アラサードクハク

作者: 彪紗

実家暮らしの30代、というものが不動産業界やブライダル業界の策略でネガティブなイメージにされていたのが、不景気すぎてコスパが良ければその方がいいじゃない、という風潮に変わりつつある昨今。

20年来の私の友人が、近々結婚するという。

しかも、今時ネットを漁れば色々出てくるのに同棲もなしで。

結婚どころか恋人いない歴イコール年齢の私と、結婚願望が多少ありつつダメンズにばかり引っかかっていた友人だから、結婚して会う時間が今よりも減るというビジョンは当然薄かった。

何度も歴代元カレたちの愚痴を聞いたなぁ、と思いつつ、話を聞けば旦那になる男は趣味が合うちょっと長い付き合いの年上らしい。

ちなみに友人の趣味はゲームセンターのアーケードゲームだ。

見た目おっとり真面目系なのに我が友人ながらギャップがすごい。

ゲームセンターが出会いの場だったというその旦那予定の男について、付き合いたての頃は愚痴を吐いていたっけ。

何だったかな、よく分からない競馬に連れて行かれたとか、ご飯の予定が他の男友達を交えての雀荘に変更され、ルールすらよく知らない麻雀でぼこぼこにされたとか?

話を聞いた私の方が憤慨していて「論外」のレッテルを張っていたのだが、友人にとっては結婚を視野に入れられる相手だったらしい。

今までのダメンズに比べりゃだいぶまともだからって、価値観が麻痺ってないか、それ。

まぁ、彼女が幸せならいいのだけれど。


「ゲーセンで出会った男がまともなわけなくない?」

世間話ついでに彼女の近況を、と思って話した内容にそう吐き捨てたのは学生時代は共通の友人だった子で、彼女も私同様実家暮らしで結婚を考えたことがないタイプ。

だからこそ、ごもっともだな、と共感してしまった。


さて。

友人は恋人が出来るとその辺だけ様子がおかしくなる女というヤツで、普段は同僚のだらだらと仕事を引き延ばし、残業して残業手当をもらっているのを許せないと言っているような「真面目にやること」「誠実であること」を他人にも求めるタイプなのだけれど、恋人に関係することに関しては途端にそのスタンスが変化してしまう。

例えばフリーの時は夜中まで遊んでいたのが恋人が出来ると「体力がないから夕方までしか遊べない」に変わったのだけど、ある時「彼氏が夜会いたいって言ってるから夕方までで…」と言い出した。

要は、ダブルブッキング。

私の休日と恋人の休日の曜日が偶然にも同じだというのは聞いていたので「体力がないから」は嘘で、本当は私と遊び、恋人と会う、という何とも八方美人な一日を送るために私に割いていた時間を削ったのだろうな、と薄々とは感じていたけれど、自分でも正義感が強い方だと言っていた彼女がそんな不誠実なことをしたのが、いつまでもいつまでも胸に引っかかり続けている。

SNSで刺々しくならない程度に愚痴り、それが自分のことだと気づいた彼女に「そういうのはよくない」と指摘してからも、ずっとだ。

傷つけられた側は、今まで傷つけられたことがなかった相手であるからこそ深く深く傷つくのだなと大人になって初めて気づいた。

そして「会う約束の辺りだけは信用できない」と自分の中の彼女の評価が学生時代彼女も憤慨していたドタキャン魔と同じくらいまで落ちていることにも。

私は人生において初めて信用が少しの裏切りで瞬く間に失われる過程を身をもって知った。

こんなこと、話に聞くだけで良かったし、知りたくなかった。

それだけでももう充分です、と言いたいくらいなのにまたしても彼女はやらかしてくれた。

私は夜に仕事をしている人間なのだけど、週休二日で月曜日が全休ならそりゃあ当然日曜日は明け休みという実は休日に含まれないこともある名称の休みになる。

月曜日にゆっくり休んだ状態で遊ぼうと思っていた私に「お互い月曜日はゆっくり休みたいだろうから約束を日曜日に変えない?」と提案してきた。

その時は寝不足で思考回路が上手く繋がっていなかったから軽率に承諾したが、よくよく考えてみれば「ふざけるな」と言っていい案件だった。

どうして拒まなかったのか今にして思えば本当に私もバカだったと思う。本当に、心から。

必然的に常に五連勤となる私はそりゃあ明け休みには疲れ切っていて、家で寝ていたいと身体が悲鳴を上げるくらい疲労困憊状態だ。

そんな身体を少し家で休め、友人が仕事を終える時間にまた出かける…という激ヤバスケジュールになるのである。

その上、約束していたのはカラオケだ。

日曜日の夜と言えばカラオケ店は料金が跳ね上がる。

しかも不景気だから少し飽きられてきた中古のゲームソフトが一本買えるくらいだ。

そこも疲れ切っていて思い至らず、目ん玉を引ん剝く羽目になった。

寝不足で予定変更とかするものじゃない。

すっきりした頭で決めた予定にはそれなりの理由がちゃんとあるはずなんだから。

…きっと、その翌日に友人は恋人と会ったことだろう。

実際聞いたわけでもない彼女の予定など私の邪推なのは分かっていても、落ちた信用はそのレベルの邪推を容易く人にさせる。


だからそんなの知りたくなかったってば。


恋は人を変えるという。

だけどそれは友人との約束を「自分との時間は暇つぶしか」と思わせるほど適当に扱うことの免罪符になり得るのだろうか。

人格も信念も変えるほどの恋を未だしたことのない私には、分からない。

分からないが、もう友人の中では私は「約束を守らなければならない友人」ではなくなったのだ。

むしろ「会う時間を削っても何とも思わない相手」なのだろう。

人の心の厄介なところは、友人を恨めしく思う気持ちと、それは自分勝手だと自身を律する気持ちが両方大きく主張してしまうところだ。

そして、その変わってしまった一点を除けば友人のことは以前と変わらず接することが出来るくらいには好きなままなのだ。

一生懸命考えて選んだ誕生日祝いが「あ、私結婚することになった」の一言で隅に追いやられたとしても、嫌いにはなれないのだ。

ダメなところを指摘すれば素直に聞きつつ必要以上に落ち込むムーブするけど。

そんな友人のように、友情より恋愛を優先する日が、私に果たしてくるのかと思わずにはいられない今日この頃だ。