ルルンちゃんのこと
妖精は高次霊体────カラダに魂という臓器があるのではなく、魂という魔力生成器官そのものがカラダとなった、人間よりも高次の霊的生命体であるとされている。
その特性上、妖精は人よりも遥かに強大な魔力を誇る。
また不滅ではないが不老であり、子孫を作らないのだという。
妖精たちは自然の営みの中で、なんの意図もなく不意に生まれてくるのだ。
自然界に偶発的に誕生するそのメカニズムは未だに解明されておらず、妖精を『神の贈り物』と表現する者もいる。
ただし、とある異次元においてはその数を減らしていた。
妖精は見目麗しい個体がほとんど。そこに目を付け、売りさばくような者が多かったせいである。
悪名高いデルンケム、その首領であるセルレイザもその一人だ。まだゼロスやハルヴィエドがおらず組織運営が安定しなかった頃、戦闘員を養うためのシノギとして妖精を捕獲して売りさばいていたのだ。
そのため妖精たちは代替わりした今でもデルンケムを、首領セルレイザを暴虐なる悪の首領として恐れている。
デルンケムが手を引いた後も違法取引は横行し、生まれ故郷を捨てて別次元に逃げ出す者もいた。
そうして月夜の妖精リーザは、特別な生まれから孤独な幼少期を過ごした神無月沙雪の下に訪れた。
灯火の妖精ファルハは、膝を壊してバスケを辞めた結城茜と出会った。
神の贈り物は、不幸な誰かの前に現れることが多い。
つまり朝比奈萌にも相応の不幸があった。
『うわぁぁぁん! お姉ちゃんがまた私のプリン食べたぁ⁉』
そう、両親が買ってくれたスペシャルプリン・ア・ラ・モード(税込み四百八十円)を萌は楽しみにしていた。
だというのに高校生の姉は『めんご、食っちゃった』と勝手に食べてしまったのだ。
あまりの悲しみが奇跡を呼び寄せたのだろう。訪れの妖精メイは萌に寄り添い〈元気出して、ね?〉と慰める。メイはまだ若い固体であり、不幸の基準がだいぶ緩かった。
萌が妖精姫、萌花のルルンとなった理由は単純だ。
『悪いことしてる人がいる。それを止めようと頑張ってる人がいる。なら、私も頑張らないと!』
悪いことはしたらいけない。頑張っている人がいるなら助けたい。子供らしい善性からルルンは戦いに身を投じた。
そういった経緯から、基礎能力は高いが戦闘における評価はフィオナやエレスと比べれば一段劣る。
争うことも敵意を抱くことも苦手。能力以前に、戦う意思が弱かったのだ。
そんな彼女はある日、気になる人に……葉加瀬晴彦に大事な話があるとメッセージを送った。
───これは〝賭け〟だ。
萌は深呼吸をして、静かに覚悟を決めた。
◆
『ハルさん』は喫茶店で偶然出会った大人の男の人だった。
かっこよくて、会社の偉い人なのに偉そうじゃなくて、占いまでできるすごい人。自分たちのような子供でもちゃんと相手をしてくれる。優しいし、今ではすごく仲良しになった。
萌からすると頼りになるお兄ちゃんができたような感覚だ。それなら美衣那がお姉ちゃんだろうか? 勝手にプリンを食べるお姉ちゃんは知りません。
それに彼は【大切な友達だと思っているよ】とメッセージをくれた。それが嬉しくて、何度も彼の言葉を読み返した。
けれど最近『ハルさん』のことを考えると胸がモヤモヤする。
だから萌は彼を公園に呼び出した。正面からぶつかって、このモヤモヤの正体をはっきりさせたかった。
「やあ、萌ちゃん」
放課後、萌が公園でに行くと『ハルさん』は先に来て待っていた。
沙雪が「晴彦さん、仕事で忙しいみたい」とよく言っていた。なのにこうして付き合わせても迷惑そうな顔は全然せずに笑顔で迎えてくれる。
「ハルさん、こんにちは!」
「はい、こんにちは。学校帰りかな?」
「えへへ、そうです」
初めは軽い雑談から。
学校でこんなことあったとか、クラスの男子の一人がいつもからかってくるとか、何でもない日常のことを話す。『ハルさん』は優しい表情で聞いてくれている。
お喋りはすごく楽しい。本当はもう少し甘えていたいけれど萌は意を決して本題を切り出した。
「ハルさん、お願いがあるんです」
「ん、どうした?」
「えーと、膝をついて、かがんで? ください」
不思議そうにしていたが、彼は言った通りにしゃがんでくれた。
背が高いからいつもは見上げる形だった。けれど今は『ハルさん』の顔が近く、同じ高さで目線が合う。
萌はそのまま『ハルさん』に思い切り抱き着いた。
「もっ⁉ も、萌ちゃんっ⁉」
慌てているようだけど気にせず体に手を回して、ぎゅーっと力を籠める。
深呼吸をすると、なんだかいい匂いがした。どこか安心する匂いだ。
沙雪や茜にも抱き着いたことはあるが、感触が違う。『ハルさん』は細く見えるのになんだかごつごつしている。
「どうしたんだ、萌ちゃん? なにか嫌なことでもあったのか?」
そう言って彼は頭を撫でてくれる。心配されて、優しくしてもらえて、本当に嬉しい。
だけど聞きたいことがある。
萌は一度離れてから、まっすぐ『ハルさん』の目を見つめる。
「教えてください。ハルさんは、ハルヴィエドさんですか?」
そうして少女は胸のモヤモヤを、ずっと抱いていた疑いをぶつけた。
◆
157:名無しの戦闘員
俺フィギュアの原型師してるんだ
一応製作会社勤めだけど小遣い稼ぎにフェスにも参加してる
そんでこの前フェスでエレスちゃんのフィギュア出したらメチャメチャ人気でさ
俺史上最高売上叩き出しちゃったよ
158:名無しの戦闘員
エレスちゃんフィギュアとか普通に欲しい
ハイキックさせたい
159:名無しの戦闘員
こんなとこでバラして大丈夫かよと思って調べたら、意外とロスフェアちゃんフィギュア作ってるとこあるんだな
企業でも手ぇ出してるとこあるじゃん
160:名無しの戦闘員
実はハカセのフィギュアも作製要望あったりするぞ
161:名無しの戦闘員
草
162:名無しの戦闘員
ほしいwww ハカセフィギュア超欲しいwwwwww
163:名無しの戦闘員
新たなネットのオモチャ誕生の予感www
164:ハカセ
ヤバい、ルルンちゃんに正体バレた
165:名無しの戦闘員
俺ハカセフィギュアでおもしろ画像撮ってスレ立てするw
166:名無しの戦闘員
え? マジで?
167:名無しの戦闘員
嘘だろ?
168:名無しの戦闘員
ハカセなにしてんだお前⁉
169:名無しの戦闘員
それ本気でヤバいやつじゃん
170:ハカセ
ワイもこんな形でバレるとは思っとらんかった
正直困惑しとる
171:名無しの戦闘員
なにがあったん?
172:名無しの戦闘員
バカ話から一気に雰囲気変わったな……とりあえず話してみ?
173:ハカセ
今日の夕方のことや
ルルンちゃんから「お話があるから会いたいです」ってメッセージがあったんや
画像を送り合う仲やし、ルルンちゃんが遊びたいって言うのも別に珍しくない
ワイはいつも通りの感じで約束の公園へ向かった
174:ハカセ
最初は仲良くお喋り
なんかクラスの男子に、ルルンちゃんに意地悪する子がおるんやと。
素直になれない男の子やなぁ、と思いつつなにかあったらワイを頼るんやで的なことを言っといた
そして問題の瞬間がやってきた
ルルン「ハカセさん、しゃがんでくれませんか?」
ワイ「ん? こう?」
ルルン「えいっ」(ぎゅー
ルルンちゃんはかがんだワイに抱き着いてきた
しかも首に手を回しぎゅーっと
175:名無しの戦闘員
おまわりさんこいつです
176:名無しの戦闘員
はい撤収ぅー!
177:名無しの戦闘員
M男「ようこそ、男の世界へ……」
178:名無しの戦闘員
今最悪なリン〇ォおったぞw
179:ハカセ
いやあのうん、気持ちは分かるけど一応真面目な話やから
そんでワイに一言
ルルン「ハカセさんは、組織の幹部のハカセさんですか?」
口から心臓飛び出るか思ったわ
180:名無しの戦闘員
えぇ……
181:名無しの戦闘員
ハカセなんかした?
思わずワイ口調で喋ったとか
182:名無しの戦闘員
その流れでバレるところなくない?
183:名無しの戦闘員
最初から分かってた? ならなんで抱き着いたのって話だけど。
184:ハカセ
理由は匂いってルルンちゃんは言っとった
ワイ「ど、どうして……」
ルルン「こうやってハカセさんにくっついて分かりました。幹部さんがくれたマントとハカセさん、同じ匂いがします」
言われて思い出した。以前ワイは服が破れてもたルルンちゃんを隠すためにマントを被せたことがある
まさかこんなところで繋がるとは思わんかったわ
185:名無しの戦闘員
ああ、ルルー〇ュマント?
186:名無しの戦闘員
エリがすごいやつか
187:ハカセ
抱き着いたのはワイの匂いを確認するためやったらしい
それがマントの残り香と一致した
で、ルルンちゃんはワイが統括幹部代理だと当たりを付けたってわけや
ルルンちゃんが……
大天使ルルンちゃんが抱きしめた匂いで男を判別する堕天使になってもた……
188:名無しの戦闘員
ハカセなんか余裕ないかw
189:名無しの戦闘員
でもそんなんで分かるもんかね?
190:名無しの戦闘員
そもそもマントに匂いってそんな残らんだろ。実はハカセ体臭が濃い……?
191:ハカセ
ちゃうから。ワイ別に臭くないから
むしろフローラルな香りしてるはずやもん
マジメな話すると匂いといっても嗅覚どうこうやない
前にワイが言ったやろ? 妖精の残り香を判別できるって
あれと同じ類の話や
192:名無しの戦闘員
あー、ハカセとかアニキは妖精の匂いが分かるんだっけか
193:ハカセ
ワイやアニキは神秘に対して敏感や
匂いと表現したけど、実際には魂の波長や魔力の性質を察知しとる
その差異から固体を判別するんやけど、論理的には同じやと思う
たぶんルルンちゃんはマントに残ったワイの魔力に反応したんちゃうかな
しかも偽装しているのに看破してみせた
もしかしたら神秘に対するセンスはワイ以上かもしれん
今から学べば最高ランクの神霊工学者になれるかもな
194:名無しの戦闘員
すごい……けどやばいンゴ……
195:名無しの戦闘員
ハカセのマントと本人を繋げて考えられるほど、魔力を正確に判別してるってことか
196:名無しの戦闘員
それって科学者的に必要な能力なの?
197:ハカセ
魔力の性質や流れを感覚的に理解できるってのは神霊工学者にとって得難い才能や
実験やら測定をすっ飛ばして望む効果をある程度計算できるってことやからな
基礎の手ほどきくらいはしたいけど、本人の適正とやりたいことが一致してるとは限らんしなぁ。いくら才能があっても研究に興味がないなら勧めづらいわ
198:名無しの戦闘員
話逸れてるぞハカセ
199:ハカセ
しまった、184の続きな
ワイ「な、なんのことかな?」
ルルン「……」(じーっ
ワイ「ワイの正体が銀髪イケメン天才幹部なんて、そんなこと」
ルルン「でも、顔も髪の毛の色も目の色も匂いも全部いっしょです」
一度魔力の性質を一致させたことでアムフランジュも無効化しおった
これで十三歳か……末恐ろしいわ。それでもしらばっくれようとするワイ。
ワイ「……実は、ワイには生き別れのお兄さんが」
ルルン「ハカセさんは、私を大切な友達と言ってくれました。あれは、嘘なんですか……?」(うるうる
ワイ「ごめんなさい、ワイです」
ワイ、陥落
200:名無しの戦闘員
よわっ⁉ ハカセ弱っ⁉
201:名無しの戦闘員
これはしゃーない
うるうるお目目のルルンちゃんとか俺も耐えられる自信ない
202:名無しの戦闘員
まず言い訳がベッタベタすぎる
203:ハカセ
ぶっちゃけ認識阻害無効にされてる時点で言い訳は無意味ですよね……
ワイ「ごめんね、ルルンちゃん。実はそうなんだ」
ルルン「ハカセさん……やっぱり、悪い人なんですか?」
ワイ「うん、すっごく悪い人。騙したみたいになっちゃったね」
せっかく仲良くやれてたけど、ここらが潮時かなぁ
バレた以上は接触止めて次の行動に移らなあかん
これでお別れや。そう思ったところで、くいっ、って袖口を引っ張られた。
204:ハカセ
ルルン「わ、私。やっぱり知りません! 分からないです、匂いも全然違います⁉」
ワイ「ルルンちゃん?」
ルルン「それに、私にも、秘密があって。だから、行っちゃダメです……」
支離滅裂やけど、日本人のハカセさんがいなくなることを何となく察したんやろな
そんで申し訳ないけど君の秘密、ワイは知っとる
ルルン「友達です。私たち、ちゃんと、友達ですよね……?」
ワイ、本日二度目の陥落
205:ハカセ
ワイ「あー、もちろん友達や。ワイは勝手にいなくならんよ」
ルルン「ほんとですか?」
ワイ「うん、なんなら指切りしよか」
ゆーびきりげーんまん嘘ついたーらハリセンボン飲ます、指切った
だから約束や、勝手にはいなくならんってな
そうしたら、ルルンちゃんはちゃんと笑ってくれたわ
206:名無しの戦闘員
ルルンちゃん泣かせるとかハカセ地獄に落ちるべき
207:名無しの戦闘員
分かりやすいフラグ立てやがって
208:名無しの戦闘員
勝手には、ね
209:ハカセ
>>206
ワイも同意見やわ
知られた以上放ってはおけん
ちゃんと処理はさせてもらったけどな
210:名無しの戦闘員
処理?
211:名無しの戦闘員
ふざけんなよ、お前まさか
212:ハカセ
いや、ちゃうからな⁉ あれや、記憶を忘れされる系のヤツ!
誰がルルンちゃんに危害を加えるか⁉
213:名無しの戦闘員
ハカセ信じてたぜ(手のひらクルー
214:名無しの戦闘員
変身ヒロインに危害を加えないと明言する悪の科学者もあれだなw
215:名無しの戦闘員
さすがにそれくらい俺らも分かってるって
216:ハカセ
ったくビビらせんといてくれ……
ちなみに記憶消去には二つの方法がある
一つが魔力によって記憶そのものに干渉して該当部分を削除する魔法
もう一つは暗示に近くて「何となくそんな気がする」レベルまで印象を落とすやり方や
前者は記憶そのものを削り取るから完全に忘れさせることができるけど、強力過ぎて他の記憶にまで弊害が生じる場合がある
後者は暗示やからな。きっかけがあれば思い出す可能性がある反面、悪影響が少ない
217:名無しの戦闘員
言わなくても分かってるぜ
お前が選んだのは後者だろ?
218:名無しの戦闘員
これがメンタリズムです
219:名無しの戦闘員
ちがうわw
220:ハカセ
流れるようなレスサンガツ。
仰る通りルルンちゃんが後で困らんように弱い方の処置をしといた
偽善やな。それでも、やっぱ子供を犠牲には性に合わん
その分思い出す可能性もあるから、ちょっとワイは動きを注意せなあかんけど
221:名無しの戦闘員
ひとまず事なきを得たんならよかったよかった
222:名無しの戦闘員
あれ? なら何がヤバイん?
一応もう大丈夫ってことだろ?
223:ハカセ
いや、約束した公園ってアニキの喫茶店にかなり近い場所にあんのよ
今スマホを確認したら戦闘員A子ちゃんからクッソほどコールが、ね?
たぶんワイとルルンちゃんの抱きしめ合うところを見られたんやろなぁ
どうしよう……完全にワイの命の危機……
224:名無しの戦闘員
よし逝ってこい
225:名無しの戦闘員
ルルンちゃんをぎゅーした罪は消えねーからな
226:名無しの戦闘員
A子ちゃん任せた
227:ハカセ
ワイの味方がどこにもおらん……
228:名無しの戦闘員
なあハカセ……ワイ将イヤなこと考えてもた……
今回の件スレに書き込んだ理由
ハカセに何かあった時、本当のことを知っている誰かを作るためちゃうよね?
もしもの時に別スレで真実を語る役なんてワイはごめんンゴよ……
◆
『ハルさん』の正体になんとなく気付いた時、萌は誰にも相談しなかった。
けれどぎりぎりになって、訪れの妖精メイにだけは胸の内を打ち明けた。
そして一つの賭けをした。
「ねえ、メイちゃん。私、勝ったよ……」
一人で敵の幹部に会いに行く。もしかしたら襲われるかもしれない……なんて考えなかった。
だって相手は『ハルさん』だから。
しかしメイは言った。〈記憶を消す魔法は、あるよ〉と。同時に対策もあると教えてくれた。
記憶を消す方法は二つ。強いのと、弱いの。
強いのは記憶そのものを消すから危ないし、完全に防ぐのは難しい。
逆に弱いのなら前もって準備すれば無効化できる。また、デルンケムの幹部ならきっとどちらも使えるだろうとも付け加えた。
つまり『ハルさん』が本当に悪人なら萌を攻撃する。
萌のことはどうでもよくて、自分の安全を考えるなら強いのを使う。
心配してくれたなら弱いのを使うはずだ。
そして、萌は先ほどまでのやりとりを完全に覚えている。簡単な対策でも記憶が消されるのを防げてしまった。
それは『ハルさん』が、自分の安全よりも萌の安全を選んでくれたということ。
だから悪の組織の人でも、『ハルさん』は今まで見てきた通りの、優しいお兄ちゃんだと確信できた。
〈モエ、どうするの?〉
記憶は消えていない。
しかし暗示にかかって気を失ったふりをした。彼は萌が起きるまでちゃんと待っていてくれた。
……そんな人を、ただの悪い人だなんて思えない。
だから萌は記憶をなくした演技をして、また『ハルさん』とお友達に戻った。
「きっとね、ハルさんには何か理由があるんだよ。だから、私ね……」
今までみんなのためとは思っていたけど、戦うことに前向きにはなれなかった。
でもこれからは違う。
『ハルさん』が敵だと思うと胸がきゅーっとなる。同じくらいどうにかしなきゃ、という気持ちになる。
たぶん、今この胸にある感じが〝決意〟なんだと思う。
「戦う。ハルさんが悪いことするならそれを止めたい。ハルさんのことを助けてあげたいの」
萌花のルルンは、その日初めて戦ってでも叶えたい願いを見つけた。