10 懺悔29号(2)
まあ、予想通りの展開ですよ。
私とお母さんは警察署で、温厚な言葉と目が笑っていない笑顔のおじさん警察官に、こんこんと注意された。
「お嬢さんの情報提供を受ける前から、我々は犯人の目星をつけていました。ただ、相手が未成年だったのでね。誤認逮捕だけは避けなければならなかったのです。もちろん、相手が未成年ということも漏らすわけにいかなかったのですよ」
「はあ、そうですよね。それはわかります」
お母さんは着替えに帰ることをやんわりと断られ、さらしを巻いた寸胴姿のまま相槌を打っている。
「もう二度と、自分たちの手で犯人をどうにかしようなんて思わないでくださいね。被害者を増やしたくない。犯罪は日々発生し、我々の手は足りないのですよ」
「お手数をおかけしました」
母子ともども何度も頭を下げて家に帰った。
お母さんは「はー、苦しかったわぁ」と言いながらリビングでさらしをほどき、とぐろを巻いているさらしを床に放置したまま缶ビールを飲んでいる。
翌日、「おはよう!」と教室に入ったら、教室は気味が悪いほど静かだった。みんな声をひそめてしゃべってる。
友人の花実が私に手招きをしている。
「ミキ、どえらいことが起きた。このクラスから犯罪者が出たよ」
あいつのことだ、とすぐにわかった。昨日捕まった未成年のカッター男だ。
「このクラス? 誰?」
「高梨君。昨夜遅くに、高梨君の家の前にパトカーが停まっていて、刑事が何人も出入りしてたんだって。直樹が塾の帰りに見たって」
高梨君? あの真面目で大人しくて、声が小さくて、いつも物静かに本を読んでいる読書家の高梨君?
「いや、現場を見たけど、フードを被ってたにしても高梨君じゃないと思うよ。すごく禍々(まがまが)しい気配だったもん」
「ええっ! ミキ、現場を見たのっ!」
花実が大きな声を出したものだから、クラス中の視線が集まった。そして全員が私の席に殺到しそうになったところで、担任の青井先生が入ってきた。顔が固い。やっぱり高梨君が犯人なの? どうしても信じられないんだけど。
青井先生は深刻そうな顔で、高梨君が逮捕されたことを報告した。ただ、判決が下されるまで高梨君は犯罪者扱いされない権利がある、と言った。それもう、犯罪者確定って言い方だなと思って聞いた。
その日一日、学校中がソワソワしていた。先生も、生徒も。
緊急の職員会議が行われるからと、部活動は無しになった。寄り道するなと注意されるまでもなく、私は家に帰った。
家の前に見慣れない車が停まっていて、玄関には男物の革靴が二足。
「ただいま」
「ミキ! お帰り! ちょっとあんたもリビングに来てっ!」
「なあに?」
お母さんの目が、今日は恐怖でいっぱいだ。
リビングにいた刑事さんが、高梨君の話を始めた。カッター男はやっぱり高梨君で、今はひと言もしゃべっていなくて、警察は犯行の動機を調べているそうだ。
「それでね、これ」
テーブルの上に置かれた写真は二枚。
一枚は私とお母さんが笑いながら庭にいる写真だ。パラソルの下で私がアイスを食べていて、お母さんはビールを飲んでいる。
もう一枚は、教室の中だ。私が授業を受けている横顔。
「なん、で?」
「ミキ、次はあんたが襲われる予定だったみたいなの」
「私? なんで?」
「ミキさん、何か思い当たることはある?」
私は黙って首を振った。
高梨君と私は接点がない。休み時間はいつも本を読んでいる高梨君。接点を作りようもない。
「なんで私が狙われるのか、全然わかりません」
刑事さんたちは「なにか思い出したら連絡を」と言って帰って行った。
お母さんはずっと落ち込んでいて、「狙われたのは私だよ?」と言っても「あんたはまだ、母親の気持ちがわからないんだよ」と言う。
「引っ越そうか」
「は? なんで?」
「あの子、裁判で有罪になったとしてもいずれ出てくる。お母さん、不安だよ。仕事もやめる」
「落ち着いてよ。とりあえず裁判が終わるまでは安全だから。お母さんが仕事を辞める意味なんてゼロだから」
お母さんはそれでもいろいろ言ったけど、被害者候補の私が転校するなんて納得がいかなかった。
それから四か月が過ぎた。
久しぶりに刑事さんが来て、「彼が自白しました」と教えてくれた。
きっかけは、私の言葉だったそうだ。
「私の言葉? だって私、高梨君としゃべったことなんて」
「あなたが友人の花実さんと会話しているのを聞いて、彼は絶望したそうです」
「なんの、ことか」
それから刑事さんが、丁寧に説明してくれた。
春ごろ、花実が私に「昨日発表されたストーンノベルの新人賞読んだんだけど、よくわからなかった」と言ったそうだ。
それに対して私は「私も読んだよ。男のロマンを詰め込みました的なやつね。ああいうの、痛々しくて私は苦手」と言ったらしい。全く覚えていない。
新人賞を受賞した作品が、高梨君の作品だったのだ。
しかも、彼が作品の中で恋愛を成就させたヒロインは、私を思い浮かべて書いたらしい。
高梨君は、その作品が受賞したら私に告白するつもりで書いて、その日の帰りに告白する予定だったそうだ。
だけど私の言葉を聞いて告白を取りやめ、何日も何日も苦しんで、何人もカッターで試し切りをして、最後は私を殺すつもりだったらしい。思春期に多発しがちな精神の病だと診断が出たとか。
「家庭も問題を抱えていましたし、あなたが全ての原因ではないのです」
刑事さんはそう言ってくれたけど、十七歳の私には「私、どうすればよかったの?」としか考えられない。
その後、いろいろなことがわかった。高梨君のスマホには、私の盗撮写真が何百枚も収められていたそうだ。
言っておくが、私は美人でもなんでもない。普通の、目立たない、見た目もスタイルも成績も中の中くらいだ。どこにでもいる高校三年生。
高梨君の裁判に、私は行けなかった。
お母さんは引っ越しを断行し、私たちは札幌に住んでいる。父は相変わらずタイの工場長を務めていて、以前よりは頻繁に電話してくるようになった。
『ああいうの、痛々しくて私は苦手』
たったこれだけの言葉で人生が変わること、あるんだね。
それから八年の月日が過ぎた。今の私はブログをやめて小説を書いている。犯罪を調べ続けていた延長線上で、連続殺人犯をテーマにした、暗く重い作品ばかり。
評価されることも、酷評されることもある。まあまあ暮らせる程度には仕事がある。
「ミキ? ファンレターが編集部さんから届いているわよ。ここに置いておくわね」
「はあい」
コーヒーを飲みながら、ファンレターを順番に読んだ。転送される手紙は全て開封してある。
これはどこの出版社でも同じで、悪意ある内容の手紙は編集部で選別され、廃棄される。だから安心して読めるってわけだ。
「ん?」
真っ白い封筒には私のペンネームだけが書いてあり、差し出し人の名前はない。でも、こうして届けられた以上、悪意に満ちてはいないということだ。
手紙の文章は、最新刊の感想だ。二枚にわたり、結構な長文が書いてある。私は一枚目の最後のあたりで目が止まった。
「主人公が相手の男の子に『男のロマンを詰め込みました的な痛々しい内容ね』と言ったセリフが印象に残りました」
心臓がドクン! と跳ねた。この作品にそんなセリフはない。
それは、高校生の私が高梨君の受賞作品に向けて放った言葉だ。
この手紙、高梨君からだ! ペンネームの波崎茜が私だと知っている!
「お母さん!」
パニックになってお母さんを呼んだ。ちょうどチャイムが鳴って、「はあい」とインターフォンのモニターに向かってお母さんが返事をしている。
「赤ネコ運輸です」
「お母さん、待って! 鍵を開けないで!」
「なあに? 大きな声を出して」
そう言いながら母がマンション入り口のオートロックを解除した。
もし、高梨君だったら? この住所を調べ出していたら?
玄関に走り、鍵を確認した。チェーンもかけた。手が震える。立っているだけなのに猛烈な勢いで心臓が暴れている。
「ピンポーン」と玄関ドアのチャイムが鳴った。
吐きそうなほど緊張しながら、そーっとのぞき窓に目を近づけたら……。