第五十一話
ドドルは間抜けではない。
それが、後ろを取られているのに全く気が付いていなかった。
ドドルは体中の毛を逆立て、固まっていた。
「あんたがた、冒険者をお探しではないかと思ってね」
しかも、その言葉だ。
全員の呼吸が止まる。
嘘だろう? と。
『お……前は……?』
ドドルがようやく口を開くと、顔に傷のある男はにやりと笑って、その巨体を軽く押す。
背後を簡単に取られたドドルは、気圧されて道を開ける。
突然現れた男の向こうには、さらにまた別の男がいて、健吾よりも筋骨隆々のうえに武骨な鎧を身に着けている。しかもその鎧は、凄まじいほどの傷だらけ。
しかし、全員が息を飲んだのは、その鎧にですらない。
その男が肩を貸していた、一人の獣人の様子にだった。
『そなたは……ツァツァルか?』
背後からゴーゴンの声がする。ずたぼろの獣人の様子から、ゴーゴンの患者の一人だったのかもしれない。
「おんや、ゴーゴンのおっさん、ここにいたのか」
顔に傷のある中年男が明るい声で言うのだが、全員の視線は一人で歩くことのできない獣人に向けられている。それくらいに異様なのだ。
その獣人は両目を覆うように包帯をつけ、右腕がなく、右足もほとんど動いていない。
なにより目を引く、胸についた巨大な傷跡だ。
『ふふ、懐かしい匂いがするなあ』
けれど、その声は驚くほど普通だった。鼻をひくつかせ、笑って覗いた牙の隙間から、ちょっと散歩に出たという感じの声が出てくることに、頭が混乱する。
『すべてをかけた戦いの匂いがする。それになるほど……よさそうな戦士もいるじゃあないか』
目の見えていないはずの獣人の鼻が、右、左にと向けられ、ドドルに向けられていた。
『ふふん』
この場で最も死に近いだろう見た目の獣人が、巨漢の肩を借りたまま、いやに元気に言った。
『オレらはここを終の住処と決めたんだ。トカゲの好きにさせたくなくてなあ』
それは、一体どういう意味だ?
全員の問いに、顔に傷のある中年男が答えた。
「俺たち最後の働きだ。報酬は、三人分の終身年金。そうさな、毎月帝国金貨百枚でどうだ」
突然の言葉に頭が追い付かない。
まさか、この人たちが、冒険者?
でも船は沈没し……いや、船で来たはずがないから、島に元々いたのだろう。
いや、そんな都合のいいことがあるはずない。
詐欺師ではないか、とマークスに視線を向けようとするが、こちらの動揺も懸念もよそに、傷だらけの獣人がしれっと言った。
『ゲラリオ、安すぎないか?』
「弱みに付け込むのは趣味じゃねえ。おい、どうだ、お嬢ちゃん。あんたがここの可愛い領主様だろ?」
ゲラリオと呼ばれた男の視線に釣られ、全員の視線がイーリアに向かう。
文字どおり命を燃やす勢いでクルルにすがっていたイーリアは、興奮が落ち着いてしまい、悪夢から覚めた後の女の子みたいに呆然としていた。
そのイーリアが、まばたきも忘れてゲラリオを見つめ返していた。
「あ、あなたが……あなたが、竜を――」
「ああ、倒してやる」
余りにも当たり前のように言う、救世主気取りの中年男。
そして、気付く。
ゲラリオも軽装の鎧を着ているのだが、その鎧のあちこちに、魔石がはめ込んであった。
「毎月金貨百枚の終生年金。銅貨一枚まからん」
自分は即座に口を開いた。
「二百枚!」
全員の視線が、自分に集まった。
「ただし、誰も死なせなかったなら」
ゲラリオは一瞬、剣呑な顔つきを見せたが、なにか考えるように視線が天井を向き、ほどなくにやりと笑う。
「よし、乗った! 経費はお前らもちな!」
経費、という現実的な単語に損得を計算しかけてしまうが、商会のすべての人件費を足したところで、金貨で年に二千枚なのだ。ここで支払いが倍になっても、間違いなく得なはず。
なにせバックス商会に頼ったとしたら、おそらくすべてを奪われるくらいの請求をされるのだから。
「冒険者稼業最後の仕事が、獣耳のお嬢ちゃんが治める領地に現れた竜だなんてなあ。話を盛り過ぎだが、詩人に謳わせるには悪くねえな?」
ゲラリオが仲間を振り向くと、武骨な男は相変わらず武骨なままむっつり黙っている。傷だらけの獣人ツァツァルは、げっげっと笑っていた。
「お、お前らは、なんなんだ?」
ようやく現実に頭が追い付いてきたのか、クルルがそう尋ねた。
ゲラリオは腰に提げた長剣の柄に手を置き、肩をすくめて答える。
「お探しの冒険者様よ」
神は、本当にいるのかもしれなかった。