平成編『都市伝説・ダブルフェイク ザ 花子さん』・3
「葛野くん、大丈夫?」
昼休み、隣の席の梓屋薫が気遣うように声をかけてきた。
ここ数日甚夜は休み時間、放課後と教室にいないことが多い。それをトイレの花子さん絡みだと考えたのだろう。
もともと今回の噂を持ってきたのは彼女だ。少なからず責任を感じているのかもしれない。
「最近なんか忙しそう」
「うん、そうだね。……トイレの花子さん?」
みやかの方も気にしていたようで、薫に遅れてこちらの様子を窺う。
赤マントの一件のおかげか、年齢の割に落ち着いたこの少女も幾らか気を許してはくれているようだ。
「ああ、そんなところだ」
実際には盗撮犯探しだが、トイレの花子さん絡みであるのには間違いない。
ただこれを話題に挙げるのは都市伝説以上に躊躇われる。既に老齢の甚夜としては、年頃の娘子達に「破廉恥な男が君達を盗み撮りしている」とは言い辛かった。単に過保護ともいう。
「どうやら生徒に危害を加える都市伝説がいるのは確かのようだ。今のところB棟C棟の三階女子トイレが怪しいな」
「怪しいっていう言い方なら、まだ実際に確認できた訳じゃない?」
「残念ながら。まだ不明瞭な点も多い。ただ然して強力なものでもなさそうだからな。手間はかかれど厄介という程でもない」
適当に誤魔化すと好奇心の強い薫辺りが余計首を突っ込んできそうなので、問題ない程度には話しておく。
みやかは思慮深く慎重だ。危険が残っているとさえ知っていてもらえればストッパーになってくれるだろう。
そこを期待しつつ、二言三言交わしてから甚夜は教室を出ていく。ゆったりとした立ち振る舞いには余裕が見て取れた。
「今回はそんなに大変じゃないみたいでよかったね」
「……そう、かな?」
その背中に、申し訳ないとみやかは思う。
薫は甚夜の言葉を素直に受け取ったようだが、昼食も手早く片付け殆ど休みもせず行ってしまう彼は、やはりどこか普段と違う気もした。
口裂け女の時は助けられ、赤マントの件では無理を聞いてもらった。
今回の“トイレの花子さん”も、人を襲うというからには、やはり恐ろしい都市伝説ではあるのだろう。
少しくらいは力に成れればいいのに。
そう自然と考えるくらいには、彼女は正体不明の男子生徒を気にかけていた。
◆
さて、人を殺すこともある『トイレの花子さん』であるが、実はこの都市伝説、そもそも然程恐ろしい存在ではない。
殺すのに恐ろしくはない、では矛盾しているように思える。
しかしトイレの花子さんの原型に厠神を求める場合、寧ろそう考えた方が自然だ。
前述した通り、江戸から昭和にかけて日本には厠神信仰というものが存在した。
厠=トイレは神の住まう神域であると同時に、災いを齎す恐ろしい場所でもあった。
そして神を祀るという特性上、当然ながらタブーというものが存在する。
神様を怒らせると災いが起こる。
これは日本に根付いた考え方であり、厠においても「すると神様を怒らせてしまう」行動が設定されている。
それが厠神信仰における「トイレを不潔なままにしてはいけない」というもので、他にも様々なタブーが存在している。
・トイレにいる人を覗かない。
・トイレにいる人を呼ばない。
・逢魔が時や丑三つ時に便所に行ってはならない。
などなど、これらの禁を犯すと厠神は怒り、その加護を失ってしまう。
結果、トイレから出てきた人が鬼になってしまった。
気が狂った。病気になったりケガをしたり。
またストレートに死んでしまったりと、実に様々な祟りが各地の説話で語られている。
ところで、この厠神信仰におけるタブーであるが。
・トイレにいる人を覗かない=無理矢理トイレの扉を開けると花子さんがいる。
・トイレにいる人を呼ばない=花子さんを呼ぶとトイレに引きずり込まれる。
・逢魔が時や丑三つ時に便所に行ってはならない=午後六時、或いは真夜中にトイレへ行くと花子さんに会う。
このように災いの起こるケースが、都市伝説『トイレの花子さん』と共通している。
実は、一般に『トイレの花子さんを呼び出す方法』とされている行動は、『厠神を祟り神に変える方法』と一致しているのだ。
神を怒らせその加護を失えば、怪異の出没場所である厠で怪異に出会うのは至極当然の流れ。
つまりトイレの花子さんを呼び出す行為は花子さんを怒らせること。取りも直さず『花子さん以外の怪異を呼び込んでしまう』ことに他ならない。
これは逆説的に、花子さん自体は危険でないという証明でもある。
実際、花子さんの怪談の中には、
・声をかけても謝れば「いいのよ」と返してくれる。
・ノックして呼び出そうとすると、その前に「危ないからやめなさいな」と止めてくれる。
という、タブーを犯しても許してくれる、或いはタブーを犯す前に止めてくれるエピソードがある。
彼女の本来の性質は厠神と似ている。
タブーを犯さない限り、『トイレの花子さん』は他の怪異を退けてくれる、守り神的な存在と言えるだろう。
◆
『ふむふむ。つまりデータでの売買はしておらず、校内に出回っているのは本当に写真だけ、ということですか』
「うん。アナログだけど、写真部だからかな? ……あれ、花子さんってパソコンとか分かるの?」
『当然なのです。学校はわたしの領域。そこにあるものなら、わたしの理解の及ばないものなんてないのです。……分かり易く言うと暇な時パソコン室でゲームやってるのです』
久美子と花子さんは集まった情報を噛み締め、むむ、と顔を顰めている。
盗撮犯の当たりをつけたとはいえ、あくまでそれは推論。その仮説の裏を取りつつ、出回ってしまった写真をどうにかしようと一行は放課後の探索を続けていた。
矢面に立つのは当然というか甚夜である。
方々を聞きまわり、写真を売っている人物を見つけ、無理矢理吐かせたのだ。
その行動は迅速かつ荒っぽく、曰く「適当に二、三人に締め上げた」らしい。
“ほう、随分と面白い写真を持っているじゃないか”
“あ、と。それ……は”
“私にも売ってくれないか? 金は”
“い、いらないっ! いらないから、助けて……”
あれである。どうやらみやかや薫の写真も出回っていたようで、怒りから物理的に締め上げたご様子だ。
まあ、おかげで思った以上に情報は早く集まった。盗撮犯は相沢剛で間違いなく、後輩らに売りさばかせていたことも分かった。
ちなみに調べる際は<空言>で容姿を偽り、後の禍根にならぬよう細心の注意を払っている。流石に老人、そういうところは抜け目なかった。
「ある程度は回収できたが、流れてしまったものまでは無理だな」
『そこは、仕方ないのです。後は』
「ああ。大本だ」
一段落が付くと、日を改めて四人は相沢剛の自宅へ向かった。
中学の頃世話になった先輩で、数日休んでいるので心配だ。そのような御題目で教師に聞けば、割合簡単に住所を教えてもらえた。
訪ねたのは閑静な住宅街の、二階建ての一軒家。
インターホンを鳴らせば、母親なのだろう、少し疲れた声の女性が出た。
「すみません、剛さんはおいでになりますか」
『はい。あの、どちらさまでしょうか……?』
「戻川高校の、後輩です。数日休まれていたので心配になり、訪ねさせていただきました」
『それは、ありがとうございます。ですが、息子は今誰にも会いたくないそうで』
「写真と、トイレの件でとお伝えください。どうにかできる目途がたったと」
『は、はぁ……』
母親は戸惑った様子だったが、一応は言付けてくれたようだ。
しばらくするとゆっくり玄関が開き、「どうぞ。息子が、会うと」と迎え入れてくれた。
夏樹や久美子の顔を覚えられ、余計な恨みを買うのはあまりよろしくない。そう言ったが、二人とも「外で待っているだけはごめんだ」と頑なに拒否した。
元々彼らが持ち込んだ案件だ、蚊帳の外は確かにおかしい。ただ相手は盗撮犯、万が一の為に相対するのは甚夜か花子さんということで納得してもらった。
「相沢さんの様子はどうですか?」
「ここ数日、殆ど部屋か出てこなくて。でもよかったわ、貴方達には会うみたい」
ここ数日殆ど引き篭もるだけだったがようやく反応を示した。それだけでも母親としては安心できたのか。
息子を心配して訪ねてくれた後輩達とその妹に感謝を示し、何気ない雑談の延長で色々と教えてくれた。
聞けば数日前学校を休むと言ってから、相沢剛はずっと部屋に引きこもっているらしい。友達が訪ねてきてくれたのは貴方達が初めて。何かに怯えるように、しかし生活自体はとても規則正しい。
あと、夜更かしは絶対にしない。
例えば、夜はトイレに起きてくることもないそうだ。
それだけで彼の身に何かがあったと想像するのは容易。推測は殆ど確信に変わっていた。
「どうも、はじめまして。写真部二年、相沢剛くん?」
案内された部屋はパソコンや本棚がある程度の、整頓された部屋だった。
机の上には一眼レフと諸々の機材が置かれている。多少古くはあるがその外観から丁寧に扱われているのだと分かった。
今は時代も変わった。デジタル式でも楽に撮れるだろうに、ああいったものに愛着を持てる辺り、写真に関しては案外真面目なのか。
「母君から聞いたと思うが、今日は写真とトイレの件で訪ねさせてもらった。会ってくれたのは、身に覚えがあるという認識で構わないな。まあ否定しても結構。であれば、後者に関しても立ち入らないというだけだ」
ベッドの上で蹲っていた少年はびくりと肩を震わせた。
語調は穏やかだが、やり口は脅迫と何も変わらない。
相沢剛が盗撮犯であるのは確定となった。同時に、彼がB棟三階で“トイレの花子さん”に襲われたのも。
こうやって学校を休み部屋に引き篭もっているのはそれが原因。有り体に言えば、味わった恐怖から逃れる為だ。
この少年が甚夜らを部屋に迎え入れたのは、「どうにかできる目途が立った」と聞いたから。
得体のしれない訪問者が持ってきた解決策に頼るほど、彼は追い詰められていた。
甚夜はそれを知った上で「黙っているのなら君に降りかかった怪異は放置する」と言ったのだ。
「あなたが、盗撮をしていたの?」
彼ほど残酷にはなれないが、会ったなら詰ってやろうくらいは久美子も思っていた。
けれどいくら盗撮犯相手とはいえ、ここまで憔悴した姿を見せられてはあまり強く詰問もできない。
なるべく柔らかに問い掛ければ、おずおずと、少しずつではあるが相沢剛は口を開く。
「……最初は、風景の中に入り込んだくらいだったんだ」
蹲ったままの呟きは罪悪感か、それとも身に降りかかった恐怖ゆえか。
盗撮し、更に売り捌く。悪銭を稼ぐた犯人とは思えない。
「でもそれが、普段俺が撮ってるヤツよりもいいって。俺も、可愛い女の子取りたかったしさ、ちょっとそういうのが増えた。そうしたらもっと欲しいって。金払ってでも俺の写真が欲しいって言ったから……」
求められるままに撮った。
だって仕方ないだろう。皆が欲しいというのだ。
自分が撮りたいものと周囲の要望が一致した。被写体を頼めるような女友達はおらず、風景を撮っていたら映り込んだという体で女生徒をカメラに収めた。
後輩に売り捌かせたが金額は二の次。運動部と違って日の目の当たり難い文化部。他人に求められるというのは、彼にとって堪らない快感だった。
「嬉しかったんだよ。俺の写真が認めらたような気がして。だけど慣れてきたら皆、飽きたって。いつも同じだって。なら、もっと過激なのを。それで女子トイレに」
そして相沢剛は転げ落ちた。
撮った写真が認められ、買ってでもと求められた。
彼の中でその二つは同じものになった。購入された分だけ自身が評価されたのだと思い込んだ。
下卑た欲望を慰めるものとしか見られていないと気付きながら、目を逸らしながら、もっともっと認めてくれと喚き立てて。
技術も何も関係ない、女子トイレの盗撮までやった。
「……ひどい。女の子のこと、なんだと思ってるの」
「ああ……きっと、そんなだから、バチが当たったんだ」
B棟三階の女子トイレ、三番目の個室にカメラを仕掛けた。
選んだのではなく適当に。まさかこの歳で幼稚な怪談を信じる筈もない。
けれどカメラを回収に行き、そこで遭遇してしまった。
“トイレの花子さん”
トイレに引きずり込み人を殺すという都市伝説。
それが彼には、自分のやったことに対する罰だと思えたのだ。
「おれ、殺される。あの化け物に。怖くて……学校いけなくて。もう、どうすれば」
かたかたと震える少年に同情はしない。
彼の手前勝手で嫌な思いをさせられた女生徒だっているのだ。同じ男として、慰めの言葉を吐いてはやれなかった。
「トイレの花子さんは、そんなことしない」
不機嫌そうに口を挟んだのは夏樹だった。
「あんまり勝手言うなよ。お前みたいな最低な奴だって許して、守ってあげたいって。そういう優しい女の子なんだ」
盗撮にも腹を立てているが今の怒りは全くの別。
守るべきはまず被害者でも、叶うならみんなみんな守ってあげたい
そう言った優しい都市伝説を恐れるなんてあまりに失礼ではないか。
『怒ってます。怒ってますけど、見捨てはしないのです』
自分の為に怒ってくれる少年への感謝から、トイレの花子さんは幼げな容姿には見合わぬ淑やかな微笑を滲ませた。
『あなたは、確かにダメダメなのです。傷付いた女の子もいっぱいいます。……でも、子供達はいつだってやり直せるのですよ』
多分、相沢剛はそれに見惚れていた。
トイレの花子さんが厠神を原型とするならば、その性質は似通っていると考えるのが自然な発想だ。
厠神の有名どころは弁財天と烏枢沙摩明王、それにやはり土の神格化たるハニヤスヒメ。
そして水神であるミズハノメだろう。
ミズハノメは日本の代表的な水の神で、日本書紀では罔象女神と表記する。
この水神は同時に井戸の神、紙すきの神でもあり、和紙作りに深く関わってもいる。
また彼女をまつる神社の御利益には、水神としての治水以外にも、安産や子宝が挙げられる。
厠神は出産に纏わる神。これを踏まえれば、より影響を与えたのはミズハノメ。
都市伝説となってしまったが、トイレの花子さんは本来慈悲に満ちた水の女神なのだ。
『間違いを認めて、ちゃんとした“正しい”を身に付ける。学校に通うって、学ぶって、そういうこと。それが出来るのなら、やっぱりあなたは、大切な私の宝なのです』
ならば彼女が浮かべる微笑は、それこそ女神もかくやというもの。
そっと静かに語り掛ける優しさは、乾いた土に染み渡る水の一滴を思わせた。
「どうだ、相沢剛くん。取引といかないか?」
花子さんに目を奪われていた少年は、甚夜の提案に意識を取り戻した。
こちらは優しいとは程遠い。全くの無表情で、視線だけが鋭く研ぎ澄まされる。
「…え?」
「今後一切盗撮を行わず、後輩達から写真をすべて回収し、ネガも処分する。そう約束するのなら、君の言う化け物をどうにかしよう」
盗撮を止めるなら助けてやる。
あの化け物を見てしまった今、入学したばかりの一年生の言葉など信じられるものではない。
だというのに、相沢剛には何故かそれがひどく頼もしく聞こえて。
だからだろう。
気付けば彼はゆっくりと頷いていた。
◆
「一応、これで盗撮に関しては解決……でいいのかな?」
相沢家を離れてから、どうにも腑に落ちないのか、曖昧に夏樹は呟いた。
「多分、いいんじゃない? あの感じだったら、二度目はないと思うし」
化け物に対する怯えは本物。ならば甚夜の提案を反故にはしないだろう。
反省しているようにも見えたし、なにより花子さんに宝と言われた時、相沢剛の表情はまるで憑き物が落ちたようだった。
きっと今更あの優しさを裏切る真似はしない。少なくとも久美子はそう思う。
『そう、信じたいのです。……だから、ごめんなさい。警察に突き出すのは』
「だーいじょうぶ。そこは納得済み」
『ありがとうなのです、ねくねく』
ある意味被害者に泣き寝入りしろという物言いだ。
申し訳ないとは思うが、できるだけ穏便に済ませたい。身勝手な考えに久美子が納得してくれてほっと一息。甚夜の方もこくりと一つ頷いて応えてくれる。
「ここからは私の本業だな」
『トイレの花子さんは二人いる、でしたか。まったく、盗撮にわたし以外の花子さん……次から次へと問題は起こるものですね、ちくしょうめ』
自身のお膝元での無法な振る舞いに花子さんは大層お怒りだ。
もっとも見た目は可愛らしい小学生。残念ながら迫力が致命的に足りていない。その辺りマガツメの長女にも通じるものがあって、甚夜はほんの少しだけ微妙な気分だった。
「学校は君の領域。別種の怪異の侵入を感知、或いは退けたりはできないのか?」
『感知はともかく、退けるのはちょっと難しいのです。昔ならともかく、今のわたしにはそこまで力はないのですよ』
花子さんのルーツは厠神。しかし女神から都市伝説に変わる過程で本来持つ特性の大半を喪失した。
それでも学校は彼女の領域。踏み入った狼藉者を知るくらい可能だ。
『でも、おかしいですね? 何かが入ってきても普段ならわたしが気付くのです。というか、そもそも“よくないの”がトイレに入って誰かを襲うなんてできない筈なのですが。あ、おまえみたいなタイプは害意がないので“よくないもの”には含まれないのです』
「そいつは有り難いが、にも拘らず君の知らない“なにか”がいる。例外は?」
『んー、……わたしより力があるか。もしくは、前例がないから微妙なのですが、わたしと“同質”ももしかしたら。なるほど、こうして考えてみると二人目の花子さんというのは説得力があるのです』
花子さんの力を上回るものも防ぎきれない。
また彼女と同じトイレという特定の領域を守る堕ちた女神、同質の存在ならば大手を振って出入りできるかもしれない。
どちらにせよ厄介そうだが盗撮を止める条件はトイレの花子さんの討伐。
いかなる存在かはまだ分からないが、面倒が片付いて分かり易い構図になった。この手の荒事ならば彼が専門だ。
「しっかし、じいちゃんはちゃっかりしてるよな」
夏樹は楽しそうに、もにょもにょと口元を緩める。
なにせ甚夜の本来の目的は“トイレの花子さんの調査”。相沢剛の件がなくとも、みやかや薫に危害が及ばぬよう怪異を討つつもりでいた。そこを隠して報酬だけせしめる、つまり交わした取引は不平等もいいところである。
「どちらにせよ怪異は討つ。なにも騙している訳ではない、ちゃんとした交換条件だよ」
『おまえ、案外タチ悪いのです』
まあそれで盗撮騒ぎが収まるのだから文句などある筈もない。
科白とは裏腹にトイレの花子さんもにししと含み笑いを浮かべていた。
◆
『しかし夏樹少年はいいやつなのです』
「そうかぁ?」
『私の為に怒ってくれたのですから、ありがとうなのですよ』
翌日の昼休み、なんか当然の如く夏樹と久美子はトイレの花子さんと一緒に居た。
流石に教室で小学生くらいの女の子とお昼ご飯なんて度胸は彼にはなく、なので今日は中庭でお弁当だ。
相変わらず「やだ、ロリコン……?」的な視線が集まっているのはもう完全に無視である。
「それを普通にできるのが、なっきのいいところだよね」
『まったくなのです。ところで、どうせなら皆でトイレの個室でご飯食べないですか?』
「いや、それはちょっと……」
正直勘弁してほしい。
花子さん的には「私の家でご飯食べない?」くらいの気持ちかもしれないが、何が哀しくて便所飯のお誘いなんて受けないといけないのか。
『むむ、トイレでご飯食べてる生徒結構いるのですが。人によっては毎日』
「ごめんね、あんまその話聞きたくないかなー」
久美子の表情が若干引き攣っている。
その気持ちは分からんでもない。うちの生徒の中にもそういう奴がいるとか聞きたくなかった。
あれ、トイレの花子さんと一緒にご飯ってもしかしたら疑似便所飯? と思わなくもなかったがそこは考えないようにしておこう。なんか泣きそうになってくる。
『なら話題を変えて……あの鬼はどうするつもりなのです?』
「じいちゃん? 休み時間の間にちょっと調べて、今日の放課後には“やる”ってさ」
『ふむ、わたしも昨夜調べてみたのですが、結局なにも出てこなかったのです』
「そりゃ当然じゃないか? だって花子さんは此処の主な訳だし。家主が探し回ったって隠れた空き巣は警戒して出てこないって」
『なるほど。では、そろそろトイレに戻るのです。私が姿を見せれば“よくないもの”も大人しくしてるかもしれないのです』
トイレの花子さんは厠神の亜種。トイレが彼女の領域である以上、警戒されるのも当然だ。
だが警戒して出てこなくなるというのならそれはそれで有り難い。
甚夜が動く放課後までの間、巡視くらいはしておこう。
「そっか。……ありがとな、花子さん」
『いえいえ、これはわたしの役目。でも感謝されるというのは気分がいいものなのです』
そう言ってにっこり微笑み、瞬きの間に幼い娘は姿を消す。
なんといおうか。
都市伝説が皆あんな感じならいいのになぁ、と思いながら夏樹は弁当に箸をつけた。
けれど、少しばかりタイミングが遅かった。
「うん、満足。でもお昼の後の授業って眠くなるんだよねー」
「薫の場合も午前中もじゃない?」
「えー、みやかちゃんひどい」
「ふふ、ごめんごめん」
今日の学食は女子二人。みやかと薫はお喋りしながらの昼食をとった。
中学の頃とは違い高校の食堂はスペースが広く、メニューも豊富で味も中々。いつもは母のお弁当だが、偶に利用するのも悪くないかもしれない。
「あ、ごめん。ちょっと先に行っててくれる?」
「どうしたの?」
「お花摘み」
遠回しに言ったが、案の定通じていない。
トイレ、と言い直せば「じゃあ私も」と薫はついてきてくれた。
都市伝説の件はあるが使うのはまだ昼間だし一階の女子トイレ。噂の場所とはかなり離れえているので別段危険はないだろう。
そう、思っていたのだ。
ドサリ。
洗面台で手を洗っていると、背後で物音がした。
振り返っても誰もいない。というか、音は個室の方からだったような。
「ねえ、今変な音聞こえなかった?」
「あ、みやかちゃんも?」
薫も同じく振り返り、こてんと首を傾げている。
大きな物音ではなかった。続いて少女のか細い苦悶の声が聞こえてくる。
もしかしたらトイレの中で倒れた? 掠れた呻きに二人はそう考えた。
だから心配になってそちらへ向かってしまう。
呻きは、三番目の個室から響いていた。