた。
「春野さんを助けたって名乗り出た人が複数いるんだってさ」
「何それ。協力して手助けでもしたの」
加賀見が横目で何故か俺に視線を向けていた。
「春野さんがそのときの状況を一人一人に詳しく確認したんだけど、誰も正確に答えられなくて全員嘘だって発覚したみたい」
「うわぁ……」
加賀見が珍しく引いている。俺はお前の所業にいつも引いてるけどな。
「で、結局助けた本人は見つかったの?」
「まだらしいよ。大手柄なのに名乗り出ないなんて謙虚な人なんだろね」
「単に目立つのが嫌いなだけなんじゃない?」
またも横目で俺を見る加賀見。ムカつくからやめろ。
「でも変だよね。春野さんはその助けてもらった人のことを見てないんでしょ? その人はどうやって春野さんを犯人から助けたんだろ?」
「……さあ。あんまり掘り下げない方がいいんじゃないの? 仮にも被害者がいる事件だしさ」
「あ、そ、そうだね」
さっきまで微笑みながら安達の話に興じていた加賀見が突然白けたように無表情になった。
例の事件について加賀見なりに思うところでもあるのだろうか。
「でもさ、春野さんも勇気あるよね」
「勇気?」
「そう。わざわざ自分が犯罪の被害者ですって全校の人達に明かしてでも助けてくれた人にお礼を言おうなんて。私だったら自分がそんな目に遭ったってことを他の人に話せないと思うし」
現実において生徒、いや一般人にあまり馴染みのない犯罪が周囲に起これば、ネタとして知りたがる野次馬というものは現れるだろう。馬なら誰にも迷惑の掛からない野山でも走り回ってればいいのに。
野次馬だけでなく、被害者にとっては二度と思い出したくないトラウマじみた出来事を興味本位で構わず尋ねる連中が出てくるだろう。
ましてや被害者は校内でも有名な美少女だ。事件の内容が猥褻行為やそれに類する性的なものだと疑う奴らは少なくないだろうし、それをもって奇異の目で見てくる連中が現れる恐れもある。
今にして思えばあの変質者は好みの女子を物色して、その結果特に容姿の整った春野に狙いを定めたのか? 気持ち悪くなるのであまり深く考察したくないが、あながち間違いではないように思う。
……いや、春野の巻き込まれた事件は俺の見たやつと別物かもしれないんだった。妙な想像はやめるか。
何はともあれ、諸々のリスクがあるにも係わらず春野という生徒は自ら被害者であることを公言してまで、自分を救った人にお礼を言いたいと申し出てきた。
何故そこまでする?
春野の気持ちを踏み躙るようで悪いが、俺にはそんな感想しか出なかった。
「なるほど。そうなると、張本人が名乗り出ないのは卑怯だね」
「そう、だね。謙虚な人かもしれないけど、ここまでされたら春野さんに一度会ってもいいんじゃないかな」
知ったような口を。
そうぼやきそうになったのを何とか抑え、白飯を口にぶっ込んだ。
加賀見はそんな俺をやはり横目に見ていた。心なしか少し睨んでいるように見えた。