17.送り提灯
~送り提灯~
夜道で迷った時に出てくる謎の提灯。神社に提灯を奉納すると出てくるとかなんとか。
追い付こうとしてもふわふわ先を行くので決して追いつけないタイプと、ずっと隣に居て足元を照らしてくるタイプがいるらしい。
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今日は本当に碌でもない日だった。
朝イチでクレーム対応から始まって、それが片付く前に立て込んで、昼休みには別のトラブルが降ってきたせいで昼ご飯を食べ損ねて、やっとそれら全部片づけたと思ったら上司に業務を投げつけられた。こちとら定時過ぎてんだぞ。お前の家燃やすぞクソ上司。
と、そういうわけで帰りが遅くなってしまった。
そしてこの職場、ド田舎にあるので帰り道はすこぶる暗い。職場周辺は大体田んぼなもので、このザマだ。道に明かりをつけてしまうと夜間に光が当たるせいで稲の生育にばらつきが生じてしまうとかで、街灯がつけられないんだとか。こんなところに何故職場を建てた。
そのくせ、行政が見放した素晴らしい地域なものだから、道路の舗装が割れてガタガタ。当然、歩道もガタガタ。おかげさまで、ただ帰宅するだけだっていうのに命懸けだ。足元が見えないと危ないので、LEDのライトを1つ持ち歩いている。
……が、今日という日はとことん碌でもない日らしく、LEDライトが壊れた。スイッチを入れても明かりがつかない。マジでクソ。
仕方が無いのでそのまま帰る。これでうっかり死んだら労災下りるかな。下りないだろうな、うちの職場だし。
記憶を頼りに、『大体ここら辺までは縁石の傍を歩かないとヤバい』とか『確かこのあたりに大きめの亀裂があった』とか思い出しながらなんとか暗い道を歩いていく。が、そのせいで遅々として足が進まない。
最悪の場合はスマートフォンのライトで道を照らして進んだ方がいいかもしれない。それをやってしまうと間違いなく充電が足りなくなるので、帰りの電車の中がすこぶる暇だけど。
この碌でもない日に数少ない娯楽まで奪われてたまるか、という意地で、スマホは使わない。なんとか、ほとんど無い光をあんまり良くない目で確認しながら歩いて……。
……そんな時だった。
ふわっ、と足元が明るくなった。
あれ、と思って振り返ると……。
「……ひぇっ」
提灯が。
提灯が……浮いている!
えっ、なにこれ、空飛ぶ提灯?新しいね、どこの商品だろうね。どこかの商品であってほしい。プロペラとか入っててほしい。どうか小型ドローンであれ。
……が、そんな望みも儚く、提灯はどこまでも提灯だった。中を覗き込んでみたら、蝋燭が一本入っていた。成程、何も分からない。
これは一体、どうして空を飛んでいるんだろう。ついに頭がおかしくなったかな。……と思って提灯をつついてみたら、提灯はくすぐったそうにもじもじした。
提灯が……もじもじした!
そして触れるということは、夢ではない。ああ、なんてこった。つまり自分は幻覚を見る程度に気が狂っているという訳だ!
……まあ、そんなことはお構いなしに、提灯はくるくる飛び回る。それから、こて、と首を傾げるように傾いた。それから、ぴょこ、ぴょこ、と宙を跳ねるようにして進んで、また止まった。
これは……ついてこい、ということなのか。
いや、でもな。どう考えても科学の力で解明できないかんじの提灯だしな。そんなのについていって本当に大丈夫なのか?
……と思っていたら、背後に何かの気配を感じた。同時に、ぴょんぴょんぴょん、と慌てて戻ってきた提灯が、背後に向かって『しゃーっ!』とばかりに威嚇し始めた。気配は去った。
「……後ろ、なんか居たりする?」
聞いてみたら、提灯はこくんと頷いた。そっかー。いるのかー。マジで今日碌でもないな。やっぱ上司の家燃やした方がいい気がしてきた。燃やそ。
仕方がないので提灯についていくことにした。背後の何かと提灯、どっちがマシかという話になってきてしまったようなので、なら提灯にベットするしかない、という状況だ。尚、職場に戻って一晩やり過ごす、という選択肢は無い。あんなクソ職場に居てたまるか。
……が、提灯というものは喋らないので、どういう意図なのか、さっぱり分からない。今も、分からない。主に、道案内について。
「あのー、駅はあっちだと思うんだけど……」
この提灯、駅まで送ってくれるのかと思ったら、どうも駅ではない方へ向かっているような気がする。
ぴょこんぴょこんと嬉しそうに跳ねながら、それはそれは軽やかに、駅ではない方へ向かっているのである。
「……駅に連れていってくれるわけでは……あ、駄目なのか。そうか。そういう……うん……」
尚、駅の方へ行こうとすると、『しゃーっ!』とばかり、提灯が闇に向かって威嚇し始めるので、多分駄目なんだろう。うん、まあ、提灯を信用するならば。
……となると、やはりこれは帰宅できないのだろうか。マジで勘弁してほしい。
提灯が進む方には、あまり行ったことが無い。職場の最寄り駅からは、職場と駅の近くの郵便局ぐらいしか行ったことが無いので、本当にこのあたりは知らない土地だ。
だが、提灯はすこぶる元気に道案内してくれる。そして辺りは暗い。
……ここで、『もしかして、街灯が本来あるはずの箇所も暗いのでは』と気づいてしまったが、やっぱり気づいていないことにして提灯の後についていく。何せ、相変わらず提灯は時々『しゃーっ!』と威嚇しているので。
そうして提灯と一緒に歩いていった先で……ぽや、と、温かい色の光が見えた。
「うん……?」
……何だろう、と思って近付いていく。提灯はぴょんぴょん跳ねて、さっさとそこへ到着してしまったので、それに向かって進んで……。
「……屋台!?」
そこには、雑草が適度に生い茂る空き地があり。鈴虫か何かの鳴き声が涼やかに響き渡り。そして……その真ん中に、『ブラウニー食堂出張店』と書かれた屋台が出ていた。
屋台を覗いてみるとそこでは、ほわほわと美味しそうな香りが漂っていた。出汁と醤油の香りだ。
そして、鍋をかき混ぜているのは……2.5頭身、身長30㎝程度の女の子……みたいな、そういう生き物であった。
その生き物は『まあ座りなさい』というような落ち着いた様子で椅子を勧めてきた。提灯がぴょこんとカウンターに乗ってしまったので、つられてつい、座ってしまう。
……座ってしまってから、これ、逃げた方がいいのだろうか、と考える。が、もう考えても無駄なところまできている気がしたので諦めた。
そうしている間にも、謎の生き物は鍋をかき混ぜて、それから、網杓子で鍋の中身を掬い始める。
「あ、うどんだ」
どうやら、茹でられていたのはうどんだったらしい。艶のあるうどんが鍋から器へ入れられていく。
……ところで、その器を抱えているのもまた、2.5頭身身長30㎝くらいの女の子だ。そしてその横ではまた、2.5頭身身長30㎝くらいの女の子が出汁らしいものを用意していて、また別のところから、タッパーを抱えた2.5頭身身長30㎝がてくてくと歩いてきている。
……この謎の生き物達は、皆揃って茶色っぽいワンピースにクリーム色のエプロンを身に付けている。ユニフォームなんだろうか。いや、服装よりもこの生き物が何なのかの方が気になる。
が、こちらの疑問などお構いなしにうどんが出来上がっていく。
うどんが入った器におたまで出汁が張られて、ほわりと湯気を上げる。更にそこに、かまぼこの薄切りと刻んだ万能ねぎが乗せられている。
ところで、うどんの器はどうも、どんぐりっぽく見える。……いや、こんなに巨大などんぐりは無いだろうから、そういうデザインなんだろうけど、でも、この艶といい、色合いといい、手触りといい、クヌギのバカデカいどんぐりを横半分に切って磨いた、みたいな様子に見える……。
そんなどんぐり器に入ったうどんが、木の箸と一緒にカウンターに置かれた。
いや、置かれても。置かれても困るんだけど。困るんだけど……目の前の身長30㎝達は、『食え』とばかりに胸を張ってこちらを見ている。あ、提灯が背後に向かって威嚇し始めた。あ、身長30㎝達がおたまとかフライ返しとか持って何かを追い立てに走っていった。
……もう何も見なかったことにして、うどんを食べることにした。
うどんはつるんとした口当たり。出汁は若干薄味だけれどとにかく旨味が強くて、風味がいい。
この強い風味とコクのある旨味は鰹と昆布だけじゃない気がする。多分、鰯とか鯖とかも入ってるんだろうな。あんま詳しくないけれど。
あと、トッピングのかまぼこがやたらと美味しい。なんだこれ。かまぼこってそこまで美味い印象無かったのに、これはとにかく滅茶苦茶美味い。噛めば噛むほど旨味が滲み出てくる。なんだこれ。
……謎のうどんを食べていると、ふと、カウンターの上にまた何かが置かれた。
「あ、出汁巻き……」
葉っぱを模した焼き物の皿の上に、ちょこん、と乗せられているのは満月を思わせる黄色の出汁巻き卵だ。そちらも頂いてみると、ふんわりした食感と、たっぷり巻かれた出汁がじゅわりと染み出すかんじがまた何とも美味しい!
ああもうこれだけ美味しいんだから何かヤバいもんでもいいかあ、という気分になりながらうどんを食べ、出汁巻きを食べていると……。
「うわ、白和え」
……今度は白和えが出てきた。野菜とかが豆腐主体のタレで和えてあるアレだ。
正直、そんなに好きじゃないんだけどな、と思って食べてみたら……予想外に美味かった。
なんと、甘みがほぼ無い。ただ、キリッとした塩味と、それを整える胡椒が利いていて、オリーブオイルらしい風味とまろやかさが加わっている。チーズが隠し味に入っているのかもしれないが、チーズの風味は胡椒で消えているので正直よく分からない。
具は茹でたアスパラとベーコンだった。成程な、こういう白和えもあるのか。……豆腐部分が濃厚で、クリームチーズ和えのあっさりした奴、みたいなノリだ。こういう白和えなら割と好きだな……。
……と思って食べていたら。
「から揚げ!」
から揚げまで出てきた!どこまで出てくるんだ!
でも絶対美味いんだろうな、と思って食べたら予想以上の美味しさだった。もうね、揚げたてでカリカリジューシーなから揚げっていうのは、絶対に美味しいと相場が決まっているんだよ。そりゃあそうだ。当然だ。この世の摂理だ。
「うわあ……うまあ……」
肉汁と脂が溢れ出てくるから揚げなんて、いつぶりだろう。すごい。人間は塩と脂とアミノ酸があると幸せになれる。から揚げにはそれが全て入っている。つまり幸せ。当然の帰結!
「……ところでそっちはなにやってんの?」
また、隣では何故か、提灯がメンテされている。
中に入れる蝋燭は和蝋燭らしくて、芯を適度に切ってやる必要があるんだよな。それを身長30㎝達がやってやったり、提灯のホヤの部分を拭いたり、謎の液体だか気体だか分からないものを提灯に注いだりしている。なんだこれ。提灯の貴重なお食事シーンなんだろうか。なんだこれ。
……まあ、そうして、デザートに葡萄が数粒供されて、謎のディナーが終わった。
お腹いっぱい幸せいっぱいである。ヤバい何かが居たとしてももういいや。うん。そういう気分だ。提灯もすっかり綺麗になって、メンテ明けピカピカのつやつやだ。よかったな、提灯。
「ごちそう様でした。えーと、お代は?」
この謎の生き物達に無銭飲食はしたくないので財布を出すと、屋台の奥にぶら下がったメニュー表を示された。
「あ、書いてあるのね。えーと……だし巻き卵50円、白和え50円、うどん50円、からあげ50円、デザート無料……この価格設定だと色々駄目では?」
が、なんか色々駄目な価格設定なので心配になってくる。
「いや、あのね。もうちょっとがめつくなっていいと思うよ」
身長30㎝達は揃って首を傾げている。もしかしてこの生き物達、ありとあらゆるものが50円均一の世界から来たエイリアンとかだろうか。マジでやめて。もうちょっとお金ちゃんと取って。
「……じゃあ、これで」
200円で今のディナーを食べちゃうとなんか問題がありそうな気がするので、1000円札を出してカウンターに置いた。
すると、提灯がぺこんと頭を下げた。……あれ?もしかしてこれ、提灯の分を奢ったことになっている……?
……よく分からないまま、提灯と一緒に屋台を出た。身長30㎝達が手を振ってお見送りしてくれた。そして、提灯は闇に向かって『しゃー!』とやらなくなったので、多分、よく分からない危険は無くなったんだろう。多分。多分ね。
そうして提灯と一緒に歩いていくと、その内、駅前の通りが見えてきた。
道が明るいことに、心からほっとする。……逆に、今までの道が全部暗かったの、どう考えてもおかしいんだよ。街灯が無いのは田んぼ回りだけなはずで、住宅地の方に入っちゃえば明かりがあって当然だったのに、今までずっと暗かったのは……いや、もう考えるのはやめよう。
「えーと、いい店紹介してくれてありがとう」
ふわふわしていた提灯にお礼を言うと、提灯は嬉しそうに、ふわん、と回って飛び跳ねた。
「君のおかげでなんとなく、良い一日の終わりになったよ」
……碌でもない日だったし、どうせ明日も碌でもない日なんだろうけど。それでも、今日の提灯セレクトの屋台、中々よかったな。あれがあったから、今日はまだ、マシな日だ。本当に。
「また機会があったらよろしくね」
提灯に挨拶すると、提灯はぴょこぴょこと跳ねて、夜の闇へ消えていった。
……まあ、『次』があった方がいいのか、無い方がいいのかは微妙なところだけれど……特に危険が無いなら、またあってもいいな、と思う。危険が無いなら。危険が無いならな。うん、本当に……。
……『次』はもう無いかもな、と思いつつ、案の定クソみたいな出来事が起こる職場で数日過ごした後。
「あれっ、また居る」
職場から出て少ししたところに、そわそわと揺れる光を見つけてしまった。なのでちょっと帰り道を逸れてそっちへ向かうと、提灯はこちらに気付いて、ぴょこん、と跳ねる。
ぴょこぴょこ跳ねながらやってきた提灯が周りをぐるぐる回ったり、ぴょこぴょこ跳ねたりしているのを見ていると、なんか犬みたいだな、と思う。人間によく懐いた犬ってこういう奴、居るよね?
「今日もいい店教えてくれる?奢るよ」
笑いながら聞いてみたら、提灯は胸を張るようにホヤをぴんと伸ばして、そして夜の闇を先導してふわふわ移動し始めた。
……今晩はどこに連れていってもらえるかな。
尚、提灯が連れていってくれた先は、『布団茶屋』だった。
……提灯と一緒に空飛ぶ布団に連れ去られた先で、やたら美味いハーブティーとスコーンとサンドイッチとフルーツケーキと寝床が供された。
そう。寝床が、供された。
成程ね。こういうパターンもあるのね。うん、もうよく分かんないや……。