第百一話:十四日目、朝
確たる死を前に、祈りを捧げる。
せめてきみだけは、どうか無事にと。
この祈りは、届くとは思えないのだけれど。
それでも祈らずにはいられないよ。
私は先に逝ってしまうけれど、きみはまだ来ないでね。
元気に長生きして、たくさん幸せになって、もうじゅうぶん生きたって、満足したならこっちにおいで。
それまでは、どうか、生きて。
これからきっと一人でつらい思いをしていくと思うけれど。
それでもどうか、生きて。
この祈りは、届くとは思えないのだけれど。
それでも祈らずにはいられなかったよ。
たとえ、私が私でなくなったとしても。
私は変わらずきみのことを想い続けているからね。
じゃあね。元気でね。
私のことは忘れて、どうか、幸せになって。
……でも、たまには思い出してね?
愛してるよ、トール。
きみのことが大好きなお姉ちゃんより。
「ひぐっ」
夜明け前の薄闇の中、僕自身のしゃくりあげる声を聞きながら目を覚ました。
ひどい脱力感。
もしかしたら、ひどい夢を見ている間ずっと泣いていたのかも。
ああ、今きっと、ひどい顔をしている。
……でも、無性にトールくんの顔が見たくなった。
トールくんに会いたくてたまらなくなった。
重い体をなんとか起こして、ゆっくりと立ち上がり、ふらつく。
……支えてくれる人はここにはいない。
でも、支えてほしいんじゃなくて、僕が支えてあげたいんだ。
部屋を出れば、二部屋となりで寝ているミナトも部屋を出たところだった。
……ああ、ミナトもまた、ひどい顔をしているのが、明かりのない薄闇の中でもなぜか分かった。
壁に手をついて、重い体を少しでも前へ。
暗い廊下を一部屋分移動するだけでだいぶ消耗した気分だけれど、僕とミナトが同時に手を伸ばしあって、引き寄せあい、抱きしめあった。
それに合わせるように、トールくんの部屋の引き戸が開けられて、今一番会いたい人の顔を見ることができた。
「どうしたの、というのは、さすがに無粋かな。……おいで、二人とも」
手を広げてくれたので、ミナトと二人で倒れ込むようにトールくんにしがみついた。
「ちょっとごめんね。……よいしょっと」
しがみつく僕らの太ももに腕を回して、両手で二人を持ち上げて、そのまま布団まで移動。
ぐずりながらも、筋肉質には見えない体に秘められた力強さを感じて、ちょっとドキドキする。
「泣いてる理由、聞いてもいいかい?」
三人川の字で布団に横になり、僕もミナトも頭を撫でてもらいながら問いかけられた。
「あのね、ひどい夢を見たんだ。森の中の村がたくさんの魔物に襲われて、村の仲間が、友達が、家族が、次々と死んでいく夢」
「オレも。泣いても叫んでも、誰も助けてくれない。みんな死んじゃったから」
「………………そっか。実は、おれも夢を見ていたんだ。両親と姉と開拓村に移住して、そこで暮らして、弟が産まれて、大規模な魔物の襲撃にあって、街まで逃げ延びて、いろんな人に優しくしてもらい気にかけてもらいながら生きて。そして、生き延びた意味を理解した時までの夢」
淡々と語るトールくんの感情はどんなものか。その心の内は見えないけれど、ずっと苦労してきたんだと思う。
生き延びた意味を理解した時。その時の捨て身の覚悟も夢で見た僕は、より強くしがみついてしまう。
「……ねえ、ミコト、ミナト。おれ今結構幸せだと思っているんだ。二人と出会えたから」
「…………トールくんは、もっと幸せになるべきだと思うよ」
トールくんの胸に額を当てて、ミナトに手を伸ばす。
「あんな思いして生きてきたトールは、結構、じゃなくて、もっと幸せになっていいと思うぞ」
ミナトもまた、トールくんの胸に額を当てて、僕の手をきゅっと掴んだ。
「…………いいのかな…………? おれ、幸せになってもいいのかな?」
「幸せになろうよ。僕らと一緒に」
「幸せになろう。オレたちと一緒に」
「…………うん。ありがとう。二人とも、ありがとう」
頭を優しく撫でられて、その手を顎に手を添えられて、見つめられて。
何を言いたいかはなんとなく分かったので、顔を寄せて唇をそっと押し当てた。
「あ……」
ミナトが寂しそうな声をあげる。だから僕は、
「ほら、次はミナトの番だよ?」
顔を離した後も踏ん切りが付かないミナトを促してあげる。
「ほーら」
「お、おう……」
ミナトがトールくんとちゅーしているのを見ても、今の僕は特に嫉妬とかはないみたい。
良い傾向だな、と思っていると、またトールくんにちゅーしてもらえた。
「……えへへ」
唇が離れたら、なんとなく笑っちゃった。
幸せな気持ちがどんどん湧いてきて、心の底から幸せだなって思えちゃう。
「…………ほぅ…………」
一方のミナトは、心の底から幸せそうにため息ついていた。それこそ、夢見心地な表情で。
これからは、ううん。これからも、僕とミナトが一緒にいるからね。
一緒に、もっと幸せになろうね。