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13.山彦

 ~山彦~

 山から山へ呼びかけた時、声が返ってくる現象のこと。また、それが妖怪の仕業だと考えられたもの。

 妖怪の山彦は、犬のような見た目とも、鳥のような見た目とも言われている。


 ~~~~~~~~~


 さて。今日もやってきたぜキャンプ。

 秋の山は涼しくて、空気も美味くて、夏とはまた違う趣があっていいよな。

 まあ、秋というにはまだ少し早いかもしれないが。何せ、今年の夏は暑かった。その残暑が10月も未だに残っているような有様なので、まだそんなに涼しくないんだよな。

「秋の山……っていう風情でもないですねえ」

「だな。紅葉のこの字も無い」

 そんな様子だから、木々も色づくどころか今日も元気に緑色だ。まあ、そうだよな。まだ夏だよな。うん。まだ夏だろ。


 ただ、そんな気温も、山に登って標高が高くなってくると落ち着いてくる。これだよな。これがキャンプの醍醐味の1つっていうか。

 俺は平地より、少し高いところでのキャンプが好きなんだが、その理由の1つは気温だ。特に、初夏から初秋にかけては、標高が高いところがいいよな。

 キャンプ場に到着した俺と後輩は、管理人室で受付を済ませて、さっさと設営に入る。今日はこのままキャンプ。明日、撤収してから、車ですぐの登山道駐車場に停めて、そこからちょっとだけ登る。ここはそんなに高い山じゃないし、帰りにちょっと登って帰ってくるくらいなら丁度いいだろ。


 慣れた俺達なもんで、無事、キャンプ場には2つのテントが設営されることになった。

 今回は調理は2人一緒でいいよな、ということにしたので、荷物もコンパクトだ。……前回、忘れものだらけだったからな。流石に同じ轍は踏まないように、念入りにチェックしてきた。当然。

「この子、本当に元気ですねー」

 ……そして、ちゃんと忘れずに、鬼火が入ったランタンも持ってきた。

 鬼火も山が好きなのかもしれないな。車から運び出した途端、上機嫌でふわふわ、ランタンの中を飛び回ってる。

「この子の元気の秘訣は何でしょうね。適度なお出かけ?それとも、先輩の愛情とか?」

「愛情は知らんが、水とビールは時々飲むぞ」

「酒飲みの鬼火だったんですか!」

 ……まあ、この鬼火については同居して数か月になるが、まだまだ分からないことだらけだ。

 餌が何か必要だろうか、と思って色々用意してみたんだが、結局のところ、『小皿に水やビールを入れて、ホヤを外したランタンの前に置いておいてやると中身を飲む』というところに落ち着いている。

 ……いや、飲んでいるのか分からないんだけどな。けど、蒸発、というには、綺麗さっぱり消えてるし、多分、飲んでるんだろ。


 今日の飲み物はコーヒーだ。山の中で淹れたコーヒー、美味いよな。

 鬼火にも少し分けてやったら、鬼火はそれを飲んだ。後輩は鬼火の食事風景を見て『おおー……そこがお口なんですかね』と興味深そうにしている。……いや、口があるのか?火に、口が?駄目だ、分からん。

 分からないなりに、鬼火とは仲良くやれている……と思う。

 あちこち出掛ける時には連れていっているし。その度にランタンの中で飛び跳ねているから、もしかして山に帰りたいのか、と思ってホヤを上げてみるんだが、鬼火は外に飛び出したとしても、少しするともう、ランタンの中に戻ろうとするんだよな。

 ランタンって、よっぽど居心地がいいのか?……まあ、火にとっては丁度いい居心地なのかもしれないな。




 風呂入って寝て、その日はさっさと寝る。ちなみに、夜間にトイレとか風呂とか行くために使うライトは鬼火のランタンだ。今日も働き者だな、こいつ。

 そうして翌朝、起きたら朝飯がてら、インスタントのスープとフレンチトースト、っていう朝食を食って、後輩が『鬼火さんはスープも飲みますかね』ってスプーンに掬ったスープをランタンに近づけてみたら、ちょっと鬼火の端っこが近づいてきて、スープが消えた。……スープも飲むらしい。そうか。なら今後、味噌汁とかも分けてみるかな……。


 朝飯が終わったら撤収して、さっさと登山に向かう。まあ、登山ってほど登山じゃないんだけどな。ちょっと高低差のあるお散歩、ってかんじかもしれない。

 だが、それでも歩いてみれば楽しいし、空気もいいし、標高が多少は高くなる分、涼しくて快適だし……。

 ということで、小一時間もすれば山頂に到着してしまった。かなりのんびり来たんだけどな。

「山頂ですね!あんまり高くないですけど!」

「まあなあ……」

 標高がそこまで高くない分、見渡す景色もやや低め、かもしれない。まあ、街並みが一望できるのは悪くない。この、山の裾に広がる景色を見て『ああ、登ったぞ』って実感できるのは中々悪くないよな。

 俺は鞄にぶら下げていた鬼火のランタンを掲げて、鬼火にも景色を見せてやる。鬼火は山の景色が好きみたいだからな。今もランタンの中でぴょこぴょこ跳ねてるが、興奮してる、ってことだろう。多分な。

「えへへ。折角なので……『やっほー』!」

 鬼火より元気な後輩は登頂のテンションのまま、叫んでいた。……まあ、山に登ったら割とやるよな、これ。

「いや、山彦が帰ってくるような山、周りに無いぞ」

「様式美って奴ですよ、先輩」

 だがこの山は、1つだけぽこんと生えているタイプの山だからな。山脈とかで、向かい側に別の山でもない限り、反射してきた音が返ってくることは無いわけだ。

 つまり、この山じゃ山彦は聞けない。……はずだった。


 わん!

 ……後輩の『やっほー』に、犬の鳴き声が返ってきた。




「……今の、山彦ですかね」

「いや、どう考えても違うだろ」

 流石に、『やっほー』が『わん!』になって返ってくることは無いと思う。いや、無いよな?普通に考えたらおかしいんだよ。おかしいんだよな。それはそうだ。

 だが……そもそも、この山、周りに山が無い以上、山彦は本来、起こらないはずなんだ。それに、『わん!』という山彦が返ってきたのだから……。

 おかしいよな、と思いながら、辺りを見回してみる。……すると。

「おお……変なのがいる……」

「羽が生えた犬、ですねえ……」

 犬のような、鳥のような、そんな生き物が茂みの中に隠れていた。そして、尻尾をぶんぶん振りながら、何かを期待するように目を輝かせている。

 ……これは、もしや。

「……やっほー!」

 試しに、俺も山彦が返ってくるはずの無い山で大声を出してみた。すると。

 わん!

 ……またも、犬が鳴いたのであった。




「こいつ、山彦をやっているつもりなんだろうな……」

「なんだかそう考えると可愛いですねえ……」

 ということで、俺と後輩は山彦のふりをしたいらしい謎の犬を撫でている。この犬、随分と懐っこかった。少し撫でてやったら、今やもうすっかり、腹を見せて撫でられ待ちの姿勢だ。なんという図太い根性。

「なんか、昔話とかに『山彦っていうのは妖怪が声を真似して返しているんだ!』っていうようなの、ありませんでした?」

「いや、俺は聞いたことが無いな……」

 後輩はそのあたりに詳しいのかもしれないが、俺はそんなに民話だの昔話だのに詳しくないんだよな。もし詳しかったら、この謎の犬のことがもう少し分かったのかもしれないが。

「この子が妖怪の類だとすると、多分、まだまだ未熟な妖怪なんだと思うんですよね。『やっほー』に『わん!』ですし、真似がへたっぴですよ」

「まあ、そうだろうなあ」

「それに、ほら。山彦ってもっとエコーするじゃないですか。あのかんじも無いし。へたっぴですよこれ」

 後輩が謎犬の山彦再現に駄目出ししていくと、謎犬は『くーん』と鳴いてしょんぼりしてしまった。こいつ、賢いな!

「そもそも、山彦が起こり得ない山に住んでる訳だしな」

「ですね。ここにいるよりは、ほら、先輩がでっかいライチョウにあっためられちゃったあの山とかの方がいいと思うんですよ。あそこ、山脈だから山彦するし」

「或いは、この近辺でも……ほら、こことか。山脈だから」

「あー、いいですねー。この辺り、次登りに行きません?」

 ……更に、俺達が謎犬そっちのけで地図を広げてそんな話をしていると、謎犬は何故か、急に元気になった。

 そして、『わん!』と元気に鳴きながら、後輩にすり寄り始めた。おお、随分と懐っこいことだなあ。


 ……謎犬の懐っこさは留まるところを知らない。俺達が『じゃあそろそろ下山するか』とやり始めると、『くーん!』と鳴いてまた後輩にくっつき始める。終いには、後輩のリュックに入ろうとし始める。なんてこった。

「……もしかして、『連れてけ!』ってことなんでしょうかね、これは」

「さあなあ……俺には犬語は分からんから」

「私も分からないんですよねえ……困ったなあ、うちのアパート、ペット禁止なんですよ」

 後輩は『だから連れてけないよー』と謎犬に言って聞かせているのだが、謎犬はめげる気配が無い。図太いな!


「……じゃあ、こうしましょう」

 結局、謎犬にしがみ付かれたまま動けなくなった後輩は、遂に犬へこう言った。

「山彦っぽくする方法を教えてあげるので、それで勘弁してください!」

 ……どうやら、人間が山彦の妖怪へ、山彦講座を開くらしい。




「そう!そんなかんじに、繰り返しは徐々に弱く!常に半減していくくらいの感覚で!」

 ……後輩が教えてやった成果が出たのか、謎犬の鳴き声は、『わん!』から、『わん!……わんー……あんー……ーんー……』というように、ちょっと山彦っぽくなった。

 そして謎犬はそれに満足したのか、なんとも誇らしげに尻尾をぶんぶん振っている。よかったな、謎犬。

「ちょっと山彦っぽくなりましたね!」

「まあ、結局こいつが山彦の妖怪なのか、単に人間が好きな謎犬なのかは分からないけどな……」

 ……そうして、謎犬が尻尾を振って見送ってくれる中、俺達は下山した。

 あの謎犬、これからもあの山彦が起こり得ない山で謎の山彦をやるんだろうか。まあ、やるんだろうな。でもまあ、あれはあれでいいか。人畜無害ではありそうだしな……。




 それから2週間後。

 俺と後輩はまた別の山を登りに行った。

 今回はもう少し標高の高い山だ。折角だしな。今回もちゃんと鬼火を連れて行った。鬼火は鬼火で、山の景色に喜んでいたと思う。

 相変わらず、木々の紅葉はまだもう少し先、といった様子だったが、まあ、山の空気は十分に楽しめたな。

 それにやっぱり、それなりに高い山に登ると達成感がある。山の周りの景色が山、ってのも中々いい。こういう、『山に登りました!』って感覚がある山、俺は好きだぞ。


 ……だが。

「登頂ー!ということで……やっほー!」

 山頂に到着したところで、後輩がそう叫ぶと……。

 ……わん!わん……わん……あん……。

 妙に……妙にわざとらしくエコーがかかった犬の鳴き声が、聞こえてきたのだった。


「……移住したみたいですね。あと、元気にやってるみたいですね」

「お前の教えを忠実に守ってるみたいだな」

 姿は見えなかったが、どこかに例の謎犬が居たのだろう。

 俺達は、『褒めて褒めて!』とばかりに腹を出して撫でられ待ちをする謎犬の姿をぼんやり思い浮かべながら、昼食を摂るべく支度を始めることにした。

 まあ、もしまたあの謎犬に会うことがあったら、次は『わん!じゃなくて、声も真似した方がいいぞ』と教えてやろう、と思いつつ……。


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