うたた寝のこと
地球とは異なる次元世界・コピタキアは、その三分の一を掌握する大国『ヒュエトス』を中心に、大小様々な独立国家によって構成されている。
ヒュエトスの人口は、十四億五千万を超える。が、上層に住まう特権階級は四千二百万人程度。それらを管理する中枢機構の人員となると、上層から選ばれた三百万人ほどしかいない。
ハルヴィエド・カーム・セインはヒュエトスの上層、中枢機構直轄の研究所に勤める神霊工学者だった。
しかし一握りの才ある者に与えられる栄誉を捨てて、下層の犯罪組織デルンケムに追従した。
彼の名は類稀なる愚か者として今も上層で語られている。
ヒュエトスは魔力をエネルギーとして利用し、神霊工学によって発展した国家だ。
上層は文字通り下層より上に建設された人工の居住区で、二つの階層を中枢の管理する転移ゲートが繋いでいる。
下層といっても生活水準は他国に比べれば高い。
ただしこの区域でも行政は中枢機構が司る。また神霊工学の恩恵はあるものの、流通する技術は基本的に上層からもたらされる。
下層の研究者もいるにはいるが、上層とは比べ物にならないくらいレベルが低かった。
上は神霊工学による成果を与え、下は税や資源を納める。立場は明確で格差も大きいが、ヒュエトスはそれなりに安定していた。
下層には霊的生命体である魔獣や邪霊が出現する。
というよりも上層ではこれらに対する防御結界などの対処が完璧に行われており、あえて下層に穴を作ることで被害を集中させているのだ。
結果として「よく襲われる場所」が生まれ、そこは貧困地区になりやすい。
ただ霊的生命体は神霊工学で使われる材料ともなるので、完全に除外すると別の問題が起こる。そのせいで積極的な解決は行われず、下層に面倒を押し付ける形が維持されていた。
悪の組織は貧困地区の犯罪集団……スラム街のギャングといった認識が一番近いだろう。
デルンケムの構成員のほとんどは首領セルレイザの豪放さに惹かれた、まともな職にもつけない「ならず者」だ。面倒見のいいセルレイザは、彼らを食わせるためにいろいろなシノギに手を出した。妖精の売買もその一環である。
同じ下層の組織どころか、ゲートを超えて上層からも略奪をした。
他国のいさかいに介入し、傭兵の真似事で大金をせしめるのも日常茶飯事だった。
そういったいかにもな犯罪集団が変化したのは、ゼロス・クレイシアとハルヴィエドの尽力だった。
強奪に頼る方法ではいつか頭打ちになる。
そう考えた二人は奪う以外の資金源の確保を念頭に動いた。その一つに他組織への技術貸与もある。中枢にバレて余計な厄介ごとを招いても困るため、外に出すのは技術レベルの低いマジックアイテムだけだったが、それでもハルヴィエドの発明は金になった。
上層から流れた神霊工学者が好き勝手振る舞うのだ、横槍くらいは覚悟していた。しかし警戒は杞憂に終わる。中枢機構がデルンケムの粛清に乗り出すことはなかった。
選ばれた絶対者を自負する者たちにとって、下層落ちした男などなんの価値もないらしい。大きな騒ぎにさえならなければ見逃してもらえるようだ。
こうして多少あくどいことをしつつデルンケムは成長していく。
その結果、中枢機構の目も届かない場所に秘密基地を構えるまでになった。
異空間基地。
ヴィラベリートのために造られた、楽に呼吸ができる場所である。
もちろん国の監視を欺くためヒュエトスにも仮の拠点が置かれている。表では下層のならず者として、裏では超技術に支えられた組織として動く。秘密結社じみてきたせいで、この頃からデルンケムの頭には『神霊結社』と付くようになった。
魔霊兵や怪人、戦闘員たちによる魔獣の討伐や傭兵業務。
国を飛び越えた違法スレスレな商売や技術貸与。
場合によっては小国を裏から牛耳ることさえあった。
下層の貧困地区から始まった神霊結社デルンケムは戦闘員だけでも八百人を超える組織となっていた。
そしてその首領、セルレイザ・グラン・クレイシアは。
「なあ、ハルよ。基地の地下に伝説の魔獣とか封印してみたいんだが、できるか?」
相変わらずちょっとアレだった。
「はぁ。捕獲して来い、ということですか? それとも作製? 原理的には怪人とそれほど変わらないので、できなくはないですが」
謁見の間に呼び出されたハルヴィエドは首領セルレイザの奇妙な要求に溜息を吐く。
なんだかんだ敬意は抱いているし、感謝もしているが時折突拍子もないことを言い出すので困る。
「そうじゃねえ、そうじゃねえんだ。なんかあれだ、基地にロマンが欲しい。地下奥深くにはヒュエトス建国に関わる伝説の魔獣がいて、そいつがいつか復活して災厄を撒き散らすかもしれねえ。だから封じるために基地が建てられた。首領というのは代々受け継がれる守り人みたいな存在なわけだな」
「ははん、さてはあなたバカですね?」
なんでわざわざ呼び出されてまで妄想を聞かされにゃならんのか。
こちとら日々忙しい幹部。なんなら首領よりもよっぽど働いているというのに。
「異空間基地ってだけでわりと人類史に残る偉業なんで、十分すぎるくらいロマンですよ」
「そらぁ研究者にとっちゃそうだろうがよ」
「しかし、セルレイザ様のアレさ加減は羞恥の事実ですが、今回のは少し毛色が違いますね」
「なあおい、今の発音おかしくなかった?」
「気のせいでしょう。で、なぜこんな話を?」
適当に流しつつ問い詰めるセルレイザは困ったように頬をかいた。
「いや、な? ヴィラのやつがよ、『基地の下のそういうの、いないのかのう?』って言い出して。それで、よ」
筋骨隆々とした、豪放を絵に描いたような戦人が小さくなっている。
彼は実子であるヴィラにはとことん甘い上に、いいところを見せようと大言壮語を吐く癖がある。
おおかた「任せとけ」なんて言ってしまって、後はハルヴィエドに押し付けようという魂胆だったのだろう。
「ふぅ……とりあえず、バカ発言は取り消しておいてください。ヴィラの発言なら無邪気です」
「お前すげえな」
なおハルヴィエドも人のことを言えないくらいヴィラに対して甘々である。
それでなくとも大人の戯言と子供の夢のある発言に対応の差が出るのは致し方ないことだった。
「だが、分かったろ。どうにかならねえか?」
「なりません。ヴィラには申し訳ないが、ロマンに運営資金は割けないので。だいたい災厄を振りまく伝説の魔獣とは? ヒュエトスの建国神話にそんなもん出てきませんが」
「そこは、あれだ。……ハル、ちょっと過去に戻ってそういう魔獣作って来てくれね?」
「ヴィラの思い付きのために時を越えろと……⁉」
てっきりそういう設定の魔獣を造れという話かと思っていたが、過去改変してこいとか無茶を通り越している。
しかしセルレイザの目はマジメそのもの、本気でバカなことをほざいている。
「イケるって! ヴィラのために異空間を造ったハルなら、時を越えるくらいイケる!」
「無理……いや、基地の維持でカツカツのウチにそんな余裕はないです」
「おい、今考えたな? 『理論を突き詰めていけばできなくもないし、研究テーマとしてはおもしろい』とか頭をよぎったよな⁉」
「こんな時ばかり察しがよくなる……!」
基本はバカなのにこの首領、配下のことをよく見ている。
そういう人だからハルヴィエドも彼に従った。デルンケムに所属してからは上層にいた頃とは比べ物にならないくらい心が軽い。
だから自身の選択は間違いではなかったと胸を張れる。
「頼むってハルよ! 父の威厳のためにも時間を掌握してくれや!」
ただ時々、やっちまったかなーと思わなくもないです。
◆
「うん、あの。毎度毎度、義父さんがすまん」
「いえ、ゼロス様が謝ることでは」
縋りつく首領を振り払ってハルヴィエドは私室に戻った。
筋骨隆々としたおっさんが涙ながらに足に頬ずりしてくる様は軽くトラウマになりそうだった。
義父の奇行に慣れており、そのせいで頭を下げるのも日常茶飯事な我らが幹部ゼロス・クレイシアはたいそう申し訳なさそうな顔をしている。ハルヴィエドもどちらかというとゼロス側である。
「……ハルヴィエド。実際のところ、伝説の魔獣つくれるの?」
なぜかヴィラも私室にやって来て、当たり前のようにハルヴィエドの膝の上に座っていた。
まだ十歳だし、病弱で人と触れ合う機会が少なかった反動か、この子はよく密着してくる。その対象が主にハルヴィエドなせいで「……義兄を差し置いておかしくないか?」とゼロスから不満そうな視線を向けられることもしばしば。というか現在進行形で睨まれている。
「魔獣は作れても伝承を付加するのは、さすがにできないよ。いや、ヴィラ。なんで驚いた顔をするんだ?」
「ハルヴィエドならいけるかと。むぅ、残念なのじゃ」
聞き分けがいいのはけっこうだが、頬をぺしぺし叩くのやめてほしい。
そう思いつつ拒否できない彼は相当ダメな人間だった。
「それはそれとして、遊ぶのじゃ! ハルヴィエドも義兄様も、今日はお仕事ないのじゃろ?」
「お仕事……お仕事、なのか?」
悪事を労働とカウントしていいのか迷い、ゼロスが顔をしかめている。
もっともすぐに割り切ってヴィラのお願いに頷いてしまう辺り、この義兄もダダ甘である。
「遊ぶって、なにをするんだ?」
「えーっと……」
特に考えていなかったようで、ヴィラは聞かれてから頭を悩ませている。
ちょうどそのタイミングで部屋の扉がノックされた。やって来たのは過激な露出のボンデージを着こなすおっとり女性、レティシア・ノルン・フローラムである。
「ハルヴェイドさん、こんにちは」
「レティか。どうした?」
「ゼロスさんやヴィラちゃんが来ていると聞いたので、私もお邪魔しようと」
「ああ、どうぞ」
なにやらハルヴィエドの私室が溜まり場のような扱いを受けている。
別に不満があるわけでもないし素直に招き入れると、レティシアの登場にヴィラが諸手を上げて喜んでいた。
「ヴィラちゃん。お暇ならいっしょに手作りアクセサリーなんてどうでしょう?」
「アクセサリー?」
「はい、うまくできたたらゼロスさんやハルヴェイドさんにプレゼントするんです」
「おお、それはいいのじゃ!」
彼女の提案はヴィラの琴線に触れたらしく、とんとん拍子に話が進む。
部屋の主を放置して二人で計画を立てていく。止める訳にもいかずゼロスとそれを眺めていると、再び来客がやってきた。
「おう、ハルヴィ。飯食いに行かねえか?」
組織のゴリラ枠、レング・ザン・ニエべ。鍛え上げられた筋肉を持つ組織でもトップクラスの戦士だが、意外と馬が合い今では親友といっても過言ではない相手だ。
「ゼロス様にレティシア。ヴィラベリート様もいるじゃねえか。どうです、みんなも。今日はこってりの気分なんですよ」
「お、いいな」
ゼロスが同意すると、残る二人もそれに倣って頷く。
まずは皆で食事、その後でヴィラベリートはレティシアとアクセづくりということになった。
「昼間っから酒はまずいか」
「レングさんは悪の組織の戦闘担当なのに、微妙にマジメですよね?」
レティシアがそう言うとレングは豪快に笑った。
「戦闘担当だからだよ。酔っぱらって戦えませんじゃ格好つかねえじゃねえか」
「なるほど……勉強になります」
まだまだ新人幹部の彼女からするとレングが立派に見えていることだろう。
中身はわりとダメマッチョなので騙されてる感が半端ない。
「言いたい……。お前の特訓風景を赤裸々に語りたい……」
「ハルヴィお前本気でやめろください」
すごく早口だった。
じゃれ合いをゼロスが楽しそうに眺め、ちゃっかりレティシアはその隣を確保している。彼女の好意の矢印はとても分かりやすい。
「ハルヴィエド、抱っこ抱っこ」
「はいはい」
甘えてくるヴィラを抱き上げて、改めて食事に出かける。
「ヴィラベリート様は、本当にハルヴィが大好きだな!」
「本当ですね。……義兄としては嫉妬しますか、ゼロスさん?」
「ノーコメントで」
悪の組織といっても特にいがみ合ったりはせず、幹部連中はだいたい仲がいい。
形は違えどそれぞれヴィラベリートのことも大切に思っている。傍から見れば迷惑極まりない犯罪者の巣窟だが、日々はとても和やかに過ぎていく。
「おっと、ならミーニャも呼ばないとな」
酒の席ならともかく普通の食事なら彼女だけ除け者みたいな真似はしたくない。
けれどハルヴィエドの呟きを聞いて、ゼロスが不思議そうに眉をひそめた。
「ミーニャって、誰だ?」
……ああ、そうだった。
ミーニャがデルンケムに入ったのは首領セルレイザが病没した後、減った戦力を補充するためだ。
だからセルレイザが生きているのなら彼女はここにいない。気付いた瞬間、周囲の景色が色褪せてひび割れていく。
ざざ。耳障りなノイズに、先ほどまであんなに近く感じていた穏やかな喧噪も遠くなった。
急速に意識が覚醒していく。
そうしてハルヴィエドは目を覚ました。
◆
なんだか懐かしい夢を見ていた気がする。
重たいまぶたを上げれば、壁にでかでかと張られた超絶カワイイ清流のフィオナポスターが目に入る。
ここはデルンケム異空間基地にある私室だ。
意識はしっかりしている。今は日本侵略作戦の真っ最中。どうにも疲れがたまっていたようで、つい昼寝をしてしまったらしい。
「ハル、起きた?」
ベッドで横たわるハルヴィエドの傍らにはミーニャの姿があった。
しなやかな指がそっと彼の髪をすく。優しい手つきだ。くすぐったさに思わず微笑む。
「どれくらい寝てた?」
「二十分くらい。もう少し寝ててもいいと思う、にゃ」
「いや、目は冴えた。仕事に戻るよ」
いろいろと業務が溜まっている。不測の事態で増えることもあるため早めに片付けておきたい。
ベッドの上で上体を起こし、肩を回して凝り固まった筋肉をほぐす。そこで室内にもう一人いると遅れて気付いた。
部屋の片隅では現首領ヴィラベリートが真剣な表情で、ポスターのフィオナを確認しつつなにやらポーズをとっている。
今一つしっくりこなかったのか、屈んでみたりかわいらしく両手を前に広げてみたりと試行錯誤中だ。
「……首領? いったい、なにをしているんですか?」
「おお、ハルヴィエドよ。いや、うむ。なんというか……ファイティング・スピリッツ?」
なにを言っているのか理解できない。
ただ本人は我が意を得たりとでも言わんばかりに横ピースサインでどや顔を決めている。見目麗しいだけに様になっているし、なぜかミーニャがぱちぱちと拍手をしていた。
「ああ、と。二人とも、なにか用でもあったのか?」
「ん。どら焼き作ってみた。ハルもヴィラ首領も、お茶しよ、にゃ」
訪室の理由はおやつのお誘いらしい。
テーブルには店売りと見紛う完成度のどら焼きと急須、湯呑が並べられている。ヴィラはいち早く席についており、わくわくを隠せていなかった。
「甘いものは心の栄養、にゃ」
「その通りなのじゃ。というか豆を甘く煮るって発想すごくない? おいしいけど」
元の次元にも豆類はあるがあくまでも普段の食事で使うもの。デザートになった豆を初めて見た時はかなり衝撃が大きかった。ヴィラは驚きつつも気に入ったようで、おやつの時間には和菓子が出ることも多い。
「いや、まったく。今では私も好きですが」
言いながら枕元にあるデバイスをとる。眠っている間にメッセージが来ていたようだ。
宛名は【Sayuki】に【もえもえ】。内容はそれぞれ日常の雑談だった。沙雪や萌は頻繁に連絡をくれる。立場はあるが、親しくしてもらえるのは嬉しい。
「ところでハルヴィエド。戦闘員たちがなにやらまた騒がしいのじゃ」
「またなにかやらかしましたかね?」
戦闘員は相変わらずで、統括幹部代理の仕事は忙しい。
疲れやストレスが溜まっている自覚はあった。
「ハルには特別な、栗あんどら焼きおもち入りも用意してる、にゃ」
「お茶は私が淹れるのじゃ」
けれど二人はそんな彼を労わろうとしてくれている。
……遠い夢に未練がないとは言わない。
しかし、あのままでは見られなかった景色もある。
ヴィラとミーニャが仲良くお茶をして、悪の組織の科学者ポジにも優しい言葉をくれる変身ヒロインたちがいて、電子掲示板のスレ民たちと息抜きにバカをやる。インスタントラーメンも冷凍食品もおいしく、組織を離れた幹部も日本にそこそこ馴染んでいる。
現状のすべてを肯定できるとは思っていない。それでもハルヴィエドは今の生活を手放したくないと思う。
「では、いただきます、にゃ」
「うむ!」
少なくとも、三人でおやつを食べる和やかな時間は、紆余曲折を経て辿り着いたここでしか得られなったものだ。
どら焼きを一口かじる。
柔らかな甘さと同じくらい、この場所も居心地がよかった。