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 とりあえず、昼休みが終わったのでフリジアは授業に向かった。

 授業さんの存在に感謝したのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。マリーワの苛烈な教えの結果、私は学園卒業相当の学力をすでに得ているために、授業の参加率が著しく低い。素行不良者として振る舞う必要もあったため、いままで授業はロクに相手にしていなかったのだが、フリジアを追い出してくれたことには心底感謝している。

 それほどフリジアがどうしようもなかったのだ。断っても食い下がり、ことあるごとに難聴を発揮させたフリジアは、無意味に強敵だった。この私とあろうものが、どう頑張っても引きはがせなかったのだ。あのポジティブさはどこから来ているのか謎である。

 そして私は授業に出ることはなく、当然のように学園から抜け出して下町に出ていた。

 特に護衛は付けておらず、本当の意味で一人きりの外出だ。マリーワから護身術を習った私は、ゴロツキの二、三人くらいなら軽くあしらえる。そもそも、絡まれるような場所は入り込まないようにしている。出歩くのは大通りか、治安のいい通りを選んで、裏路地などには入らないようにしているのだ。

 そうして通りの露店や商店を冷やかしていると、声をかけられた。


「お、姐さんじゃねえっすか」

「ん?」


 私にミシュリー以外の弟妹はいない。その私を『姐さん』などと呼ぶ不届き者は誰だと振り向くと、そこにはいかにもゴロツキっぽい男がいた。

 割と体格の良い、顔に無精ヒゲを生やした男だ。年齢は、二十代にいってるかいっていないか。着崩しているだらしない服装もあって、私のような美少女に話しかけているとそれだけで通報されそうな風体だが、知り合いだった。


「ガイストか。お前こそどうした、真昼間から。働け。ごくつぶしを見ていると、無性にひねりつぶしたくなるんだ、私は」

「ははっ。勘弁してください。別に悪さしてんじゃないっすから」

「昔はしてただろ?」

「姐さんにしめられて以来、やってないっすよ」


 照れ隠しにガシガシと後頭部をかいているガイストにとっては黒歴史だろうが、少し前まで貴族嫌いをこじらせていた。友人数名と一緒になって、下町に降りてきた貴族の子弟を脅すという程度の低い嫌がらせをやっていたことがあるのだ。

 私自身は被害にあわなかったのだが、顔見知りだった学園の女生徒の腕を掴んで裏路地に引っ張り込もうとした現場を見つけたので、その時に過剰防衛だというくらいに叩きのめした。悪役をこなさなければいけない身の上だがさすがに見逃せなかったのだ。それに、いま思えばあれは淑女らしくない乱暴さをアピールする良い機会でもあった。あの後の一時期、私を遠巻きにしてひそひそと噂話をする生徒がやたらと増えていたのだ。

 そんなことから始まった奇縁だが、ガイストは私の取り巻きの身内でもある。学園で新聞部をやっている生徒の兄である。つまり、平民ではあるもののけっこういいとこの生まれだ。ちなみにこいつの妹も、ほとんど同じ喋り方をする。


「そうか。まあ貴族嫌いを直せとはいわないけどみみっちい嫌がらせなんてアホなことはしてないで、もっと建設的な対抗手段を考えろよ?」

「信用ないっすね。姐さんに諭されて以来、そうしてますって。そもそも、姐さんに会ってから、貴族ってだけで嫌うようなことはしてませんし……それより妹はどうしてますか? 姐さんの派閥にいるっていうのだけは聞いてるんですけど……」

「元気だぞ。内容は知らないけど、新入生の入学に合わせて号外作ってやるって息巻いてた」

「ふーん。姐さんに迷惑かけてないといいんですけど。あいつ、調子に乗りやすいから、そこのとこだけ心配で」

「まあ確かにお調子者の面はあるけど、別に迷惑だと思ったことはないぞ?」


 ガイストの妹は、学園に入学してすぐに自分の身を守るために私の傍に寄って来た。平民という弱い立場を、私の派閥に入ることで強化しようとしたのだ。そして新聞部に入り、私の威を借りてけっこう好き勝手しているらしい。私の周りをちょろちょろしていることが多いが、それ以外でも大抵楽しそうにしている。権力者に擦り寄るしたたかさには好感が持てるし、人間関係のバランスの良さも高評価だ。


「なら良かったっす。そいや姐さん、なんか予定があるんすか?」

「いや、授業サボってるだけだから、ヒマだ」

「なら酒場に来てくださいよ。最近、姐さんと会えないって、俺が文句言われてるんすよ」

「お前の事情なんてどーでもいいが……そうだな。酒場はいいかもな」


 ガイストはこれでも顔が広く老若男女問わず知り合いだけは多いので、そこから私も顔見知りになった連中は多い。そいつらにガイストが責められていようと私には何の関係ないが、食事ができるのは魅力的だった。

 なにせ考えてみれば、昼休みに食堂には行ったものの、どこぞのアホのせいでちゃんとしたものは食べていない。フリジアの相手をしたときにメイドが用意したスコーンをかじって紅茶を飲んだくらいだ。

 ガイストのいう酒場だが、昼間はオープンテラス付きの喫茶店に近い。店員の質も良い馴染みの店だし、丁度いい提案だ。


「うん。行く。けっこうお腹が減ってるんだ」

「よっしゃ! 姐さんがくるとなれば、あそこの常連どもも喜びますよ」

「なんだ? 私のおごりが目当てか? 人を財布扱いするとロクなことにならないぞ」

「いえいえ。滅相もないっす」


 茶化した私の言葉に図星でも突かれたか、ガイストは慌てて両手を振る。

 諸事情で、お父様からもらっている小遣い以外の収入源ができてしまっているのだ。おかげさまで、経済事情には余裕がある。だから私の買い物は派手だし、知り合いの集まりならばその場にいる全員分をおごるような散財もよくしている。

 その事実を背景にして、私は厭味ったらしく口端をもちあげる。


「別に取り繕わなくていいぞ? 自分で金を出さないご飯はおいしいしなぁ?」

「いやいや、ほんとにそんなんじゃないっすからっ。なんなら姐さんの分は俺たちで出しましょっか?」


 媚びるような上目遣いになって下手に出た申し出に、ふんっ、と鼻を鳴らす。私は貴族だ。そして金持ちだ。ノワール家という立場で庶民から収入を得ている私が下々から直接貢がれるなんて、あってはならない。


「冗談言うな。私が行くからには、その場にいる全員分を全部出すに決まってるだろう」

「さすが姐さんっす! じゃあ俺、知り合いに声をかけてきますね!」

「行ってこい! 私の施しを受けて感謝しろよ愚民ども!」


 ガイストのわかりやすい持ち上げに、あえて乗っかって調子に乗る。あっさりこんなおだてに乗る私は、さぞかし扱いやすい愚か者に見えることだろう。

 けれどもこれでいいのだ。どうせいつかは破滅するこの身の上。貴族からも平民からも、私は愚者として見えなくてはならない。たまに忘れられないように顔を出していくのも重要だ。

 そうやってふんぞり返っていた私だが、ふと気がついて付けたす。


「あ、でも酒は飲みすぎるなって伝えておけよ。いや、店の方で出す量は絞ってもらう。私は酔っ払いが嫌いだ。特に、真昼間から酔うような輩はな」

「う、うす……」


 子供の頃にどこぞの酔っ払いの醜態を見て以来、酔っぱらいの無責任さは好きになれない。

 私の釘さしに、ガイストはあからさまにしょんぼりと肩を落とした。

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