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ハカセの過去と頑張る沙雪ちゃん・後編

 



 現世には時折、神の寵愛を受けたとしか言いようのない、人智を越えた才というものが産み落とされる。

 ハルヴィエド・カーム・セイン。

 彼もそういう類の、神に愛された子供だった。




 ハルヴィエドがいた世界は魔力と神霊工学に支えられた社会である。

 魔力を効率的に運用することで高度に発展してきた。

 ただし一個人の持つ魔力は重要視されない。人造魂によって魔力を生成できるため、特権階級が技術を独占することで明確な格差が形成されている。

 特権階級が住まう上層と、その他大勢の下層に分断され、それぞれが生活を営む。

 上層は安全で清潔な恵まれた暮らしを。

 下層でもそれなりに水準は高いが、魔獣などの霊的生命体がおり、危険な生活を余儀なくされた。

悪の組織とは、下層に存在する暴力をもって好き勝手する犯罪集団を指す。悪名高いデルンケムなどは時折上層にすら襲撃をかける無法者だった。

 

 そういった世界で生まれたハルヴィエドは、神に愛された子供とまで謳われた。

 美しい容姿、魂の質。なによりその知能。

 彼は七歳にして「先天的な魂の欠損の修復法」を確立した天才児。幼くして人体及び魂のエキスパートであり、医療分野での活躍を嘱望された逸材だった。

 代わりに早熟が基本の上層でさえ彼の存在は飛び抜けており、同年代の嫉妬を買った。

 エリートだけを集めても今度はその中で上下関係ができあがる。彼は上層の生まれだが決して誇らしい血筋ではなく、色眼鏡で見られることも少なくなかった。

 

 ハルヴィエドの母親は喜劇役者だった。

 母は容姿には恵まれなかったが役者としては人気で、稼ぎもそれなりによかった。ある時、彼女は金に飽かせて下層のホストを抱き、子を身ごもってしまう。

 そうしてハルヴィエドが生まれた。

 父親は妙に責任感が強く、貯金をはたき上層での居住権を得た。母親に求められるままに仕事を辞めて専業主夫に収まったのだ。

 

 しかし肝心の母親の方は家庭に収まった父親に魅力を感じなくなったようで、夜遊びからの浮気で家を出て行ってしまった。

 困ったのは全てを捨てた父だ。

 結果だけを言えば、上層での働き口のない父のために、ハルヴィエドは幼くして就労する道を選んだ。

 その環境を、生まれながらに全てを持つ上層の子供たちが嗤う。

 どれだけ能力が高かろうとアレは卑しい存在なのだと。


『ごめんな、オレのせいで……』

『気にすることじゃないよ、父さん』


 奴らが何を言おうと、能力も実績も、容姿でさえ自分には敵わない者たちだ。

 虫けらの呻きに耳を傾ける必要がどこにある。 


『……息が、つまるな』


 ただ時々、呼吸がしづらくなる瞬間があった。






 その生活も長くは続かなかった。

 成人する前に父は亡くなった。ハルヴィエドが神霊工学研究所で華々しい成果を上げる裏で、道の片隅でひっそりと。

 対応が早ければ問題のなかった異常だ。元下層の父を助ける者はいなかった。

 皮肉にも父がいなくなったことで、ハルヴィエドへの期待は高まっていく。


 役立たずはいなくなった。これから神に愛された子供は大きく羽ばたくだろうと。


 悲しいかな、それは正しい現状認識でもあった。

 研究以外にすることのなくなった彼は次々に新しい理論を打ち立て、多くの発明を世に送り出す。ついには「空間を捻じ曲げて異界を形成し、生物に適した環境を生み出す」理論までも完成させてしまった。


 さすがはカーム・セインだ。

 天才としか言いようがない。

 美貌と英知、まさに神に愛された者よ。


 嫉妬していた者たちも掌を返して賞賛する。ハルヴィエド・カーム・セインの名は歴史に深く刻まれる、そのはずだった。


『おい、お前さんがカーム・セインか?』


 ある日のこと。悪名高い神霊結社デルンケム、その首領であるセルレイザが研究所を襲った。

 狙いはハルヴィエド。彼の頭脳そのものだった。


『そうだが』

『単刀直入に言う。お前の力をよこせ』

『嫌だと言ったら?』

『無理矢理連れてく』


 下層の悪の組織が上層を襲撃するだけでも無茶なのに、セルレイザは豪快に笑う。


『ここまでの無茶をした理由は』

『俺のガキがピンチだ。お前は人体と魂の専門家なんだろ? ガキを助けるために、スカウトに来たんだよ』

『……これ、スカウトのつもりだったのか?』


 明確な重犯罪をスカウトと言い張る大男。あまりにもバカすぎる。


『つまり子供の命を救うために上層に侵入し、研究所を破壊し、死傷者を出してまで私をさらいに来たと』

『ちげえ、協力を頼んでんだよ』

『拒否権は?』

『あるわきゃねえ!』


 セルレイザは真剣な顔で言い切った。それが面白くて、今度はこちらが笑ってしまった。

 ……そこまでの無茶を、父のためにしてやれなかった。


『くっ、はは。あんたみたいな男をなんというか知っている。愛すべきバカ、というやつだ』

『バカってのはよく言われるな』

『だがスカウトというなら、対価くらいは示してもらおう』

『対価ぁ? あー、んじゃあれだ。成果を出したら、なんぼでも好きに研究させてやる。必要なもんは全部かっぱらってきてやる、とかどうよ?』

『ほう、そいつはいいじゃないか』


 仕事としての研究は自由にとはいかない。

 根っからの研究者であるハルヴィエドにとってはそれなりに魅力的な提案だ。


『後は俺のかわいいガキたちを紹介してやる。二人ともいい子だぞ!』

『それは別にどうでもいいが。先程の対価が本当なら、力を貸してやろう。ただし忠誠は誓わない。私の研究のために利用するだけだ』

『かまわねえ。俺らは、好き勝手やりたいから悪の組織なんだよ』


 それで心は決まった。

 彼はセルレイザの下に付くことを選んだ。残された研究所の職員は当然ながらそれを止める。

 

 待て、なぜ下層の組織などについていく。

 これだけ賞賛されているというのに。

 名誉を捨てるつもりか。

 上層にいるだけで幸福が約束されているのだぞ。

 

 ハルヴィエドは振り返り、今までに見せたことのないくらい晴れやかな笑顔を浮かべる。


『その全部がうっとうしいと言っているんだよ、ばーか!』


 掌返しの賞賛も、父を見捨てた者から与えられる栄誉も、息がつまるだけの幸福も。

 何一つ欲したことはない。


『では行こうか、我が主セルレイザ様』


 せっかくこの無法者がいい具合に風穴を開けてくれたのだ。

 楽に呼吸ができる場所でも探しに行こうじゃないか。


『おおん? 忠誠は誓わないんじゃなかったのか?』

『これで私は悪の組織の神霊工学者だからな。首領には敬意を払うさ』

『へへっ、そうかそうか!』

『ああ、ついでに近所のメディカル・センターを壊してくれないか? あそこは、私の父親を見捨てやがった』

『任せろや、頭は悪いがぶっ壊すのだけは大得意よ!』


 そうしてハルヴィエド・カーム・セインは上層から姿を消し、人々の記憶にその名を刻んだ。

 類まれなる容姿と知性を有し、将来を嘱望され最上級の栄誉を目の前にしながら、下層の犯罪組織についていった愚か者として。

 数年後、先代首領セルレイザの死が風の噂で伝わると、上層の民は喜んだ。

 神に愛された子供は落ちぶれたと、今でも当時を知る者は哂っているそうだ。




 ◆



 

 沙雪は晴彦の過去を聞き終え、静かに息を呑んだ。

 上流階級に生まれたが父の経歴から差別され、優れた容姿と頭脳を持ちながらも幼い彼は孤立していた。

 母は家を出て行き、無職の父を支えるために若くして就労するも、結局父は亡くなった。

 多くの功績を重ね、科学者としての将来を有望視されていた。なのに得られるはずの栄誉の全てを捨てて先代に従い、今は現社長のために尽力している。

 彼は確かに幹部クラスだが、それですら『落ちぶれた』と言われるほどの才覚の持ち主なのだという。


「どうして私たちにこの話を?」

「知っていてほしかった、かな。ハルは優秀なのに、人間関係では意外と抜けてる。たぶん子供の頃に同年代で過ごした経験が少ないせいだ。ちょっと変なところがあるけど勘弁してやってほしい、というのが一つ」


 マスターは肩を竦めて、小さく笑った。


「もう一つは、あれで案外頑固だし、こうと決めたら絶対に揺らがない。口説き落とすのは難儀だぞ、って話。あいつ、根が不器用なんだ」


 冗談めかした言い方は、沙雪の感情を否定しているわけではない。ただ純粋に彼女を、晴彦を心配してくれているのだろう。


「あ、あの。ありがとうございます。でも、私。頑張ってみようかな、と。私なりに……真剣に、晴彦さんが、好きです」


 それが意外だったのかもしれない。

 マスターはきょとんとして、「降参」とでも言うように両手をあげた。


「まいった、青春だなぁ。立場上応援はできない。たぶん君が傷付くようなことも出てくると思うぞ。それでも、か?」


 学生と社会人。年齢差だけでも周りからはいろいろ言われてしまうかもしれない。

 しかし沙雪はゆっくりと頷いて見せた。


「……そっか。それが嘘じゃないことを祈ってる。あいつを好きになってくれた奴が傍で支えてくれるなら嬉しいしな」


 そうしてマスターは内緒話でもするように声を潜めた。


「じゃあいいことを教えてあげよう。あいつの女性の好みは、神無月さんみたいな女の子だよ」

 

 一瞬何を言われたのか分からなかった。マスターを見れば、悪戯っぽい表情をしている。


「神無月さんは、結城さんたちのためにあえて抑え役をやってるだろう? 母親が自分本位だった分、正反対の女の子に弱いんだ」


 沙雪は顔が真っ赤になるのを自覚した。




 ◆




403:名無しの戦闘員

 はあ、ハカセにも過去アリってことか


404:名無しの戦闘員

 ハカセってホストのパッパとか嫌じゃなかった?


405:名無しの戦闘員

 優秀過ぎると周りも家族もバカに見えそう


406:ハカセ

 んなこたないぞ。ワイはパッパのこと大好きやったし

 本人は「オレ、頭悪くて。お前に苦労かけてごめんなぁ」ってよく謝っとったけどな


407:名無しの戦闘員

 子供働かせて専業じゃあなぁ


408:ハカセ

 自分で言うのもなんやけどワイはガキの頃から天才やった

 正直パッパより頭がよかった

 そのせいで「父としてなんも教えてあげられなかった」って嘆いとったわ

 

 でもな、違うんや

 パッパは明らかに他の子供と違うワイをせいいっぱい愛してくれた


 パッパ「すっげぇ、オレの子供天才じゃーん!」


 とか言ってクソ生意気なガキを気味悪がらずに抱っこしてくれた

 パッパこそが頭でっかちだったワイに「世の中には愛すべきバカがいる」って教えてくれたんや

 だから先代についていく道を選べたし、今こうやって楽しくやれとる

 ワイはパッパの息子でよかったと、確かに幸せだったと胸を張って言えるぞ


409:名無しの戦闘員

 ハカセ……


410:名無しの戦闘員

 泣かせるンゴねぇ……


411:ハカセ

 あの、それはそれとして

 今フィオナたんから『次の日曜日デートに行きませんかって』ってメッセージが来たんやけど


412:名無しの戦闘員

 簡単に流すなw って、えええええ⁉


413:名無しの戦闘員

 なにが起こった⁉


414:ハカセ

 ワイにも分からん⁉ 今日って噂に聞くエイプリルフールってヤツやっけ⁉

 なに⁉ なんて返信すればいいの⁉

 


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