11.一反木綿
~一反木綿~
白い布の妖怪。人に巻き付いて窒息死させたり、首を絞めたり、はたまた人を巻いてそのまま飛び去ったりするらしい。
尚、『一反』は、成人の着物一着を仕立てるのに必要な布の量。現在では概ね、幅30㎝、長さ12~13m程度。
……が、同時に田んぼの面積の単位にも『反』がある。ちなみに、田んぼの『反』はなんと、約1000平方メートルである。こっちのクソデカ一反木綿の登場が待たれるところである。
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「あら。いい布じゃん」
私の目の前に布があった。
ベランダに引っかかってひらひらしてる布は、かなりの上物。
規格は反物。30㎝幅で、10mくらいある。かなり長いな。ここ4階だけど、2階あたりまでぶら下がってひらひらしてる。
素材は木綿かな。手触りがいい。襦袢用とかかもね。
それから、多少汚れてはいるけれど、元々は真っ白だったんだろうな。……まあ、となると、かなり腕が鳴る素材なんだけれど。
「……交番に届けるか」
布を勝手に持ってっちゃったら駄目だよね。仕方がない。ここはちゃんと交番に届けよう。布一反なんて、無くなって困ってる人、絶対に居るだろうし。
……と、思ったら。
「えっ」
ぴくん、と布が動いた。
「……動いた?」
嘘でしょ、と思いながら、つんつん、とやってみると……また、ぴくぴく、と布が動く。
更には、布がふわり、と動いて、2階部分まで垂れ下がっていたのがふわり、と持ち上がって……。
「……生きてるみたい」
そのまま、くるくる、と私に巻き付いてきた。まるで生き物みたいに。
「えっ、これ、どうすればいいんだろ……」
布はそのまま、私に緩く巻き付いて、ふわ、ふわ、と持ち上がろうとしているような、そうでもないような。とりあえず、布の端がぴくぴくしたり、今も私に巻き付きつつ、巻き付き切らなかった部分が重力に逆らった動きをしていたり、かなり変な布ではある。生き物なのかな、これ。
いや、こういう時には、『生き物』じゃなくて、もっと適した言葉があるんだよね。
「ええと……もしかして、妖怪?」
聞いてみたら、布はなんとなく、ふよ、ふよ、と頷くみたいに揺れた。
「妖怪……」
初めて見た。本当に居るんだね、こういうの。
妖怪、っていうことは、悪さするのかな。まあ、『妖怪!』って胸を張るみたいにちょっと頑張ってふよふよ浮いてる布が悪さするとは思い難いけれど……。
まあ、いいの。それはもう、いいの。悪さなら、少しくらいしてくれてもいい。私の寿命1年くらいなら吸っていってもいい。
ただ、今、ここで重要なのは……この布が、『誰かの落とし物ではない』ということ。
そうだよね?妖怪っていうことは、自分の意思があってここへ飛んできたか、或いは事故で風に流されてきたか……どのみち、『これを拾っても拾得物横領罪になる可能性は低い』っていうこと。
「……あなた、誰かのものじゃないよね?」
一応、念のために聞いてみる。布は、ふよ?と首を傾げるみたいに傾いた。ああ、分かりにくかったか。
「飼い主……いや、持ち主は、居る?」
聞き直してみたら、布は、ふよ、ふよ、と横に揺れた。よし、オーケイ。
「そう。ところでちょっとあなた、汚れてるよね。うちで洗濯していく?」
ならば、ということで、ちょっと勧誘しちゃう。布としても、ちょっと汚れてるのは気になっていたのかもしれない。布は自分の体を見て、それから、ふよ、ふよ、と頷いた。
よしよし。なら……最後に。
「で、ついでにうちで染まってかない?」
……こういう勧誘も、しちゃう。
私、大学でテキスタイルデザインを学んでる。まあそういうわけで布があったら染めたくなっちゃうってわけ。
だから布が、ふよ、って首を傾げるみたいに揺れてるのを見て、早速、大学に連れていくことにした。そのまま飛ばしていくのもなんだし、巻いて鞄に入れた。
「……一反って、結構重いよね」
まあ、布が10mもあったらそれなりの重さになるけど。でも、心は軽い。こんな上物、染められるなんて光栄ってこと!
大学に到着したら、まず連れていくのは優秀な作品が展示してあるブース。
「綺麗でしょ」
布に見せてあげたら、布は、ほわあ、と嬉しそうに息を吐くみたいな音を……え?今、息吐いた?布が?……あんまり考えないようにした方がいいかもね。
「色々な染め方があるでしょ。まあ、見ていって」
鞄から、にゅっ、て頭だけ(頭っていうか先っぽ。ここが頭なのかは分からないけど)出して、布は展示してある沢山の布を眺めてる。ちょっとかわいい。
色も色々。模様も色々。夕焼け空みたいな色の地に白い線が幾何学模様を作っているような布もあれば、オレンジや緑のビタミンカラーで花がたくさん染めてある布もある。他にも、レースみたいな模様だとか、現代的な柄物だとか……とにかく、様々。
「それで、どういう風に染まりたい?」
まあ、ここは本人……いや、本布の意見を尊重した方がよさそうだし、聞いてみる。……すると。
「え?そっち行くの?まあ、いいけれど」
ふよよよ、と鞄からはみ出て、奥の方に進んでいく。展示ブースを通り越して、学生が使う工房の方に向かっていって、ロッカーの前に移動して……。
「……参ったなあ」
布が大事そうに抱きしめちゃったのは、前、私が染めた布だった。
「海みたいな布、作りたかったの」
何かの賞を取れたわけでもないし、こんなデザイン、多分他に幾らでもあるでしょう、っていうかんじの布。まあ、それでもそれなりに自信作だし、気に入ってる。
藍色から浅葱色までのグラデーションに、白く水面の模様が入ってるやつ。これが風に靡いていたら、そこら辺の風も海辺の潮風みたいに感じられるんじゃないかな、と思って作った。作って、提出して、返ってきた奴、そのままロッカーに入れてあったんだけどね。
「自分では気に入ってるんだけど……あなたもこれ、気に入ってくれたの?」
布は私が染めた布を抱えながら、もふんっ、もふんっ、と元気に頷いた。勢いがいい。ちょっと笑っちゃう。
「じゃあ、こんなかんじに染めてみる?」
更に聞いてみたら、またもっふんもっふん頷いてくれるから、こっちもやり甲斐があるってもので。
……よし。じゃあ、まずは洗濯から!
それから、洗濯して干して、材料買ってきて……一日目はこれで終了。そしてこれで下準備は完了。
翌日から本格的に作業開始。
まずは、白く染め抜くところに蝋を置く。ろうけつ染めにすると、白く抜く部分に自然に罅割れみたいな滲み模様ができて、それがまた水の中みたいで綺麗だから。
蝋が固まったら、いよいよ染色開始。
グラデになるように、ちょっとずつ別の染料に浸けて染めていく。……複数の色のグラデにしようとすると、染料もその分種類用意しなきゃいけなくなるから、ちょっと面倒なんだよね。でも、それに見合うだけの美しさがあるって分かってるから、頑張れる。
ちゃんと染料が入ったら定着させて、水洗いして、それから蝋を剥がして、お湯で洗って蝋を溶かして、お湯が冷めてから表面に浮かんだ蝋は別で回収して捨てる。この手間を惜しんで全部排水溝に捨てちゃうと、蝋で配水管が詰まっちゃうからね……。
……それで、染め上がって洗い上がった布は、干す。これ、本来ならそこそこ重労働なんだけど、この布は自力で動いてくれるから干すのがすごく楽!
「生乾きぐらいになったらアイロンかけて延ばすからね」
干した布に話しかけると、布がもふもふ頷く。ちょっとかわいいなあ、この布。
そのまま、布とちょっと雑談した。とはいっても、布は頷くか首を傾げるかしかしないから、基本的に話すのは私の方なんだけど。まあそれでも、『どっちから来たの?東?南?西?北?』みたいに聞けば、『西』のところで頷いてくれるとか、まあ、そういう風に意思の疎通はできる。
……なんでも、布は迷子じゃなくて、旅をしていたところらしい。いや、でもうちのベランダに居たのは事故だったみたいだから、この布、ちょっとおっちょこちょいなのかもね。
それから、私の方の話もした。就職どうしようかな、って考えてるとか。青色が好きで、藍染に興味があるとか。空色の朝顔に『ヘブンリーブルー』っていう品種のやつがあるらしくて、本当にピッタリな名前だと思う、とか。空色の朝顔を一度見てみたい、とか。
……まあ、他愛のない話だし、布にはつまらない話だったかもしれないけど。でも、布が生乾きになるまで……徹夜になっちゃったけど、布は揺れたり頷いたりしながら雑談に付き合ってくれた。まあ、こういうのも悪くないかもね。
「さて、完成したけど、どう?」
そうして布が完成した。
藍色から浅葱まで、海みたいなグラデーション。そこに走る、ろうけつ染めで白く残った水面の模様。……の、生きてる布。そういうものが完成してしまった。
……染めは私が持ってる技術を全部使ったし、そこそこいい出来になったと思う。けれど、ふと我に返ると『妖怪を染めちゃってよかったのかな』っていう気分になってくるというかね。まあ、本人(本布?)は喜んでるみたいだから、いいってことでいい?
「おお、すごいすごい」
布は染まったのを喜んでくれてる、んだと思う。
ふわっ、と空に浮かんで、そのままふわふわひらひら、空を飛び回って見せてくれた。
明け方の空に、青い布がひらひら靡く。……軽やかで、でも静かで、揺れる様子が少し水面に見える。海みたい。
「……染めた甲斐があったな」
こんなに喜んでもらえるんだから、頑張った甲斐があったかな。私も、綺麗なものを見られたし。
……だって、自分が染めた布がこんなに自由に、美しく、空を舞っている様子なんて、普通、見られない。それこそ、生きてる布を染めでもしない限りは!
それから、布がふわふわ降りてきた。もう帰るのかな。帰りの挨拶に来てくれたなら、嬉しいけど。
「……へ?何?」
かと思ったら、布は私にくるくる巻き付いて……それで。
「えっ」
そのまま、私を巻いて、ふわっ、と空に飛び立った。
「……空、飛んでる」
布に巻かれて、空飛んでる。
……現実味が無さ過ぎて、怖いとかそういうの、もうどこにも無い。ただ……私の視界に入ってくるのは、ひらひら靡く青い布の端と、夜明けの空。それが、中々綺麗だったものだから……。
「次に染めるなら、夜明けの空がいいかな……」
なんとなく、次に作りたいものが、湧いてきたというか。変な話でしょう?妙な布に攫われてる最中で、生きて帰れない可能性もありそうだっていうのに、次の布のこと考えてるんだから。
でも、そういう気分だった。徹夜して布を染めて、疲れてたからかもしれないけど。でも……それ以上に、すごく綺麗なものを見て、それが半分くらいは自分の手で作られたものだ、っていう達成感があって……。
……そのまま私は寝落ちした。その、布に巻かれて空を飛んでると、中々寝心地がよくて……。
ゆさ、ゆさ、と揺すられて目を覚ます。どうやら布が起こしてくれたみたい。
起きたら、そこは知らない場所だった。植物が沢山あって、朝の日差しにきらきら輝いてる。それで、その中に……。
「……あ」
空色の、朝顔。ヘブンリーブルーだ。
もう9月も末の方だけど、そこには空色の朝顔が沢山咲いていた。
『天国の青』の名前に相応しい、綺麗な空色。それが朝陽に照らされて、眩しくて、綺麗で……。
「……これも染めたいな」
こういう色柄の布が、空飛んでたらきっと綺麗だと思う。……いや、普通の布は、空は飛ばないんだった。
でも、普通の布でもいいから、染めたいな。それでもきっと、綺麗だと思うから。
……で。
結局、ヘブンリーブルーが咲いてた場所っていうのが、民家のお庭だったらしくて……そこの住民のおばあちゃんに不法侵入を平謝りする羽目になったんだけど、おばあちゃんは『いいのよぉ、うち、お客様は沢山くるから全然気にならないわ!』って笑って許してくれたし、ついでに朝ごはん、ご馳走になってしまった。茸の炊き込みご飯のおにぎり。美味しかったな。
ついでにおばあちゃんの庭仕事、少し手伝ってきた。……なんか、変なイタチとか、変な木とか、居た。まあ、変な布が居るくらいだからそれくらい居るか。
それから、身長30㎝くらいの女の子みたいな茶色っぽい生き物が、布に夢中だった。布を見つめて目を輝かせたり、小さな生き物同士で何か話したり、また布を見つめたり……。その間、布は大層誇らしげで、私としては嬉しい。自分の作品が誇らしげにしててくれるのって、嬉しいよね。
それから、また布に包まれて家まで帰してもらって、まあ徹夜明けだったから、その日はそのまま夕方まで寝ちゃったんだけど。
……寝て、起きたら、事件が起きてた。
「えっ……これ全員、染め希望?」
聞いてみたら、もふん、もふん、と布達が一斉に頷いた。
ベランダいっぱいに、布。多分、ええと、1、2……うわ、5反居る!
もう、驚くしかないんだけど。でも、布は自前で染料持ってきてるのも居たし、そうでないのも、生きてない布とか、果物とか、着物とか……なんか色々持ってきてるから、もう、余計に驚くしかないっていうか。
……そして、そんな新しい白布の後ろで自慢げにしているのが、私が染めた、海の布。
私、紹介制の染物屋さんになった覚えは無いんだけど。……まあ、いいか。
「じゃ、全員洗濯からね。……ああ、忙しくなっちゃうわ」
丁度、染めたいものもあることだし。折角だからこいつら、染めてやろうじゃないの。