第002話 数学係
突然だがこの高校の各クラスには現国係、数学係など教科毎に係が設けられている。
主に教科担任の教師の指示の下、授業用のプリントを運んだり科学室などで授業前に実験の準備を手伝ったりと一言で表すと教師のパシリである。
入学から間もなく行われた係決めの際、数学なら準備とか大して要らないんじゃないかと思いこの係を選んだ。
実際数学を受け持つ山岸先生はプリントを使わず教科書と入学時に渡された問題集からの問題のみで授業を進めるタイプであり、今まで仕事を振られずかなり楽ができた。先生に感謝。
しかし今日は違う。前の数学の授業後に俺が山岸先生に呼ばれ、次はプリントを生徒達に配るから事前に職員室へ取りに来るようにお達しがあった。やっぱ先生はカス。
サボると先生に叱られ悪目立ちする未来が見えるため、数学の前の休み時間になってとりあえず席を立った。
数学係の定員は男女1名であり、俺の他にもう一人女子が自らこの係を選んでいた。
彼女はお達しの際たまたま休みを取っていたため仕事があるのを知らないだろう。
もっと早くに伝えてあげるべきだったかもしれない。ごめんなさい。
心の中で謝罪しつつ彼女の元へ向かい、声をかけた。
「えーと、安達? だったかな」
「ん、え、は、はい」
何度か言葉に詰まりながら返事をする彼女。係決めのとき、黒板に数学係として記されていた名前が確か安達弥由だったと思い、とりあえずその名前で呼んでみた。よかった、合ってて。名前の読みは当てずっぽうだったよ。「あだち」じゃなかったら終わってたよ。
安達は自分の席で一人スマホを見ていた。そう、件の一人で過ごす系女子である。机に突っ伏して寝てなくてよかった。声を上げて起こすとか変に周囲のクラスメイトから注目されそうで居たたまれない事態になるところだったよ。
「山岸先生が俺ら数学係にプリント持ってきてほしいってさ」
「え? ……ああ、数学係ね。うん」
やけに言葉が途切れるような素振りが気にはなったが、安達は事情を理解してくれたようで、スマホを制服のポケットにしまう。
「じゃ、行くか」
「う、うん」
俺はひとまず教室を出た。安達も俺の後ろについてくる。
山岸先生は30代と思しき男性の数学教師だ。
授業や普段の様子はやや厳格な雰囲気を持つが教え方はうまく、ちゃんと話を聞いていれば内容がスラスラと頭に入ってくるような授業をしてくれる。俺個人の見解です。
「こんにちは」
「こんにちは」
職員室の山岸先生の近くに来た俺と安達は先生に挨拶をする。
「おお、来たか」
山岸先生は俺達に気付き、デスクの上に積まれた紙束を指した。
「これが今日使うプリントだ。持ってってくれ」
見たところ全部で100枚ぐらい積まれているように見えた。
3枚の藁半紙がホッチキスで1組にまとめられているので、それを俺達のクラス33人分で99枚といったところか。予備も合わせて100枚超えてるかもしれない。
「わかりました。では」
辟易する思いがしたがここで文句を言ってもしょうがない(あと、目立ちたくない)。
俺は一旦デスクの上のプリントの束を底から全て抱え上げた。
「持てる限りでいいから上から何枚か持っていってくれないか」
「え、ああ、そういうこと」
俺の言葉を受けて安達は俺の持っていたプリントの束の中央辺りに両手を差し込み、そこから上の束を持ち上げた。それを確認して先生に再度挨拶をかける。
「では失礼します」
「あ、し、失礼します」
「おお、ありがとな」
こうして俺と安達で分担してプリントを持って職員室を出た。
引き戸を開けるとき片手でプリントを持ち直すのが地味に面倒臭かった。自動ドア導入すればいいのに。職員室だから先生方も便利でしょうが。
俺と安達の二人が横に並び、それぞれプリントを両手に抱えて教室に戻る道すがら、
「ねぇ、ちょっと訊きたいんだけど、いい……?」
と話しかけてきた。
「ん、何?」
何について質問が来るのか全く見当がつかなかった。
趣味は何ですか? 俺に訊く理由がない。
君の名前って何だっけ? ちょっとありそう。今まで関わってこなかった上に名乗ってないし。
やっぱプリントもうちょっと持ってくれない? そう言ってきたらひとまず持ってあげるよ。でも君の様子見てると大して疲れてないよね。だから君を棚の上のホコリと同レベルに評価するよ。
ぱっとこれだけ想像してみたが正解はどれか。安達が口を開いた。
「黒山君って一人で過ごすのが好きなの……?」
正解はその他でした。こういう想定外の質問されるとちょっと戸惑うのってきっと俺だけじゃないよね。
「どっちかって言うと好きだな。どうしたんだ、急に」
「いや、黒山君いつも教室で一人だけど、何かすごく平気そうに見えたから」
「そりゃそうだろ」
安達の話の意味がよくわからない。何も疚しいことをしていないのだから平気に決まってる。
第一安達も教室ではよく一人でいるが、一体どういうつもりで過ごしているのか。
「お前も一人でいるのをしょっちゅう見るが好きでいるんじゃないのか」
「え⁉ い、いや、私は複数人でいる方が楽しいかなって……」
さっきまで真正面を向いていた安達の顔が急に俯いた。声が後の方へ行くほど小さくなっていき、最後など何を言ってるのか全くわからなかった。
「それなら何でいつも一人でいるんだ」
「えー、と、何て言いますか……」
安達はこの学校に入ってからこれまでの経緯を説明し出した。要約するとこんな感じ。
安達は自分から積極的に話をするのが怖いらしい。
周りから話しかけられたら普通に応対できるし中学まで友達もいるにはいたが、訳あって県外のこの高校へ入ることになり中学の同級生は一人もいない。
心機一転して自分から話しかけようと思っても行動に至らずにいたらどんどん時間が過ぎていき、入学当初に話しかけてくれた同級生に話すのさえ億劫となり、とうとう新しい友達が一人もできないまま一月が経ってしまった。
休み時間中に勉強したり寝たりしているのも別にしたいわけじゃなく、何もしないで時間が過ぎるのを待つのが色んな意味で耐えられないのだとか。
安達の説明を聞き終わると同時に教室へ着いたため、このときの安達との会話はそこで途切れた。
ただ一つ気になるのだが、安達は本当に中学まで友達がいたのだろうか……。