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16.蟹坊主

 ~蟹坊主~

 デカい蟹。無人の寺に泊まった旅の僧に問答をしかけ、答えられなかった者を殺す。

 デカさについては一間(約1.8m)四方とも、全長4m程度とも伝えられている。とりあえずデカい蟹なのでデカニということでよろしいか。


 ~~~~~~~~~


 謎の布団に連れ去られてから、数週間。

 僕は今日も塾の帰り道を歩いていた。今のところ、あのような謎の布団には遭遇していない。歩く木に遭遇しただけだ。歩く木は100円で茶葉一袋を売っていたので、2袋買った。全部買おうかとも思ったけれど、僕の後ろに着物を着た小さな女の子が並んでいて、そわそわしていたので……。

 ……ただ、あれ以来、歩く木とは遭遇できていない。一回目に遭遇した場所に行ってみたんだが、残念ながらそこに歩く木は居なかった。

 いっそ、歩く木との遭遇自体が夢か何かだったんじゃないか、とも思う。……だが、茶葉は相変わらずうちにあって、日々、僕に飲まれている。やっぱり、夢じゃなかったんだと思う。


 ということで、茶葉がもうすぐ無くなりそうな今日も、僕は少し寄り道して知らない道を歩きながら帰ることにした。あの歩く木が居たら、是非、次の茶葉を買わねば、と思って。

 ……だが。

「……蟹」

 路地を曲がったところに居たのは、蟹だった。




 蟹だ。ただの蟹じゃない。巨大な蟹だ。僕の身長は優に超えている。路地いっぱいに広がる脚を動かして、蟹はじっと僕を見下ろしている。

 ……少しばかり、命の危険を感じた。少なくとも、あの布団よりは、危ない生き物だと思う。

 僕はすぐ、路地を引き返して蟹の居ない方へ向かう。……だが。

「うわっ速い」

 ……蟹はすぐさま僕に追いついてくる。しかも、僕にどんどん迫ってくる。そして……僕は地面に転がる羽目になって、更に、転がった僕の胴を地面に縫い留めるように、蟹の鋏が降ってくる。

 ガチン、と、アスファルトに金属がぶつかるような音がした。そして、脇腹に硬いものが触れている感覚。

 ……蟹がその気になりさえすれば、僕の胴体はこの巨大な鋏で切断される。

 僕は、それを理解した。


 血の気が引く。まさか、蟹の化け物に殺される日が来るなんて、誰が思う?それもこんな、市街地で!

 だがどうしようもない。布団の時もそうだったが……こいつらは唐突に来るんだ。身構える暇も、受け入れる猶予も無い内に来て、それで、人間の命を簡単に握る。そういう奴らなんだ。

 腹部を切断される痛みを想像して『どうせ死ぬなら楽に殺してもらいたい』と思い始めてきたところで……蟹が、動く。

 いよいよか、と覚悟したら、蟹は僕を押さえていない方の鋏を動かして、背中に回して、何かごそごそやって……。


『8本の脚が広がり、2つの目が空を向く。これは一体なーんだ?』

 ……そう書かれたスケッチブックを出してきた。




 意味が分からない。意味が分からないが……だが、僕は多少、この間の布団の一件で肝が太くなった、のかもしれない。

「……蟹、かな……?」

 少なくとも、殺されかけておきながらにして出題されたなぞなぞに答える程度には僕も度胸がついたみたいだ。

 ……そして、この度胸はそれなりに役に立った、らしい。

 ぴんぽんぴんぽーん、と音がして、見れば、蟹が『〇』が書かれた板が先端に取り付けられた棒を握っていた。……棒のボタンを押すと、音が出るらしい。

 ということは、あの『〇』の裏面は『×』なんだろうな。そっちを見る羽目になっていたら、僕は殺されていたのかもしれない。


 さて、正解したということは解放してもらえるのだろうか、と思って僕は蟹を見上げていた。だが、蟹は表情の読めない顔で、スケッチブックを置くと、ぺら、と一枚捲って……。

『トゲトゲで、海の中を泳ぐ。これは一体なーんだ?』

 ……次の問題が出てきてしまった。なんだ、これ。1問で終わりじゃないのか。

「泳ぐ、だからウニじゃない……ええと、ハリセンボン」

 答えると、また『ぴんぽんぴんぽーん』と例の棒で音を出してくれた。

『木に実る。橙色だが酸っぱくない。これは一体なーんだ?』

「柿」

 更に出題されてしまったので答えると、また『ぴんぽんぴんぽーん』だ。……これ、いつまで続くんだろうか。




 ……結局、僕は10問くらい答えた。一応、安心できたこととしては『×』をくらっても、殺されるようなことは無かった、ということだ。回答しさえすれば問題ない、のだろうか。

 だが……未だに僕は解放されない。そろそろ帰りたいんだが。或いは、帰れなかったとしても、せめて、受験勉強させてほしい。なぞなぞに付き合っている暇は無いんだ。それもできないならせめて昼寝させてくれ!

「あの、すみません」

 なので僕は……ここ1か月程度でかなり太くなってしまった肝で、蟹に話しかけることにした。

「これ以上出題するなら、これから出題してもらえませんか」

 蟹は、『えっ!?』というような驚き方をしていたが、僕はなんとか体を動かして鞄を開けて、中から英単語帳を出して、蟹に渡す。

「僕、受験勉強中なので」

 蟹は、僕が渡した単語帳をそっと受け取ると、大きな鋏で器用にもページを捲っていく。それも、凄まじい速さで。

 ……そうして1分程度で全てのページを確認したらしい蟹は、そっと単語帳を僕に返してくれた。ぺこ、とお辞儀するあたり、妙に律儀だ。人を地面に固定する一方で妙に律儀なところが、まあ、不気味ではあるんだが。

 蟹は僕に構わず、どこからかマジックペンを取り出して……早速、スケッチブックに書いて見せてくれた。

『"Obtain"の意味は?』

「……得る、達成する」

 どうやらこの蟹、僕に付き合ってくれるらしい。




『"Commitment"の意味は?』

「献身」

『"Climate"の意味は?』

「天候」

『素晴らしいという意味を持つ単語を5つ答えよ』

「Nice, Wonderful, Excellent, Marvelous, Brilliant……なんで嬉しそうなんだ」

『もっと褒めて』

「えらい」

 ……ということで、僕はしばらく、蟹と一緒に英単語の暗記を進めることにした。

 できれば日本史を先に勉強したかったんだが……まあいいや。とりあえず、時間を無駄にせずに済みそうだ。

 それに、なんだか……その、蟹が妙に嬉しそうなので。

 いつの間にか、僕は地面に鋏で押し付けられながら答えるのではなく、蟹にもたれて座りながら答えるようになっていた。蟹は僕が正解したり間違えたりするたびに楽しそうだった。……この蟹の目的が何なのか、まあ、僕にも分かってきた。

 この蟹、要するに……クイズを出して答えてもらうのが、好きなんだろうな……。




 小一時間、蟹が出題する英語のクイズに答え続けた。……なら、そろそろいいだろう。

「あの、そろそろ帰っていいですか。これ以上帰宅が遅れると、心配を掛けると思うので」

 僕は蟹にそう申し出てみた。すると、蟹は頷いて、スケッチブックや〇×棒を背中にしまう。……よく見たら、この蟹、背中にリュックを背負っている。なんという蟹だ……。

 それから、蟹はぷくぷく、と泡を吐き始めた。……その泡は、ぷく、と大きく膨らんで、その内の1つは僕の身長より大きくなる。

 そして。

「うわ」

 泡は、ぽん、と、僕を中に入れてしまった。ああ、僕、こう、閉じ込められてばかりだな……。布団といい、蟹といい、この泡といい……。

 諦めの気持ちで泡の中に居ると、ふわ、と泡が浮かび上がった。僕は泡に閉じ込められたまま空を飛んで、ぷかぷか、と移動することになってしまう。蟹が鋏を振って見送ってくれるのに手を振り返して……僕は、『これ、途中で割れないだろうな』ととてつもなく心配になった。

 いや、布団の前例があるから、まだ、前回よりは落ち着いていられるんだが……泡だ。何せ、泡だ。今にも割れそうで怖いし、割れて落ちたら僕は死ぬだろうから……。

 ……もう少し、安全な方法で運んでほしい。




 だが結局、泡は割れることもなく空を飛び、そして、ふよよ、とうちの庭に着陸した。うちの庭、それなりにスペースがあってよかった。まさか、2度も空から帰宅する羽目になるとは思っていなかった。

 それから、僕の鞄を運んでいた泡が到着して、ぱちん、とはじけて、僕は鞄を取り戻すことができた。

 更に泡はふわふわ飛んできて……。

「……これは一体」

 サッカーボールくらいの大きさの泡が、ぱちん、とはじけたら、その中から円筒形のものが出てきた。

 筒は、ころん、とした大きさのものだ。両手に収まってしまう程度の。

 半分程度のところに切れ目があって、そこが蓋になっている。ということは、これは、茶筒……だろうか。

 茶筒は木でできている美しいものだ。樺細工、というのだろうか。桜の樹皮を使った、艶のある表面をしていて……そこに薄く削った貝殻が嵌め込まれていて、蟹の模様と泡の模様が小さく入っている。

 折角なので、蓋を、すぽ、と開けてみる。すると、中身は空っぽだった。まあ、この中に茶葉を入れておくんだろうな。

「貰っていいのかな」

 泡に聞いてみても特に答えはない。だが、まあ、一緒に運ばれてきたものだから、お土産、ということなのかもしれない。そういうことならありがたく貰っておこう。まあ、入れる茶葉、今は切らしているんだが……。




 その日はそのまま帰宅した。茶筒は机の上に飾っておくことにした。蟹の柄がなんとなく気に入ったので。

 後は、この茶筒に茶葉を入れられるように、またあの歩く木を探したいんだが……もう、会えないだろうか。


 ……翌日。また、茶葉売りの歩く木を探して寄り道していたら……。

「蟹だった……」

 そこには、蟹が居た。ここにも居るのか。

 蟹は僕を見つけるや否や、嬉しそうに寄ってきた。もしかして、またクイズに付き合わされるんだろうか。

 ……と、思ったら。

「それ……参考書の類か……?」

 蟹は、背中のリュックから本を数冊取り出して見せてきた。……どうやら、今日はこれらの中から出題してくれるらしい。

 更に。

「あっ、茶葉!」

 見覚えのある小さな紙袋も、そっ、とそこに添えられた。手を伸ばしたら、さっ、とひっこめられてしまった。

 ……そして代わりに、今日も問題が書かれたスケッチブックが差し出される。どうやら、答えないとあの茶葉はもらえないらしい。

 わざわざ僕の為に問題とご褒美を用意してくれたんだな、と思うと、蟹がなんともいじらしく思えてきて面白い。

 さて、今日も献身的な蟹と一緒に少し勉強していくとしようかな……。


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