20.リャナンシー
~リャナンシー~
妖精の一種。人間に芸術の才能を与える代わりに、その生命力を吸い取るという。
夢魔の類と同一視されることもある。ところで『夢魔に与えるものは生命力の代わりに牛乳でOK』という話はあまりにも有名。
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「ふふふ……今回もいい出来だわ」
朝。私は染め上がった一反木綿が空にふわふわ浮かぶのを見て満足していた。
……一反木綿の染色屋さんにされてから、数か月。私は通算30反の一反木綿を染めている。
最初の一反木綿を染めた直後に一反木綿が五反ぐらい来たから、まあ、それでひとまず終わりだと思ったのよ。
そしたらそれで終わらずに、ちょいちょい一反木綿が一反木綿連れてくるようになっちゃったんだよね。まあ、こっちは染めたい、向こうは染まりたい、っていうことで、来てもらう分には全然かまわないんだけど。
それぞれの一反木綿の希望に添えるように色々な染め方の布サンプルを見せてあげたり、一緒に図案考えたり……まあ、とんでもなく染色染色テキスタイル、な日々を送ってる。
そして今日も、一反木綿を染めた。梔子の実の綺麗な黄金色と、藍の鮮やかな浅葱色。今回の染料である梔子の実と藍は、一反木綿自身が持ってきてくれた奴。買うと高いからね。持ち込みはすごく助かる。
……まあ、時々普通の化学染料持ってくる布も居るんだけど、一反木綿御用達の手芸店とかがあるのかな……。どこで買ってるんだろ……。
まあとにかく、黄金色と浅葱色、その2色使いでダマスク模様を染め抜いてみたら、綺麗で上品でお洒落な仕上がりにできた。いいね。かわいいじゃん。
仕上がりはバッチリ。二色刷りなわけだけれど、ピタッ、と綺麗にキマった。我ながら惚れ惚れしちゃうくらい。
一反木綿を染めまくってるおかげか、最近、すっかり染物が上達した。染める時の技術もそうなんだけれど、図案とか、いいのがすぐにピンと思いつく、っていうか。
我ながら冴えてるものだから、益々楽しい。授業で新しい技法を学ぶのも楽しいし、空いた時間に一反木綿を染めてあげるのも楽しいし。
一反木綿って、染めると嬉しそうにしてくれるからやり甲斐があるんだよね。他人からの好意的な評価がすぐに貰えるのって、やっぱり、ものすごく励みになる。だから、一反木綿達とはいい関係……だと思う。まあ少なくとも、お互いに得るところはあると思ってるよ。
そんなこんなで、ダマスク模様を染めた一反木綿も、次のお客さんを連れてきてくれた。はいいらっしゃい。
今回のご要望は草木染めだ。桜の落ち葉をたっぷり集めて来てくれたから、まあ、これで染めてくれって事なんだろうな、っていうことで、早速、それの準備に取り掛かる。
「まずは落ち葉を煮出すところからか。うーん……とりあえず煮てから考えるか。どうせ時間かかるし」
落ち葉を煮出して染液を作るんだけれど、実は、煮て一回目の液よりも二番出汁、三番出汁の方が綺麗に染まることもある。でもまあ、どのみちまずは乾いた落ち葉をふやかすところからだし、水に漬けこんで一回煮てみないとね。
染液を作る傍ら、ご新規様の一反木綿と一緒に図案を考える。
素朴な草木染だから無地がいいらしいんだけれど、ワンポイントで何か花の模様を入れることに決めた。まあ、草木染は染まるまでどんな色になるかはっきりしないから、一回染めてみてからその色を見て、何色のどんな花を入れるか考えようね、ってことでひとまず解散。
「……桜餅食べたくなってきたな」
そうしてひとまず、染液を煮る。桜の落ち葉を煮ていたら、なんか桜餅みたいな匂いがしてきた。
……桜の落ち葉の香りの成分、クマリンって言うらしい。ちょっとかわいいよね、クマリン。
染液は一晩おいておくことにして……翌日。今日も元気に一反木綿を染めていこう。
まずは、染液の様子を見る。茶色に見える染液に、試しに木綿の布を浸けて染めてみる。……すると、まあ、うっすらピンクに染まった。
これはちゃんと媒染液使わないと駄目ね。今回はなんかピンときたのでミョウバン媒染をチョイス。鉄とか銅とかもあるんだけど、なんとなく、アルミで媒染したら綺麗な色になる気がした。
それから、木綿とか麻とかの植物繊維って、絹みたいな動物性の繊維と違って染まりにくい。一反木綿もそう。そういうのは一回、牛乳とか豆乳とかに浸けてあげると綺麗に染まるんだよね。勿論、そういう薬品を使った方がぱっきり綺麗に染まるんだけど、まあ、今回は草木染だから、牛乳で。
……ということで、私は一反木綿を牛乳漬けにする!
とはいえ、牛乳原液じゃなくて、牛乳の水割りみたいなのを使う。牛乳原液だと、脂肪分で染液弾いちゃったり、後で残っちゃったりするから。
「……ん?」
早速、用意しておいた牛乳を取り出して……あれ。
「なんか牛乳、減ってない?ま、いいか……」
……作業室の冷蔵庫に入れておいた牛乳、なんか、減ってる。……誰か飲んじゃったのかな。まあ、全部無くなってるわけでもないから、別にいいんだけどね。
そうして一反木綿を牛乳漬けにして、軽く絞って、それから染液に入れて、軽く絞って、媒染液に入れて、絞って、また染液に入れて……地道に草木染して、最後は水洗いして、出来上がったのを干す。というか、干されてもらう。
……ちょっとドキドキしながら一反木綿の乾燥を待って……生乾きになったところでアイロンをかけて、さて。
「よし、いい出来!」
結果は大成功!牛乳でタンパク処理してから、桜の落ち葉の煮出し液3番煎じをチョイス。それからミョウバン媒染。……その結果が、優しいピンク色!つまり、サクラの色!
いやあ、我ながらいい仕事したわ。優しい色に染まった一反木綿は、もう少し濃いピンクで入れたワンポイントの桜も気に入ってくれたみたいで、満足気にふわふわ帰っていった。
ついでに、一反木綿の他にシルクのスカーフも染める。じゃないと折角作った染液、勿体ないし。
それに、こうやって染めたものは、最近、売らせてもらってる。ほら、あの、ヘブンリーブルーが咲いてたお宅で。……妖怪相手に。
いや、まあ、あそこのおばあちゃん、すごく肝が太いっていうか……妖怪が家の庭で野菜とか薬とかお酒とか売り始めてるの、『賑やかでいいわねえ』ってにこにこ見守ってるからね。
だから私もそこに混ざって、毎週日曜日に染めた作品、売らせてもらってる。犬みたいなのとか、ちっちゃい女の子みたいなのとかが買ってくことあるよ。それがまたかわいいの。
この間、犬には藍染のスカーフを巻いてあげた。気に入ったみたいで、私の足元をくるくる回っててかわいかったな。……まあ、その後、机の角にひゅんっ、て吸い込まれていくみたいに消えちゃって、びっくりしたけど。
それから、ちっちゃい女の子みたいなのは、どんぐり染めの茶色い布を気に入って買っていってくれて……翌週見たら、それを新しいワンピースに仕立ててた。あれもかわいかった!
今回も桜の落ち葉の桜色スカーフ、誰か気に入って買っていってくれたら嬉しいな、って思いながら染めて、染めて……。
……それから、冷蔵庫に入れっぱなしにしてる牛乳のことを思い出した。
いけない。染色に夢中で忘れてたわ。これ、冷蔵庫に入れっぱにしておくと問題があるよね。ここの冷蔵庫は共有物だし。牛乳なんて、放置しちゃいけないものの筆頭だし。持って帰ろ。大学からアパートまでの距離なら、封の空いた1Lの紙パック手で持っていっても、まあ何とかなる。
……けど。
「ん?なんか牛乳、減ってる……よね?」
また牛乳が減ってる。
タンパク処理に使う分ってそんなに多くないんだけど……今、牛乳パックの下4分の1くらいまでしか牛乳が入ってないっぽい。おかしいな。もうちょっと入ってたと思うんだけど……。
家に帰ったら、別の布がこの間お礼に持ってきてくれた柿を剥く。今日の朝食は柿。あと、そうだ。牛乳。処理しなきゃいけない牛乳は、飲んでおくことにした。そういえば、柿と牛乳ってそこそこ合うよね。私はそこそこ好き。
……と思ったんだけど。
「……牛乳が無い!」
おかしいな!これは流石におかしいわ!
さっきまであったはずの牛乳が、無い!
いや、流石にこれは……ええと、どういうこと?
ひたすら牛乳を飲む何かが憑りついてる?でも、どこに?牛乳パックに?
……まあ、これは確かめてみるっきゃないでしょ。
ということで、仮眠取った後、スーパー開店と同時にすぐ、牛乳を買ってきた。
で、コップに注いだ。
そしてそこにデスソースを入れた奴を、冷蔵庫に入れておく。そして残りの牛乳は常に監視しつつ、テキスタイルの図案をいくつか出してみることにした。図案ができたらバインダーに挟んで、次に来た布がこれ見て選べるようにしよう、と思って。
図案が頭にぽんぽん浮かんでくるから、それを片っ端から描き出していって……。
……それから、小一時間。
冷蔵庫の方から、みーっ!という悲鳴が聞こえた。さて、何が引っかかったかなあ?
「……うわあ、罪悪感……」
……そこには、可愛い妖精さんが居た。『辛かった!』というように、じたばたしてる。
ああ、あなたが牛乳飲んでたのね。ごめんね……。
妖精さんがかわいそうだったので、普通の牛乳もあげた。どうぞ、ってやってみたら、牛乳を飲んで……今度は美味しかったみたいで、満足気だった。うーん、ちょっとかわいいな。
デスソースが入ってる方は、残りは私が飲んだ。まあ、まろやかなデスソース、ってかんじの味になってたよ。牛乳とデスソース、カレーの隠し味とかにいいかもね。
「ついでに柿も食べる?」
……更についでに、妖精さんに柿も勧めてみた。妖精さん、ちょっと警戒しながら柿を齧って……あ、美味しかったらしい。よかったね。顔にものすごく出るね、この子……。
柿を食べる妖精さんを見ていたら、なんだかまた図案が思い浮かびそうな気がしたから机に向かう。
ペン片手に、頭の中にあるものをなんとかまとめるべく考え始めて……。
……考えていたら、妖精さんがふわふわ飛んできて、にこにこしながら、ぽやん、と光った。……その光が玉になって漂ってきて、ぽん、と私にぶつかる。
すると……途端に、考えがまとまり始めた。『これがいい』っていうのが途端に分かった、っていうか。
「……ん?」
いや、まあ、アイデアがまとまるのは嬉しい。んだけど……その、ちょっとね。流石にこれはね、気づくよ。
「もしかして、最近の私が妙に冴えてるのって……あなたが何かしてたから?」
どうやら……最近の私の冴え渡りっぷりは、目の前で嬉しそうににこにこしている妖精さんのおかげだったみたいね。
……ちょっとだけ、考えた。私の頭の中に湧いてくるアイデア、そのアイデア自体をこの妖精さんが齎しているのか、それとも、私が考えたり選んだりする能力が向上してるだけなのか、って。
けれど……まあ、これを客観的に評価する方法は無いから何とも言えないんだけど……多分、私自身の能力の向上、というか、センスの向上、だと思うんだよね。
今のところ、自分が全く考えていないものは頭に出てきてないし。うん。だから多分、私はこの妖精さんのアイデアを盗作してるわけではない、と思う。
……まあ、そういうことなら話は簡単。
「あなた、ずっとここに居てくれる?私、牛乳切らさないようにするから」
使えるものは使っちゃう。人知を超えた何かだって、別に躊躇う理由にはならない。だって既に一反木綿が30反……いや、31反来てるし。
「ね、駄目?」
……ということで。
我が家には、妖精さんが1匹住み着くようになった。それで、私の考えがまとまらない時とか、アイデア出したい時とかに手伝ってくれるの。
で、妖精さんが牛乳飲むから、私も牛乳飲むようになった。……時々、一反木綿も牛乳飲んでく。いや、飲むっていうか、布の端っこを、ちょこん、って牛乳に付けて、牛乳を布に染み込ませてる、っていうか。でもそれが終わった後の布は別に濡れてないし、絞っても牛乳出てこないから、多分、飲んでるんだと思う。
「これからもよろしくね」
お得意さんの一反木綿と、お手伝いの妖精さんと一緒に、今日もまずはスーパーで牛乳買ってこよう。ああ、レジ袋は要らないんだ。エコバッグ(一反木綿)が居るからね。