第八話
健吾との飲みは日課というか、食事を出す店というのは例外なく酒場だし、酔った獣人以上に危なそうな連中がうろうろしているので、健吾の行きつけの店に顔を出すほか選択肢がなかった。
健吾は獣人に顔が利くし、本人が小さな獣人のようなものなので、用心棒にはもってこいなのだ。
ただ、その日はどうしても健吾と話したかった。
なにかから逃げるように仕事に没頭し、町の市場が閉まる鐘の音が聞こえるとともに、商会を後にした。酒場の隅で酸っぱい麦酒を抱えるようにして飲んでいたが、酒に弱いのに全然酔えなかった。
そうしてようやく健吾が来た時には、連れ立っていた獣人たちから引っぺがすようにして、自分のテーブルに連れて行った。
「あ~、頼信もついに経験したか」
商会であったことを話すと、健吾は辛そうに言って、こちらの肩を叩いてきた。
「わかるよ、衝撃だよな」
肩を揺すられるのが、どれほど心強かったことか。
自分の感覚を理解してくれる人がいるというのは、これほどにほっとすることなのだ。
「ただまあ、慣れるしかないってのが現実だ」
健吾は追加の酒を注文して、炒った豆をがりがりと噛む。
「鉱山だと、あり得ないくらい頑丈な獣人たちでも大怪我したり、死人が出たりする。俺が働き始めの頃はそれこそ奴隷労働そのまんまで、どう考えても誰の得にもならないのに、折れた腕を抱えたままの獣人を働かせるなんてのもしょっちゅうだった。その辺を改善するだけでも、死ぬほど大変だったな」
健吾が獣人たちと仲がいいのは、その見た目が獣人に近いからと最初は思っていた。
しかし、健吾は鉱山の暗い穴の中で働く獣人と、鉱山の外で好き勝手に利益だけを吸い上げる者たちとの仲介役のようなことをしているのだ。
鉱山監督官として鉱山の生産性を上げるいっぽう、獣人たちの待遇を改善している。
健吾と食事をしていると獣人がしょっちゅう差し入れを持ってくるのは、それは彼らが健吾に助けられているからだ。
「健吾は……その、どう思ってる?」
「ん?」
「自分たちの、明日の姿って意味でもあるよね?」
怪我をしたらそれまで。
なんなら病気になっただけでもそうだ。
自分もちょっと不思議に思っていたことがある。それまで普通に働いていたのに、急に商会で見かけなくなる者たちがいた。
確かに雑なこの世界のこと。
雇用契約など握手以上のものではなく、嫌になったら辞めるだけ。それでなくとも荷揚げ夫などは入れ替わりが激しいので、ぶらぶらしているか別のところで働いているのだろうと思っていたが、中には病気で来れなくなったり、怪我をしてそれっきりという者たちが大勢いたのだろうと。
「怖くは、あるよ」
健吾は言った。
「あんな穴ぼこの中だと、落盤も怖いけど、単純に空気が悪い。いつか肺をやられるだろうからな。魔石鉱山ってのはそれでなくとも危険だと言われてる。なにせ、死体が蘇るくらいだし」
その当の死人二人が顔をそろえているのだから、笑っていいのか微妙なところだ。
魔法の触媒となる魔石は、そんなふうになにか異様な力を秘めている。
死者を復活させること以外にも、魔石の鉱脈近くでは獣人とも明らかに違う、異様な生物である魔物が出没することがあると言われている。
そしてそんな鉱山でずっと働いていれば、ゆっくり汚染されるように魔物になっていく、なんて噂まであった。
だから鉱山で働くのは人間より格下と見なされて虐げられている獣人たちだし、そこの監督官は給料が高い準公的な仕事なのだ。
「でも、どうしようもない」
一流大卒で、きらきらのコンサル業界で働いて、大会に出るようなボディビルダーで、一人異世界に放り出されても言葉をあっという間に習得してしまうような超人の健吾。
その健吾が、力なく言った。
「せいぜい小金を貯めて、周囲と仲良くなっておくしかない。怪我や病気をして働けなくなっても、しばらくは日替わりで誰かがパンを差し入れてくれるくらい多くの仲間を作っておくんだ。互助の精神ってやつにすがるしかない」
人好きのする、誰とでも仲良くなれる健吾。
そう思っていたし、そこに嘘はないのだろうけれど、作意がないわけではなかったようだ。
「現代日本だと想像つかないかもしれないけど……前職で、国際的なNGOの手伝いをしたことがある。いわゆる一日2ドル以下の、貧困ライン以下で生活するような人たちの生活を見たことがある。その時の経験から、ここでどう振る舞うべきかはなんとなく想像がついた。お金や国の保証がなくとも、周りがみんなそういう状況だったら、案外どうにかやっていく方法はある。十人くらい仲間がいたら、誰かが働けてなくても、誰かはちょっと懐に余裕があって助けられる。そしてその役目は日々入れ替わる。互いに互いを保険として取り扱う感じかな」
健吾は酒を置いて、ため息をつく。
「とはいえ、相変わらず不安定だし、選択の余地がないという意味では、辛い話なんだけど」
いつもの、すべてを笑いと筋肉で吹き飛ばすような健吾の姿はなく、ひととおり世の中を見てきて、収まるべき場所に収まるしかないのだと悟った大人の姿がそこにはあった。
「それにさ」
と、健吾はどこか晴れ晴れとしたような笑顔を小さく見せながら、酒場をぐるりと見まわしてから、最後にこちらを見た。
「明日のことなんて考えても仕方ないから、今日を楽しもうっていう空気はそれなりに気楽だろ。将来の安定はあったほうが間違いなくいいんだろうけど、だからってそれが必ずしも幸せにつながるわけじゃないのは、前の世界で経験済みじゃないか? 難しい話だけれど」
先進国生まれの時点で、世界的にはチート級の幸運だ。
パワハラ上司がなんだって? 世の中には、地獄としか言えない紛争地域で暮らす人たちが山ほどいる。
けれど、だからといって自分たちの苦しさが軽減されるわけではない。
「そんなわけだから、難しいことは考えないで、ほどほどに楽しんで暮らしておけよ。今のところは前の世界に帰るあてもてんでないし……結構貯めてるんだろ?」
金の話は、日本語で。
現金を持っていると知られたら、治安が良いとは言えないこの世界だから、面倒な奴らを引き寄せる。
「そんなにじゃないけど……」
最近は自分も気が緩んで、稼げば稼いだ分だけ使う日も多い。
それにこんな呑気な生活も悪くないなんて思っていた。
けれど呑気に見えるのは、悲惨なことが起こらないからではない。悲惨なことが多すぎて、あっさり通り過ぎてしまうからなのだ。
「ゲームを作るって話もしてたじゃん。なんか手製の奴でって言うのも、いいと思うけどな」
気恥ずかしくて当初は黙っていたが、酔った勢いで言ってしまった、自分の夢。
健吾は他意もなく言ったつもりだろうが、自分の胸に思いがけず強く刺さる。
ここで死んだら、また前の世界に戻るのだろうか?
でも、そうでなかったとしたら?
なんとなく新しい世界に慣れてしまい、まどろんでいた脳の奥に疼痛のようなものが走る。
この世界に来て、まだ油断を忘れていなかった頃のこと。
その日暮らしの給金しかもらえないことに、はっきり不安を覚えていた時のこと。
前の世界から追い出される瞬間、本当にやりたかったことを自覚したあの瞬間の気持ちを、まだはっきりと覚えていた時のこと。
特に野望もなく、なにごとも長続きせず、起伏の少ない人生だったが、自分にはゲームを作りたいという夢だけは長いこと胸の中にあった。大学時代には実際にゲーム製作サークルを立ち上げて、リーダーまでやっていたのだ。
しかしここでは、なにをするにもまとまった金が必要だ。
そして毎日お情けで渡されるような銅貨だけでは、貯金に途方もない時間が必要になる。
挙句に今になって、些細なことで野垂れ死ぬ可能性が当たり前にあるのだと理解した。
だとすると、ノドンの下でいつまでも低賃金で働いている場合ではない。
健吾だって鉱山で働き続けるのは、本当は不安なはずだ。
自分たちは、一刻も早く現状から抜け出すべきだった。
ノドンの商会からこの酒場に駆け付けて、飲めない酒を飲む間、ずっと考えていたことがある。
チート能力もすごい装備もなんにもないこの世界で、前の世界では凡人だった異世界人が、どうにか這い上がるその方法。
「ねえ、健吾」
「ん?」
肉を噛みちぎる様子は獣人のそれ。
けれど、髭の下にあるのは、コンサル出身の超優秀な男の顔だ。
「起業しない?」
無一文の男たちが一山当てようと思えば、ここでも現代でも、方法は限られているのだから。
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