09.ティンダロスのポメラニアン
~ティンダロスの猟犬~
神話生物。時の概念の中に生息しており、時を超えた者を獲物にしている。獲物の匂いを一度覚えたら二度と忘れず、執拗に追い回す。
120度未満の鋭角から出現し、対象を殺す。一度ティンダロスの猟犬に目を付けられたら、角の無い部屋に生涯閉じこもり続ける以外に助かる方法はほぼ無い。
~ポメラニアン~
ドイツ原産の小型犬。体高15~25cm程度。性格は友好的で、かつ、賢いので躾もしやすいとされる。飼い主と離れていると不安を感じやすい。
毛が多い。強風で毛が強く靡く状態になると、どっちが頭でどっちがケツか分からなくなることで有名。
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私がボールペンを4本買い足して、ついでにペンケースも1つ買い足してから1か月。
大学はようやく、夏休みに入りました!9月いっぱいまで夏休み!いいね!大学生の良いところは、夏休みが長いことだと思う!ありがとう夏休み!
ただ、当然ながらその長い夏休みはただ休むだけにあらず。大学生としてはいずれ社会人になる者として、この休みを、普段得難い体験を得るために使うべきであって……。
「……得難い経験はもう間に合ってるんだよなあー」
「まあ、そういう狐が4匹も居ればね」
友達と一緒にサイゼリアで昼ごはん食べながら、付け合わせのコーンをつまんで、ほい、と机の端にもっていく。
そうすると、うちの賢い狐達がこんこん鳴きながら出てきて、コーンをもぐもぐ食べ始めるんだ、これが。
……うん。私がコーラ缶から出した4匹の狐は、今日も元気に私のボールペンのガワの中、ついでに狐専用ペンケースの中、ってかんじ。すっかり棲みついちゃってるし、私としても可愛いペットができたようなもんだから、文句は無いんだけどね。無いんだけど……。
「ま、いいや。ほら、こないだ話してた、うちのサークルの『2浪して入って2年留年して2年休学してる』っていうクソ野郎なんだけどさ。あいつをうちの狐が退治してくれまして」
「狐が人を退治っていうのは珍しいね。普通逆じゃない?」
「まあ普通の狐じゃないからね。……で、呪いをかけてくれてさー。あのクソ野郎、サークル費の着服分、胃腸炎で苦しんでるっていうわけだよ」
「それ、本当に狐の呪い?普通に食中毒とかじゃなくて?」
まあ、分かんないけどさ。ただ、ちっちゃな狐4匹が揃って、クソ野郎に向かって毛とか尻尾とか逆立てて、こん!って鳴いた次の瞬間からクソ野郎が腹痛で苦しみ出したから、なんかそういうのかな、って思っただけなんだけどさ。
でもまあ、うちの狐は優秀なんだよ。期末のテストも、勉強してたら狐がペンケースから出てきて、教科書のちっちゃなコラムみたいなところを尻尾でふさふさ撫でて、こん、って鳴くからそこのコラム欄覚えちゃったんだけど、そこがモロにテストに出たし。
「ま、よかったじゃん。クソ野郎が居ないんだったら、サークル合宿、楽しめるでしょ」
「うん!本当に楽しみ!よかったー!去年は後輩が着替え覗かれそうになったりとかしててさー、でも直接言ってもしらばっくれるばっかだし、もうアイツどうにかして出禁にしようぜって話はずっとしてたんだけどね。本人が胃腸炎でダウンしてくれるのが一番手っ取り早いよね!」
……ま、いいんだ。とりあえずうちの狐が優秀だってことだから、それはいいんだ。
とにかく、私は明後日から始まるサークルの合宿が楽しみっていうこと!まあ、『得難い体験』についてはうちの狐4匹で間に合ってるけど、『そこそこ得やすいけど意図的に得ようとしないと得られない体験』みたいなのもね、大事だからね。
私は大学でアナログゲーム同好会っていうサークルに入ってるんだけど、夏休みに皆で合宿するんだ。それで、とにかく延々とアナログゲームやる、ってわけ。泊まりでもないとできないようなゲームもあるからね。
ということで、サークル仲間と駅で落ち合って、そのまま合宿のために山の中の旅館へGO。
「特にそれほど観光地でもない山の中にある宿泊施設って中々安くていいよね」
「いいよね」
当然、私達の目的はアナログゲームだから、大人数で泊まれる場所さえあれば、立地とか周辺の観光地とかどうでもいい。だから毎年、『観光する場所はそんなに無い!都市部からは遠い!』みたいな場所を選んで、そこで合宿しているっていうわけ。
旅館まではバスで行くんだけど、まあ、そのバスが1時間に2本だからね。遅れないように皆で乗り込む。まあ、去年行ったところは2時間に1本だったから、それから考えると実に4倍もあってとても便利。
「うわー、どんどん山の中入ってくねえ」
「しかし、ここにバスが走っているということは、このバスを利用して生活している方もいらっしゃるということなんでしょうね」
「いや、多分生活してる人は車使ってると思う」
「えっ……ああ、確かに!」
バスで隣の席になったサークル仲間と話しつつ、私達のバスはどんどん山道を走っていく。
……ちなみに、この子についてはあんま知らない。イギリスから来てるけど育ちがほぼ日本だってこと、オカルト研究会と兼部してること、人狼みたいな嘘ついたり隠しごとしたりする系のゲームがめっちゃ上手いってことと、インカの黄金みたいなチキンレース系のアナログゲームがめっちゃドヘタクソなことしか知らない。そうなんだよ。ドヘタクソなの。全くブレーキ踏まないからそのまま崖に落ちてくんだよ。いやカッコイイよマジで。
「雨上がりの山って綺麗ですよねー」
「ね。みずみずしいってかんじ」
9月ではあるけれど、山は緑色。だから雨上がりのかんじがなんとも瑞々しいかんじ。まだまだ夏だね。ていうか秋どこ行った。秋見つけたら縛って閉じ込めて、ずっと拘留してやりたい。世界よずっと秋であれ。
……っていう時だった。
こん、こんこんこん。
狐達が4匹揃って、こんこん鳴き始めた。
「あら?どうしたんですか?」
「あ、うん。ごめんね、ちょっとうちの狐が」
何かあったかな、と思って鞄を開いて、狐ケースを開いてみたら……。
「うわ」
ぴょん、って狐4匹が飛び出してきて、それで……何か、見えた。
うん。見えた、っていうか、体験した、っていうか……なんだろ。よく分からないんだけど……ただ、『このバスが落石に巻き込まれる』っていうことだけ、分かっちゃった。
「えっなにこれ今の何!?何!?」
「えっえっ大丈夫ですか!?どうなさったんですか!?」
いやもうこりゃ混乱するでしょ!する!してる!するしかないよこんなん!こんらん!
「えっあっバス停次の次だ!どうしよ!」
「降りるところはまだ先ですよ!?」
私が混乱してるから隣の子も混乱し始めちゃったんだけど、でも、これ、どうすればいいんだ!?
なんか未来が分かっちゃった。
ついでに、その未来だと、『次の次のバス停に差し掛かる手前くらいで落石に遭う』っていう。
……見えたものが本当に未来なのかは分からないけど。
でも、今も狐達が私の手の中で、毛を一杯逆立てて、こんこん、って警戒するみたいに鳴いてるし。
落石に巻き込まれて、なんか……その、バスが横転して、叩きつけられて、っていう感覚、妙にリアルに、頭の中に残ってるし。
だから私、手が伸びてた。
途端、『次、停まります』って音が鳴る。
「えっ!?降りるんですか!?」
「いや、うん……えーと、降りた方が、いい……いや、違う。私だけ助かっても意味が……」
「えっ!?どうしちゃったんですか!?あの!?」
とりあえず、時間は稼げる。稼げる、と、思う。……それだ。うん。それでいこう。時間さえ稼げれば、なんとか……。
「大丈夫ですか!?具合悪いんですか!?顔、真っ青ですよ!?」
隣の子がめっちゃ心配してくれるのがなんか申し訳ない。けど、やるしかない、よね。杞憂だったら杞憂だったでいいんだし。何も無ければ、私がバカやっただけで済むんだし……。
バスが停まる。落石前、最後のバス停だ。
……そこで、私は荷物持って、できるだけゆっくり、降車口の方へ歩く。このバス、サークル仲間しか乗ってないから、皆、『あれ?どしたの?』ってなってる。
でも前に進んで、それで、精算機の前で財布を出して、小銭を出すふりしながら、電光掲示板の料金表を見上げて……。
「あっ、違ったー」
わざとらしいでしょ、って自分でも思うんだけど、『降りる所を間違えてました!』っていうふりをする。
「すみません!間違えました!降りるところ、ここじゃなかったです!すみません!」
運転手さんに謝って、ここでもちょっと時間を稼ぐべく深々と頭を下げて、でも運転手さん、めっちゃいい人だったから、『そういうこともあるよねえー』ってにこにこしてくれて、それで、『山道だから危ないし、席に戻ってから発車するからね』って言ってくれて……。
「あ、あの、本当に大丈夫ですか……?どうしたんですか……?」
「あ、うん。ごめん。ちょっとね……」
私がまたゆっくりゆっくり席に戻ると、サークル仲間達が心配してくれたし、隣の子もめっちゃ心配そうな顔してくれたんだけど、それを適当に笑って誤魔化しつつ、ゆっくり席に座って……『座りましたよー』って運転手さんに声を掛けたら、運転手さんものんびり確認とかしてくれて、それから、発車。
……1分以上は、稼げたと思う。だから多分、大丈夫。
そう思うんだけど、すっごいドキドキする。
そもそもさっきの幻覚、未来予知とかじゃなくてなんか別の幻覚だったんじゃないかな、とか、何も起こらなかったら私バカみたいじゃん、とか、でもその方がいいよね、とか、色々思いながらバスに揺られて……。
「うわあ!」
運転手さんの声と、急ブレーキ。
……それから、前方で、ガラガラ、って重い物が落ちるような音。
これで私、『成功した!』って分かった。
「うわあああー……あー、お客様。落石です。道、塞がりました」
運転手さんのアナウンスを聞いて、私、思いっきり力が抜けた!うわあああああ!よかったああああああ!ほんとによかったあああああ!
……ということで、まあ、全員助かったのは良かったんだけど、道が塞がっちゃったので旅館にも行けなくなりました。
でも、運転手さんが『さっきの降りるところ間違えちゃったお嬢さんが居なかったら、我々全員巻き込まれてましたねえ……』って言ってたし、もうね、全員、『うわあ間一髪で死なずに済んだ!』っていう気分だから、旅館どころじゃないんだよね。
まあ、旅館の人には部長が連絡入れてくれたからそっちは大丈夫として……。
「なんだか、まだ信じられないような気分です……」
「ね……」
隣の子と一緒に、私もぼーっとしてる。いや、だって、そういう気分だよ。なんか突然、幻覚みたいなの見て、それから三文芝居打って、それでギリギリ事故を回避!って、もう、こういう気分だよ。
「あの……あなたはこれが分かっていたから、降車ボタンを押したんですか?」
でもやっぱり、隣の子は気になるっぽい。まあ、だよね。私の行動、不自然すぎたよね。自分でもそう思うよ。
「え?あ、うん……うん。なんか、分かっちゃった、っていうか、見えちゃった、っていうか……いや、えーと、変な意味じゃなくて、そのー……」
ここで『未来が見えました!』とか言っちゃったらそれはもうなんか怪しすぎるじゃん?っていうことで、なんか適当に誤魔化せないかなー、って思ったんだけど……でも、やっぱり不審だよね。知ってる!
「つまり、あなたは未来を見ることができるんですか!?」
「いや、私が、っていうか、うちの……」
結局、狐に全ての責任を負わせよう!っていう気分になってきたから、鞄をごそごそやり始めて……。
……きゅーん。
「えっ?何?犬?」
そこで、犬の鳴き声が聞こえた。でも、犬の姿は見当たらない。……ってことは、落石に巻き込まれて埋まってる犬が居る!?
だったら大変だ、って思って、落石の方へ向かう。けれど、犬っぽいものは見当たらない。尻尾の端っこだけでも出しといてくれたら見えるのに!
と思いながら、犬を探していたら。
「……ああ、角に!角に!」
隣の子が、落石の角を指差してた。
見てみたら、そこになんか青っぽい煙がもくもくしてて……。
「ポメラニアンが!」
……そこから、ポメラニアンが、にゅるん、って、出てきた。
出てきたポメラニアンが元気に飛び掛かってきたから受け止めて、おおー、よしよし、ってやってる。てしてしてし、って前足で胸のあたり蹴られまくってるけど、まあ、別に痛くもなんともない。だってポメラニアンだし。
まあポメラニアンが元気なのはいいんだけどさ。
「いや、どう見てもあの出てき方はおかしいでしょ」
問題は、ポメラニアンの登場シーンね。いや、隙間とかから出てきてくれたならまあ、分かるんだよ?けど、岩の角から、にゅるんっ、て生えてくるみたいな登場されちゃうと、ねえ。
こいつも変な犬なのかなあ、って思いながらポメラニアンのキックを粛々と受け止める。おお、よしよし。元気だね。
「これは……ティンダロスの犬!?」
かと思えば、隣の子がポメラニアン見て青ざめてた。
「えっなにそれ」
「え、えーと……角から出てくる犬です!」
「あ、何、そういう分類あるんだ。へー」
なんだー、そっか。そういう風に知られているタイプの変な犬なら大丈夫か。
「まあ、筒に入るのが好きな狐も居るくらいだし、角から出てくる犬が居てもいっかぁ……」
「えっ」
びっくりされちゃったから、ほらね、ってうちの狐を出して見せてあげたら、もっとびっくりされちゃったよ。まあ、うん。普通はこういう反応になるのかな。でも可愛いから許してよ。ほら、今も4匹とも、尻尾ふっさふさで……あれ?これ、威嚇してる?
「……ちっさい狐に、ポメラニアンが威嚇されている」
「なんということでしょう……」
角から出てきたポメラニアンは、うちの狐4匹に威嚇されて、縮こまってしまった。『きゅーん……』って鳴いてるのがなんとも哀愁を感じさせる。なにこれぇ……。
「……いや、あの、本来であれば、ティンダロスの犬というものは恐ろしい怪物なんですよ?」
「あ、そうなんだ」
「はい。注射針のような舌で、獲物の脳髄を啜ります」
「えっ怖っ」
聞いてみたらめっちゃ怖い犬っぽいけど、でも、今目の前で例のポメラニアンは狐に囲まれて只々縮こまってる。どう見ても、序列最下位!っていうかんじがする。
まあ、一応見てみるかー、って思ってポメラニアンの口が開いたところで舌を見てみたんだけど、あー、成程。確かに。
「タピオカ用のストローみたいになってる」
「タピオカ用のストロー」
「鋭さは一切無いねこれ」
「あっ……本当ですね……」
うん。鋭くない。でも筒状になってはいる。へー、珍しい犬だなあ。
「じゃあ、ジュース飲むかな。ほい」
まあ、折角こんな舌してるんだしなあ、と思って、鞄から100%グレープジュースのペットボトル出してみたら……。
「あ、飲んだ」
「飲んでますね……」
飲んだ飲んだ。で、美味しかったのか、きゅん!って鳴いて元気にくるくる回り始めた。うーん、可愛い。
「脳みそより美味いでしょ?ね?」
まあ絶対、脳みそよりこっちの方が美味しいよ。ほら、ポメラニアン、めっちゃ嬉しそうだし。ね。今後もこっちにしときな。
「ところでこのポメ、どうしよ」
「角から元の異次元に帰ると思いますよ」
「元の異次元……なんか壮大だね」
構い倒したポメは、隣の子の助言に従って適当な角に押し付けてみた。そうすると、ポメは出てきた時と同じように、にゅるん、って角の中に入っていって、わん!って鳴き声が元気に聞こえて、それっきり。
「おお……帰った」
「帰りましたね……」
変な犬だったなあ。でもまあ、そんなに悪いやつじゃなかったと思うよ。狐4匹に威嚇されてビビるくらいの犬だったし、もう、なんか懐いちゃったようなかんじあったし……。
「……あれがまた出てきたとしても、危険は無さそうですね」
「うん。また来たらまた撫でてやろう」
ね。なんか折角だし、また暇な時にでも出てきてほしいなあ。
結局、例の犬……『ティンダロスのポメラニアン』は、合宿中も、その後も、時々……私が疲れてる時とか、落ち込んでる時とかに、角からポメラニアンが出てくるようになった。なのでその度にモフり倒してから角に返すようにしてる。そうするとポメラニアンは嬉しそうだし、私もちょっと元気出るし。
それから、隣の子は『今回のことを手記にまとめました!』とか言ってた。まあ、元々そういうの好きだからオカ研に兼部してるんだろうしなあ。
手記は『私の死後に発見された時にそれっぽいように気を付けました!』っていうことで、なんか趣深いA5ノートに書いてあった。徹底してるなあ。
『A dog will appear from time to time. It is a cute, white The Pomeranian of Tindalos. It will appear from around the corner and attack us. But its kicks will be soft and not dangerous at all, because it is a Pomeranian!』とか書いてあった。そっか。まあ、そうだね。ポメラニアンだから、アレは全然、危険じゃないよね……。
なんか、未来予知みたいなのすると今回みたいに角から犬が出てくることがあるっぽいんだけど、でも、今回はしょうがなかったしなあ。私があれやってなかったら、全員死んでたかもしれないし……。
「次は何が出てくるかなあ」
コーラ缶から狐が出てきたし、角からポメラニアン出てきたし。次は何が出てくるかなー、って考えると楽しいから、まあ、また何か出てきてくれたらそれはそれで嬉しいな。
そうだなあ、狐で犬だから、次は猫とか……?