第二十六話
エダーを型に嵌めたその日、自分は商会に戻って何食わぬ顔で魔石取引に相席した。つつがなく取引を終えて商会で仕事をしていると、エダー商会からの荷物が届く。ノドンは開けることさえしなかったが、中身は不正な徴税で集められた大量の貨幣だ。
その木箱をしまいこむのを見届けて、ノドンがぱっくり餌に食いついたことが確認できた。
ジレーヌ領の経済を支配する王を、一撃で破滅させるだけの魔法陣が、しっかりとその足元に刻まれたことになる。
この魔法陣こそ、悪辣な徴税権濫用の主犯であることを示すのだから。
しかし、これでもなお、ノドンを倒すには足りない恐れがあった。
ノドンの厚かましさがあれば、平気で言い訳を垂れ流すだろう。エダーがなにをやっていたかなど知らなかった、定期的に送られるカネがそんな汚れたものだとは知らなかった等々。
それどころか、まったくあずかり知らなかったけれども、どうやらそのカネが汚れたものであるらしいのは間違いないので、溜め込んだ財産にて弁償しようと言い出したら、逃げおおせられてしまうかもしれない。
自分もさすがにノドンの枕元にどれだけの黄金があるのかまでは把握していないし、ノドンがバックス商会に泣きついて、経済的、あるいは政治的な支援を取り付けてしまう可能性だってある。ノドンにはそれだけの伝手と財産がある。だが、そのすべての権力の源は、結局魔石取引にある。
だから自分たちが完全を期すには、その富の源泉をもぎ取らねばならなかった。
「それで、なんで自分が……?」
エダーの商会を訪れてから、さらに数日の後。
計画の第三段階実行当日は、商会の営業も終わって町の酒場が賑やかになる頃、マークスの隠れ家に集まっていた。
イーリア、クルル、マークス、自分がいると、息苦しいほどに狭いぼろ家で、周囲も似たような小屋が互いに寄りかかるようにして建っている。
鉱山から出た屑石捨て場が獣人のスラムなら、町の酒場が集う地区の裏手に広がる旧市街は、人間たちのスラムだ。
「この件では、健吾が行くはずだったのでは……?」
「あいつは急に仕事ができたんだよ」
クルルはそう言って、蝋燭の灯りを頼りに手早く外套を縫い合わせている。
その主人であるイーリアはというと、ずいぶん楽しそうに尻尾を振りながら、こちらの頭に不格好なかつらを乗せていた。
「それにエダーの一件で、お前もまあまあ肚が座ってるってわかったからな。それともなにか。私一人だけ魔石加工職人のところに行かせるつもりか?」
クルルはさすらいの魔法使いドラステルの格好をしているが、雑に縫い合わせた大きな外套を軽く手で払うと、こちらの背中に当てて大きさを確かめている。布地と呼ぶより革製品と言ったほうが近いような、重くて頑丈なものだった。
「そういうわけじゃありませんが……それに、イーリア様、なんでかつらを?」
「前の領主が裁判の時にかぶっていたらしいんだけど、骨とう品だから怪しさ抜群ね」
妙な匂いのする黒い毛のかつらは、毛の長さもめちゃくちゃだ。
鏡がないのでわからないが、およそまともな人相にはなるまい。
イーリアが楽しそうにしているので、なおさら不安だった。
「魔法使いの従者としては、確かにそんなもんかもな。見たことねえけど」
部屋の主のマークスは壁にもたれかかりながら、無責任にそんなことを言っていた。
「それより、さっさとしないと魔石加工職人の組合長たちが、仕事を終えて帰っちまうぞ」
自分たちがこんな場所に人目を忍んで集まっているのは、もちろん理由がある。
クルルから渡されたいびつな外套を羽織り、フードの中にかつらをかぶって大きくなった頭を押し込みながら、言った。
「組合長と、副組合長がいるんですよね?」
「そう聞いてる。ノドンの野郎に支払う借金の利子を職人たちから集め、数えてるはずだ」
職人たちの首に巻かれている、借金の首環。
それがある限り職人たちはノドンの言うことを聞かざるを得ず、ノドン以外の者が魔石取引に関わることを不可能にしている。なぜなら、こんな辺鄙な場所にまで魔石を買い付けに来てくれるバックス商会は、加工された魔石しか受け取らないと言っているからだ。
これはおそらく、未加工の原石では州都ロランで改めて加工しなければならなくなり、バックス商会の上司たちの目があるところでは不正もしにくいせいだろう。州都ともなれば加工組合も権限が強く、相応の加工賃を取られてしまうはず。
つまりこの隔絶された島である、ジレーヌ領を支配するノドンと手を組んでこそ、あのコールは不正な利益にありつけるわけだ。
だがこれは逆に、ジレーヌ領の職人たちを味方につければ、ノドンの足場を崩すことをも意味している。
職人たちを味方につけるその方法とは、ストレートに、借金の肩代わりだ。
問題は、自分や健吾はそれだけの現金を持っていなかったし、探鉱作業で浮かせた費用をもってしてもまだ足りないこと。
自分がノドンの帳簿から推測した職人たちの借金額は、魔石加工職人全体で金貨八千枚を超えている。払いきれない利子が積もり積もってこうなっていて、おそらくもう二度と返済の見込みはないと、誰もが理解しているはずの金額だ。
ノドンとしては生かさず殺さずやりたいので、永遠に利子を取り立てることで満足し、職人たちもなんとなくこの状況に甘んじてしまっているらしい。
しかし時折借金を振りかざしては、ノドンが横暴なことをしているという話もマークスから聞いていた。ノドンの女好きは、有名なのだから。
職人たちをその泥沼から救えるのは、エダーから取り上げた裏帳簿だった。
あれは悪辣な方法で集められた税金だが、そこに記された金額というのは、いわばイーリアが本気でこの町で権力を振るうと、一体いくらの金額が手元に入るのかの指標でもあった。
その額、一か月でおよそ金貨三千枚。
もちろんその額を引き続き集めようというのは、イーリアの倫理に反するだろう。
だが、三分の一に減額したって、金貨千枚になる。あれこれの支出と合わせて職人たちの返済をしても、多分数年のうちに完済できるだろう。
イーリアが借金を肩代わりするから、勇気をもってノドンに反抗し、自分たちのために魔石を加工してくれと持ち掛ければ、職人たちは受け入れてくれるはずだった。そして職人たちが味方に付いたのであれば、ノドンは加工済みの魔石を用意出来なくなり、バックス商会としてはノドンではなく、イーリアと魔石取引をすることになるだろう。
こうして、ノドンから魔石取引という富の源泉をもぎ取れる。
税金と魔石取引を手元に収めたイーリアは、ついに領主としてふさわしいだけの収入を得ることになる。
自分と健吾はそこからいくばくかの分け前をもらう約束と、その金で自分たちでも魔石取引をやらせてもらう約束を交わしている。そうすれば、なんの身分の保証もない日雇いから、ある程度この世界の無慈悲さから身を守るための、経営者になれる。
けれど、それらすべてが実現するか、それともジレーヌ領から逃げ出した先の道の上で、あり得たかもしれない夢として語るのかは、すべてこれからの働きにかかっていた。
「準備はいいか?」
マークスの問いに、自分とクルルは無言でうなずいた。こちらの変装を楽しそうに手伝っていたイーリアは、微笑むのが人々の上に立つ自身の仕事だと理解しているようだ。
「二人ならきっとできるわよ」
クルルならできる、と言わなかったイーリアを見ると、にこりと笑顔を返された。
「行くぞ」
クルルに妙に強く背中を叩かれ、マークスの開けた扉をくぐって外に出る。すっかり夜も更けた町を、マークスの弟たちの中でも勘のいい少年が先導役になって歩いていく。入り組んだ路地が続く旧市街には明かりがひとつもない。暗闇の中を、少年も、クルルも誰も口を開かないで歩いていく。
魔石加工職人の説得は、エダーの時のように腕力でごり押しするのではなく、もう少し繊細な交渉事だった。本当ならこういうことが得意なはずの、元コンサルの健吾が説得役をやるという話だったのに、急に仕事が入ったというのはなんなのか。
健吾は鉱山監督官なので、命に係わる事故なんかも少なくないのだろうが……。
そんなことを思っていたら、前を歩いていた少年とクルルが足を止めて、危うくクルルにぶつかるところだった。
「着きましたよ。あの建物です」
少年が路地から大きな通りの先を指さすと、四階建ての木造家屋が連なる一角に、木窓の隙間から灯りが漏れている家があった。
「帰りも案内しますから、自分はここにいます」
「これでなにか食べてな」
クルルは懐から銅貨を数枚取り出し、少年の手に握らせる。
それまできつい顔つきだった少年が、たちまち笑顔になっていた。
「行くぞ」
フードを目深にかぶり直したクルルは、人差し指を曲げて、ついてこいと示す。
酒場のある地区ならともかく、日が暮れれば職人街や住宅地区はたちまち人通りがなくなる。
足音をなるべく忍ばせて道を渡り、示された建物にたどり着くと、手早く扉を小さく叩く。
「夜分にすみません」
すると、扉の向こうに人の気配を感じたのだろうクルルがこちらにうなずいて見せるので、言葉を続けた。
「イーリア・アララトム様の使いです」
その言葉に動揺したかのように、扉の向こうから床板のきしむ音がした。
ほどなく閂が外され、扉が開けられた。
「魔石加工職人組合組合長の、ヴェンナー様ですね?」
整えられた口髭と太鼓腹、それにぱりっとした仕立ての服は、職人というより実直な商人のよう。魔石加工職人の地位は高く、そこの組合長ともなればジレーヌ領の町では名士に数えられるので、額に汗する職人というより、実際に商人に近いのだろう。
しかもまさにその両手は、薄暗い蝋燭の灯りでさえわかるほど、貨幣の触りすぎで黒ずんでいた。
「あなた、がたは……」
ヴェンナーはこちらと、魔法使いドラステルの格好をしたクルルを見やり、言葉を濁す。エダーほどではないが、怯えたような色があるのは、町の貴顕の一員としてイーリアをないがしろにし続けてきた自覚があるからか。
ただ、不意を突かれたせいもあってか、ヴェンナーには祭りのときに見かけたような威厳のようなものはなく、むしろ疲れた中年男以外の何物でもなかった。
「中に通していただいても?」
ヴェンナーは部屋の中を振り向き、テーブルの上の貨幣の山と天秤、それに戸惑いがちに部屋の奥からこちらをうかがっている痩せた男を見てから、こちらに向き直る。
「散らかってますが……」
「大丈夫です。まさにその件で参りましたので」
ヴェンナーは目を見開き、それから諦めたように身を引いて、自分とクルルを中に入れてくれたのだった。