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4 ノリの悪い彼女

 僕の名前はこう。僕には日向ひなたちゃんというノリの悪い彼女がいる。

 どうノリが悪いかというと、集団の集まりをとても嫌うのだ。僕の大学の友人たちがよく開く飲み会やドライブを兼ねた海水浴、テニス、遊園地なんかは全部行きたがらない。


 それでも僕は彼女が好きで、交際を始めて半年以上になる。彼女の持っている凛とした雰囲気や思慮深い言動が心地いい。


 偶然日向ちゃんと同じ高校から来た同級生が同じ学部にいて、ある日こっそりという感じに話しかけてきた。


「彼女、変わっているでしょう?」

「あー、うん、まあ。でも、僕はそういうところも好きだよ」

「ふうん。彼女が変わっているのは俺たちとは育ちが違うからなんだ。彼女、田舎の旧家の出なんだけどさ。すごいお金持ちってわけじゃないけど、中学でも高校でも浮世離れしていたな。祖父母両親、兄二人。家族全員にとても大切にされているのは有名だった。だから、彼女が東京の大学に進学したのが驚きだよ。よく家から出してもらえたなって」


 確かに彼女は浮世離れしている。服装も白いブラウスに様々な色の、無地のフレアスカートが定番だ。いい意味で昭和っぽい。

 僕は日向ちゃんの奥ゆかしさを感じさせる服装とセミロングの染めていない黒髪が好きだけれど、それをダサいと言う人もいる。僕は全然気にしない。悪口を言う人は、日向ちゃんが涼やかな美人だから妬んでいるのだと思っている。


「日向ちゃんはどうして集まりが嫌いなの?」

「気疲れするから。私を気にしないでこう君は行ってくればいいわ」


 そう言われても僕だけ一人では参加してもつまらない。みんな彼女を連れてくるわけだし。やっと大学生になって、一人暮らしができた。勉強勉強とうるさい親から離れたんだ。週に四回深夜までバイトしているのだって、楽しく遊びたいからなのに。


 今まではずっと集まりに参加しないか、僕ひとりだけで参加していたけれど、やっぱり寂しいしつまらない。だから、今回はしつこく誘った。


「日向ちゃんが行かないなら、僕も行かないよ」

「私のことは気にせずに行けばいいのに」

「イヤだ。僕も日向ちゃんと参加したい」


 そう言い切ると日向ちゃんが困った顔をした。何日たっても僕が意見を変えなかったら、「わかったわ。今回だけね」と渋々参加してくれることになった。


「どこに行くんですか?」

「廃屋探検。二十年も前から空き家になっている豪邸に潜入するんだ。面白そうでしょ?」

「それって不法侵入じゃない。警察沙汰になるわ」

「ならないよ。サッと入ってサッと見物して帰るだけだから捕まらないよ。行くよね? 二人で参加するって言っちゃったからね?」

「そう……。その家って、なんで廃屋になったんですか?」

「ネットの情報だと、事業に失敗して差し押さえが入った日の夜に一家心中したらしいよ」

「そうですか。……わかりました」


 日向ちゃんはすごく嫌そうだったけど、その時の僕は意地になってた。いつもいつも僕が折れるのが癪に障っていたのもある。

 参加者は僕と日向ちゃん、山田と彼女、岡本と彼女の六人だ。

 これ実話なんだけど、これがとんでもない事態を引き起こす。なんで僕はあのとき意地を張ったのか。

 何かが起きた時のために、これをスマホに書き残しておく。


 ◇ ◇ ◇


 約束の日は雨になった。廃屋探検にはふさわしい天気。

 父親のワゴン車を出した山田君の運転でドライブした。車内は賑やかだったけど、日向ちゃんは終始無言だ。僕は普段の日向ちゃんに不満はないから、気づかないふりをして友人やその彼女としゃべっている。

 高速を走り、一般道に下り、トンネルをいくつも抜けて、その廃屋に到着したのは夜の十時過ぎ。男女六人で家の前に立った。


「うわあ、噂通りの雰囲気だな」

「怖い映画に出てきそう」

「家の中の物をなにか一つ持ち帰ろうよ、記念にさ」

「ええ、なんか怖い」

「ゴミでもなんでもいいよ。二人ずつ入って別コースで回って、何を持ってきたか見せ合おうよ」


 六人のうち、日向ちゃん以外は盛り上がっている。僕はみんなに気を使って、日向ちゃんの分まではしゃいでいる。

 三分ずつ時間を空けて二人ずつ入った。僕と日向ちゃんは最後に入り、屋敷の中を進む。僕らみたいな侵入者がさんざん荒らした後だから、家のあちこちが破壊されていた。ゴミもいっぱい落ちている。


こう君、持ち帰る物は私に決めさせてくれる?」

「お。やる気出てきた? いいよ。日向ちゃんが選べばいい」


 そう言って懐中電灯を手に、屋敷の中を歩いている。仲間との鉢合わせは興覚めだから、懐中電灯の光が見えたら互いに避けようという約束のおかげで、ドキドキしながらも二人きりで手を繋いで歩く。

 ロの字の形に建てられた家は広く、中庭を囲んでたくさんの部屋がある。


「航君、二階はやめましょうよ。それだけはお願い」

「ええ? うーん、まあいいけど」


 せっかくここまで来たんだから屋敷を全部見て回りたいけれど、日向ちゃんに譲った。ここまで付き合ってくれたのだから、それも断ったら二度と僕の友人たちと遊んでくれない気がした。日向ちゃんが選んだのは、割れた鏡のかけらだった。日向ちゃんはそれをハンカチで包んでいた。

 二階に行かなかったから、家の外に出たのは僕たちが最初だ。


「みんな遅いね」

「航君、二階の窓を見て」


 見上げた二階の窓を、二つの懐中電灯の明かりが同じ方向に進んでいる。見ているとまた同じ方向から二つの光が右から左へと進む。ロの字の形に建てられている屋敷をグルグル回っているのだ。


「航君、窓を照らしてあげて。早く」

「え? うん。こう?」


 道路に面している窓を照らすと、光の動きが止まった。中で四人がバンバンとガラス窓を叩いている。そんなことをしないで鍵を開ければいいのに。ガラスが割れたら怪我をするじゃないか、と思った。


「何をやっているんだろうね」


 振り返って日向ちゃんを見ると、彼女は窓を見上げながらブツブツと何か喋っている。光の加減で彼女の目が真っ黒に見える。


「日向ちゃん?」


 彼女はそれには答えず、何かをつぶやき続けている。

 そのうち玄関から転がるようにして四人が飛び出してきた。全員声を出さずにワゴン車に飛び乗り、「航! 早く乗れ!」と叫ぶ。僕は日向ちゃんの手を引っ張って強引に車に乗り込んだ。友人たちは全員パニックを起こしている。その理由を、僕は怖くて聞けなかった。


 車内は来た時とは真逆。静まり返っている。居心地が悪いままトンネルを抜け一般道を走り、高速に乗る前にコンビニで休憩した。

 そこで日向ちゃんが山田たちともめた。建物から持ち帰ったものを捨ててほしいと日向ちゃんが言っているのだ。


「あの家から持ってきたもの、捨ててください」

「はあ? なんで捨てなきゃならないの? いいじゃない、どうせ取り壊される家なんだから」

「捨てなくてもいいから見せて」

「やだ。もういい?」


 山田の彼女は日向ちゃんをにらんでからプイと背中を向けた。すごく怒っている。日向ちゃんが岡本にも同じことを言うから僕が止めた。岡本は「お前の彼女、おかしいよ」と小声で吐き捨てる。日向ちゃんにも聞こえる大きさの声。わざと聞かせていたのかもしれない。日向ちゃんは僕を少し離れた場所に引っ張り、いつにない強い口調で僕にこう言う。


「あの人たちと一緒の車には乗れないわ。航君、私と一緒に電車で帰りましょう」

「なんでさ。イヤだよ」


 腹を立てた僕に日向ちゃんが悲し気な顔を向ける。


「そう。わかった。じゃあ私はあの車には乗らずに帰ります。私と別れるか私と一緒に帰るか、選んでください」


 これは本気のやつだとわかった。こんなことを言われたのは初めてだけれど、僕にはわかった。

 僕は日向ちゃんと一緒に帰る方を選んだ。たぶん、もう山田や岡本には誘われないだろう。それでもいいと思う何かが日向ちゃんにはあった。


 山田や岡本みたいな友人はこれからも僕の前に現れるだろう。だけど日向ちゃんみたいな人は、二度と現れない。そう思ったんだよね。


 廃屋探検から一週間後、メッセージを送っても既読スルー。連絡が取れないまま、山田が死んだ。交通事故だった。

 アクセルとブレーキを踏み間違えた高齢者がコンビニに突っ込み、立ち読みしていた山田は全身打撲で緊急搬送されて、病院で息を引き取った。


 その一週間後、今度は山田の彼女が死んだ。酔って道路に寝転んでいるところをトラックに轢かれた。即死だった。さらにその一週間後、岡本が死んだ。感染症が原因の多臓器不全だ。

 高校までアメフトに打ち込んでいた、頑丈が取り柄のような岡本が病気で急死した。さすがに僕も怖くなった。


(これって、やっぱり廃屋に行ったたたりとか、呪いとかなのか?)


 いったんそう思い始めるとそうとしか思えない。日向ちゃんにそう言うと、日向ちゃんが微笑んだ。


「私たちは大丈夫よ。あそこから何も持ち出していないもの。私が持っていた割れた鏡のかけらも、家を出るときにそっと置いてきた。だから私たちは何も心配いらないわ」

「そういうことなの? なんでそう思うの?」

「あの家の二階がおそらく家族が心中した場所だと思う。あの日、二階の窓から大人二人と子供三人が並んでこちらを見ているシルエットが見えたの。だから二階は絶対に行きたくなかった。そんな場所から物を持ち出すなんて論外よ」

「シルエット……」


 何を言っているんだろうと思った。そんな僕を見て、日向ちゃんが涼やかな顔に薄ら笑みを浮かべた。


「差し押さえされて、貼り紙だらけになった家の中で心中した人たちなのよ? そんな人たちの魂は、『もう何ひとつ奪われたくない』と思っているに決まってるでしょう? 物を持ち去ったら、怒るのは当たり前だわ」


 絶句した。


「日向ちゃんて、視える人なの?」

「ええ。我が家の先祖は……本当かどうか証明はできないんだけど、渡来人らしいの。朝鮮半島からいろんな文化と共に日本にやってきた一族というのが父や祖父の誇りで。その中でも我が家は……まあ、そういう方面に秀でていたらしいわ」

「そんなことなにも言ってなかったよね?」

「だって証拠がないもの。六世紀ごろに先祖が日本に来ましたって言ってもね。千何百年も前の話だし、おかしな人だと思われるだけよ。とにかく私と航君は大丈夫」


 それでも僕が黙り込んでいたら、日向ちゃんは真顔になった。


「私は忠告をしたでしょう? そこから先は本人の判断だわ。私がどんなにしつこく『何も持ち帰らないほうがいい』『あの家には魂が残ってる』と言ったとして、あの場のあの雰囲気でみんなが私の言う通りにしたと思う?」

「それは……思わないけど」

「でしょう? 私と航君に責任はないわよ。人はみんな自分の判断を積み重ねて生きているんだもの」

「うん……そうだね」


 日向ちゃんの言うことは正しい。だけど、「そうだよね、彼らは自業自得だよね」という気分にはなれず、一人で落ち込んでいた。すると岡本の彼女の桜楽さくらちゃんからメッセージがきた。


『航君、次は私だよ。怖くて怖くて、一人でいられないから実家にいるんだけど、やっぱり怖い』


 思わず桜楽ちゃんに電話をかけた。


「ねえ、あの廃屋から何か持ち出した?」

「持ち出したよ。そういう約束だったもの」

「何を持ち出したの?」

「山田君たちは真珠がついた金の指輪って言ってた。私と岡本君はルビーのペンダント」

「さんざん荒らされた廃屋に、そんな物が残っていたの? おかしいじゃん」

「だって本当に残っていたんだもん! 鏡が割れたドレッサーの引き出しにあったんだもん!」


 そこから桜楽ちゃんは泣き出してしまって会話にならない。僕は慰め続け、最後は「大丈夫だから。落ち着いて。もう電話を切るね。眠ったほうがいいよ」と声をかけて会話を打ち切った。


 桜楽ちゃんはその夜に首を吊って死んだ。本人の言ったとおりの事態だ。でも自殺は祟りじゃなくて恐怖で桜楽ちゃんが理性を失ったせいかもしれない。でも、もし自殺が祟りだったら? 僕は恐怖で頭が真っ白になった。

 あの時もっと僕が電話で話をしていたら、事態は変わっただろうか。桜楽ちゃんは死ななかったのだろうか。


 お葬式に行ったら、喪主挨拶で桜楽ちゃんのお父さんが「娘は精神的に参っていました。私たちは力の限り慰めてはいたのですが」と泣きながら語っていた。


 日向ちゃんは落ち込んでいる僕を心配して毎日慰めてくれる。「私たちは大丈夫だから」って。

 明日は廃屋探検から五週目。順番で言えば、次は僕だ。自殺するつもりは全くないが、僕は布団の中で丸くなって震えている。


 だって。

 あの日、日向ちゃんが鏡のかけらを拾ったのを見て(そんなものじゃみんなに負ける)と思った僕は、床に落ちていた銀製らしいスプーンをこっそり拾って持ち帰っていたんだよ。廃屋の中に落ちている銀のスプーンだって、十分おかしな話だ。今はそう思う。


 だから日向ちゃんの話を聞いて、慌ててそのスプーンを道端の草むらに捨てた。

 だけどなぜか翌朝になると、銀のスプーンは僕の机の上に現れる。毎日捨てても毎日スプーンは戻ってくる。それがひたすら恐ろしい。


 さっきから、『コツコツ』と窓ガラスをたたく音がしている。

 絶対に窓は見ない。絶対に見るものか。見たら終わりだと、僕の本能が叫んでいる。

 だけどどれだけ知らん顔をしても、窓ガラスを叩く音は諦める気がないらしい。今もまだ、誰かが二階の窓を叩き続けているんだ。

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